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野望は血を欲し、賢眼は未来に言霊を託す。

 湖水に浮かぶ孤島に、古びた城があった。その城に、城主は存在しなかった。城内には、四百人近い人々が規律正しく働き、城の中にはいつも事務的な雰囲気が流れていた。


 人々の仕事は様々だった。庶務を司る者、内外の折衝を司る者

、史書を記録保管する者、財務会計を司る者、城の警備を司る者、調理を司る者、清掃を司る者。


 この人々は、青と魔の賢人達に忠誠を近い、世界の歴史をより良い方向へ導くために働いていた。自分達の仕事を、誇らしいと胸を張りながら。


 彼等が忠誠を誓う賢人達は、五十名いた。謎の襲撃者達の暴挙によって、二名が殺害され、現在はその数を四十八に減らした。


 この組織の意思決定権を持つ、中央裁行部。この機関は六名で構成されていた。それ以外の賢人達は、一ヶ月に一度の定例会に集まる以外、世界中に散り、今日も勇者の卵、魔王の卵を探索していた。


 その定例会は、明日を開かれる予定だった。


 

「魔力探査隊の監視の網を、どうかいくぐったのだ?アルバ賢人」


 ネグリット議長は、相変わらず視線を本から動かさない。白髪の前髪が眼鏡にかかったが、手で直す様子もない。


 この青と魔の賢人の本拠地には、侵入者を防ぐ為に、常に魔力探査器を身に着けた監視員達がいた。


 アルバは身につけていた黒いローブを外し、ネグリット議長に見せる。議長は視線を動かさず、顔に刻まれた深いシワも、微動だにしなかった。


「この黒いローブは、魔力探査器を無効化する代物です。貴方と繋がりが深い、ある一族の手製品です」


 それは、黒いローブの四兄弟、モグルフが纏っていたローブだった。アルバの一刀で切り裂かれたローブを、アルバはネグリットの執務室に来る為、利用したのだった。


「なぜ人目を隠れて来る必要がある?ここは君の帰る場所ではないのかね」


「ネグリット議長が、バタフシャーン一族と繋がり、部下である私を亡き者にしようとした事実。これを他の者の、耳に入れる訳には参りません」


 本で溢れかえったこの執務室に、誰が発したが、殺気めいた空気が流れ始めた。この執務室には、廊下に出る為の扉の他に、もう一つ扉があった。


 その扉の中は書庫になっており、書庫には一人の少年がいた。十四歳の少年は、ネグリット議長の秘書の一人だった。


 彼は日課の書庫整理をしていた。この書庫に保管されている書物は、古代から現代に至るまでの、世界の歴史そのものと言って良かった。


 アルバもこの組織に入った当初は、この書庫で寝食を忘れ、貴重な書物を読み漁った。本好きの少年は、この重要な書物を取り扱う仕事に、大きな幸せを感じていた。


 その書物を点検していた時、議長がいる隣の部屋から声がした

。少年は何気なく聞き耳を立てると、何なら穏やかでない会話が聞こえてきた。



「······大袈裟だな。君には一度、痛い目に合って欲しかっただけだ。己の力を過信し過ぎる君にな」


 ネグリット議長は、ゆっくりと指で本のページをめくる。アルバは、本を支えている議長の左手を見る。


 その左手の甲には、目が張り付いていた。単眼は大きく見開き、アルバを見据えている。それは、アルバの一挙手一投足を、見逃すまいとしているようだった。


 ネグリット議長は、魔族でも珍しい手掌眼一族の出身だった。その手の単眼は、未来を見通す力があると言い伝えがあった。


「議長の望み通り、痛い目に合いました。最も、あと一歩で痛みを感じない身体になる所でしたが」


 部屋のこもる殺気の空気は、いよいよ濃くなってきた。書庫の扉に張り付いていた少年は、胸騒ぎがしてきた。


「いい機会だ。今後はもう少し控えなさい。これから中央裁行部の会議でな。あまりゆっくり出来んのだ。裁行部の年長者達は、君の事をあまり良く思っていない。」


 組織の前例踏襲を、あからさまに批判するアルバは、中央裁行部から忌み嫌われていた。


「残念です。ネグリット議長。今後はありません······貴方と、裁行部の老人達にはね」


 真紅の髪の青年は、破滅の言葉を口にした。それは、もう二度と後戻り出来ない領域に足を踏み入れる事だったが、アルバは全く逡巡しなかった。


「アルバ賢人。言葉はもう少し思慮深く使うものだ。さもなくば、我が身を滅ぼすぞ」


 ネグリット議長の手掌眼が、アルバを睨むように強い視線を送る。その視線を、アルバは意に介さない様子で、胸から小瓶を出した。瓶の中には、透明な液体が揺れていた。


「この液体は、空気に触れるとすぐに気化します。議長の執務室にお邪魔する際、僅かですが、部屋に散布させて頂きました。裁行部の五人が集まっていた会議室にもね」


「一体、君は何を言って······」


 言葉を言い切る前に、議長は手にしていた本を机の下に落とした。七十七歳を越えた魔族の男の顔が、苦痛に歪んでいく。


「アルバ······君は何を······」


 ネグリットは動悸も激しくなったのか、胸を押さえる。その様子を、アルバは冷たい目で眺めている。


「最後に聞いておきたい事があります。四兄弟に殺害された二名。それも議長がバタフシャーン一族に、情報を流したのですか?」


「······それは四兄弟が自力で行った事だ。彼等は各国の大臣を買収している」


 青と魔の賢人の探索人が街に訪れると、その賢人を接待しようとする役人が、各国に存在した。


 殆どの賢人はその接待を固辞するが、大臣から情報を得られれば、賢人の居場所を知る事が可能だ。四兄弟は、その情報を元に襲撃を行っていた。


 二名の賢人が殺害され、ネグリット議長はバタフシャーン一族を問いただした。一族の関与を疑っての事だ。


 一族は表向きは否定した。そしてネグリット議長に今後の友好と協力を申し出た。ここに、双方が言質を取らない協定が成立した。


 バタフシャーン一族が、影から支援する四兄弟。ネグリットに四兄弟を見逃してもらう代わりに、一族はネグリット個人に協力する。


 魔物を造り出すバタフシャーン一族は、青と魔の賢人の世界管理の為に、必要な存在だった。ネグリットは、部下二名の犠牲と引き換えに、バタフシャーン一族の協力を得た。


 そして、襲撃者が四人と知りながら、ネグリットは、アルバとロシアド二名を調査に向かわせた。


「よく分かりました、議長。私もお教えしましょう。この小瓶の中の液体は、病原菌です。空気感染し、人から人へと感染して行く物です。一度感染すれば、血清を打つ以外、助かる方法はありません」


 先刻口にしたアルバの破滅の言葉は、世界の破滅を意味していた。


「······なんだと?そんな物を、君は一体どうしようと言うのだ?」


 ネグリットは机から立とうとしたが、上半身を支えようとした両腕に、力が入らない様子だった。


「新たな世界を創る為です。人間も魔族も増えすぎました。これらを、この妙薬で一掃致します」


「妙薬だと?悪魔の薬の言い間違いであろう。アルバ······そこまで道を踏み外したか」


「それは違います議長。私は踏み外していた道を、正しい道に戻っただけです」


「······アルバ······これ程愚かだったか」


「さようなら。ネグリット議長。黄泉への旅路が、良き旅程になる事を祈っています」


「······それは、自身がこれから体験する事か?アルバ賢人」


「!?」 


 アルバは床に叩きつけられた。体重が何倍にもなったように重くなり、身動きが出来ない。ネグリットが、天地重力の呪文をアルバにかけた。


「······馬鹿な、間違いなく感染している筈だ。なぜ動ける?」


 アルバが辛うじて顔だけを動かし、ネグリットに向ける。


「湖水の森にある研究室。いや、あれは人体実験所だな。アルバ、私がそれを知らないとてども思っていたか?」


 ネグリットの左手の手掌眼が、アルバを細い目で見据える。


「······あそこから血清を盗んだのか······私を監視していたのか?」


 アルバの顔が苦痛と屈辱に歪む。アルバの身体は、更に重さを増していく。


「全ては己が招いた結果だ。君が今した事、これからしようとする事は、我が組織への、いや、世界の歴史への反逆だ。最早、助命は出来んぞ、アルバ」


 ネグリットは、眉一つ動かさず、冷酷な最後通告をかつての弟子に下した。表情は変わらなかったが、左手の手掌眼の瞳は、沈痛な色を浮かべていた。


 ネグリットは思い出していた。この組織に入った時のアルバを。彼は若く、才気に溢れていた。いずれ自分の後継者になると、議長は期待を寄せていた。


 だが、その弟子は今床に伏し、断罪の時を迎えていた。


「研究室を見つけてくれて、ありがとうこざいます。議長」


 アルバが不敵な笑みを浮かべた瞬間、天地重力の呪文は弾かれた。真紅の髪の青年は、魔法障壁を唱え、戒めから解放された。


「衰えましたな。ネグリット議長。かつての貴方の天地重力は、街一つをも沈めた。だが、今は私一人すら押さえられない」


 アルバはゆっくり立ち上がり、乱れた長い前髪から、両目を覗かせた。その両目は、ネグリットが昔見た、希望に満ちた目では無かった。その目は、黒く淀んで見えた。


「老いは恥ではない。後ろめたい事実が露呈した後は、武力······で抵抗す······る気か」


 ネグリット議長の声が、だんだんか細くなっていく。呼吸が荒くなり、汗が止まらい。全身の血液が逆流しているような感覚に襲われる。


「研究室で貴方が得た血清は、研究初期の病原菌用の物です」


 ネグリットは、アルバの言っている意味がすぐに理解出来なかった。全身の血液が全て頭に集まったかの様に、頭部が重たくなって行く。


「貴方が私を監視していた事は、分かっていました。研究室を知られた事もね。それで貴方達が満足してくれたお陰で、真の病原菌を作る事が出来ました」


「べ、別の人体実験所が、あったのか?」


 一つ扉を隔てて、扉に張り付いていた少年は、自分の口を両手で押さえ、必死に声を出さないように堪えた。


 尊敬するネグリット議長の、ただならぬ様子に、少年は絶望感に襲われる。


「······今度こそお別れです。ネグリット議長。いや、ネグリット先生」


 アルバの両目に、一瞬だけ悲しげな色が浮かんで消えた。


「······ライヒル·····お前は······」


 それは、人生の大半を偽名で過ごしてきた男の名だった。その言葉が、ネグリットの最後の言葉となった。


 かつては魔王として、人間の国々を恐怖に陥れた手掌眼一族の男は、口から血を流し、地に伏せ絶命した。


「か、火事だあ!」


「中央裁行部の会議室が、燃えているぞ!」


 ネグリットの執務室の外から、悲鳴に近い声が聞こえてきた。アルバは、裁行部五人が集まる会議室に細菌を撒き、殺害後火を放っていた。


「感染を広げない為です。ここも燃やします。ネグリット先生」


 アルバは小さく呟くと、火炎の呪文を唱えた。火は瞬く間に燃え広がり、かつての師は、紅蓮の炎に燃えていく。


 アルバは再び姿隠しを使い、ネグリットの執務室を後にした。少年は、侵入者が開けたドアが閉まる音を確認し、ネグリットの執務室に入った。


「······ネグリット先生」


 少年は泣いた。それは、火災が起きているこの部屋から起こる煙が原因では無かった。尊敬するネグリットは、無残にも殺され

、その身を焼かれていた。少年は涙を拭い、懐から短剣を取り出した。


 少年はネグリットの左手を見る。ネグリットの左手首は、まだ燃えていなかった。少年は握った短剣で、ネグリットの左手首を切り落とす。血が飛び散り、少年にもかかったが、気にする余裕は少年には無かった。


 ネグリットの左手を鞄に入れ、少年は書庫に戻る。この書庫には、外に通じる秘密の階段があった。少年は煙を吸わないように布で口を押さえ、階段を降りていく。


 無事外に脱出した少年は、船の停留所に急ぐ。停留所の係員は

、少年を見て親しげに話しかける。


「よう、モンブラ。またネグリット先生のお使いか?」


「そうなんだ。森のキノコを採って来いって。小舟を貸してもらえるかな?」


 停留所の係員の男は、モンブラの要求に、笑顔で応じてくれた。小舟に乗り込んだモンブラは、急いで船を漕ぎ出した。


「なんだか城の中が騒がしいなあ。何かあったのか?」


 係員の男の言葉が遠のいてゆく。モンブラは、ネグリットに以前から申し付けられていた。自分にもしもの事があったら、左手を切り落とし、ある男に届けるようにと。


 その為に、金貨などを入れた非常用の鞄を、いつも身近に用意していた。モンブラは再び涙を流す。この鞄を使う日が来る事など、思いもよらなかったと。


 ネグリットの生前の遺言を、なんとしても実行する。モンブラは、強い決意を胸に誓った。目指すはオルギス教の総本山、カリフェース。そこには、ネグリットのかつての弟子がいる筈だった。


 その弟子に、ネグリットの左手を届ける。モンブラは青と魔の賢人達の城を見つめる。······ここには、もう戻って来れないかもしれない。


 慣れ親しんだ自分の家に、少年は静かに別れを告げた。






 






 



 




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