掘られた落とし穴には、殺戮の刃が仕込まれている。
この小さな街にも、警備隊が常駐している。警備隊長のカヒラは、憂鬱なため息を吐いた。ここ最近、街で立て続けに騒ぎが起こっている。甲冑を全身に纏った男と、黄色い長衣の男の戦い。黒いローブの集団と、白いローブ達の戦い。
いずれも、街の建物等に被害が出た。死傷者が出なかったのが、不思議なくらいだ。この件で、街の住民の警備隊に対する信用は、失墜している。それも致し方ない。なんせ、現場に駆けつけても、何も出来なかったのだ。
目の前に展開された光景は、とても我々警備隊如きでは、手に負える代物では無かった。隊長のカヒラは、失態続きで、お上からどんな沙汰が降りるか、不安な気持ちで毎日を過ごしていた。五十才に近づくこの身で、ここより更に、辺境の地へ左遷されるかもしれないと。
この小さな街は、本日、精霊祭を迎えていた。半月前の騒動で、順延していたお祭りを、やっと開催する事が出来たのだ。今日は多くの人が集まり、賑やかにお祭りを楽しんでいる事だろう。警備隊長カヒラは、もう一度ため息をついた。
彼は、街を囲っている壁の物見矢倉に立っていた。街の住民が
、安心してお祭りを楽しめるよう、しっかり監視役を、務めなくてはならなかった。
街の中央広場では、多くの露店が立ち並び、たくさんの人達で賑わっていた。半月前に破壊された石畳と教会は、完全ではないが、応急処置を終えたという所だった。
大通りの奥まで、軒を連ねる食べ物屋から、美味しそうな匂いが、いくつも立ちこめている。パン生地の中に、牛肉と野菜を煮込んだ具を入れ、それを揚げた包みパン。鶏肉を串に刺し、香辛料をたっぷりかけ焼いた串焼き。林檎を煮詰め、蜂蜜をかけたデザート。
銀髪の少女は、首を何回も左右に振っている。どの店に行くか、決め兼ねていた。
「師匠!お祭りは、誕生日と同じで、暴飲暴食が許される日なんですか?」
育ち盛りの胃袋は、もう我慢の限界らしい。
「ああそうだ。好きなだけ食べていいぞ」
私は、飢えた猛獣を野に放った。猛獣は、興奮した様子で、元魔王のヒマルヤの手を引き、いや、ひっぱり露店に突撃していった。
二人が、三軒目の店に向かった所で、チロルとヒマルヤの姿は、人混みに消えた。私は、焼いた鶏肉を甘ダレにつけた串を持ちながら、呆気に取られていた。
「へえ。チロルと元魔王君。なんだかデートしてるみたいだね」
「確かに。年も近いし、なかなかお似合いじゃないかしら。ねえ守銭奴さん?」
「うむ。若者は、はつらつとしてて、見ていて気持ちいいな」
「ふむ。我が君が年頃の異性と時を過ごすのは、初めての事。人間の文化を学ぶ筈が、思いもよらぬ、勉強になるやもしれん」
私の背中から、不愉快で、不届きな声が聞こえてくる。元暗殺者、元諜報員、元騎士団少佐、元魔王軍序列一位。暇人の連中の井戸端会議が、かんに触る。
「あれはデートじゃないぞ!ただの子供同士の戯れだ!」
私は必死に抗議する。チロルに色々食べさせてやろうと思い、銀行から銅貨を引き下ろしてきたのに、あの欠食児童は、元魔王と何処かに消えてしまった。
「あなた、箱入り娘を心配する父親みたいね」
マルタナが手に口を当て笑う。彼女に出会った当初は、目の鋭さが印象的だったが、最近は鋭さが無くなった。色々、重荷が無くなったせいだろうか。
「この前の、黒いローブとの戦いの時も、必死だったよね。チロルの事となると」
エルドも、マルタナに調子を合わせ笑う。彼も暗殺者を辞めた時は、意識して作ったような笑顔をしていたが、この頃は、心から笑っているように見える。
「チロルも、最初と比べるとずいぶん子供らしくなった。これも、保護者の教育の賜物だろう」
ウェンデルは、腕を組みながら笑う。この全身に正義を纏っている青年は、出会った頃から何も変わらない。多分、彼はこれからも変わらないのだろう。
「なる程。タクボ、そなたは人を育てる術を心得てるらしいな。是非、私にも享受願いたいな」
この、人間文化陶酔魔族には、そろそろ情報料を請求しようと、本気で私は考えていた。この死神に、人間のお祭りを紹介してやろうと、暇人の大人達は、サウザンドを連れて行く。
私は連中から、少し距離を置いて歩く。あんな暇人達と、同類と思われたくないからだ。喧騒の人混みの中、白いローブを纏った金髪の男が、私の目に入った。
アルバの連れで、確かロシアドという名前だったか。彼は特に何をするでも無く、祭りの風景を眺めている様子に見えた。彼の周囲で、若い娘達がロシアドに見惚れている。
まあ、男の私から見ても、奴は、美男子の部類だ。そのまま通り過ぎるつもりが、美男子と目が合ってしまったので、仕方なく近づき、大人らしく社交辞令を述べる。
「なんだ。外出なんて珍しいな。安宿の部屋にいるのが、嫌になったのか?君等、賢人ならもっといい部屋に泊まれるだろう?」
私は、歴史を裏から操る、青と魔の賢人組織が、潤沢な資金が無い筈がないと、断定している。金があるのに、清貧を気取っているのか、などと決して思っていない。
「私達は、浪費を目的に行動していない。泊まる所など、甘露凌げれば十分だ」
金髪の美男子は、俗物を見るような目で、私を見る。失礼な。人を金の亡者とでも思っているのか。
「······私が子供の頃など、ベットで眠れる事など滅多に無かった」
ロシアドは、はっと我に帰り、余計な事を言ってしまったと言う顔つきで、どこかに行ってしまった。苦労知らずの坊っちゃんに見えたが、案外、彼も苦労してきたのかもしれない。
私は人混みに目をやると、酒杯を手にしたウェンデルが、甲冑を身に着けた若者と何やら話していた。
「ウェンデル少佐。お久しぶりです」
若者は兜を脱ぎ、紅茶色の髪の青年に、笑顔で敬礼した。
「暫くだったな。コード。だが、少佐はやめてくれ。私はもう騎士団員ではない」
ウェンデルは、苦笑してコードと握手を交わした。
「その装備だと、近くに兵達も来ているのか?」
「はい。三百の兵士が、街の外で小休止しています。行き先は東の砦です」
東の砦は、隣国との国境線にある重要拠点だった。最近、隣国の挑発行為が増しており、砦の兵力増員の為、行軍の途中との事だった。
大きな戦闘に、発展しなければいいが。ウェンデルは、そんな心配をしながら、後輩に酒を勧める。
「コード大尉。騎士団を辞めた部外者に、任務の内容を、ペラペラと口外するな」
コード大尉の後ろから、低い声が聴こえた。その声の主も、正規兵の甲冑を身に着けている。
「キメル中佐······」
コード大尉が、笑顔から気まずそうな表情に変わる。三十代後半と思われる、キメル中佐と呼ばれた男は、鋭い眼光を元少佐に向ける。
「久しいな。元少佐殿。騎士団を辞めて、冒険者になったと聞いたが。昼間から酒を飲めるとは、いいご身分だな。冒険者とやらは」
悪意と敵意を隠さず、むしろ、むき出しにして、キメル中佐はウェンデルを睨みつける。
「中佐が私を、死地に追いやってくれたので、新たな人生の道が開けました。お礼を言うべきですかな?」
二月半前、勇者の剣を輸送する任務を、ウェンデルに命じたのは、キメル中佐だった。本来なら、帰還する事が叶わない任務。
キメルは、この正義面をした生意気な男が、昔から気に入らなかった。武器輸送の任務を与える人選で、迷う事なく、ウェンデルを選んだ。だがこの目障りな男は、死地から生還し、騎士団を去った。
その後の、ウェンデルの冒険者としての行動は、貧しい村々を救う日々だった。その活躍は人づてに伝わり、王都にいても、キメルの耳に入ってくる程だった。
騎士団にいても、いなくても、キメルにとって、ウェンデルは気に入らない存在だった。ウェンデル自身も、自分を死地に追いやったこの元上司に、好意的ではいられなかった。
元少佐と現役中佐が睨み合う中、一人の兵士が、息を切らせてキメルの元に駆けてきた。
「キメル中佐!非常事態です。すぐに壁の上まで、お越し下さい」
キメルは、威圧的な眼光をウェンデルに残し、兵士とコード大尉と共に、去っていった。残されたウェンデルは、短く思案し、すぐにキメル達の後を追った。どんな非常事態か確かめる為だ。
エルドとマルタナは、サウザンドに輪投げの店で、遊び方を教えていた。黄色い長衣の死神は、真面目な顔つきで、木製の輪を突起している棒に投げていた。
そのエルド達の前を、ウェンデルが駆け抜けて行く。エルドが見た彼の横顔は、祭りで見つけた美人を、追いかけているようには見えなかった。
キメル中佐は、街を囲っている壁に登り、蒼白な顔をした、警備隊長のカヒラから報告を受ける。キメルは表情を変えず、部下から受け取った望遠鏡で、西の丘陵地帯を覗いた。
望遠鏡に映し出されたのは、無数の塊がこちらの街に、向かっている光景だった。人の形では無い。それは、魔物達の群れだった。
その群れは、百体はいると思われた。整然と隊列を組み、進んでいる。魔物が陣形を組み、組織立って街を襲うなどと、キメルは聞いた事がなかった。
「中佐達、騎士団の皆様が、この街を通りがかったのは、幸運でした。我々警備隊は、中佐の指揮下に······」
大汗をかく、カヒラ警備隊長が言い終える前に、キメル中佐は望遠鏡を部下に返し、階段に向かって歩き始めた。
「ちゅ、中佐!我々にご指示を」
カヒラが慌てて、キメルを追いかける。
「我々は東の砦に向かう途中だ。この街の異変に関わるつもりは無い。それは、お主ら警備隊の仕事であろう」
キメルは歩みを止めず、カヒラに視線を向ける事なく言い放った。
「そ、そんな馬鹿な!この街はどうなるんですか!?」
カヒラの悲鳴を、無視していたキメル中佐が歩みを止めた。カヒラの言葉に心を動かされたのではない。目の前に、不愉快な男が立っていたからだ。
「正気ですか?キメル中佐。無辜の民衆を見捨てて、我が身の安全を図るおつもりか?」
紅茶色の髪の青年は、真っ直ぐキメルを睨みつける。
「勘違いするな元少佐。我々の任務は、国境線を守る事にある。それは、国の領土を守ると言う事だ。こんな田舎町の存亡など、それに比べれば、些末な事だ」
返ってきたのは、冷笑だった。ウェンデルは、右手の拳を握りしめた。ゆっくりキメルに近づく。その時、空から何かが飛来してきた。
大きな衝突音と共に、壁の一部が破壊された。飛来してきたのは、直径二メートル程の岩石だった。ウェンデル達は、土埃に視界が遮られる。一体どうやって、この巨大な岩石を空に投じたのか?
カヒラ警備隊長が、また悲鳴を上げた。誰かが倒れている。倒れているのは、キメル中佐だった。頭から血を流している。岩石の破片が当たったのだろう。コード大尉が呼びかけても、返事がない。意識を失っている。
「コード。兵士達の所まで案内してくれ」
ウェンデルが、キメルにまだ息がある事を確認しながら、後輩に話しかける。
「どうするおつもりですか?」
コード大尉も、事態の推移に冷静ではいられなかった。ウェンデルの性格を知っていたコードは、紅茶色の髪の青年が、こらから何をするつもりか、半ば分かっていた。
「兵士達を説得してみる。この街を守る為に、協力してくれと」
ウェンデルの真っ直ぐな両目は、以前と変わっていなかった。事態は一刻を争う。汗を拭いコード大尉は頷く。二人は歩き出そうとした時、悲鳴がまた聞こえた。
「ま、待ってくれ!私達、警備隊はどうすればいいんだ」
カヒラ警備隊長が、ウェンデル達に懇願の視線を送る。
「警備隊全てを、この西門に集めろ!時期に冒険者達が来るから、指示に従うんだ。住民達には、この事は知らせるな。パニックになり収拾がつなくなる」
そう言い残すと、ウェンデルとコードは、階段を降りていった。カヒラは少しも安心しなかった。金目当ての冒険者が、どれ程当てになるのか。西を見やると、魔物達が確実に近づいて来ていた。
ウェンデルが階段を降りた所に、エルド、サウザンド、マルタナが立っていた。事情を話し、ウェンデルはコードの馬に乗り、駆けて行った。
エルドは、祭りの人混みに再び戻って行く。練達の頂きに達する、魔法使いを探す為だ。
魔物達の群れの中に、ただ一人だけ人の形をした者がいた。黄色い髪の青年は、馬に乗り、群れの最後尾にいた。
バタフシャーン一族の頭目の孫は、ため息をついた。これから始まる殺戮は、凄惨なものになるだろう。彼の目の前には、黒い巨体が、街の方角へ歩いている。つい先刻、街の壁に岩石を投げたのは、この黒い巨体だった。
他の魔物達に比べ、明らかに異様な姿を晒す黒い巨体は、地獄の底から這ってきたような、不気味な黒い両目を、街に向けていた。




