人生は、安息と思う時ほど、落とし穴がどこかで掘られいる。
薄暗い部屋に、その石像は置かれていた。部屋の中から、強い芳香が鼻孔を刺激する。ベットの近くに置かれていた、金木犀からだ。
締め切られたカーテンを開けると 、石像は、窓から射し込む日差しに、その姿を晒した。石像は何かに怯え、身構えたように腕で顔を庇っている。
顔を庇っていた、石像の右腕が微かに震えた。次に肩、つま先の順に振動が始まり、身体全体を覆っていた灰色の表面が、人間が持つ、本来の肌の色を取り戻していく。
石化の呪文が解除され、男は石から人間に戻った。男は何が起こったのか理解出来ず、しばらく放心した後、周囲を見回す。部屋の入口に立っていた女が、嗚咽を漏らす。
「······アドレア!!」
かつて、生身の人間だった時の名前を呼ばれ、男は声の主に振り向く。女が駆け出し、男に抱きつく。覚えのある香水の匂いがした。
「······姉さん?」
アドレアと呼ばれた男は、石像になる前の自分の姉の名を、かすれた小声で発した。
「チロルと言ったな。これで貸し借り無しだ。いいな?」
白いローブを纏った、金髪の若者は、不機嫌な声で、銀髪の少女に念を押した。
「ありがとうございます。ロシアドさん」
大きい瞳を見開き、少女はロシアドに会釈した。
この小さな街で、朝から営業している茶店の主人は、カウンターから店内を見回した。朝一番の混雑時が、一段落した事を確認する。
主人は、店内の隅のテーブルを囲む冒険者達をみた。ニヶ月程前から、毎朝欠かさず来店する連中だ。常連と言っていいが、この主人は、常連の客も一見の客も、等しく公平に扱う事にしている。が、茶のお替りくらいは、たまにサービスする事もあった。
「弟?恋人じゃなかったのかエルド?」
「落ち着いてよ、タクボ。だってさあ。あんな悲痛な話し方されたら、恋人だと思うでしょ?普通。ウェンデルもそう思うでしょ?」
「まあ、いいじゃないか二人共。どちらにせよ、マルタナとっては望外の極みだ」
噂をすれば、元諜報員の美女が、チロルと共にやって来た。タクボはマルタナを見る。彼女の両目は赤かった。確かにウェンデルの言う通り、良かった事には変わりない。
「みんな、本当にありがとう。お陰で弟は、人間に戻れたわ」
マルタナがタクボ達に頭を下げる。タクボは思う。まあ、善行を行う事は、悪い気分では無い。ふとチロルを見ると、髪型が変わっている事に気づいた。三つ編みが無くなり、髪は肩までの長さに切り揃えられていた。
「マルタナ姉さんが切ってくれました」
半月前の戦いで、チロルの髪の毛先は、所々焦げ付いていた。見兼ねたマルタナが、理髪してくれたようだ。
「へえ。とっても似合ってるよ、チロル」
「ああ。チロルは将来、中々の美人になりそうだ」
エルドとウェンデルに賞賛され、少女は、少し照れ臭そうに目を伏せた。
マルタナの話では、弟のアドレアは公式上、死亡扱いされているらしい。姉はこの機に、弟を諜報員を辞めさせるつもりのようだ。石化の呪文の後遺症で、暫く身体は思うように動かないので、ゆっくり休ませるとの事だ。
話題は、アルバとロシアドの事に移った。彼等は、半月前のあの戦い以降、この小さな街に滞在を続けている。表向きは療養との事だが、真意は他にあるのではないか。タクボはそんな気がしてならない。
「タクボがさあ。あの賢人達に、宿代やら治療費やらを請求する光景は、傑作だったね」
エルドが思い出したように、笑い出す。あの戦いの後、重症のアルバとロシアドは、タクボがいつも利用している宿に運ばれた。タクボは治癒の呪文が使えなかったので、教会の神官を呼び寄せ、治癒の呪文を施してもらった。
その神官達への謝礼。宿代。焦げた衣服代。二日間、魔物退治が出来なかった分の、代金。それらを、タクボは計算しアルバ達に請求した。
誰からも、後ろ指を差される事などない、正当な請求だ。タクボが請求書を読み上げた時、アルバはベットの上で、何故か笑った。
「タクボ。君と話していると、自分にも血が通った人間らしい部分が、残っている事を確認できる」
アルバより回復が早かったロシアドは、呆れたような目で私を見ていた。
「その金髪じゃなくとも呆れるわよ。この金の亡者さん」
さっき迄の私への感謝の気持ちは、どこに消えた。この性悪女。タクボは心の中で毒づいた。
「あの金貨級魔物を倒した後に残った、六枚の金貨。ウェンデルが街に寄付したんだよね」
エルドが、思い出すだけで、タクボが腹が立つ事を言う。
「あれは仕方あるまい。住民に死傷者こそ出なかったが、広場の石畳や民家にも被害が出ているのだから」
相変わらず、正義一本槍だな。この紅茶色の髪の男は。その被害を出したのは、あの黒いローブの四兄弟なのだから、奴らに修理費を請求するべきなのだ。六枚の金貨は、我々が貰うべき報酬の筈だ。タクボは強くそう主張したかった。
タクボが悔しがる様子を察したのか、チロルが大きい目を私に向ける。
「師匠。元気出して下さい。意地汚く、あぶく銭や、不労所得など期待せず。いつも通り、弱い魔物をいたぶってコツコツ稼ぎましょう」
······なぜだ?慰められているように聞こえなのは何故だ。愛弟子よ。タクボがぼやいた。
「タクボ。まさかと思うけど、チロルが魔物から稼いだ銅貨を、取り上げてないでしょうね?」
マルタナが目を細め、疑惑の目をタクボに向ける。
「ば、馬鹿な事を言うな!ちゃんとチロル名義で貯金してあるぞ」
タクボが言われようが無い、疑惑の抗弁をしていると、チロルが横を見ながら、嬉しそうに声を出す。
「サウザンドさん!あれ?後ろの人誰ですか?」
暇な魔王軍序列一位と、暇な大人達の交流の場となった、この茶店の店内に、少女の声が響いた。
茶店の主人は、新たに入店した二人を見た。黄色い長衣を纏った長身の男。最近、何度か目にした事がある顔だ。その男の後ろに立ったいる男。初めてみる顔だった。
白を基調とした平服だが、よく見ると、生地が上等そうだ。黄色い長衣の男程ではないが、長めの帽子を被っている。年は十五才前後くらいか。どこかの金持ちの坊っちゃんか?
茶店の主人は気づかなかった。二人は帽子を身に着けていた為、魔族特有の尖った耳が隠れていた事を。
「どうした?サウザンド。まさか、精霊祭に参加しに来たのか?生憎、祭りは明日だぞ」
半月前の戦いの影響で、精霊祭は延期されていた。機嫌の悪くなったタクボは、つい嫌味っぽく言ってしまった。魔族に八つ当たりしても、仕方ないが。
「そうか。明日か。一足早かったようだな。此度は我が君に、人間の文化に触れて欲しくてな。こちらにお連れした次第だ」
冗談で言ったら、本当に祭り目的なのか?我が君?この死神の上司と言ったら、魔王本人しかいない筈だ。タクボはサウザンドの後ろに、落ち着かない様子で、立っている人物を見た。
少年だ。エルドより年下だろう。タクボと目が合った少年は、すぐに目をそらした。他の暇人の大人達も、恐る恐る少年を凝視した。
「余は、魔王軍総帥······いや、元魔王軍総帥か······名をヒマルヤと申す」
少年が口を開く。年齢に見合った少年の声だ。タクボ達は思う。大抵の事には、もう驚かないつもりだったが、世の中には驚愕する事態に、事欠かないらしい。
人間達にとって、平和を乱す災厄の張本人が、目の前に立っていた。
「我が君はもう魔王ではない。そなた等、人間達から、目の敵にされる言われはない」
タクボはカチンと来た。この細目の死神は、何をいけしゃあしゃあと言っているのだ?廃位が決まって、魔王の座を降りたからと言って、はいそうですかと、友達になれる訳がないだろう!
「ヒマルヤさんは、何才ですか?」
チロルがチーズを挟んだ、全粒粉パンをほうばりながら、質問する。タクボは心の中で諭す。いや、チロルよ。食べながら喋るのは、よしなさい。
「······余は、十五歳だ。······そなたは、チロルと申す者か?サウザンドから、よくそなたの事を聞いておる」
タクボの愛弟子は、パンを咀嚼する事に夢中で、元魔王の答えを聞いていない。タクボはまた諭す。いや駄目だぞチロル。自分で質問したのだから、ちゃんと聞きなさい!この少年は、元だか魔王だぞ。機嫌を損ねて、この街が滅ぼされたらどうする。
「どうしたんですか、師匠?怖い顔して」
いや、だから私じゃない!お前が会話する相手は、その元魔王の少年だ!おい、私の答えも聞かず、また食事を再開するな!これだから、育ち盛りの子供は。タクボの諭しは届かなかった。
元魔王のヒマルヤは、夢中でスープを飲むチロルを見つめている。ふと首を横に向け、サウザンドと目を合わせ、お互い頷く。
なんだ?何かの合図か?この街を滅ぼす合図か?いや待て、早まるな元魔王。タクボは街の存亡を憂いた。
「チロル。そなたは、サウザンドが言っていた通りの娘だな」
元魔王の少年は、穏やかな眼差しで、育ち盛りの少女を見やる。
「ヒマルヤさんも、何か頼みますか?一緒に注文しに行きましょう」
胃袋が満たれたのか、少女は突然、遮断していた対話を再開する。戸惑うヒマルヤの手を引き、二人で店主のいるカウンターに行ってしまった。
テーブルに残った人間の大人達は、死神に矢継ぎ早に質問をする。
「おい、サウザンド。あの大人しそうな少年が、本当に元魔王なのか?」
「うむ。彼が戦う姿など、想像出来んぞ」
「一体さあ。どういう理由で魔王に選ばれたの?」
「なんだか、とっても優しそうに見えるわね。あの子」
四人同時に質問され、死神は二つしか無い耳を、最大減に稼働させているように見えた。
「我が君は、恵まれた能力ゆえ、魔王の座に選ばれた。当初は、我が君も積極的にその責務を、果たされようと奮闘されたのだが······」
死神の話によると、元魔王は言わいる、空回りをしてしまったらしい。それ以降、臣下達とも気まずくなり、万事消極的になってしまった。
誰でも最初から、上手く行く筈がない。失敗を経験して、学んで行くものだ。結果的に
サウザンド達魔王軍は、若い目を摘んでしまったと言う事か。
いや、人間達から見たら、よく摘んでくれたと言うべきか。いや、だからサウザンド。
そんな切なそうな顔をするな。我々人間側は、喜びたくとも喜べないだろう。タクボはだんだん面倒くさくなってきた。
死神はため息をついた。その後のサウザンドの近況報告では、つい一週間程前、隣国と戦闘があったらしい。
サウザンド達の隣国。同じ魔族の国だが、その連中が攻めてきた。魔王が廃位され、攻め込む好機と、見たのだろう。
元魔王軍の刀工達が、命を賭して完成させた、勇魔の剣。取り戻したのは、まだ一本だけだが、その剣を手にしたウザンドを先頭に、隣国の軍勢は散々に蹴散らされた。
相手方の将軍を、何人も討ち取った。サウザンドの武名は更に高まり、周辺の国々も、うかつに手を出せなくなった。
魔王の座を降りたとはいえ、ヒマルヤは、サウザンド達の国の代表だ。この少年の成長を、死神は願ってやまなかった。カウンターを見ると、チロルに促されヒマルヤは、注文というものを、生まれて初めて体験していた。
笑いながら、道を小走りに駆けていく子供達がいた。表情は明るい。お祭りを明日に控え、親達に何をおねだりするか、今から思案しているのだろうか。
アルバは、窓から外の風景を眺め、そんな事を思った。遠い昔、子供だった自分も、同じ事を考えていたからだ。
「アルバ同士。いつまで、この街に留まるおつもりですか?」
粗末な部屋の一室で、青と魔の賢人に属する二人が、今後の方針を討論していた。最も、ロシアドは今すぐにでも、本部に戻りたい様子だった。
治癒の呪文は、万能では無い。傷が塞がっても、体全体にかかった負担が、無くなる訳ではない。アルバとロシアドには、休養が必要だった。
アルバは、この小さな街に半月滞在し、タクボ達を観察すると同時に、自分の組織についても考えていた。自分とロシアドは、組織にハメられたのではないかと。
「組織が我々を?それは、どういう意味でしょうか。アルバ同士。」
若い金髪の青年が、訝しげな表情をする。
この街に派遣された時、アルバは特に疑念を抱いていなかった。派遣人数は、二人。アルバ自身、ロシアドがいれば十分と考えていた。
ところが蓋を開ければ、四兄弟に惨敗もいい所だ。タクボ達が居なかったら、アルバとロシアドの命は無かったかもしれない。
考えてみたら、派遣人数が二人と言うのは、最小人数だ。この街に、敵が現れる確率が高いと断定したなら、もっと人数をかけるべきだった。そもそも、敵が何人かも分からなかったのだ。
あの四兄弟が相手なら、倍の八人は必要だ。ここで、アルバは一つの疑いを持つ。本部は、敵が複数だと、知っていたのでは無いか?もしそうだとしたら、アルバとロシアドを死地に追いやる事になる。
なんの為に?アルバが邪魔だからだ。青と魔の賢人は、二つの派閥に分かれている。一つは、変革を望むアルバ率いる派閥。もう一つは、組織の前例を重んじる、保守的な派閥だ。
組織の意思決定機関である、中央裁行部は、この保守派でほぼ占められている。中央裁行部は、古い慣習を良しとしない、アルバ達を疎ましく思っている。この連中に罠に落とされたのか?
もう一つ可能性があるのは、内通者の存在だ。組織の中に、外部に情報を漏らしている人物はいないだろうか?例えば、今回の派遣人数を、事前に四兄弟に知らせたとか······
ここでアルバは、脳裏に稲妻が走ったような感覚に囚われた。自分達を陥れた犯人は、知っていたのか?相手が四人だと。
あの黒いローブを作ったのは、バタフシャーン一族だ。あの一族が、四兄弟を影から支援しているとしたら。犯人は、バタフシャーン一族と繋がっている?
一族から犯人に、四兄弟がこの小さな街に、来訪すると伝えられた。犯人は、中央裁行部を利用して、派遣人数を二人にした。上手く行けば、小生意気な若造達を、労せず排除出来る。
だとしても、その犯人の目的は何だ?アルバ達派閥の、弱体化が狙いか。犯人は、その為にバタフシャーン一族と手を組んだのか。
それとも、一族をいいように利用しているだけか。······逆に犯人が、一族に利用されているのか。
いずれにしても、今は推測の域を出ない。確証は無いが、犯人がもし存在するとしたら、中央裁行部の誰かと言う事になる。単独犯、若しくは組織ぐるみの行動か。
前例踏襲主義の、古臭い連中め。なんの事はない。対立していた奴等が、実際に行動を始めたというだけの事だ。
ならばこちらも、報復すればいいだけの話だ。だかロシアド以下、アルバの派閥の仲間を納得させる為には、証拠が必要だった。今すぐ、どうこう出来る問題では無かった。
アルバはもう一度、窓の外に目をやった。自分には、切り札がある。この小さな街に存在する。巨大な切り札が。
その切り札は、以前まで一枚だったが、今は三枚になった。勇者の金の卵。千年前の皇帝の剣を、蘇らせた騎士。
······そして、異能の者達を引き寄せる、練達の頂きに達する、魔法使い。この切り札達を味方につける。そうすれば、アルバの悲願は、必ず成就される筈だった。
······彼等は、豪勢な宮殿に居た。歴史の裏で、常に暗躍していた死の商人。薄暗い洞窟ではなく、ひとけの無い、森の奥深くでもなく。贅の尽くされた王宮のような所に、バタフシャーン一族は、ひと目もはばからず堂々と住んでいた。
「青と魔の賢人の第二派閥筆頭······名をなんと言ったかの?」
絹の衣服に、高価そうな装飾品を、無数に飾る男が口を開く。その腰をおろしている、椅子も、黄金で装飾されていた。
「アルバと申す者です。お爺さま」
二十代後半と思われる、黄色い髪の男が返答すると、絹の衣服の男が叱りつける。
「こらべロット!仕事の時は、お爺さまではなく、頭目と呼べ」
「はあ。申し訳ございません」
べロットと呼ばれた男は、頭を掻きながら、頭目に謝罪する。
「そのアルバとやらは、生き残ったそうじゃのう」
あの四兄弟、復讐心の強さに、実力が追いついていないのではないか?四兄弟には、多額の費用を投じて、昔から何かと支援している。しかしこれでは、元が取れない。頭目は不機嫌そうに、金杯に注がれた、酒を口にする。
「何分、予期せぬ援軍が現れまして」
べロットと呼ばれた男が、事情を説明する。一族の密偵からの報告では、魔法使い、騎士、工作員、銀髪の少女がその援軍だった。
アルバが、事前に用意していた伏兵か?いずれにしても、連中はあの小さな街に、まとめて滞在している。
「ならば、その連中はいい、実験体になりそうじゃの」
頭目の両目が、怪しく光る。この目をする時は、祖父が計算高い思考をしている時だと、孫のべロットは知っていた。
「べロット。試作中の魔物に、その小さな街を襲わせろ。連中の排除と、魔物の戦闘情報を得る。一挙両得じゃ」
研究と改良を続けていた、あの魔物をついに実戦で試すのか。べロットは、魔物に襲わせる街を、不憫に思った。我ながら、とんでも無い一族に生まれたものだ。しかも、その一族を率いる、頭目の孫に生まれるとは。
黄色い髪の青年は、頭目に頭を下げ、準備の為に部屋を出る。頭目は、部屋の壁にかけられている鏡を見る。縁に、ダイヤが無数埋め込まれている鏡に映るその姿は、二十歳前後としか思えない程の若々しさだった。どう見ても孫がいる年代には見えない。
「人間も、魔族も、賢人も。わしらの稼ぎの為のいい道具じゃて」
同族の魔族をも道具と言い切った男は、短く笑った。その声は、鏡に映る風貌と同様、若者の声だった。




