周囲を巻き込んだ災難と災厄は、流血を呼ぶ。
空から炎が降りそそぎ、焼き殺される。この小さい街に、そんな噂が広がり、住民達は大混乱に陥った。特に、炎の天井が間近に見える中央広場周辺の人々は、着の身着のまま家を飛び出し逃げた。
母親に手を引かれ、避難途中の少年は、空を見上げて母親に気づいた事を報告した。
先程より炎の天井の位置が、低くなっている気がすると。母親は、子供の戯言など聴く余裕も無く、子供を叱りつけ避難を急がせた。
黄色い長衣を纏った死神は、長剣を振り上げ、青い瞳の美女に斬りかかる。ターラは、灰色の長髪を揺らしながら、死神の斬撃を受け流す。
サウザンドの剣は、目にも止まらぬ速さでターラを襲う。だか彼女の剣は、死神のそれを上回る速さだった。サウザンドが一度攻撃すると、必ず三度の攻撃が返って来た。
タクボは、ある疑問を頭の中で考えていた。ターラは、茶店で姿を消した。そして先程アルバの背中を切った時。アルバの後背に、突然姿を現したように見えた。もしや彼女は、姿を消し移動する事が、可能なのだろうか?
それにしても、ターラの冷たい表情が、先刻までとは、まるで別人のようだ。彼女を含む、この集団とアルバ達は何を理由に争っているのか。
理由は容易に察しがつくが、一応聞いておかなければならない。自分の弟子が、この戦いに参戦した以上。タクボは旧友を見る。
「アルバ。彼等は何者で、何故君達と争っている?」
アルバは、息も乱れてきた様子だった。背中の傷は、彼が言うように、軽くは無いのだろう。
「彼等は、勇者と魔王の間の子供達だ。その両親は、我が組織が粛清した」
青と魔の賢人の存在を知ってから、大抵の事には動じないと思っていたが、タクボは口を開けたまま、暫くぼう然としてしまった。
「······相変わらず君達の組織は、寝る間も惜しんで、人の恨みを買っているようだな。しかし、その怨恨がいつか自身を滅ぼすとは考えないのか?」
アルバは苦痛に顔を歪めながら、苦笑する。
「そうだな。タクボ。君には何か、妙案があるかな?人から恨まれない、生き方の方法が」
「あるさ。私はもうすぐ冒険者を引退する。その後は、静かな場所で小麦の種を植え、畑を作り、穏やかに暮らす予定だ」
アルバが、目を見開きタクボを見た。
「冒険者のように、命の危険を感じる必要は無い。一日野良仕事を終え、夕陽を眺めながら安酒を飲む。それが私の目標だ」
真紅の髪の色をした男は、開いた目を細めた。
「なる程な。君がこの街に、二十年以上留まり、銅貨級魔物を相手にして来たのは、その為か」
自分には、タクボのような生き方は、不可能だろう。自分一人の余生など、考えた事も無かった。頭にあるのは、この狂った世の中を正す事だけだった。アルバが目を閉じ、顔を歪ませた。背中の傷は深刻と思われた。
「アルバ、治癒の呪文を使ったらどうだ?」
「そうしたい所だが、まあいい。説明するより一見して貰おう」
アルバが右手を傷ついた背中に当てようとした時、炎の天井から火の玉が、タクボとアルバに落ちてきた。
タクボは魔法障壁を張った。火の玉が障壁にぶつかり、炎が鈍い音と共に四散して行く。
「分かったかタクボ。あの炎の天井を張っている術者が、どこからか私達を見張っている」
タクボは周囲を見回したが、それらしい人影は確認出来なかった。気のせいか、空を覆う炎か、大きくなっているような気がした。
······いや違う。面積が広がったのでは無い。炎の天井が地上に近づいて来たのだ。
隙だらけの死神の背中に、モグルフが迫る。サウザンドは、ターラに向かい合ったまま左手だけを後ろに向け、光の矢の呪文を放った。
高速の光の矢は、不意をつかれたモグルフに直撃した。後方で爆発が起こっても、サウザンドとターラは、顔色一つ変えず斬撃の応酬を続ける。
モグルフは、魔王軍から奪った剣を盾にして、光の矢を防いだ。しかし無傷では居られず、したたかなダメージを負った。
タクボは魔法障壁を張っている間に、治癒の呪文を使えと提案したが、これもアルバに却下された。魔法障壁を解いた瞬間、狙い撃ちされ、焼き殺されると。あの炎の天井に狙われ無い為には、サウザンドのように、敵と接近戦に持ち込むしか、手は無かった。
「聞いていたな!ウェンデル、エルド。接近戦だ!」
建物の影に潜んでいた、紅茶色の髪の青年と黒髪の少年は、タクボの声と同時に、地を蹴り駆け出した。元騎士と元暗殺者が向かう先は、苦痛に表情を曇らせる隻腕の男の元だった。
ウェンデルは走りながら、自分に問いかける。この剣を振るう先に、自分が信じる正義があるのか。相手は黒いローブを纏った三人。その内の一人は、つい先程迄、優しげな笑顔を見せていた女性だ。
だが、事情を一から十まで丁寧に聞き、熟考する暇など無い。付き合いは短いが、信頼に足る男と、その弟子が戦場に居る。二人に加勢する。ウェンデルが剣を振るう理由は、それだけで十分だった。
エルドは、ウェンデルの大きい背中を見ながら、この二月の出来事を思い返していた。
冒険者になったはいいが、降って湧いた自由を、少年は持て余していた。すぐ隣に正義の二文字を、両目に刻んでいる青年が居たので、とりあえず彼について行った。
ウェンデルの受ける仕事は、危険な割に報酬が安かった。依頼人は貧しい村や、極貧の寒村だった。その村々は魔物や盗賊に、畑やささやかな財産を狙われていた。ウェンデルは、命の危険の代償には、安すぎる報酬を半分だけ貰い、もう半分は依頼人に返した。
ウェンデルとエルドは、魔物や盗賊を追い払った。村々で二人は感謝され。ある村の村長は、ウェンデルを是非、娘婿になって欲しいと懇願してきた。闇の人生を生きてきたエルドは、他人から感謝される事など初めてだった。
盗賊の首領を討ち取り、村で慎ましい宴が開かれた。決して上等では無い、酒を飲んで笑うウェンデルは、底抜けに明るく、嬉しそうだった。
このお人好しは筋金入りだ。エルドは、依頼の内容や、報酬は二の次になった。ウェンデルの行動から目が離せなくなった。
このお人好しは、以前エルドに言った。死ぬまで自分の正義を貫きたいと。その言葉通り、紅茶色の髪の青年は、自分の正義の為に剣を振るっている。ウェンデルの背中は、闇に居たエルドにとって、眩し過ぎた。
この男の行き着く先を見てみたい。エルドは、その思いが日に日に強くなった。正義を体現する、このお人好しについて行けば、自分の今迄の人生では、見えなかった何かが、見える気がした。それはエルドにとって、暗闇の出口を照らす一筋の光だった。
快足を飛ばし、二人はモグルフの間近に迫った。
「エルド!この男は私が相手をする。君はチロルの方を頼む」
エルドはウェンデルの正気を疑った。青と魔の賢人と互角に戦っていた相手と、一人で戦う?相手は勇者、魔王クラスに匹敵する力があるかも知れないのに。
正々堂々の一騎打ち。それが彼の正義だと言うのだろうか。違う。そんな些末な事じゃない。相手と対等な条件で戦う。それは彼にとって、ごく当たり前の事なのだ。
「全く······ウェンデル、君は相手が魔王でも、同じ台詞を言いそうだね」
呆れた口調でエルドが言うと、紅茶色の髪の青年は、白い歯を見せ破顔した。
「貴様等、何者だ!関係無い奴らは引っ込んでいろ!」
死神の光の矢で、黒いローブが破れたモグルフは、その巨体をあらわにし、鍛え抜かれた鋼のような身体で相手を威圧する。ウェンデルも逞しく長身だが、モグルフは更にその上をいく。
「なんだ。大男の割に、子供のような声を出す奴だな。お前、年齢は幾つだ?」
モグルフの威圧も、どこ吹く風でウェンデルが、妙な質問を投げかける。
「俺の声を笑うな!俺はこう見えても、二十三だ!」
モグルフはウェンデルの問いに、素直に答えてしまった。
モグルフは、両親が亡くなった時から、何故か声が変わらずにいた。成長と共に、身体は大きくなったが、声は子供の時のままだった。
モグルフは歌う事が好きだった。母が教えてくれた歌を口ずさむと、父が褒めてくれた。末っ子のターラも、兄に歌ってと何度もせがんで来た。モグルフ少年の歌は、過酷な逃亡生活を送る家族に、明るい火を灯してくれた。
「二十三か。私より五つ年下で、エルドより五つ年上か。覚えやすいな。声については謝罪しよう。笑った訳では無い。遠くまで響く、良い声だ」
突然の謝罪と賞賛に、モグルフは戸惑った。この騎士風の男は何者だ。
「私はウェンデル。黒いローブの剣士よ。君の名は?」
相手の目を見据え、ウェンデルは堂々としている。相手が化物かも知れないのに。エルドは、正義を全身に纏った馬鹿の装備している剣に気づいた。
まさか!?あの剣をまだ使っているのか?
「······モグルフ」
またも素直に答えてしまう。モグルフは、ウェンデルに完全に面食らっている。この妙な男はなんなんだ?
「モグルフか。強そうないい名だ。君に一騎打ちを申し込む!受けて貰えるかな」
正義馬鹿が抜き放った剣を見て、エルドは両目を手で覆った。ウェンデルの剣は、所々刃こぼれし、錆すらあった。装飾こそ豪華だが、肝心の刀身はボロボロだ。それは、ある村の長老から受け取った剣だった。
二週間前、ウェンデルとエルドは、ある村の依頼で、魔物を討伐した。そこの長老がウェンデルに惚れ込み、この村に代々伝わると言う秘剣を、ウェンデルに受けとって欲しいと頼み込んで来た。
正義馬鹿は二つ返事で快諾し、長老は涙を流して喜んだ。その喜びようは、まるで世界が、これで救われると確信したような様子だった。
エルドは、ウェンデルが後で、このガラクタのような剣を捨てると思っていたが、ウェンデルは、捨てる所か実戦で使用した。ろくに切れない剣は、相手に叩きつけるしか用途が無かった。
何度も捨てろと言ったのに、この正義馬鹿はまるで聞かない。長老に義理立てしているのか?
長老がこの剣の名を口にした時、エルドは失笑を堪えるのに必死だった。こんなボロボロの剣が、大層な名を持っていると。だが、ウェンデルはその時も笑わず、真剣に長老の話に耳を傾けていた。
突然の一騎打ちの申し込みに、モグルフは静かに剣を構える。それが返答だと言うように。
「参る!」
正義馬鹿が、ガラクタのような剣を構え、モグルフに切りかかった。
教会の屋根の上から、戦局を注視していたザンドラは、意外な伏兵達に眉をひそめた。あの連中は何者か?賢人達がこの街に潜ませていた傭兵だろうか。それにしては、少女も混じっている。
とにかく戦力比は、四対七で逆転された。しかし賢人の二人はもう戦闘力は奪ったと見ていい。ラフトに手を出すと、後でうるさく抗議してくる。モグルフとターラは、時期に相手を倒すだろう。
先程、炎の天井からの攻撃を魔法障壁で防いだ革の鎧を着た男。アルバと共に、この二人の動きを止めればいい。最後の仕上げのその時まで。
ザンドラは、炎の天井を地上に降ろし、賢人達を焼き殺すつもりだった。
ウェンデルは、右手に持ったボロボロの剣を、モグルフの甲冑の隙間に叩きつける。しかしモグルフは、左手に握った剣でそれを払う。
モグルフの豪腕が、唸りを上げて振り下ろされる。ウェンデルは、髪の毛を数本切られるも何とか回避する。モグルフの剣は、勢い余って石畳を粉砕した。
「ウェンデルとやら。何故俺の死角に回らない。剣も何故片手で持つのだ?」
モグルフは右腕が無い。戦いであれば、当然そこを攻めるべきだった。しかもウェンデルは、剣を片手で持ち、もう片方を無駄に遊ばせている。
「不快に思ったのなら謝る。だがこれは、同情でも憐れみでも無い。君と対等に戦いたい。ただ、それだけなんだ」
勇者や魔王クラスの化物に、何を爽やかに言っているのか。エルドは、呆れて物も言えなかった。
「不快ではない。しかし実力差を考えろ。全力を尽くさないと、死んだ時後悔するぞ」
モグルフの言い様が、乱暴な物言いから変わって来た。明らかにウェンデルを、認めているようにエルドには見えた。
「後悔するのは、私の信じる物が壊れた時さ!」
ウェンデルは、またもモグルフの左側に斬撃を加える。モグルフは器用に手首を翻し、その攻撃を払う。その衝撃でウェンデルの手が痺れる。確かに、一振りの重さひとつ見ても力量の差は歴然だった。
「そのなまくらの剣はなんだ!?本気で戦う気があるのか!」
間を置かず、モグルフは鋭く、過重な突きを繰り出す。
「そう言うな!こう見えてもこの剣は、由緒正しき、伝説の名剣だ」
頬にかすり傷を作りながら、ウェンデルは必死に避ける。モグルフが左腕を天に掲げるように振り上げる。
「ならばその剣ごと斬り伏せる!」
稲妻のような一撃が、ウェンデルの頭上から落ちてくる。恐れの顔一つ見せず、紅茶色の髪の青年は、ガラクタのような剣を振るう。
両者の剣が火花を散らし激突した。
ある小さい村で、村人達が小麦の収穫を控え、準備に追われていた。今年は豊作が見込めそうだった。これも、魔物に畑を荒らされ無かったお陰だ。村人達は、魔物を蹴散らしてくれた紅茶色の髪の青年と、黒髪の少年に感謝した。
子供達は、青空教室で長老に読み書きを習っていた。ある子供が、長老にいつもの話をしてと大声で言う。長老は穏やかにうなづいた。
遥か千年も昔の話。ある偉大な王が歴史上初めて、人間と魔族の国々を、全て統一して治めた。人々は偉大な王の事をこう呼んだ。
王の中の王と。
偉大な王が戦場に臨む時、右手にはいつも黄金の剣が握られていた。臣下達は、その剣を密かにこう呼んでいた。
「なんという名か覚えておるかな?」
長老が子供達に問いかける。すると一人の子供が手を挙げ答える。
「僕覚えてるよ。王の中の王の剣。その名前は······ええと」
エルドは、ウェンデルに逃げろと言う時間も無かった。それ程モグルフの一刀は速かった。黒髪の少年は、口を開いたまま動けなかった。
目の前には、蹴散らされると思われたウェンデルが、平然と立っている。逆にモグルフが地に倒れている。紅茶色の髪の青年の背中が、エルドの目に入った。
何かがおかしい。ウェンデルの右手に握られた剣だ。刃こぼれや、錆だらけだった刀身が黄金色に変わっている。
エルドに脳裏に、小さな村の長老の言葉が蘇る。長老がウェンデルに告げた剣の名を。その名は······
「皇帝の剣だよ!」
記憶の引き出しを見つけた子供は、嬉しそうにそう叫んだ。長老はシワだらけの顔をほころばせ、子供の答えを褒めた。
千年の時を経て、伝説の皇帝の剣は、ウェンデルの手によって、その煌きをこの地上に再び現した。




