一 企図
国都新京、洪熙街
満州映画協会理事長の甘粕正彦は、いつもの通り、九時前に出勤した。秘書の伊藤がお茶を持って行く。
「理事長、お顔の色が優れませんが」
「そうですか。大丈夫です」
「昨日、黄龍公園に強盗が出て日本人が殺されたと」
「読みました。物騒ですね」
「それと、関東軍の幹部宿舎に泥棒が入ったそうです」
「それは初耳です。新聞にありましたか」
「いえ。これは、その、噂、です」
「そうですか。君も気をつけなさい」
「はい」
といっても、社宅は同じ洪熙街にあり、目の前である。今日の予定を確認すると、伊藤は下がった。
机に戻ると、頼まれた下書きを電報用紙に写す。
『タケオラレタ スウシ゛ツカカル カキネタノム』
文面が理解できないことは、時々あったから気にならない。宛先は貴族院議員で男爵の大蔵公望。満鉄の元理事で、今は日本交通公社の会長さんらしい。伊藤は清書して、室長に渡した。
一〇時になると、娯民映画製作処の坪井処長と内田監督、朱監督を理事長室に案内する。昨日と違って、今日の理事長は仕事が早い。すでに机の上の書類はほとんどが決裁してあった。伊藤は安堵した。午後には四件の来客があったのだ。甘粕は三人と連れ立って部屋を出る。スタヂオに行くらしい。
満州映画協会は、昭和一二年に設立された満州国の国策会社である。満州国における映画の製作と配給、上映と興業の一切を統括する。国策とは思想戦と宣伝戦のことであり、すなわち政府機関であり、統制機関でもあった。会社として運営され、利益は出資者の満州国に配当される。
日本から多数の映画人を招き、幹部として処遇した。日活多摩川撮影所長だった根岸理事らである。しかし、有能な監督や要員は少なく、また新京駅の北側にあったスタヂオの設備が乏しいこともあって、製作した劇映画は多くはなかった。
劇映画の製作は費用が嵩み、興業のあたりはずれは大きい。せっかく外国映画の選択輸入権、配給権を独占的にもっているのだから、はずれのない教育映画や時事映画の製作に徹した方が、経営的には無難である。そうして運営された満映は、連続して赤字だった。
いくら政府機関に準じるといっても赤字はそうそう許されない。外国映画の輸入といっても、日本映画と満映映画の版権は一本あたりで等価交換なのだ。独占興行権も持っているのだからやり様はある筈だ。満映を所管する満州国総務庁弘報処は、すぐに改善策を立案した。製作本数と興業件数を増やすのだ。
そのために、新しいスタヂオを建設し、映画館も各地に建てる。物々交換の本数確保のために北京や上海にも進出する。映画館を立てる余裕のない蒙古の漠地にも映写道具一式を積んで巡回映写を行なう。そして、予算を財布代わりとしている理事や幹部らを一掃する。
こうして、昭和一四年に、甘粕正彦が第二代理事長に就任した。新理事長は、定石どおりの綱紀粛正と人事刷新に加えて、給与体系の見直しと養成所の待遇改善など社員の士気向上も行なった。特に俳優以外の専門要員を拡充し、日本からも招致した。折から完成した新スタヂオと相俟って、劇映画の製作は年間二十本の勢いとなった。
撮影所には百坪のスタヂオが六棟あった。といっても六百坪のビルを六つに仕切ったものだ。甘粕は第二スタヂオの真ん中に立ち、上下左右を見渡す。それから、手を広げてぐるりと歩き回る。少し離れて立つ三人は、理事長直々の新作かと期待する。
「どうですか」
「とりあえずは十分です。撮影が進んだらもう一つ要ります」
「あの辺を片付けても足りませんか」
「室内カットには十分ですが、屋外シーンがあります」
「ロケはやらないのですか」
「この時局です。完全武装の兵隊は珍しくありません」
「そうですとも」
「しかし、ソ連軍の軍服だったら大騒ぎになるでしょう」
「えっ」
三人は驚いて見つめる。甘粕は大真面目だ。
「スクリンバックにソ連軍の行軍や戦闘シーンが要るのです」
「露西亜モノですか」
昨年の『私の鶯』は哈爾濱の白系ロシア人社会が舞台だった。俳優も台詞も対応できる。
「戦争モノです」
「ええーっ」
「満映最初のニュース映画は『北支事変』でした」
「はい」
「今度は『満蒙破蘇行』となるでしょう」
「えーっ」
甘粕は、来月にも予想されるソ連軍の満州侵攻を撮ると言っているのだった。
『満蒙破邪行』三部作は、南満州鉄道映画班が撮影した満州事変の記録映画である。大正一二年に満鉄は映画班を設置し、鉄道敷設の伸長や車両機材・技術の発展を記録し始めた。また、周辺の情景や風俗、行事なども合わせて撮影した。満州事変の経過も撮った。他でもない、満鉄の資産が爆破されたのだ。
昭和一一年に満鉄映画班は満鉄映画製作所となり、満映が設立された後も記録映画の製作は続けている。その対象は満鉄関連であり、満映の時事映画や文化映画とは競合しない。お互いに要員や機材を融通し合い、撮ったフイルムも素材としてやり取りする。良好で深い関係だった。
坪井は、満映創立以来の社員である。新聞記者出身で映画のことは知らなかったが、満映入りと同時に娯民映画第一作の監督を任された。娯民映画とは劇映画のことである。
満映は製作部を二つに分けていた。娯民映画製作処と、時事映画や文化映画を製作する啓民映画製作処である。坪井は啓民映画の製作にも長く携わった。根岸専務理事が病に臥した後、自他共に認める甘粕の右腕である。
「しかし、記録や時事なら啓民映画でしょう」
坪井の問いかけに、甘粕は向き直る。
「啓民映画処長には、大連に出張してもらいました。協力してやらないとうちだけでは間に合いません」
満映の多くのカメラマンが関東軍報道部に動員されていた。
「速報で流したいのです。あらかじめ、戦況図をスダヂオに準備しておきます。両軍の司令部も再現します。将軍や参謀たちも」
「えーっ」
「撮ったフイルムは啓民だけに使うのではありません」
「まさか、娯民映画を」
「そうです。戦争モノ、兵隊モノを作ってもらいます」
「プロパガンダですか」
内田監督が頭を傾げながら甘粕に聞く。日本では巨匠の呼び声が高いが、満映に来てからまだ三ヵ月めだ。
「その通りです。うちは国策会社です。プロパガンダは一番の使命です」
甘粕は平然と続ける。
「ソ連との衝突は単なる国境紛争に終わらない。数年間の大戦争となるでしょう。思想と宣伝の戦いです」
内藤は思い出す。たしかに、満映の公式案内の五には『一旦有事になれば、映画を借り、内外の思想戦!宣伝戦!を戦い、以て国策に協力貢献する』とあった。
「ニュース映画は満鉄映画製作所や啓民映画製作処が担当しますが、この戦いで娯民映画も製作します。国と国民が一つになるようにです」
また内藤は思い出した。満映公式の指導精神の三には『新国家建設に要する勇敢にして且つ豪気な精神を施す』とある。
「ソ連は、ドイツとの戦争を題材にした劇映画も上映しています。それができなければ、わたしたちの敗北なのです」
内田は度肝を抜かれた。
「ソ連が侵攻してくるのは来月といいますが、いつはじまってもいいように、両軍の司令部と大小の戦況地図を用意します」
「は、はい」
「午後に比良組を入れますからね」
「は、はい」
監督の朱文淳は、昭和一三年から満映にいる。大連の日系商店やホテルで五年間働いていて、日本語が堪能なのを満映庶務課長に認められたのだ。翌年に助監督となり、その翌年には満映で最初の満人監督に抜擢された。すでに十本を撮っている。
「理事長、満州国は外国とはじめて戦うのですね」
甘粕は微笑みながら答えた。
「その通りです、朱監督。はじめての戦争は大戦争になります」
朱も笑って応じる。
「映画も大作となることでしょう」
「朱監督はわかっていますね。映画をまだ知らない国民は多い。いろいろな映画があって、いろいろな要素があるということを教えるのも満映の使命です。まず映画を見ること、それが知ることに繋がる。それには、面白くなければなりません。感動できなければなりません。満州国の国民を意識させるなら、国と国の戦いは重要です」
朱は簡潔に応じた。
「はい。ソ連が相手なら、満州と日本も一体になれます」
甘粕は満面の笑顔で宣言する。
「大作ですから監督は二人。満州側を朱監督、ソ連側を内田監督で考えています。明日の経営企画委員会に諮ります」
言いたいだけ言うと、三人を残して甘粕は出て行く。すっかり紅潮した朱監督はお辞儀で見送った。
理事長室に戻った甘粕は、窓際に立って煙草を燻らす。すでに、昨日の朝の思いはない。
今朝早く、甘粕と秋草は昨夜の成果を分析した。思った以上に、ソ連軍の満州侵攻の期日は迫っていた。そして関東軍と満州国軍の準備は整っていない。大本営の命令に従い、総司令部は前線の各兵団に対して、作戦準備の早期完遂よりも対ソ刺激の回避、静謐確保を要求していた。ソ連軍が侵攻を早めないように。
比良組が請け負った南嶺の戦闘司令所の工事が中止になったのも、竜島の指示だった。下見して電話線も連絡壕もないのに唖然とした、と比良は報告した。その比良も、加茂と本間も、まだ二〇二号室で寝ているだろう。三人はほとんど徹夜だったのだ。
ざっと行動予定を立てると、秋草は哈爾濱の本部に戻っていった。問題はソ連軍侵攻期日だけではない。モスクワやチタ、それから欧州の要員にも確認すべき事項が判明したのだ。甘粕にもやるべき事は多い。まだ一つを始めただけだ。
満州はまさに、陰謀と謀略の渦中にあった。




