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SR満州戦記1  作者: 異不丸
第一章 昭和二〇年八月一日
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二 少年兵


牡丹江省、東寧南東


 機動第二連隊第八中隊の熊野軍曹は、司馬軍曹と共に街道を歩いていた。ここは東寧要塞から南東へおよそ三〇キロ、老爺嶺山系終焉部の緩やかな丘陵地帯だ。西にあと四キロほど進めば興寧線の鉄路につきあたり、目的地の老黒山駅も間近い。二人は黙って歩く。表情は厳しい。

 任務中ではあるが、完全軍装ではない。階級章を外した一番古い軍服の演習着に、機動連隊専用の幅広の銃剣だけだ。入れてあった昼飯も食べてしまったから雑嚢は空。重いものといえば、それぞれの小隊長から借りた双眼鏡ぐらいのもので、つまり軽装だ。しかし、二人の足取りは重かった。


 四月五日の日ソ不可侵条約不延長通告で、ソ連侵攻の脅威は俄然現実味を帯びた。関東軍直轄の機動第一旅団は、第一方面軍第三軍隷下に入り、図們東北部の老爺嶺山系内での遊撃戦を担任することになった。五月のことだ。第一連隊は春化から琿春の国境沿いに展開した第一一二師団の後衛、第三連隊は第三軍司令部がある延吉を守る第七九師団の前衛にあたる。そして熊野と司馬が属する第二連隊は、第一二八師団の後衛として、興寧線老黒山駅を中心に布陣する。六月はじめには、機動第二連隊長の羽須美大佐が実地検分して、各大隊の担当区域が決定された。戦闘拠点の構築が開始されたのは七月はじめである。

 第二大隊長の石居大尉は第八中隊を作業中隊に命じ、第八中隊長の小山中尉は古沢少尉の小隊を核に、およそ百名の作業隊を編成した。ほかの連隊・大隊が一個小隊五十名を主幹としたのに対し、倍の規模である。それは、小山中隊長の遊撃戦研究の成果に拠る。およそ遊撃戦闘は、奇襲・伏撃・迂回・突破のすべての戦術を駆使すべきであり、そのためには複数の出撃路と撤退路、および拠点を持つ必要がある。すなわち、それぞれに複数の進撃路と撤退路を併せ持つ複数の戦闘拠点と隠匿陣地の構築だから、実作業は他大隊の四倍近い。つまり、七月末の陣地概成目標に沿うならば、三個小隊か中隊全部であたるべき規模である。

 もちろん、研究熱心で有言実行、質実剛健が目途の小山中尉であるから、作業隊長の古沢少尉には格別の指示と助言があった。それは、隠密兵舎の構造設計から擬装隠匿の具体例、それに応じた飲料水と兵糧の入手・貯蓄方法、さらに出撃・撤退陣形まで及んだ。多兵種から成る連隊の古株たちを呻らせる戦術・戦技の粋であった。力を得た古沢少尉は、陣地構築に慣熟した工兵・砲兵出身者だけでなく、射撃・銃剣など戦技に優る兵を広く、第五から第七までの他中隊からも集めた。不平不満は出ない。石居大尉と小山中尉は、機動第二連隊創設以来の古参だった。


 昨日で第二大隊担任地区の戦闘拠点構築作業は終わった。今日は作業隊の分隊長五人が手分けして、最終確認にあたっている。古沢小隊第一分隊長の熊野軍曹は、新巻小隊第二分隊長の司馬軍曹と連れ立って、夜明け前に老黒山駅を出発し、石門子近傍まで行って戻る。途中、折々で拠点や陣地の擬装を確認し、進撃・退却路の弱点を探る。ソ連の侵攻路を考えれば、往きより、帰りの今が重要だ。しかし、気合が入らない。それは、昼前に着いた往復点で目撃したことが原因だった。

 右手にまた低い山が逼って来た。その山を越せば老黒山駅だ。先を歩いていた司馬軍曹が回れ右をして、熊野軍曹と向き合う。熊野はつんのめりそうになった。

「どうした」

「熊野軍曹、我慢できません」

「我慢しろ。せっかく昇進したんだ」

「いいえ、言わせてもらいます」

 熊野は困惑した表情で耳の後ろを掻くと、目を逸らした。

「言えばよかろう。駅に着けば連隊本部で、娑婆は終わりだ。その前に言え」

「はっ、ありがたくあります」

「司馬、お前はもう軍曹だ。同じ分隊長だぞ」

 今年の雨季は長く、七月に入っても雨は多かった。しかし、二人の足が重かったのは泥濘のせいではなく、また連日続いた作業の疲れからでもない。つまり、かれらは見たのだ。

「まだ中学生ではないですか」

「背が低いだけかも知れん」

「髭も生えていませんでした」

「眼鏡越しだ。そう見えただけだろう」

 冷静に返す熊野を司馬は睨みつける。二人とも戦技は優等で視力もいい。精鋭揃いの旧第二連隊でも指折りの狙撃手だった。双眼鏡を使わなくてもそれぐらいの観察はできる。といって、熊野まで興奮しては、司馬の感情は解消できない。司馬には五人の弟がいた。熊野は末っ子だったから、聞いてやるしかできない。



挿絵(By みてみん)




 東寧は、満ソ国境東正面の最重要地域で、強固な陣地が構築されてあった。南北の山中は刳り貫かれて地下要塞が設けられ、掩体壕やトーチカを配置した一級陣地で、東寧要塞と呼ばれていた。国境の三岔口から東寧駅までは司令部や兵舎が並ぶ。数年前は、第一国境守備隊の他に、第一二師団や独立重砲兵隊も駐屯し、町は賑わったものだ。

 第一二師団は昨年七月に台湾に転出となった。残余の装備と残留将兵によって、一一月に第一二〇師団が編成されたが、三月に朝鮮へ移動した。さらに残った兵と装備をかき集めて第一二八師団が創設された。さすがに二度めとなればたいしたものは残っていない。人員も訓練も、装備も弾薬も、すべてが不足である。

 国境守備隊も解体され、その将兵と装備が新設師団・旅団に回された。東寧要塞の守備にあたる独立混成第一三二旅団が編成されてから、まだ一ヶ月経っていない。旅団といっても、独立混成大隊四個が基幹で二千名に満たない。旧一国守の五分の一の規模である。

 熊野と司馬が見たのは、第一二八師団隷下の歩二八三の訓練風景であった。



 歩兵第二八三連隊第二大隊第七中隊の山口兵長は、所属する対戦車小隊の新兵訓練を手伝っていた。新兵と言っても先月召集された在満邦人で、四十歳以上が中心である。三十代や工員・農民など兵隊向きの者は一月や三月の時に、とっくに徴兵済みだった。今回は経理や事務やらで、体力は期待できない。

「要するに足手まといだ。渡す銃が惜しいから、うちに回されたんだな」

 大島伍長がそう言う。たしかにそうだ。兵役経験者は一人もいない。一からはじめるしかない、そんな者に、ただでさえ全員に行き渡らない歩兵銃を渡すのは無駄だし、危険でもある。ごぼう剣と爆雷だけの小隊に配属させるのは合理的だ。

「じゃ、少年兵はどうなんだ。義勇隊は小銃も撃てるし、教練は欠かしてない。開拓だから膂力もある」

 今回の新兵の半数は満蒙開拓青少年義勇隊だった。中学卒の学力と青年学校卒の体力と戦技を持ち、兵営と同じ規律で開拓に従事している。二十前だが、今すぐにでも一等兵が務まる。

「山口は子供に死んで来いと命令できるのか。俺はご免だ」

「うっ」

 殺したくないから銃を持たない小隊に回したのだと、大島は言っている。しかし、対戦車小隊の今ある装備では、爆雷を抱えて敵戦車に突進する文字通りの肉弾攻撃しかできない。生還は可能だが、確率は百の一か千の一、反復すれば万の一だ。

「小隊長はどうする気だ」

「そりゃ、全員玉砕だな。後腐れがない」

「えー」

「賭けてもいい。木谷少尉は真っ先に突っ込むぞ」

 山口兵長は舌打ちをすると、五百メートル先に円陣を組んだ新兵たちを見つめる。



 木谷小隊は、今回の新兵配属で七十名を超えた。これに対して装備は、九九式歩兵銃が十丁、三〇年式銃剣が三十、一四年式拳銃が三である。個人装備を小隊で勘定するのはおかしいが、つまり全員に揃えることはできないのだ。一方で、対戦車戦闘装備は、九九式破甲爆雷が百発、九九式手榴弾が二百発、黄色火薬二百キロ、雷管・導火索が相当数と、一応は反復攻撃可能な量があった。

 七十名の小隊は異常であるが、ソ連の戦車装備数を考えると少人数では意味がない。二個小隊にすればいいのだが、そうすると少年兵を死なす小隊長が二人となる。木谷少尉は兵からの叩き上げだから諦観があるのかも知れない。でなければ、実動四個分隊、小隊指揮班三十名の編成は理解できない。


「九九式破甲爆雷は、二十ミリの厚さまでしか破甲できない。ソ連主力の三四式中戦車はそれ以上の厚みがある。唯一、車体後部、発動機の上面が薄い」

「「はっ」」

「今朝は擬装戦車に突進してもらった。どうだった、橋本二等兵」

「早かった、であります。並んで走るのも無理でした」

 前に出るしかないと橋本は思うが、言えない。戦車前面には機銃があるからだ。少年兵が見つめる中で、大人の自分が勝ち目はないとは言えない。

「正直でよろしい、座っていいぞ。ソ連三四式は道路なら毎時五五キロ、不整地でも三〇キロは出る。これは毎分五百メートル、毎秒なら八メートルだ」

 教官の中島軍曹の口調は優しい。中島は小隊指揮班だから、小隊内の結束を気にする。

「里山二等兵、徒競争の記録を覚えているか?」

「はっ、教官どの。里山二等兵は三年前の二百米が二五秒であります」

「それは速い。が、戦車とならどうだ?」

「はっ。毎分五百メートルであれば、二百メートルは、二四秒であります。里山より速いのであります。うっ」

「泣かんでよい。とにかく戦車は人より速い」

「「はっ」」

 中島教官は、新兵十二名をぐるりと見回すと、続けた。

「まずこの速さを覚えるぞ」

「「はっ」」



 中島軍曹の合図で、山口兵長は馬車に戻った。大島伍長は制動桿につく。馬車は板と棹で八メートルに延長され、一メートル毎に赤と白のだんだらに塗られていた。それはソ連戦車T-34の全長に等しい。






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