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SR満州戦記1  作者: 異不丸
第五章 八月五日
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三 襲来


東安省虎林県虎頭鎮、猛虎山


 虎林線が全線開通したのは昭和一二年一二月である。駅名は頻繁に変更された。それまで虎林と呼ばれていた終着駅が虎頭に変わったのは昭和一三年である。その後、虎林という駅名はずっと西の旧安楽鎮駅に使用された。省公署の最寄駅も当初は県名の密山であったが、昭和一四年になって省名の東安と変更される。頻繁な変更と旧名流用は、ソ連軍の地誌情報を混乱させるためとされた。

 林口、東安、虎林と東進して来た虎林線の列車は、山間を縫って烏蘇里江に到達すると、南に折れて虎頭駅に至る。虎頭の街は河畔にあり、山稜を背にしていた。その山稜の中が刳り貫かれていて、すなわち虎頭要塞である。要塞には、完達信号場からの避退線路が引き込まれていたが、さらに、秘密樹村信号場が設置された。


 虎頭要塞が装備していた大口径砲は三〇センチ榴弾砲が二門、二四センチ榴弾砲が二門、一五センチ加農砲が六門、一〇センチ榴弾砲が八門であり、他にも七五ミリ野砲が八門、七五ミリ高射砲が十八門あって、合わせて四十四門だった。これだけ多数の火砲が配備されたのは、満ソ国境全線を通して唯一、シベリア鉄道が望見できたからである。

 イマン鉄橋を含むシベリア鉄道が虎頭要塞の重砲の射程内に捉えられたと気付いたソ連は、迂回線と新鉄橋を建設した。そこで、日本軍は関特演の際に、最大射程五〇キロの二四センチ列車砲と、砲弾重量一トンの四一センチ榴弾砲を極秘裏に運び込んだ。どちらも陸軍には一門しかなく、まるいちと呼ばれていた。シベリア鉄道は再び射程内に収められる。


 しかし、すべてが今も健在なのではない。要塞の完成以来、一貫して守備にあたっていた第四国境守備隊は三月に解体された。分解搬出が容易な一〇センチ榴弾砲や七五ミリ野砲は兵隊と共に、とっくに南方に転用されている。残されたのは砲塔に固定された大口径砲だけである。そして、二四センチ列車砲も通化へ移動するために分解中であった。

 四国守の解体後に要塞を守っていた八百名の臨時国境守備隊は、先月再編成されて第一五国境守備隊となった。歩兵四個中隊、速射砲一個中隊、砲兵二個中隊を基幹に、工兵隊、陸軍病院を合わせて千四百名までに増強されたが、要塞と火砲のすべてを運用するには至らない。最盛期の虎頭要塞は一万六千名を擁していたのだ。



 要塞の司令部は猛虎山の地下にある。山頂からはおよそ四十メートルだ。一五国守隊長の西脇大佐は、部下の砲兵隊長である大木大尉から報告を受けていた。

「九〇式列車加農の分解は中止するのか」

「あと一日では通化まで到達できません。つけている砲兵が惜しい」

「わかった。全員を陣地に復帰させてくれ」

「はい。列車加農は水克の格納庫に戻します」

 かつては六個中隊で運用していた十門の重砲を二個中隊で回すことになり大木大尉は頭を抱えていた。特殊砲の二門までは手に余るのが実情だ。

「しかし、四一榴は撃ちたい。鉄橋だけでも破壊すべきだ」

「はい。第一中隊の半分を回します。残りは一五加農に」


 試製四一榴の砲塔陣地は猛虎山の裏手にあった。同じく裏手にある一五加農の砲塔陣地とは要塞内部を通して往来できる。対して、第二中隊が担当する三〇榴と二四榴は猛虎山の前面にあり、九〇式列車加農の格納庫は三十キロ西の水克駅近くの秘密康家信号場にある。貴重な砲兵を要塞の外に張りつけておく訳にはいかない。

「開戦まであと一日はある。列車加農を射撃可能に復旧できるか」

「それはできます。帰陣を半日延ばすだけです。しかし、砲兵だけが要塞を抜け出す場面がありますか」

 大木は、あえて砲兵だけと言った。陣地で死ぬのが任務の国守が、戦闘中の要塞を脱出することはあり得ない。

「ない。儂も貴様もここで死ぬ。列車加農の射撃は見たかったがな」

「はっ。国守が要塞で死ぬのは本望です」

「よし。存分に働こうではないか」




わ ー っ !


 突然、どよめきが中央通廊から伝わって来た。大勢の女性が一斉に声を上げたらしい。司令所からは右手にあたる七〇番弾薬庫からのようだ。七五ミリ野砲用だったから中は空で、守備隊の家族や虎頭鎮の邦人たちを収容する臨時生息所に予定されていた。驚愕の声は、次第に悲鳴、嗚咽に変わる。どうやら、中は阿鼻叫喚の様相らしい。


 西脇と大木は顔を合わせた。

「例の伯林占領の映画だ。きつかったな。まさしく遠慮容赦がない」

「はい。一般のドイツ女性が自殺するとは、驚きました」

「あれだけの目に遭えば、生きろという方が酷だろう」

「本物の記録映画でしょうか。どちらが撮ったのでしょう」

「わからん。しかし、ソ連兵を見る目が一変したのはたしかだ」

 今朝、そこでは映画が上映された。参謀飾緒をつけた関東軍報道部員が持ち込んだもので、見る者は守備隊や協和会虎頭鎮分会の幹部に限られ、兵隊や下級士官には許されなかった。西脇も大木も見た。


 映画は伯林市内で撮影した短編を繋ぎ合わせたものらしく、特定の登場人物も狂言回しもなく、説明の字幕さえなかった。しかし、編集と構成が巧妙で、誰に何が起きてどうなったか、容易に理解できた。

 すなわち、屋根裏や地下室、隠し部屋に潜んでいた女たちが発見され、ソ連兵に引き摺りだされて陵辱される。十数回の暴行を受けた女たちは、朝になって、首を括ったり河に身投げして自殺する。

 最初に暴行される女、数回目に暴行される女、力なく横たわる女、縄に吊るされた女、河に浮かんだ女。それぞれ別の女性だったが、それは尋常でない人数ということだ。見る者には最初から最後までのどれと判別でき、それゆえに、異常な狂気と絶望が伝わってきた。


 効果は覿面だった。協和会の分会長たちは映画を見終わると、報道部参謀の講釈を聞こうともせずに出口に殺到する。家族全員を避退させることに変心したのだ。講釈を終わりまで聞いた守備隊幹部も、同じ結論だった。

 しかし、変心した守備隊や協和会幹部の説得に応じない女性もいた。陸軍病院の看護婦たちである。虎頭の第六八陸軍病院は第五軍直轄であるが、戦時には第一五国守の指揮下に入る。病院長の軍医少佐は婦長と看護婦の説得に失敗した。

 軍医はソ連軍侵攻の結果として、ドイツ人女性の自殺を特に強調した。それが裏目に出た。看護婦らは試されていると受け取ったらしい。全員が首に掛けた小瓶を握り締めて顔を横に振る。坊主にするぞと威嚇すると、婦長が前に出て来て看護帽をとった。後の看護婦が鋏を入れる。


 軍医に泣きつかれた西脇隊長は報道部参謀と交渉して、三十人の看護婦に映画を見せることにした。

「安倍さんは優しいと慕われていましたからね」

「善し悪しだな、こうなると」

「大丈夫ですか。その、後遺症というか」

「本来なら女子供が見るものではないが、報道部の軍属によると短縮版が複数ある」

「え」

「見せる相手に応じて端折ってるらしい。その、刺激的な所をな」

「ああ、なるほど」


 しばらくして、安倍哲夫軍医少佐が司令官室に入ってきた。白衣の下の夏用軍衣は汗でぐっしょりである。大木は立ち上がって椅子を譲り、煙草を差し出す。

「ご苦労様です」

「ありがとう。さすがに疲れたよ」

「安倍軍医、どうだった」

「やっと受け入れてくれました。ふぅ」

「これで虎頭からは女性は一人もいなくなります」

「全員が木村重成の妻とはいかんし、その必要もない」

「戦闘が始まれば、明智秀満になる余裕もありません」


 陸軍病院は、おおむね連隊ごとに一個設けられ、病床数は二百から三百床である。軍医中佐または少佐を長とする病院運営の定数も二百から三百名、おおよそ中隊規模で、戦時には野戦病院となる。虎頭第六八陸軍病院の場合は、一五国守が半個連隊規模なので、定員も百名ほどであった。

「野戦病院には義勇隊開拓団の少年兵を五十名配属する。人事係で名簿を受け取ってくれ」

「ありがたい、看護兵に仕立てましょう。大尉、もう一本くれ」

「いいですとも、箱ごとどうぞ」




 第五軍で東安省を担当するのは第一三五師団だが、主力は省都の東安にあり、国境線前面には歩三六八と歩三六九の一部が薄く配置されていた。この方面におけるソ連軍の主要作戦軸は、虎林線と北の饒河江に沿った二本であると見られていた。すなわち、虎頭要塞の数十キロ北と南だ。

 虎林県において、第一五国境守備隊長は軍政の長として徴兵や召集、在郷軍人に関する事務を執行できる。居留民保護を施行する省や県に協力する立場でもある。東安省の開拓村はほとんどが義勇隊開拓団で、ソ連から鉄道と街道を守るように配置されていた。三十七のうち二十が虎林線と虎頭街道の外側、つまり国境側にあった。

 義勇隊開拓団の隊員は建制どおり関東軍に召集される。一五国守には虎林県の七つの義勇隊開拓団から五百名が入隊した。大木の砲兵隊にも百名の新兵が配属され、主に弾薬運搬や伝令に配置される。第一中隊は要塞内の移動で済むが、第二中隊なら屋外での移動があり、戦闘が開始されれば消耗は激しい。


 大木大尉は思う。一時間後に避退列車が進発すれば、虎頭と周辺からは地方人はいなくなり、軍人と軍属、雇員だけとなる。民間人がいなくなれば、守備隊長は戦闘指揮に専念できる。虎頭に残る邦人には食堂や旅館の者が多いし、床屋もいる。衣食住は、少しは改善されるだろう。

 要塞内に移動した邦人たちは軍属か雇員の身分となり、人事係で登録された。持ち込んだ食糧や酒類も精算され、前渡しされた俸給と共に避退する家族に渡される。陸軍病院に入院していた兵隊のうち後送を望まない者は、看護婦に紙包みを預けた。

 虎頭要塞の戦闘準備は、完結に向けて急激に進んでいく。しかし、それは第五軍司令部の命令によるものではなかった。第一五国境守備隊長名による召集や徴用には、たしかに県公署の兵事掛が立会って副署している。それは大木が見るところ、平時に行うことが出来る軍政の限度を超えているようでもあった。


 安倍軍医が立ち去ると、大木大尉は疑問を質した。大木は、一五国守の次席指揮官にあたるから聞いておくべきだ。出過ぎにはあたらない。

「臨戦態勢が整うのは重畳でありますが、宜しいのでしょうか」

 西脇隊長は予期していたものとみえ、笑いながら答える。

「臨戦とは語弊がある。戦闘命令は出ていない。そうだな、先んずれば敵を制すだ。ははは」

 大木は勢いを殺がれたが、笑いを繕う。

「戦闘準備には全面的に賛同します。もちろん、上級司令部、特に総軍に対しては『静謐を保つ』を返しますが」

「まるで独断専行を隠蔽しているかに聞こえるが」

「げふん。噂とは言え七日開戦に異論はありません。しかし、陸軍病院を残したり、列車加農を稼動に置けとは、まるで援軍が来るかのようで、兵に混乱を招きます。弾を撃ち尽くしたら斬り込んで死ぬ、その覚悟を揺るがせるようで心配であります」


 大木は詰め寄った心算であったが、西脇大佐は破顔した。

「あっはっは。すでに玉砕か、気が早いぞ。まずは一月働くことだ。それが軍の方針ではなかったか」

 しまった、と思ったが大木大尉にはもう術はない。

「はっきり言えばよい。隊長の決心は何に基づくのか、と」

 大木は一礼して言った。

「いったいどこからの情報なのです。敵の謀略ではないのですか」

「それがな、前の守備隊長、秋草閣下からなのだ」

「え、関東軍情報部長からですか」

「疑うわけにはいくまい」

「それはもう」

 大木大尉は、ようやく合点がいった。四国守隊長を勤めた秋草少将なら、虎頭要塞の能力は熟知している。列車加農の諸元も持っているだろう。虎林線は最後の邦人避退が終われば鉄道線路が撤去されることになっているが、何か別の展開があるのかもしれない。大木は、一ヶ月を戦って、なお生き残る理由を見つけた。



 隣の通信室から准尉が入って来た。電信の用箋を持っている。一瞬だけ大木を睨んだが、何事もなかったかのように電文を読み上げる。

「続報です。于匣屯監視哨の前面で越境したソ連狙撃兵部隊は、およそ百名。視察班の観察によれば、二個小隊ではなく、将校十名を守る一個増強小隊で、重機二丁を含むもよう」

 大木は目を丸くした。ソ連軍の不穏な動きは国境線のあちこちで続いていたが、越境したのは初めてではないか。

「ほう、将校が十名もか。只では済みそうもないな」

 准尉は何も答えない。

「第五軍司令部からは何か」

「はっ、変わりはありません。静謐を保て、発砲は禁ずる、です」

「わかった。引き続き徴取してくれ」

 准尉は黙って頷き、出て行った。


 西脇大佐は大木大尉を向いて言った。

「今朝から妙な電信が入ってきている。正規の暗号だが、冒頭に四国演電、そして発信者名はなし。内容は国境各地の情勢で、精確なようだ」

「すでに解体された四国守宛ての演習電報ですか」

「軍司令部は内容を否定しないし、無視せよとも言わない」

「ひょっとして、発信者名がないのは問合せをさせないためですか」

 西脇隊長の見る目が険しくなった。大木はさらに言う。

「演習電報ですから無視するのが基本です。受信も返信もしようがないから記録は残らない。しかし内容は伝わる。各部隊に最新情報を配信するには上手い方法かもしれません」

「上級司令部を介さずに直接か。なるほど、辻褄が合うな」

 しばらく、二人の間には沈黙が続いた。


 西脇大佐が呟く。

「于匣屯は義勇隊開拓団の忠誠村の近く、ここから南へ四十キロほどか」

 訝しく思いながらも、大木は黙って頷く。

「大木大尉、列車加農なら于匣屯まで届くな」

「え」

 大木は絶句した。




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