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SR満州戦記1  作者: 異不丸
第五章 八月五日
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一 離郷


三江省同江県


 三江省は満州の東北端に位置する国境省で、その名のとおり黒竜江、烏蘇里江、松花江の三つの河川が合流する地域である。ハバロフスクの対岸にある撫遠県で黒竜江に烏蘇里江が合流し、少し上流の同江県で松花江が黒竜江に合流する。

 沖積氾濫原である一帯は低湿地であり、土壌も鉄由来の有機錯体が多く、耕作には適さない。特に撫遠、同江、綏浜の三県は沼沢が多く、邦人の開拓村はなかった。しかし、軍事的に大河川は進撃路として、また兵站路としても重要であり、河畔の要地には国境警察隊が駐屯していた。

 昭和一六年の関特演では、湿地帯の中を進撃することが本格的に研究された。なんといっても対岸正面は極東ソ連の首都ハバロフスクなのだ。研究は、関東軍直隷の第一工兵隊によって、湿地沼沢の地誌区分、行動規範、地盤改良と進められた。結局、三江湿地帯での進撃は軍の兵力配分の都合で放棄された。だが、湿地進撃法研究は東正面の東安作戦路の完成に結実していた。


 白み始めた地平線を背に馬車と騎馬の一隊が県境を越えて同江県に入った。撫遠県から夜を徹して走って来たのは、馬車二台とそれを守る騎兵六騎だった。騎馬の男たちはそれぞれ国境警察の制服を纏い、腰に拳銃を吊るして小銃を背負っている。馬車の御者はどちらも古びた四五式軍衣を着た老人だ。車の中では赤子を抱いた婦人や老婆らがぐったりと眠り込んでいた。

 しかし、まだ入学前らしい子供らは集まって小声で話し合っている。今いる場所はどこなのだろうかと。撫遠の県庁を昨夜発った後、馬車隊は濃江と呼ばれる川沿いに湿地帯を抜けてきたが、月齢は二六日で新月に近いから暗かった。夏至の頃ならば北の空は一晩中明るいが、八月ともなればそうもいかない。

 夜陰で道を外せば、泥濘に嵌ってしまう。前衛の警官も、さらに先行する哨戒役の警官も、決して速度は上げなかった。湿地帯といっても一様ではない。足首が濡れる程度の湿潤地から、首まで浸かる重湿地まである。それは例えば空撮写真ならば、色の濃淡で判別できた。訓練すれば、夜目でも濃淡を見分けることができる。


 空撮写真を落とした地図があっても、湿地の植生が区別を妨げる。一間近い高さの葦萱の類が視界を遮るからだ。だから騎乗によって視界を確保する。視界が通れば、軽湿地、中湿地、重湿地それぞれに独特の植生を見分けることで進路を判別できた。

 しかし、地表の濃淡も草花の色も、曇り空や薄暮、夜では見え方が違う。湿気を吸った地面は黒いのが通例だが、雨水で濡れていれば光って白い。同じ夜の行軍でも、翳すのが松明と灯油のカンテラ、電灯とでは色も反射も違った。それらをすべて見分けるのが、湿地帯に慣れるということだ。

 騎馬の六人ともその訓練を受けていた。二人の日本人警官は独立工兵第二二連隊の工兵として関特演に従軍していて、三江湿地に配属される満人警官の訓練にあたっていた。雨水が抜けないから湿地で、流れる先があれば水は引く。濃江は、このあたりの河川としては流路が安定しており、それゆえに至近での湿潤は軽度であった。



 馬車隊は県庁のある同江街には向かわず、南西に進路をとる。富錦県に入るまで水運を使うのは禁じられていた。黒竜江の対岸にはソ連軍が集結している。侵攻までまだ数日あるらしいが、早まることがないとはいえない。馬車の中の女子供には警官隊の家族もいて、敵兵に晒すことはできない。不便で危険で時間もかかるが、湿地帯を抜ける以外に選択肢はなかった。

 とはいえ、急ぐ必要もあった。家族の避難経路は確保されている筈だから、集合場所まで送り届ければ大丈夫である。しかし、警官隊には帰路、富錦の県庁で弾薬を満載し、撫遠県の本部に運び込む任務があった。今ある弾薬量では数日の戦闘しか出来ない。国境警察隊は三ヶ月間の戦闘を下命されていた。


 先行する満人警官が合図の口笛を吹いた。異状があったらしい。駆け戻って来る哨戒役の背後に灯りを認めた前衛が手を上げて号令する。

「とまれ!」

 幸いに辺りは開けていた。


 老兵は命令に従って馬車を止めると、御者席で小銃を手にとった。詰襟の中で痩せた首を回す。もう一人の老兵は器用に方向転換して後ろ向きに詰め、やはり小銃を取り上げる。残る三騎の動きを確認した後衛の騎馬は、地面の状態を確かめながらゆっくりと前衛に近寄る。

「カンテラが縦に二回、横に三回振られました」

「よし、こっちもだ。縦に三回、横に二回だ」

 背負った小銃を下ろしてかまえた後衛の横で、前衛が、青いセロファンを被せた無電池携帯電燈を振る。すぐに誰何の声が返ってきた。

「誰か」

「撫遠国境警察隊、警尉、加藤三代治。邦人避退任務を遂行中」

「よし。勾玉二五二六六部隊、第六中隊、陸軍軍曹、山下辰次郎。ご苦労様であります」


 勾玉は第一三四師団の略号で、二五二六六部隊は歩兵第三六七連隊である。第一方面軍直轄の三江兵団である一三四師は佳木斯南方の依蘭県から方正県に主力を置き、東の富錦県に前進陣地を構築していた。地勢的に、両側を山地に挟まれた佳木斯は三江湿地帯の終焉部にあたる。

 満州警察の警尉は日本の警部にあたり、軍隊では尉官に相当するから、下士官の山下の応対は丁寧だった。あと十キロ南西へ行くと第六中隊本部がいる郷村がある。そこに保安局の特務が出張って来ていて、炊き出しも受けられると、加藤隊長に伝えた。

 山下軍曹は馬車の中の員数を目算する。男は御車の老人二人だけだった。撫遠県には開拓団も義勇隊もいないから、官吏と警官を除けば、邦人は一般居留民だ。その商店主や床屋らも皆、国境を死守する覚悟であるらしい。山下には感じるものがあった。部下の上等兵に道案内を命じる。中隊は前哨任務が終われば富錦に引き上げる。





挿絵(By みてみん)



三江省羅北県


 野村彦一は馬上にあった。眩しい朝陽を浴びて、避けるように振り返る。門には、墨痕たくましく羅北県第二次朝日義勇隊開拓団とあった。ここ数年、村にはいなかったが、間違いなく野村の家であり故郷である。羅北県には義勇隊開拓村が合わせて五つあったが、昭和一七年に開拓団に移行した朝日村が一番古い。

 満蒙開拓青少年義勇軍では、同県同年の入隊者およそ二〇〇名で中隊編成をとる。開拓団移行もそのまま行なわれるから、朝日村も二〇〇名前後の筈だが、入営者が帰って来ないので減っていく。隊員は内原の頃から教練と武術を欠かしていないし、幹部に絶対服従だから、すぐに幹部候補生に上げられるのだ。

 兵卒と違って、下士官や士官は職業軍人であり、おいそれと除隊することは出来ない。下士官の場合は五年は勤めないと戻って来れない。開拓団移行後すぐに兵役についた者でも、伍長に進級していれば再来年までは帰って来れない勘定である。


 兵役は本籍地の連隊に入営が通常だが、内地では兵役年齢前の志願ならある程度の融通は効いた。満州の義勇隊は省内の連隊に入営させられる。野村は富錦の騎兵連隊だった。今は騎兵軍曹だから、曹長でもないのに乗馬できるし、拳銃も吊るせる。

 野村の原隊である騎兵第三旅団騎兵第二四連隊は、一月の改編で独立混成第七七旅団の独立歩兵五六九大隊となった。騎兵連隊は中隊連結だから、馬匹を抽出された残りの兵隊だけでは大隊がやっとなのだ。さらに七月の改編では第一三五師団歩兵第三六八連隊第二大隊となった。

 完全に歩兵である。長靴も拳銃も取り上げられ、長い歩兵銃を持たされた。そして、三江省の南の東安省宝清県へ移駐である。朝日開拓団からは遠ざかるばかりだ。野村が夢見たのは自分の土地を持つ自作農であり、軍人ではなかった。

 だが今、現役の下士官の野村はここにいて乗馬している。簡単な理由だ。異動先の部隊の任務だからである。


 移駐後、東安の街で飲んでいた野村は一人の男に声をかけられた。満服を着たその男は、そんなに開拓村が恋しいなら羅北県に戻してやろう、馬にも乗せてやろうと言った。自棄酒に酔い、愚痴ってしまったようだ。その週の内に、野村は関東軍情報部へ異動になり、満州国森林警察隊勤務となった。野村を誘った男は隊長の浅野上校だった。

 昨晩、野村は朝日第一義勇隊開拓団を訪れ、全員の召集を告げた。同行した県公署兵事掛が第三六七連隊への現地入隊の手続きを、連隊の人事担当曹長が全員の身柄受領を行なった。さらに、実弾の支給と命令発布によって、第二次朝日義勇隊開拓団は村ごと森林警察隊の指揮下に入った。

 夜を徹して出征の仕度が行なわれ、終えた者から本部棟での壮行会に参席した。県公署の兵事掛は目を真っ赤に晴らしながら、未成年の隊員にも酌をして回った。野村は曹長どのと一緒に、妻子を避退させるように若夫婦を説得した。

 そして今朝早く、兵事係と曹長は、避退に応じた十人ほどの女子供を引き連れて県公署へ出立した。



 野村は、朝陽に顔を輝かせながら門を出て来る百五十名の隊列を見守る。関東軍に召集された羅北県の義勇隊開拓団は全員、鳳翔村に集合することになっていた。そこで、浅野隊長の訓示と部隊編成が行なわれる。

「野村軍曹、僕たちは山に篭るのかな」

 妻子を送り出して一人残った山村宗治が不安そうに尋ねた。山村副団長は四十歳だが、満州事変で戦傷して右足が義足だった。今は馬車の御者席にいるが、山中での移動は不便だろう。

「山村先生。そうなるでしょう。夜陰に乗じて山を下り、敵背後を撹乱して、夜明け前に山に戻る」

 昨夜の召集で、兵役前の者は陸軍二等兵になり、兵役経験のある隊員は退役時の階級に戻った。山村は伍長だ。しかし、移行前の訓練所で学事担当だった山村を野村は昔どおりに先生と呼んだ。

「そうか、ゲリラ戦だね。八路式にやるんだね、野村君」

 山村は野村を見上げ、嬉しそうに言った。


 浅野隊長によると、松花江を遡上するソ連軍は佳木斯で第一三四師団に阻止される筈だった。そのソ連軍の背後をつく。小興安嶺から鶴崗に篭った野村たちの部隊が北から、横道河子を出撃した部隊が南から補給路や兵站を脅かす。浅野上校の森林警察隊は広範なゲリラ戦を計画していた。

 満州事変や支那事変は共匪との戦いでもあった。日本軍にとっては治安戦であり、中共にとってはゲリラ戦だ。今度は攻守ところを変える。十五年間の治安戦を通じて日本軍は、ゲリラ戦の戦法、対抗策など多くの戦訓を蓄積している。出来ない訳がない。浅野隊長は自信満々にそう言った。


 野村の騎馬と山村の馬車は最後方についた。第二次朝日義勇隊開拓団の隊列は、開墾した田畑の間を抜けて西の鳳翔村を目指す。

「今年もだめだったよ」

 山村が水田を指差しながら言った。野村は思い出した。郷里から持参した種籾で苗を植えていたのだが、ずっとだめだったことを。先生は、野村が兵役に出た後も試していたらしい。

「来年があります、先生」

 野村はきっぱりと言った。山村は、うんうんと頷いた。





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