四 決心
龍江省、斉斉哈爾
第四軍は斉斉哈爾に司令部を置き、満州の北と北西を担任する。おおよそ、哈爾浜と満洲里を結ぶ浜洲線の周辺から北側、哈爾浜と黒河を結ぶ浜北線・北黒線周辺から西側の領域である。隷下に三個師団と四個旅団を持つ。最重要の要衝は、北の黒河と北西の海拉爾、および大都市の哈爾浜である。
黒河はソ連軍の伝統的な渡河点であり、前面に独立混成第一三五旅団と第一二三師団を配置する。小興安嶺山脈を越えた嫩江に後衛として独立混成第一三六旅団を置く。海拉爾は大興安嶺山脈の前にはだかる永久要塞で、独立混成第八〇旅団がこれを守り、第一一九師団が後詰する。哈爾浜の独立混成第一三一旅団と斉斉哈爾の第一四九師団は軍の予備戦力である。
軍司令部の会議室では司令官の上村幹男中将が目を閉じて熟考していた。上村は三月に着任したが、それまでは第五七師団長だ。一昨年の三月からずっと黒河の神武屯にいたから、北の状況はよく理解している。黒竜江の対岸は今、異常な状況にあった。北西も不穏である。どちらも国境正面にソ連軍の大部隊が集結していた。
情報参謀の水澤少佐の説明が終わって、すでに十分近くが経過していた。参謀長の大野武城少将が立ち上がり、上村に決断を促す。
「司令官閣下、ご決断をお願いします」
参謀らが居住まいを正して注目する中で、目を開けた上村は明瞭に発した。
「第四軍正面において、ソ軍は既に集中を終え、戦術展開に移行したと判断する。すなわち、数日以内に侵攻し来るものだ。軍は直ちに対応戦備を整える。以上、決心する」
大野参謀長以下、全員が立ち上がって一礼する。
「よろしく頼む」
そう言うと、上村司令官は退室した。
四月の参謀本部の兵力判断によると、黒竜江沿いの北満州を担任するのはソ連第2極東方面軍で、六個狙撃師団、二個機械化師団、三個戦車旅団と五個航空師団五百機である。第四軍が確認している黒河正面のソ連軍は、狙撃師団、戦車旅団がそれぞれ二個だった。少ない。おそらく、もう一個か二個兵団が渡河第一陣に加わるだろう。そして、兵団ごとに異なる地点で渡河してくる。
黒河正面には、かつて第五、六、七、一三の四つの国境守備隊があって、それぞれ一級陣地を構えていた。その要に第五七師団があって、合わせて三個師団に相当する兵員と火力を擁していた。今は半分にも満たず、大口径砲も引き抜かれたので、渡河を阻止することはできない。しかし、構築された堅陣はまだ健在だ。ソ連軍はまず、この国守陣地を潰しに来る。
黒河正面の堅陣は優に三ヶ月は持つ。独混一三五は軍で一番の充足率だ。陣地を出て行なう無謀な遊撃戦を止めればいい。問題はソ軍がいつ気付くかだ。力攻めで落ちないと悟れば、歩兵部隊で囲んで、快速部隊は小興安嶺越えにかかるだろう。この機械化部隊がそうだ。嫩江方面に突破してくる。逆落としに来るソ軍戦車を食い止める戦力は独混一三六にはない。
海拉爾正面のソ連軍はザバイカル方面軍で、狙撃師団三個と戦車旅団一個を確認している。黒河とは違って、海拉爾正面には北、西、南の三方から来襲できる。視認できたのは北と西のアルグン河の対岸だけだ。もう一個、戦車旅団か機械化師団が、南の外蒙の奥から突進して来るだろう。おそらく、この南からの戦車部隊が最初に到着する。
海拉爾は永久要塞で、一年間は戦えるように造ってある。独混八〇旅は旧八国守の半分の兵力しかないが、重砲はそのままだ。ソ軍は早々に諦め、大興安嶺山麓の牙克石に殺到するだろう。海拉爾と牙克石の距離は七十キロ近く、海拉爾の一五加の射程は十八キロ。半分も届かないが、一一九師が守る大興安嶺への上り口は狭く、支援にはなる。
黒河正面も海拉爾正面も、完全包囲に遭っても戦い続けることはできる。だが、外との連絡や補充はあった方がいい。興安嶺を越えた斉斉哈爾や哈爾浜とは鉄道が繋がっているのだ。南方の島嶼での戦いとは違う。負傷者を後送し、兵隊と弾薬を補充すれば、一年以上も戦闘を継続できるだろう。第一段階の国境会戦一ヶ月間は困難ではない。怖れるべきは奇襲だ。
かつての国境守備隊は、日曜祝日もない毎日勤務だった。それが可能なように交替要員も揃えてあった。いつ死んでもいいように、近辺には賑やかな街があって酒と料理と女を提供していた。いまでは、交替どころか昼間の監視業務にさえ事欠き、監視所の数を減らさざるを得ない。いざという時、監視所や砲台に担当要員が揃っていない状況、つまり奇襲される可能性は大いにあった。
各兵団の小火器や火砲などの装備も不足していた。関東軍の正規師団が南方に転用され、半分まで減ったとき、師団数を増やすために、既存の兵団が分割された。兵団の根幹となる幹部下士官や火砲を確保するためだ。特に国境守備隊は、連隊規模でありながら工兵や重砲兵が充実していたから、ばらばらにされた。
兵隊は根こそぎ動員で七十万人近くまで集まった。しかし、三十万人分しかない装備の絶対数は変わらない。全体の充足率が半分に下がっただけである。たしかに関特演の時に備蓄した予備の装備はいくらかあったが、一年間で二回も三回も師団新設を繰り返せば底を突く。当時は満州での動員など想定していなかったのだ。振る袖はもうなかった。
ソ連に早期侵攻を躊躇させるのに、兵員数や師団数の水増しは有効かもしれない。しかし、彼の国には目や耳だけでなく、偵察機や第五列もある。二四個師団、一個機動旅団、九個混成旅団、二個戦車旅団、合わせて七十万の関東軍の内実は、よく承知している筈だ。かつての関東軍とはまったく違う。
だが、たとえ案山子であったとしても、その立つ陣地や地勢は変わらない。ソ軍が臆するとすれば、それは国境線の要塞であり、堅陣であり、新京に至るまでに突破しなければならない山岳森林の峻厳さと距離ではないのか。今、兵団の充足率には戦術的立地によってめりはりをつけねばならないのだ。
「司令官閣下、失礼します」
声がして、大野参謀長が入って来た。
「第四軍は一八〇〇時をもって戦備演習に入る旨を全軍に発信しました。また、不朽と鋭鋒に全監視所配置を命じました」
上村の決心を全軍に伝達したという報告であった。不朽と鋭鋒は、それぞれ独立混成第一三五旅団と第八〇旅団の略号である。
「うむ。不朽から移動中の重砲は?」
「転用は中止。元の位置への再配備を指示しました」
「よし」
「それと、遅れていた不撓の司令部移転も完了しました。佐々木師団長閣下も哈爾浜から来着されました」
不撓は第一四九師団の略号である。
「そうか。ありがとう」
軍予備の第一四九師団は先月十日に新設されたもので、編制は完了していない。兵員はまだ定員の三割で、砲は一門もなかった。独立混成第一三一旅団にいたっては先月三〇日の新設だから、五日も経っていない。兵隊どころか、将校もまだ着任していなかった。そんな新設兵団にも、国境兵団から火砲を配備せよと総司令部は指示してきた。最前線の弱体化を意図しているのではないかと、勘繰りたくなる。
それだけではない。まもなく編成完了という歩兵三八八連隊が第三方面軍に転用された。先月末に新設した第三〇軍の兵団編成が遅れているというのだ。すでに第一二五師団を出したではないかと総司令部に噛み付くと、代わりに歩兵第二七四連隊が送られてきた。歩二七四は一二五師所属だった。なんのことはない。総司令部は一月編成で比較的充足率の高い師団を取り上げ、分割してばら撒いているのだ。
他にやりようがあるのではないか。まさか、総司令部はソ連軍の侵攻があり得ないと信じきっているのか。あるいは、戦わずに降参するつもりか。何を考えているのか、上村には理解できない。ふと上村は思った。すぐ南の第四四軍司令官は陸士同期生で、件の第三方面軍隷下だ。本郷はどう考えているのだろう。連絡してみるか。
「閣下」
上村の思考は、参謀長の声で中断された。話は途中だったらしい。
「総参謀長が国境を空中視察中とのことです」
「なに、秦が。いや、総参謀長が!」
「明日は海拉爾方面らしいです」
「よし、つかまえろ。秦め、直談判して目を覚ましてやる」
「え」
「あ、いや、参謀長。そうだ、一杯やらんか。明日は忙しくなる」
「そうですね。いただきます」
上村はスコッチの瓶とグラスを取り出す。
「お。舶来ですか」
「同期生からもらったんだ。さあ」
上村は、その同期生がすでに故人であることは言わなかった。
浜江省哈爾浜、新市街区郵政街
哈爾浜駅に降り立った甘粕と加茂は、助役の案内で駅事務室に入る。着ていた協和会服と参謀飾緒付きの軍服を、地味な背広に着替える。服は哈特で用意されたものだったが、寸法はぴったしだった。それから出迎えの車に乗り込む。
着いた先は、郵政街の哈爾濱特務機関長公館だった。案内された部屋には、秋草少将と佐々木中将が待っていた。二人とも背広だった。
「しばらくです、佐々木閣下」
「閣下はやめてくれ。このとおり一介の老人。佐々木中将は、師団司令部と共に斉斉哈爾にいるよ」
「なるほど。では、何とお呼びしましょう」
「サーさんとでも」
甘粕は電報を二通とも見せた。佐々木は少し考えた後、話しはじめる。
「重慶工作は、海軍に潰された。慙愧の思いだ」
甘粕も秋草も目を剥いた。
連合国との和平交渉は大東亜戦争の開戦の勅にもあったが、本格化したのは、ガダルカナルでの敗戦後である。外務省はもちろん、海軍省や陸軍省も牽制しながら独自に戦争収拾の具体策を模索した。民間でも和平に動く者がいた。
小磯内閣が成立すると、俄然、和平への動きは活発になった。小磯首相は、重慶政府と日中単独講和を交渉し、これを連合国全体との講和に発展させることを考えた。具体的には、南京の汪兆銘政府の人物を蒋介石に接触させる。一方、外務省案は、日本が独ソ和平を仲介し、ソ連には日米和平を仲介させるというものだった。
「小磯首相は、二つを並行することで外相の同意を取り付けた。真意は、もちろん重慶工作。地理的に近く、連絡も容易い。陸軍内で帰結するから秘匿も万全だ。それに繆斌なら筋も好い」
甘粕も秋草も頷く。繆斌は蒋介石の国民党軍時委員では古株で、支那事変後は親日の中華民国臨時政府に参加していた。汪兆銘が客死した後も、南京で陳公博主席を支えている。東亜連盟や新民会でも重職を務めていたから、甘粕も知っていた。十分に信頼できる。蒋介石の重慶政府と日本政府を仲介するには最良の人物だ。
「海相からも特別の異論はなく、緒方情報局総裁が繆斌に交渉を依頼したのが八月。繆斌は快諾して、蒋介石との交渉は難航しつつも進んでいた。水面下では宇垣大将や頭山さんが応援された」
「今年に入って、重慶政府の反応が好転した。明らかに日本との妥結を目指していた。繆斌の来日予定も決まって、成功は間違いないと思われた」
秋草は二月のヤルタ会談の影響だろうと思う。
「ちょうどその頃、スウェーデン、スイスなどで、米国からの接触が相次いだ。受けたのは公使、陸軍武官、海軍武官。それぞれ別の人物と径路だったが、いずれも米国政府の要員だ」
甘粕と秋草は当時の戦況を頭に浮かべる。比島か硫黄島か、その前のサイパンが影響したのか。
「政府一体だった筈の重慶工作への興味が急速に薄れた。重慶を通すより米国直接のほうが良いからな。途端に閣内は紛糾。結局、繆斌は政府の誰とも会えないまま離日。小磯首相は重慶工作失敗の責を負って退陣となった」
しばらく考えた後、甘粕が問う。
「それで、鈴木内閣ではどの経路が選択されたのです。スイスですか」
「それが、海軍が推すソ連仲介案に統一された」
「なに、ソ連?」
「ばかな!」
甘粕と秋草は同時に声を出した。
次回の更新は遅れます。




