三 葛藤
12月16日訂正
訂正前:『西ニューギニアに急迫していた』
奉天省、奉天市
第三方面軍は奉天に司令部をおき、西正面を含む南満州全域を担任する。単に防衛だけではない。通化の複郭陣地の構築もあるし、満州防衛軍が担当していた後方の治安確保と動員計画もまた任務である。隷下に第四四軍と第三〇軍を持ち、直轄部隊と合わせて九個師団と六個旅団が主戦力である。
第三方面軍が新設されたのは二年前の昭和一八年一〇月である。斉斉哈爾にあって満州の北と北西を担任していた第二方面軍司令部が南太平洋のニューギニア島に転用されたからだ。兵団ではなく、司令官と参謀ら方面軍司令部の転用である。同じ様に、満州東部にあった第二軍司令部も転用された。
当時、連合軍はソロモン北端、ラバウル、東部ニューギニアに急迫していた。海軍からの増援要請に応じた陸軍は、ニューギニア全島の地上兵力と一帯の航空戦力を統一指揮できる上級司令部を必要としていたのだ。第二方面軍と第二軍の両司令部が満州国境を越えた瞬間に、第三方面軍は斉斉哈爾に創設され、それまで第二方面軍隷下だった軍と兵団を継承した。
ずいぶん乱暴なことをしたものだと後宮淳大将は思う。満州から豪北に移転させて、いきなり作戦が遂行できるものなのか。当時の参謀総長は杉山大将だが、次長の秦中将が第一部の参謀たちに抗しきれなかったのが実情だと思われた。その秦中将が総参謀長として新京の関東軍総司令部にいる。おそらくは、今も配下の作戦参謀らに圧されていることだろう。
初代の第三方面軍司令官は岡部直三郎大将で、二代目となる後宮は昨年八月に着任した。前職は作戦担当の参謀本部第一次長である。二月から七月の五ヶ月間だったとはいえ、作戦参謀たちがどう考え、何を行なっているかは十分に見分した。しかし、今回の総司令部の作戦計画は理解できない。
作戦は単純で明快な方が良い。攻勢か守勢か、攻撃か防御かだ。ところが今、第三方面軍に与えられた作戦計画は多種多様過ぎて、どれが本筋なのかさっぱりわからない。担任範囲が広いこともあった。南端の関東州の大連旅順も方面軍の担任であったし、西南の熱河省では方面軍直轄の第一〇八師団が中共軍と交戦中だ。その上で、東南山岳地の通化では永久陣地を構築せよだ。複郭陣地は満州から朝鮮に跨っているから、朝鮮北東の日本海沿岸も対象に入る。
北と北西を担任していた第三方面軍司令部が南満州を担当することになったのは五月末である。一月末に北西を担当していた隷下の第六軍司令部が転出したので、その所属部隊を直轄とした。それから三ヶ月後に、すべてを解組し、方面軍司令部だけ移動して、西正面を含む南満州の担当となったのだ。実は、それまで西正面を担任した軍はない。あまりにも困難すぎて、総司令部作戦課は他に感けて逃げていたのだろう。
兵要地誌も作戦方針も何も見当がつかないから、後宮は総司令部に問い合わせた。すると、西正面を担当している第四四軍に聞いてくれという。しかし、第四四軍も同じ日に満州防衛軍から改称されたばかりだ。なるほど、満州防衛軍は西で中共ゲリラと治安戦を戦ってきたが、その前線は西の南の熱河省にあった。
早い話、まやかされたようなものだ。ならば、早急に司令部を移して作戦計画を練るべきだが、防諜上ならびに士気上の事由で、ゆるりゆるり行なうようにと訓令された。ソ連を刺激したくないのだろう。あるいは第四四軍司令部に先回りさせて辻褄を合わせるためかもしれない。
関東軍総司令部が実際の作業として西正面の検討を始めたのは昨年末だという。ソ連が日本に対する態度を硬化させ対日批判を強めた頃で、もはや目を背けてはいられなくなったのだ。通化の大持久の研究も同じ頃に始まる。それは第一方面軍の策源地の研究から引用された。つまり、一ヶ月前に決定した大持久作戦は泥縄なのだ。そうして七月五日の対露最終作戦計画が完成した。
参謀長の大坪一馬中将が入って来た。司令官の憂鬱な表情に、思わず問う。
「閣下、どうされました?」
「いや、方面軍司令部に着任してからのことを考えていた。ずいぶん忙しく変わったものだと」
「なるほど。そうですね、第二方面軍司令部の抽出がきっかけだったと思います。あれから大本営は遠慮がなくなった」
「そう、二年足らずで関東軍の兵団は総入れ替えだ。むしろ、全部出払って何も残らなかったから、自前でこさえたのだな」
「関東軍は参本に借金してたのですかねぇ」
「さあね、博打で負けたのかもしれないな。それで、どうなったかな」
「今、高級参謀が作戦班長と話しています」
廊下の向かいの部屋から怒号が響いてくる。
「ははあ、逃げて来たのか」
「末弘と草地は同期ですから、遠慮会釈がありません」
大坪中将は陸士三〇期の砲兵で、三月に重砲兵学校長から着任して来た。高級参謀の末弘勇大佐は陸士三九期、総司令部作戦班長の草地貞吾大佐とは同期生だ。直通電話で遣り合うのはまあいいとしても、聞こえてくるのは脳や眼の機能が弱いとか、算術が得意でないとかを端的に断定した言葉ばかりだった。要するに悪口雑言である。大坪中将は閉口したのだろう。
用件はソ連軍の侵攻期日に関してであった。先月末から今月に入って急増した国境の不穏な出来事を方面軍司令部で整理したところ、侵攻は間近に迫っていると結論したので、報告と共に戦闘準備と臨戦態勢を具申したのだ。特に今朝の綏芬河の火砲に後宮は注目していた。大坪参謀長に頼んだのだが、どうやら高級参謀が買って出たらしい。
第三方面軍司令官として、後宮大将が総司令部の作戦計画に納得できない点は大きく二つあった。先ず第一にソ連軍の侵攻時期で、今秋とか来春とかではなく早ければ数日、遅くとも十日以内ではないかという点。第二に、西正面の持久第一陣はもっと西側に推進すべきだという点だ。小さくは両手で足りない。
高級参謀の末弘大佐が入って来た。
「司令官閣下、参謀長閣下、失礼します」
「うむ。どうだ、総司令部は」
「だめです、閣下。ソ連軍は今直ちに攻勢を取り得る情勢にない、とのことです。九月以降で譲りません」
「ふうむ、よほどの判断材料を持っているのかな」
「高級参謀、戦闘準備ないし臨戦態勢については?」
「司令官閣下、それもだめでした。必要であれば余裕を持って出すが今は必要ない、静謐保持に務めよと」
「そうか。国境線での兆候は知っての上だな」
「はい。総参謀長自ら国境を空中視察中とのことです」
「わかった。この件はもうよろしい」
「はっ、失礼します」
末弘大佐が出て行くと、参謀長が念を押す。
「明日の兵団長合同では開戦は九月と説明することになりますが」
「それでいい」
参謀長も退室して、後宮は窓に寄った。総司令部の判断の根拠が何なのかは気になったが、頭の中から追い出す。方面軍の課題はまだいくつもあるのだ。窓からは賑やかな奉天市街が見えた。
やはり、最大の課題は西正面をどう守るかである。西正面は守り難い。たしかに大興安嶺山脈は北の方は険しい。だが、欧州での戦訓からいっても、山地森林は必ずしも戦車や車両の通行の妨げにはならない。そして、阿爾山から南は峻厳さが無くなり緩穏となっていたから、たいした障害とはならない。
ソ連軍は、機械化部隊の大集団で外蒙から内蒙を突破し、南西へ突進してくるだろう。方面軍の機甲戦力は二個戦車旅団だけで、平地に薄く広がった第四四軍の陣を抜かれるとすぐに連京線、すなわち新京、四平、奉天である。後宮は第四四軍を大興安嶺近くへ進め、その背後に第三〇軍を配置して守りを厚くしたい。
総司令部は通化大持久が最優先だとして、第三〇軍を通化近傍に留め置きたいと考えている。迎撃も阿爾山方面だけに限定したいらしい。だが、大興安嶺山中の既設陣地は白杜線の終着に近い阿爾山と次の五叉溝ぐらいで、そこを抜かれると白城子までは下りの一直線だから、守りきれない。
明日の兵団長合同で、後宮は第四四軍司令官の本郷中将の意見を期待していた。必ずや防衛線の西進に賛同するであろう。
四平省、双遼県鄭家屯
鄭家屯は遼源ともいう。東西二つの遼河が合流する地点で、ここから河口までは水運が使える。その先は渤海、支那海である。鉄道駅では通遼と四平の間、平斉線と大鄭線の分岐点だ。蒙古の東端でもある。義和団の頃から外国が絡む事件が多く、鄭家屯事件などもあった。それは軍が駐屯するべき重要な位置ということだ。今は第四四軍司令部がおかれていた。
第四四軍の前身は関東防衛軍であり、関特演時に後方治安確保のために設けられた。動員任務も行う。つまりは関東軍司令部が攻撃作戦に専念できるように軍政の現場を分離したのである。その関東防衛軍が、守勢に転じた今になって作戦軍に改編されたのは皮肉なことである。第三方面軍に属して、三個師団と一個戦車旅団を持つ。
軍司令官の本郷義夫中将は官舎の公室に一人でいた。机の上には氷とグラス、皿には鶏の冷製が盛られてある。酒はスコッチ、壁に貼られた大東亜の地図を見ながらゆっくりやっていた。まだ軍服のままだ。庭の樹木と天井扇のおかげで暑くはない。本郷は三月に着任した。まだ関東防衛軍の頃だ。前職は第六二師団長である。
第六二師団は支那山西省に駐屯し、京漢作戦に参加した。沖縄へ移駐したのは、サイパン陥落直後の昨年八月だ。米軍の沖縄来襲は確実とされ、沖縄防衛の第三二軍は戦力を増強中だった。大戦力の結集は順調で、水際作戦の粋である機動決戦という興味深い作戦が準備中だった。
第三二軍の戦略が崩れたのが、台湾沖航空戦と比島沖海戦での海軍大勝利のせいというのも皮肉である。敵空母壊滅の報を受けた大本営は、比島決戦での勝利が約束されたと、レイテ島への五個師団増派を決定した。沖縄からも第九師団が抜かれた。しかし、沈没した筈の敵空母十九隻はすべて健在で、増派師団は移動もままならず、レイテ島決戦は幻に終わった。
戦力の三分の一が抜かれて弱体化した第三二軍は、それまでの陣地と作戦のすべてを放棄し、沖縄本島南部での持久戦に転換した。そして住民も動員して新しい地下陣地の築城に専念した。本郷が満州への辞令を受けて沖縄を発つ時、ルソン島の陥落は決定的で、沖縄への来襲もまた決定的だった。驚いたことに、地下陣地はほとんど完成していた。
今回の異動についてあれこれと噂されているのを、本郷は知っていた。人事局勤務の経験がある自分からみても、敵軍上陸直前での第一線兵団長の異動は相当に異常である。後任の藤岡中将は着任後わずか二週間にして敵主力と戦闘開始した。そして、師団は玉砕し、師団長は自決し、沖縄は陥落した。
自分の異動には特別の理由があったとされているらしいが、思い当たるところはない。総司令部の作戦参謀から説明されたこともあるが、明瞭なものではなかった。そして、ここでの任務、第四四軍と第三方面軍の作戦も明確ではなく、明日、兵団長合同が行なわれる。
ふと、本郷はスコッチの瓶を見つめた。それは先日の客が陣中見舞いにくれたものである。陸士二四期の同期生だった。残念なことに、形見になったようだ。ふん。ならば、有り難くいただこうではないか。なみなみと注いだグラスを片手に、本郷は壁の地図を睨む。その目は血走っていた。




