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SR満州戦記1  作者: 異不丸
第二章 八月二日
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五 切言


国都新京、中央通


 ヤマトホテルの自室に戻ると、甘粕は寝室を覗いた。ちょうど、ユーリ医師が傷口の包帯を交換しているところだった。正子夫人が振り返るが何も言わない。甘粕はドアの側に立って眺める。

 ユーリは竹林の左胸に手を突っ込み、包帯を引きずり出してバケツに落とし込む。包帯は血や膿や引きちぎられた体組織でまだらに染まっていた。色は、濁った黄、赤、緑だ。脱脂綿で銃創の中を拭う。しばらくの間、内側を検分し、メスやハサミを振るう。再生の仕方が気に入らないのだろう。

 切り刻んだ結果に納得すると、消毒液で黄色に染まった新しい包帯を詰め込む。驚くほど多く、十メートルはあった。周りの皮膚を引っ張りながら、器用に縫い合わせる。はみ出ていた包帯はきちんと治まった。右手で軽く叩いて感触を確かめる。頷いて顔を上げるとマスクのまま、正子夫人に呟く。

「終わったよ」

「お疲れさま、あなた」


 甘粕は寝室を出て、ソファに座ると息をつく。すぐに着替えたユーリ医師が出て来た。勝手に冷蔵庫を開けてビールを出すと栓をこじ開け、瓶のまま煽る。喇叭呑みと云うやつだ。ユーリはこのところアメリカ映画にかぶれていて、酔うと滅茶苦茶な英語を喋りだす。その前に聞きださないといけない。

「先生。反応がないようだが、薬が効いているのか?」

「違う。麻酔も鎮痛剤も止めた。感じてないだけだ」

「それは、昏睡ではないのか?」

「それに近いが、刺激には反応がある。弱くて遅いが。足の先に軽く電気を通してみた。痙攣した。酸も垂らしてみた。収縮した」

「え」

 ユーリはテーブルに置かれた甘粕の煙草を取って火を点ける。英国産だ。うまそうに吸うと、自分のポケットに仕舞う。

「ゲネラル石井の薬のおかげで、殺菌はうまくいってる。炎症も抑えられた」

「そうか」

「心臓の位置だけではないな。この患者はいろいろと変わっている。白血球が少なく、抗毒素もうまくつくれないから、感染に弱い。とっくに結核か何かで死んでる筈だが、今まで生きて来れたのは、よほど日頃から気をつけているのだろう。治療費はいらないから、俺に引き取らせてくれ」

「それはだめだ」

「ふん」


 術後の処置を終えた正子夫人が出て来た。エプロンを替え、化粧も直している。良人と名を呼び合い、接吻を交わす。もちろん、甘粕は視線を外した。

「あなた、ちゃんと説明しないと」

「ああ。昏睡は患者の意思だ。代謝も落としている。彼は自分の意思で内臓や器官を制御している。分泌を調整することで不随意筋を動かしているのだ」

「先生。すまないが、理解できない」

「竹林さんは分泌物を出す感情を使い分けているのです。分泌によって不随意筋は収縮と弛緩を行ないます。自律神経ではなく、意思の力の結果ということになります。わかりますか」

「なんとなく」

 人は感情によって涙や汗、唾液などの分泌を、ある程度あやつれる。その分泌された汗や唾液が、別の器官の活動を誘発することがある。竹林はさらにホルモン、おそらく胃液や胆液の分泌もできる。人が眠ると代謝は落ちるが、竹林は逆に代謝を落とすことで睡眠を誘導している。他にも睡眠を誘う分泌も調整しているのだろう。それがユーリの見立てだった。

「患者はしばらく覚醒する気がない。それが最善だと知っているのだろう。私も賛成だ」

「止血措置は適切でした。竹林さんにはこういう場合の心得があるのです」


「つまり、忍法死んだふりだな」

 飯島満治が入って来た。さっきから話を聞いていたらしい。

「竹林も甘粕と同じ三重の中学から名古屋幼年学校だろう。伊賀に近いじゃないか」

「おい、飯島」

「ブラァチ、患者は伊賀忍者だぞ」

「オー、マンジ。そうか、忍者だったのか。『豪傑児雷也』の映画は見たぞ。あの大がまの油には蟾酥といって、抗毒素が含まれているんだ」

 ユーリは喜び、飲みかけのビール瓶を夫人に渡すと、ヴォトカをグラスに注ぐ。二人は乾杯し、正子夫人も一気に飲み干す。甘粕は慌てる。まだ話は終わっていない。

「待て、晃彦は自分の意思で昏睡しているのだな?」

「そうだ。起きるべき時になれば自分で覚醒する」

「いつだ。その起きるべき時は?」

「自分で決めた日数が過ぎた時、快方に向かった時。それに、養生どころではない異変が起きた時かな」

「日数は?」

「うむむ、一〇日ぐらいか」

「早くするにはどうすればいい」


 ユーリはグラスを置き、手の平で顔を拭った。

「患者は抗毒素以外にも血液の機能が低い。だから消毒殺菌しても、治りは遅い」

「しかし、ブラァチ。傷口に新しい肉が盛り上がってきているぞ」

「マンジ、よく見ていたな。あれがマサヒコの血の効果だ」

「え」

 そこで、ユーリはにやりとした。

「マサヒコの血が抗毒素やほかの養分を補ったのだ。毎日マサヒコの血を輸血すればいい。五日に縮まるだろう。ゲネラル秋草が持ってきた薬は今日で最後だ」

「いいだろう」


 甘粕は今夜も血を抜かれた。昨夜よりは量は少ないが、それでも二合だ。輸血を終えると、ユーリ医師は、低く英語で歌いながら帰っていった。またアメリカ映画を見るらしい。

「オボエテオクガイイ、タメイキハタダノタメイキナンダ」

 見送った飯島は、甘粕の肩を叩いて言う。

「魅入られたな、吸血鬼に」




 飯島満治はすっかり居座っていた。もう相当飲んだ筈だが、帰る気配はない。飯島は甘粕機関の参謀格だ。本間たちとは違って部下ではない。本人は顧問だと思っている。好き嫌いで仕事をして、気が乗らないと動かないときがあった。つまり、移り気なのだろう。それでも、甘粕は話を聞いてやるし、お代わりも作ってやる。

「貴様は同期に優しすぎる」

「そうか」

「むかし世話になったからと返しているのだろうが、恩とか義理は返すものではない。感謝して忘れなければいいのだ。逆に、与えたときは忘れることだ。世話をみるのと優しくするのは別だぞ」

「ああ、覚えておこう」

「とにかく、満州にいる同期生で貴様の世話にならなかった者はいない。頼るのはいい。だが、当てにしてはだめだ」

「当てとなんとかは向こうから外れると云うからな」

 珍しく甘粕が茶々を入れた。飯島はまじまじと顔を見つめる。


「ま、いい。本間に聞いてだいぶ理解できた。最優先はソ連軍侵攻で手当てはした。宇垣大将には電報を打った。だが、手をつけていない課題もある」

「ぼちぼちやるさ。竹林が目覚めてからが、本番だ」

「ふん。避難の件は半田が言い出したことだろうが、貴様が食いついたのは別の理由があると俺は考えている。本当はもっとでかいことを企んでいるんだろう?」

 甘粕は答えないし、顔色も変えない。

「いいさ、俺には反対する気はない。本題はこれからだ」

 甘粕は、まだあるのかという顔をした。

「何をするにせよ、関東軍を動かさないとはじまらない。こればかりは満州の夜の帝王、甘粕閣下でもままならない。大本営の命令抜きとなれば、同期生を使うのだろ」

「いけないのか。頼っていいと言ったのは貴様だ」

「こいつは参った。一本取られたな」

 そう言って、飯島はグラスをぐいと空けた。甘粕は代わりを作る。


 陸士二四期生は少尉任官からすでに三三年が経っている。ふつうに勤めていても大佐、陸大を出てれば少将か中将だ。主な者だけでも満州に二十人はいた。総参謀長の秦彦三郎のほか、軍司令官が二人、師団長が二人、旅団長が二人いる。彼らと通じれば、新京、東正面、西正面、北と、戦線を網羅できた。


「言っておくぞ。相手を難儀させないように、あらかじめ概要を知らせておこうなどとは考えるな。必要なその時、はじめて云うのだ。相手は断われない」

「そうなのか」

「向こうは現役だ、現役の兵団長や司令官だ。上級命令には従うしかない。貴様は刑余者ですと遠慮しているようで、実は開き直っている。命令に沿っていないと分かれば、相手は断わるか、虚言で逃げるしかない。だから、その時その時で頼むのだ。あらかじめ知らせれば断られるし、虚言を弄されたらたちが悪い。その場しのぎで頼むことだ。日頃から世話していれば、出来るだけの最大限をしてもらえる。それが人だ」

「驚いた。飯島がそこまで人を知っているとは」

「貴様と違って、俺は最初から憲兵だ。任務は崇高だが、動いている人間はくずしかいない。警官が人間のくずなら、憲兵は兵隊のくずだ。だから、人を知ろうと努めた。貴様よりは知っている」

「わかった、そうしよう」


「まだあるぞ」

 飯島はさらに続けるが、甘粕は神妙に頷く。

「秋草少将も言ったそうだが、秦に接触するのは今は止めておけ。それから本郷もだ」

「本郷はずっと戦地ばかりだ、接点はないだろう」

「だから、貴様は優しいというのだ。俺にとっては秦も本郷も人だ。同期生も何も違いはない。いいか、あいつは今回の人事を気にしている筈だ。ここで、参謀本部から着任したばかりの参謀中佐どのが『実はあの人事は』ともちかけて見ろ。いうことを聞く。信じないとしても心は動く」

 ちっ、と甘粕は舌打ちをした。陸大卒の高級士官の人事は、陸軍省人事局ではなく参謀本部で決まる。今の本郷なら信じるだろう。

「事実かどうかは関係ない。本人が気にしているところへ、さもありそうなことを吹聴する。少しでも傾けば、もう終わりだ。謀略はそうやると俺は教わったぞ。貴様も覚えがあるだろう」

 甘粕は、あからさまに嫌な顔をした。

「逆も同じだ。甘粕閣下に言われて来ましたと、それなりの地位の官吏が出れば、下の役人はそうですかと従う。そうだろう?」

「わかった。同期に会うときは、まず貴様に聞く」

「それでいい。明後日までには調べ上げる」

 飯島は満足してグラスを空けた。


「全部言ってしまたら腹が減った。飯を食いに行こう。寛城子に臓物を食わせる蒙古飯店があるんだ。骨も出す。あれは血を造るのにいい。これから毎日血を抜くんだろう。肝臓や生き血で補っておけ」

「外に出るのか。下で作らせればいい」

「莫迦を言うな。油脂や大蒜でひどく臭う。新京一の高級ホテルで出せるものか。頭に回る血も抜かれたのか」

「わかった、行く」

「よしよし、同期の言うことは聞くものだ」





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