田舎
ちょっとありがたかった話をみっつ書いてみました。
私が生まれた町は地方の県の県庁所在地からさらに鈍行列車で一時間はかかる田舎です。若い頃はこの町に住んでいるのが苦痛でした。汽車も一時間に一本。通勤時間帯は最近になって三十分に一本と改善されたようですが、昼間の人がいない時間帯は二、三時間汽車が来ないことも当たり前でした。学校が早く終わっても家に帰る汽車がないのです。
そんな田舎町でしたから、町を行く人の顔はほとんど顔見知りの知り合いです。今は人口も増えて知らない人ばかりになっていますが、昭和の頃には自分が何かしでかすと、そこいら中の人たちがその事を知っているという環境でした。これが若い時には息苦しかった。歩いていても「木星ちゃん、今日は何処へ行くん?傘は持って行かんでいいのか?天気予報で雨が降る言よーたで。」ですよ。レレ〇のおじさんよりすごいでしょ。
長男で跡取りの主人と結婚したのも、女二人の長女で跡取りと言われ、子どもの頃から近所付き合いをやらされた反動だったのかもしれません。余程、家を出たかったんでしょうね。今住んでいる所は、実家よりは車で30分は都会?方向に走ったところです。
家を出たくてたまらなかった私ですが、歳を取ると田舎の良さがわかるようになりました。
8年程前のことでしょうか、同窓会の後、お酒を飲んだので電車で帰ろうとした時のことです。夜遅くなり電車の本数が少なくなっていたので、同じ方向へ帰る友達と二人で走っていました。
「ヤバい、間に合わんかも。」と駅に走り込んだ私たちを「気を付けて乗れーよー。」と電車の運転手さんが時間が過ぎているのに発車させずに待っていてくれたのです。
これを逃すと家に帰れなくなるところでした。ありがたやありがたや。
こういうことって、都会では少ないでしょうね。
子どもが小さい頃にもこんなことがありました。
うちの父親が同好会の皆と一緒に、公民館で写真の展覧会をした時のことです。あれは長女だったかな?公民館の中が温かすぎて、外に出た途端に娘が鼻血を出したのです。他所行きの服を着せていたので、頭を前にかがませて、片手で鼻血を手のひらに受けながら、もう片方の手でティッシュを探してカバンの中をかき回していました。
すると、通りかかりの知らないおばさんが「これを使われー。」と持っていたティッシュを全部、渡してくれたのです。
あの時は助かりました。おばさん、ありがとう。
母が去年膝を痛めて立てなくなっていた時にも、近所中の人たちがご飯を持って来てくれていて、介護に行ってみてびっくりしました。これもうちの周りでは最近なくなってきたことです。実家のある町にはまだそういう助け合いの精神が生きているのです。
この話は山之上舞花さんの「舞子の入院騒動記 またの名を入院の恥はかき捨て ~別名 昔の知っている人に会ったらご注意を!~」を読んでいて思い出しました。
自分が今までやってきただけのことが、助けの手となって返って来るんでしょうね。
そんな小さな嬉しいの出来事を、これからもちょこちょこ書いていきます。
自分が嬉しかったら、他人にもなにか嬉しいことをお返ししたいですね。
読んでくださって、ありがとうございます。