ある少女の回顧
私こと深月、いえフォルナシア・キュプラ・ルークレンは人魚の父と触手を持つ人型の母の間に生まれたわ。
私が生まれてから父は患っていた病で亡くなり、幼くして私は母との二人暮らしをすることになった。
そんな時に、私達に声をかけてくれた人が居た。それが、私の叔父であるゼルパーダ・エルゼ・ルークレン。
彼の提案により、私達は間もなく彼の家で過ごすことになった。
その時の事ははっきりと憶えている。最初の頃はとても楽しく、幸せだった。
だけど、その幸せも長くは持たなかった。
幸せが崩れ去ったのは、ある日の夜の事だった。
中々眠れず、姿の見えない母を呼びに暗い廊下を歩いていると、一つだけ、開いた扉から光が差し込む部屋があった。
母か、もしくは叔父が居るのだろうと扉を開けて中に入ろうとするも、私の動きは部屋の前で止まった。
部屋の中の光景があまりにも信じられなかったからだ。
巨体を持つ叔父が、その太い腕で母の首を締め上げていた。衝撃的な光景のあまり、私は部屋の前で立ちすくむも、その目は逸らす事が出来ない。
既に弱っているだろう母と目が合う。母は震える口を微かに動かした。声は聞こえなかったが、口の動きからして私に「ごめんね」と告げたのだろう。
「お母様!」
私は咄嗟に叫び、扉を開け放つ。叔父が驚いて母から手を離した隙に、力なく倒れ込んだ母の元へ寄る。
母は既に力尽きていた。鼓動の無い、冷たくなるその体がそれを物語っている。
もう少し気づくのが早ければ。叔父から引き離して、二人だけで何処か遠い場所へ逃げ出す事が出来ただろう。
母を助けられなかった後悔と、叔父に対する憎悪がない交ぜになる。無意識のうちに涙ぐむ目で、叔父を睨む。
「何故、なぜお母様は死ななければならなかったのですか!」
叔父に対し、母を殺した理由を問う。例えどんなに正当な理由があろうとも、その時の私に叔父を許すつもりは無かった。
叔父は少し間を空けてから理由を答えた。
「君を幸せにする為だよ。良いかい、幸せになる為には富を築き上げる必要がある。その富を得るために、人間たちと友好な関係を結ぶことが手っ取り早いと考えたんだ。ところがその女はそれに反対した。だからその女を殺したんだよ」
「反対しただけで殺したのですか…?なぜ!?」
「君を高尚な人間の、謂わば貴族の家に嫁がせようと考えていてね。それをその女に打ち明けたらこの有様さ。人間に君の事を大事に出来る訳が無い、君の幸せを勝手に決めるな、と言われたよ」
私が母の立場なら、恐らく、似通った事を言っただろう。例えそれが叔父の不興を買うことになったとしても。
私達は人間を知らなすぎる。人間の社会で強い立場に居るからといって、その者が亜人と呼ばれる存在、ましてや私のような"異端"を正しく理解し、快く受け入れてくれる程、善人であるとは限らない。
私の幸せの為に叔父は動いてくれていたようだが、嫁ぎ先で不幸になるような事があっては破綻してしまう。
確実な方法で幸せを勝ち取るには、もう少し慎重に行動するべきだったのだ。
――恐らく、私の幸せを得る為というのは建前で、本当は自分が強い立場でありたかっただけなのだ。私という存在は、彼が地位を築き上げる為の道具でしかなかった。
思えば、生前父より幾度か叔父についての話を聞いた事がある。私がこの時より幼かった頃、私と叔父を会わせた事があったが、その時の彼の目に気味の悪さを感じて、それ以来出来る限り会わせる事を控えるようにしたという。
父が他界した時、叔父より同居の話を持ちかけられたその時に、それを思い出せていれば。少なくともこんな事で母が命を落とすことは無かったのかも。
最早、こんな家には居られない。こんな生活を続けていては、私は間違いなく壊れてしまう。壊されてしまう。
父を失い、母をも失った私は、迷わず一つの決断を下した。
「これ程頭にきたのは初めてだよ。私は君が幸せになる事が一番だと考え――」
「もう、いいです。こんな簡単に私から大切なものを奪う人の家には居られません。短い間ですが、お世話になりました」
「ま、待ってくれ、フォルナシア、僕は君の――」
その声色から焦りが見えていたが、私は気にせず扉を強く閉めて遮る。
最後に残ったのは私の部屋にある、私が居た痕跡と、誕生日に父と母から貰った星型の頭飾りだけ。
緊急である以上、母の遺体を持ち去る事すら出来なかったのが心残りだが、涙を溢れさせる悔しさと共に私は暗い森の中を進んでいった。
"家族"としての彼との繋がりは此処で終わり。だけど、彼を語るにはまだ伝える事があるの。
◇◆◇
叔父の家を出て、私の生活は一変した。
人気の無い、寝泊まりの出来る場所と、私の活動源である水たまりを探して彷徨う毎日。
体が泥や砂埃まみれになる事が当たり前となり、私を狙う野盗や、狩人の相手をしては精神をすり減らしていた。
動く度に体が痛みを訴え、暗い気持ちで体を休ませる日もあり、こんな事が私の望む生き方なのか、と問うこともあった。
だけど、その度に、叔父の言いなりになって、不安に苛まれる生活より勝っているほうだと、自分に言い聞かせて自分を納得させる。
それに、自分で選んだ生き方だと考えれば、少しだけ充実感もあった。
寝泊まりが出来る場所と水たまりを探す度に、地理に詳しくなる。野盗達の襲撃に備えて、自分の身を守るためにはどうすれば良いか、戦闘時にはどのように立ち向かうべきかを自主的に考えられる。
体が痛むなら、治りを良くする為にはどのような方法が効果的か、また、痛む頻度を抑える為にどのように活動すれば良いのか、試しつつその効果を知ることが出来る。
知識が増えていく事に限れば、悪くない生活だった。最も、母も父も失い、叔父の家を出ていった上での生活なので、それを踏まえる度に複雑な気持ちになったけれども。
もう数える事すら億劫になるくらい日が経った後、私の生活に更に変化が起きた。
「なんだこいつ…!つ、強え!」
「逃げるぞ!撤退だ!」
いつものように野盗を撃退した後、一息吐いてから私は一時的に拠点としている洞穴へ戻ろうとしていた。
ある程度進んでから、私は視線を感じ取った。野盗や狩人ならば、敵意や害意混じりの視線になる筈だが、その時感じた視線にそれは無かった。
当時の私にはそれが気がかりだったけれど、敵意を隠す事の上手な野盗や狩人の可能性もあるし、あるいは全く関係の無い存在だという可能性もある。
どちらであれ、拠点の在り処を悟られる訳にはいかないと思い、私はその視線の主を撒くように、腰より下の液面に飛び込んだ。
次に私が顔を出したのは、丁度拠点である洞穴の内部だった。
ここまで来れば安心だと思っていたけれど、直後に違和感に気がついた。
先程までの視線をまだ感じている。それが意味する事は、視線の主は正確に私の事を追跡出来ていたという事だった。
あり得ない。あり得るはずが無い。動揺のあまり判断に迷った私は、とにかく洞穴の暗さを活かして姿を隠すことにした。
洞穴に微かに足音が聞こえてくる。恐らく入り口の方に何者かが居るのだろう。
足音が大きくなるのを聞いて、洞穴に入ってきたのを把握する。
緊張のあまり鼓動が早まってくるのを感じつつ、私は暗がりで待っていた。手には水で作り上げる槍を持たせつつ。
暗がりの中で、微かな物影が動くのを見て、私は飛び出すと共に、槍をその物影へ突き刺そうとした。
「わわっ、待って!」
その声を聞いて、私は槍を持つ手を止める。暗がりの中で、その物影が慌てている様子を確認できた。
どうやら、物影の正体は少年らしい。今まで出会った人間たちとはまた違う容姿と、敵意を感じない様子から、敵では無いのだと理解できた。
槍を元の水に戻すと、少年は安堵した。
「ごめんよ、驚かすつもりは無かったんだ」
「貴方は野盗や狩人の類ではないようね。私に何の用?」
「さっき、人間たちを追い払ってる姿を見たんだ。強いね、お姉ちゃん」
この生活を始めてから一度も褒められる事の無かった私の実力が褒められて、少しだけ戸惑ったわ。
それから、私の返事を待つことなく少年は続けた。
「そんなお姉ちゃんの強さを見込んで、お願いがあるんだ。僕を、少しの間だけで良いから、匿ってほしい」
両手を合わせて頼み込む。頼み事なんてされた事も無かったから、それにも戸惑った。
判断に迷った私は、少年の事情を尋ねてみることにする。
「匿ってほしい理由を教えて」
「僕は弱いから、さっきみたいな人間たちに襲われると逃げるしかないんだ。足の速さには自信があるけど、それもいつまで続けられるか分からない。剥ぎ取られて死ぬなんて、僕はごめんだ」
その理由は私が野盗達に襲われる理由と似ていた。私もこの"異端"の体を持つ故に、部位の希少価値に目をつけられて襲撃されている。
希少性故に生かしておくべきかどうかなんて考えない。一時の稼ぎで懐が潤えばそれで良い。私が対峙しているのはそのような連中だった。
彼もまた、彼の希少価値に目をつけられて、襲われているのだろう。
「お姉ちゃんの戦う姿を見て、僕は思ったんだ。その姿を真似すれば、きっと僕も人間たちを追い払えるって。だから、戦い方を教えて。短い時間で身につけるから」
思えば、私も最初の内は非力なものだった。能力の存在は父と母に聞かされていたけれど、使った事はあまり無かったのだから。
上達するまでに何度怪我をした事か。人間たちの動きや武器の使い方を真似して、時にはそれに対策を講じて。そうして一人前の戦い方が出来るようになった。
彼はとても私に似ていた。きっと彼なら私よりも上手く出来るだろう。それこそ宣言通り短い時間で身につけるはずだ。
「分かった。教えてあげる」
「ありがとうお姉ちゃん!」
快諾したとはいえ、その時の私には疑問があった。この少年の話した内容は正確なものなのか、と。
嘘を吐いている可能性もあり得るし、先程の野盗かその類の者たちの仲間である可能性もある。
だけど、その時の私はこうも考えていた。
容易く私の信用を裏切るのなら切り捨ててしまえばいい、と。
それから、私は彼――名をフィンという少年に戦い方を教え始めた。
拠点となる洞穴の場所を定期的に変え、また戦い方を教えるのは必ず拠点から少し離れて、開けた場所で行った。
理由としては私たちの追跡をさせないのと、奇襲に備える為だった。
彼に戦い方を教えている間、私は彼に幾度も驚かされた。
彼に最初に会った際、洞穴の暗さで分からなかったけれど、彼はいわば、蜥蜴のような人型だった。
四肢に鱗があり、変形した両足に太く長い尻尾を持つ、青の少々混じった白色の肌を持つ少年。それが私が見た彼の姿だった。
また、少々変わった模様を肌に持ち、それが何かと聞いてみれば、雪の模様だと彼は答えた。
驚かされたのは彼の容姿だけではない。彼の能力とその汎用性にも驚いた。
彼はいわゆる氷を操る能力を持ち、また、水を氷に変化させる能力も持っていた。
鍛錬を始めた頃は発生する範囲を広げるように氷を生成していたが、能力の使い方を工夫してみれば、細い糸のような氷を作り出すことさえ可能なのかもしれない、と思えていた。
それほどの能力を持っているのにも関わらず、彼は私の指示に従い、むしろ私の手助けさえしてみせた。
献身的に振る舞う彼の姿を見て、私は少しずつ彼に安心感を抱くようになっていた。
彼の鍛錬が始まってある程度の月日が経った後。彼は時に私と戦い、時に私たちを狙う者たちと戦う事で、彼は順調に成長していた。
そんなある日、
「お姉ちゃん、危ない!」
私が敵の攻撃を対処しきれず、彼が割って入った事で、彼が負傷した。
その戦いは直ちに私が終わらせた事で、彼はそれ以上の深手を負うことは無かった。
拠点に戻り、彼の負った傷の手当をする。
「ごめんなさい…私がしっかりしていれば」
「お姉ちゃんのせいじゃないよ!僕が望んでやったことだから、これぐらい平気だよ!」
自分を責める私に対し、彼は励まそうとする。
だけど、その時の私には、彼に申し訳ない気持ちばかりが募っていた。
「そんな事より、お姉ちゃんは大丈夫?どこも怪我してないよね?」
彼は自分の負傷など気にしない様子で私の体に傷が無いかを確認する。
痛みに少し顔を歪めるも、私が無事だと知ると、彼は安堵する。そんな姿を見て、私は困惑した。
「どうして?…どうして、私のことばかり気にするの?」
「…お姉ちゃんが、僕の事を信じて、僕を鍛えてくれたからだよ。僕を受け入れてくれた時、本当に嬉しかったんだ」
彼の目が私をじっと見つめる。淡い青色をしたその目は、より透き通って見えていた。
「お姉ちゃんのおかげで、僕はここまで強くなれた。お礼がしたいけれど、どうすれば良いか分からなくて。だから、せめてお姉ちゃんのことを守ろうと思ったんだ。…でもこれだけじゃまだ足りない。僕に命令して。僕は、お姉ちゃんだけのものになるから」
彼は体を起こして、固まる私へと迫る。少しだけ、彼が怖いとすら思えたが、吐き出しそうになった言葉をぐっと堪える。
そして、彼の両肩を掴み、私は頭を落ち着かせた。
「…それはだめ。貴方には、そうなって欲しくない」
その時、フィンが哀しむ様子で私の顔を伺っているのを感じた。
私は冷静に、言葉を紡ぐ。
「この長い間を経て、貴方のことは実の弟のように思うようになった。貴方が私の為になろうと、頑張ってくれていたのは分かってる。だからこそ、なのよ。貴方には操り人形のようになってほしくない。…これからも、貴方の意思で行動しなさい」
私に対する異常なまでの執着。その点だけは叔父と似通っている。
だけど、似ているのはそれだけ、私のことを守ろうとしていることが痛いほど伝わってくる。
戦い方の手解きを受けて抱いた、彼の私に対する尊敬の気持ちが、いつしか異常なまでの愛情に変わっていってしまったのだろう。
彼の心が問題ではない。気づかなかった私のせいだ。だから、手遅れになってしまう前に決着をつける必要がある。
「僕の意思…僕はお姉ちゃんが好きだ……だから、お姉ちゃんの為なら何でもしようと…」
「私も、貴方が好きよ。私への愛も、十分伝わった。その上で、自分のことを大切にして。無理もあまりしないで。貴方が私の力になってくれているように、私も貴方の力になるから」
肩を掴んでいた手を彼の背に寄せて、そのままゆっくりと抱きしめる。彼の体は冷えるがそんなことは些細なことだ。
それから少しして、彼が安堵したような、そんな気がした。
「…分かったよ、お姉ちゃん。これからも、僕は僕でいる。僕の意思で、お姉ちゃんの力になるよ」
見ると、フィンは笑顔を浮かべていた。私も微笑みで返してみせる。
「大好きだ、お姉ちゃん」
「私もよ、フィン…」
その日の夜はとても穏やかなものだった。
きっと、これからはより充実した生活になる。確かでは無いけれど、そんな気がした。
いつしか別れもやってくるだろう。でも、今だけはそれを考えなくても大丈夫。
――だけど、別れる時がこんなに早く来るなんて、思いもしなかった。
◇◆◇
フィンの抱く愛情とに決着を付け、傷を癒やしてから数日が経過した頃のこと。
拠点の場所を切り立った山肌の付近に移し、拠点周りの守りを整え、いつものように行っていた鍛錬の帰り道。私は拠点周りの違和感に気づいた。
何者かが侵入したであろう明らかな痕跡が残っている。嫌な予感がして私は確認をする。
拠点にも、侵入した痕跡がある。罠が作動した痕跡だけは無く、罠は使用出来ないものにされていた。恐らく、作動する前に何者かの手で破壊されてしまったのだろう。
「フィン、拠点を移しましょう。…ここはもう危ない」
「そうだね。罠が全て壊されてる。多分相手は念入りにここを調べてるよ」
最低限の荷物をまとめて、私たちは拠点を後にする。
だけど、この時点で気づくべきだった。今までの襲撃者たちと比べて、今回の出来事は、あまりにも入念だった。
そこまでして私たちが、いや私がいることを知りたかった人物はただ一人いる。その人物は――
「何処へ行こうと言うのだい?せっかく迎えに来たと言うのに」
聞き覚えのある声を聞いて、私は振り返る。そこにいたのは、記憶の底に沈め、忘れ去ろうとした人物。
――ゼルパーダだった。彼は、人間寄りの正装に身を包んでいる。
「久しぶりだね、フォルナシア。…元気そうで何よりだ」
私の髪の触手が少し逆立った。きっとそれは危険信号だったのだろう。
早く行動しなければ。そう思っても、体は自由に動いてくれなかった。
「…見慣れない顔が居るね。君のお友達かい?」
ゼルパーダは、微笑みを浮かべて歩み寄る。
体や呼吸が落ち着かなくなる。きっと、彼は私を抱擁するつもりでいる。それを許してしまえば、今度は逃げられない。
母が死んだ光景がよぎる。あの時の恐怖が、私を支配し、彼が歩み寄るのをただ見つめることしか出来なかった。
そんな時、私の肩にフィンの手が触れた。フィンは私に近づき、そっと耳打ちする。
「(大丈夫。僕もいるよ)」
その言葉を聞いて、私の体が軽くなったような気がした。
そうだ。怯えてばかりではいられない。こちらもいつかは決着をつけなければならないものだ。
固まっていた体を奮い立たせる。いつしか私は堂々と、向こうから近づいてくるのを待っていた。
ある程度近づいたゼルパーダは、私の予想通り、抱擁しようとその手を背中へ伸ばそうとする。
私はそれを軽く払い除けた。明らかな拒絶に彼は少し顔をしかめた。
「言ったはずでしょう。私は私から大切なものを奪う人の家には居られない、と」
「そんなことを言ったって、君には何の後ろ盾も無いじゃないか。こんな生活を続けていれば、何時か君は命を落とすことになる。人間に嫁げば、君の地位は確実なものになるんだ」
「それで私が幸せになる保証があるのですか?…私が嫁げば安全な生活を送れると、言い切れるのですか?」
「…大丈夫だ。君は賢いから、人間と上手くやっていける。何なら、僕が君を守る。約束するよ」
歯切れが悪い。それはつまり、そうなる保証なんて無いに等しいと言っているようなもの。
もしそんな生活を受け入れたとして、選択を間違えれば、私の立場というものは今よりも酷いものになる。そんなことは、叔父の方が分かっているはずなのに。
保証の無い、不確かな幸せを求める生活を送るぐらいなら、自分で自分の身を守る今の生活の方が良い。
「例え私が酷い仕打ちを受けたとしても。貴方は私を守ってくれると言うのですか?」
「…私の選んだ人間は皆良い人たちだ。君にそんなことはしないよ」
「本当に、そうだと言い切れるのですか?貴方はその人たちの何を知っているのですか?」
「……」
言葉に詰まる。私は杜撰な計画に巻き込まれ、実の母を失うことになったのだと思うと、虚無感を覚えた。
あの時抱いた、部屋に居た痕跡と星飾りしか残っていないと言うのは、あながち間違いでも無かったのだと気付かされた。
最早、こんな男の顔も見たくない。私はフィンに顔を向けると、彼の頭を撫でた。
「…弟が出来たんです。私の言うことをよく聞く。私の為に何が出来るかを考える。私のことを守ろうとする。とても良く出来た弟が」
褒められたフィンの顔はとても嬉しそうなものだった。私は撫でる手を止めずに静かに続ける。
「だけど、この子を言いなりにはしたくない。私もまた、この子の為に何が出来るかを考えています。そんな毎日を送る生活は、充実して、とても幸せなもの。それを手放すくらいなら、私たちはここから去ります。では、さようなら」
頭を撫でていた手を彼の背中に寄せ、私は立ち去ろうとする。
「…待ってくれ。何なら、その少年も連れて行って構わない」
諦めの悪い男の声を聞いて、私は呆れながら振り返る。
「…説得出来ないのは薄々分かっているはず。私はもう、貴方の顔を見たくありません」
「どうしても、僕の言うことに従ってくれないのか…フォルナシア……」
ゼルパーダの声色に違和感を覚え、私たちは警戒する。
すると、地を這うような姿だったゼルパーダは急に立ち上がった。
「フォルナシアァ!!」
私の名を叫ぶと共に、彼の背後から謎の人型が複数、姿を表した。
夕焼けの景色でもよく分かる、黒い謎の存在。その者たちは各々の得物を構えていた。
「私の言うことを聞かない、悪い子には痛い目にあってもらうよ……!」
まるで子供のようなわがままに、また、この場合のみ用意周到な目の前の男に私は呆れつつ構える。
フィンにも構えるよう目で促し、私たちは臨戦態勢に入った。
恐らく、逃げながら戦ったところで、あの執念深い男は追ってくるだろう。それならば、先に戦力であろう黒い者たちを排除した方が良いだろう。
しかし、倒せるなんて保証は無い。もしかしなくても、あの者たちは実力者なのかもしれない。
だけど、その時の私たちに、戦わずして逃げたり、ましてやゼルパーダに服従したりするという選択肢は無かった。きっと、今でもそうしたでしょう。
「お姉ちゃん、鍛錬の成果を見せる時が来たようだね」
フィンの何気ない一言に私はうなずいた。それから間もなく、黒い人型たちは一斉に飛び出した。
得物を突き出した突進をかわし、反撃の一撃を食らわせる。その一撃で、私たちに迫った人型は消滅した。
ゼルパーダの方を見ると、先程と同じような人型が既に得物を構えている。先程倒した人型が戻ってきたのだろうか、と疑問に思いつつ第2波も対処してみせた。
第2波は先程と異なり、役割を分担しながら私たちに迫ったが、迎撃もしくは反撃で容易く倒せるものだった。それを見て、私は自信を持つ。恐らく、フィンもそうだっただろう。
第2波を全滅させ、ゼルパーダの方を見ると、やはりと言うべきか、既に人型が待機していた。
ここで、疑問の答えが浮かび上がる。人型は倒された瞬間にゼルパーダの方へ戻っていたのではなく、単純に数を増やしていた。
第1波や第2波と比べて、大きさのほとんど変わらない人型の数が明らかに増えている。これなら、倒された人型が戻ってきたのではなく、数を増やした別の人型が襲撃していると考えれば辻褄が合う。
第3波も第2波と実力がほとんど変わらず、難なく対処することが出来た。しかし、ゼルパーダの周りから出現する黒い人型たちの攻撃が終わる気配は無かった。
第6波、第7波と続いていき、少しずつ消耗していく。それでも、黒い人型は数を増やしての襲撃を止めない。
それどころか、徐々に実力をつけ始めていた。恐らく、先の人型の戦いから、学習してきているのだろう。
襲撃が続けば続くほど、黒い人型は手強くなり、私たちは消耗する。数が増えれば増えるほど、ゼルパーダとの距離は遠のいていく。
第4波が終わった頃にフィンが一度ゼルパーダを攻撃しようとしたが、即座に現れた黒い人型がそれを阻止している。
恐らく、ゼルパーダが本体と見て良いのだろう。気づいたのは良いが、攻めが弱く守りが強い黒い人型の性質がそれをさせなかった。
「お姉ちゃん…このままだと僕たちが不利だ……逃げよう」
明らかな敵意を持つ人間たちが乱入してこないとも限らない。このまま黒い人型と戦い、より消耗すれば、今後の対処も難しくなる。
せめて一撃でもゼルパーダに与える事が出来れば…そう考えて私は決断した。
「そうね。この一撃に賭けましょう。フィン、援護を頼める?」
フィンに対しそう言うと、フィンは微笑みを浮かべた。
「任せてよ」
詳細は伝えてないが、彼に私の意図が伝わったらしく、彼は即座に行動を開始した。
出現する途中の第8波の黒い人型に彼は素早く接近すると、その人型へ氷の棘を射出する。
棘は人型へと容易く突き刺さり、人型を氷漬けにする。そして、その氷が地面へ伝播し、周囲の人型も氷漬けにする。
それはすなわち、彼の周囲を凍てつかせ、人型の出現をせき止める事になる。更に彼の足も氷漬けにして、身動きを封じる。
そして、私はフィンの行動中に巨大な水の槍を生成する。槍を握り、迷わず目標へと投擲した。
これが決まれば、ゼルパーダに負傷させた上で私たちは逃げる事が出来る。次に見る光景が、予想通りのものになるよう、凝視しながら祈る。
しかし、身動きが取れないはずのゼルパーダの背後より迫る人影が見えて――
――瞬間、新たな黒の人型が現れ、水の槍を弾き、あらぬ方向へ飛んでいく。
確実と思えた攻撃は、容易く防がれてしまった。乱入者の手によって。
品が無い服装に身を包んだ人間たちが姿を現す。見ると、私たちの背後にも包囲の手が回っていた。
「今日はとてもついてるぜ!野郎ども、かかれ!」
野盗たちの親分らしき、無精髭を生やした男の号令で、野盗たちが一斉に迫る。
私たちが対処しようとした途端、悲鳴が1つ上がった。
それは私たちが野盗を迎え撃つ前に1つ、また1つと上がる。乱入者の登場で、恐るべき事態が起きた。
黒い人型が攻撃と消滅、そして出現を繰り返し、より強い個体となっている。聞こえてくる悲鳴はその人型に攻撃された野盗のものだろう。
しかし、黒い人型が突如として出現した事態の説明がつかない。何か原因があるはずだが、ゼルパーダの周囲からは発生することが出来ないはずなので、原因が思いつかない。
難問の答えを考えているうちに野盗たちは迫ってくる。私たちは自身の持つ能力で迎え撃った。
武器を落とさせ、あるいは破壊するか野盗を気絶させるなどして命までは取らなかった。だけど、すぐさま追い打ちをかけに来た黒い人型が止めを刺した。
恐らく、既にゼルパーダ側の野盗が全滅したのだろう。見るまでもなく凄惨な光景が目に浮かぶ。
手に持っていた得物が引き抜かれると、直ちに私たちへ襲いかかったので、反撃で消滅させる。それでも、黒い人型は確実に数を増やし、野盗を全滅させていた。
「とんだ邪魔が入ったねえ。ところで、そこの君、僕なりのお返しをさせてもらおう」
すると、黒の人型たちが一斉にフィンに向き直り、彼の元へ迫った。
人型の数を減らそうと私たちは攻撃するも、迫る人型の数は減らない。
そこでフィンはその特徴的な足を振り回す軽快な動きと共に、薄氷のような球体を自分の周囲に発生させる。恐らく、能力の行使をしたのだろう。
球体の表面より氷の棘が複数本発生したかと思うと、氷の棘は一斉に黒い人型へと放たれた。
黒い人型には対処できない速さで棘は一斉に突き刺さり、人型たちを消滅させる。
それでも、黒い人型の数を減らしただけで、危機はまだ続いていた。
黒い人型は着実にフィンを追い詰めていく。私も黒い人型の数を減らそうと努力したけれど、結果を言えば無駄なものだった。
数を減らせど本体であるゼルパーダを倒さない限りは黒い人型の動きを止めることは出来ない。しかし、黒い人型たちがそれをさせようとしない。
長期戦になってしまったことと、乱入者を許したことが仇となり、次第に私たちは追い詰められる。
最早、私へ向かってくる黒い人型の対処に手一杯となり、傷つきつつも黒い人型たちを消滅させると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
フィンが青い血溜まりの上で倒れており、彼の体には無数の刺し傷が残っていた。
急いで駆け寄る。が、彼に動く気配は無く、涙が粒となってこぼれ落ちる。
「何をそんなに悲しむことがある?言ったじゃないか、痛い目にあってもらう、と。もう彼は助からない。許しを乞うなら、彼みたいな目にはあわせないよ。…どうだい?」
軽快な口調でそんなことを言うゼルパーダに対し、目の前で倒れているフィンに対する悲しみの他に、どす黒い感情が浮かび上がった。
ただ、単純に彼のことが許せないという心。怒りと呼ぶには温い気がする何か―――。
流す涙がより一層熱いものに感じた。考えるより早く、行動に移っていた。
ゼルパーダに対し手を向ける。その手は降参の合図などでは無く、巨大なものを導く手。
よくは覚えていない。気づいた頃にそれは私の視界を水で包み、数多の黒の人型を呑み込み、ゼルパーダすらも倒れさせた。
何が起きたのか。腕が濡れていたのを見て、全身も水浸しになっていると何故か確信出来た。
状況が分からないまま、ゼルパーダは言葉と呼べない絶叫を上げ、倒れていたはずのフィンが背後から飛び出した。
黒い人型が多数出現し、思考が追いつかないうちに私はフィンの援護の為に水の刃を発生させ飛ばした。
当然、黒い人型がそれを弾く。だけど、それを読んでいたのか、フィンが弾かれた水の刃の軌道上に現れ、水の刃を凍らせて弾き飛ばす。
想定外か、もしくは近かった為か、対処が遅れたゼルパーダの右目に、それは命中する。またしてもゼルパーダは絶叫する。
思考が追いついたのはその頃だ。見ると、黒い人型たちが怯んだ隙に傷だらけのフィンがゼルパーダの服を掴んでいた。
対してゼルパーダは右目の辺りを抑えて軽く仰け反っている。そして、その背後には崖があった。
何が起こるのか想像できる。私は慌ててフィンを呼び止めようとしたが、それより先にフィンが叫んだ。
「お姉ちゃん。…お姉ちゃんとこいつが話してて分かったんだ。こいつは、お姉ちゃんを不幸にする。それに、僕はもうだめみたいだ。だから、死ぬ前にこいつに止めをさす」
黒い人型はフィンを見るも動かない。恐らく、ゼルパーダの指示が無い限り、動くことが出来ないのだろう。
これを逃せば、ゼルパーダは直ちにフィンを殺すだろう。だけど、その時の私にフィンを犠牲にするという決断は出来なかった。
私が迷っている間に時間は過ぎていく。もう少しすれば、右目を抑えているゼルパーダは動き出すだろう。
「お姉ちゃん。短い間だったけど、僕は幸せだったよ。…本当にありがとう。……さようなら」
ゼルパーダの体がフィンと共に倒れていく。恐らく、フィンが押したのだろう。そして、彼らは崖の下に消えた。
それと共に、黒い人型は一斉に消滅した。恐る恐る崖を覗き込んで見たけれど、彼らの姿はもうそこには無かった。
何と言えば良いのだろう。私はただ、その現実に涙を流していた。どれだけ泣いても、叫んでも。フィンが帰ってきてくれる訳では無いと言うのに。
それから間もなくして、私は深界さんたちと出会った。
フォルナシアという名前を捨てたのも、丁度その頃だったわ。