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魔の宴  作者: Gno00
紅い棘と蒼い花
8/39

穿つ紅:後編

 月明かりに照らされた草原は、吹く風に靡いている。

 雑草を踏み荒らす事無く、紅い少女は体を浮かせつつ通り過ぎようとしていた。

 その背後より、ついて来た深界の下僕である人形2体が、建造物の出入り口より姿を現す。


『寒くはねえか、スカーレット』


 既に戦装束へと姿を整えたスカーレットは寒さを感じてはいなかったので、首を横に振る。

 それに安堵した琥珀状の物体は、話を変える。


『結界、ってもんはもう発動してんだろうな。後は深界さんがおびき出すだろう相手を倒しにいきゃいいんだな』


 再確認する形の彼の言葉にスカーレットは相槌を打つ。

 義姉たる深月の命運がかかっている以上、絶対に失敗できない。


『緊張してきたか』


 スカーレットは、自身に何か重たいものがのしかかるのを感じていた。

 何とも言えないそれに対し、彼が正体を見抜いたことで、彼女はようやくそれを理解した。

 一人じゃないのを改めて実感し、彼女は首肯する。


『あの時を思い出せ、スカーレット。俺と一緒にあのくそみてえな場所から脱出しようとした時の事だ』


 琥珀状の物体の言葉に彼女はある光景を思い出し、体が震え上がった。


『あの時みたいな失敗はしない。そうだろ?』


 体の震えはその時に抱いた恐怖だけでなく、彼への罪悪感も含んでいる。スカーレットは二度頷いた。


『だったら、俺たちの持てる力を惜しみなく出すまでだ。俺たちの役目はそれでいい』


 宥めるようなその言葉に、スカーレットは徐々に落ち着きを取り戻した。

 そして、自分のやるべき事を定める。


『俺は恩返しされる程の事はやってない、って前に言ったじゃねえか。俺はお前が後ろめたさを感じる程の事もやってねえよ。――俺はお前を恨んじゃいない』


 罪悪感を抱く必要は無い――そういう意味を込めた言葉に、スカーレットは少しだけ救われた気がした。

 勇気を出して、スカーレットは崖の下へと飛び込んだ。


『中々大胆な事をするな。ようやく俺の使い方ってもんが分かってきたんじゃねえのか』


 琥珀状の物体の言葉に、スカーレットは何も答えない。

 だが、彼女は何も考えずに飛び降りる程、無謀では無かった。


『期待にはしっかり答えてやらないとな』


 彼は心なしか嬉しそうにそう言うと、戦装束の裾が横へ伸びていく。

 空気を孕んで弧を描くように曲がったそれはやがて、対の翼へと姿を変えた。

 まさしく竜翼と呼ぶべきか。竜翼は羽ばたき始め、スカーレットの勢いを弱めていく。

 スカーレットが高台の麓へ降り立つ頃には、竜翼は元の裾へと戻った。

 それから少しして、2体の人形も降り立ってきた。


『お前がその姿になると、俺の調子もすこぶる良くなる。いずれ俺の身体を完璧に再現出来るようになるかもな』


 スカーレットは自身の武器である長物を生成する。それから、遠方で強い光を確認する。

 恐らく光の正体は結界の一部だ。普段は見えないものが光となって目に見えるという事は、その辺りで異変が起きているという事。

 つまりは、侵入者が結界を突破しようとしている。


 光の数は次第に増していく。様々な方向から、結界に抜け穴を作ろうとしているのだ。

 蛇の本体が居るという話からして、その者がけしかけた蛇とみて間違いないだろう。

 大小様々。毒を持っているかはさておき、蛇の大群が結界の破壊を試みている。


 スカーレットは臆せず足を進ませ、ある程度進んだところでスカーレットは足を止める。何者かが近づいているのを視認したからだ。

 その影は長身の人間のものだった。夜闇に紛れており、スカーレットからは何者なのかが確認できない。


 やがて、その姿が明らかになる。(あで)やかな姿の黒髪の人間の女性だった。

 露出している所々の部位からは、蛇のような皮膚が見える。蛇の女性はスカーレットを認識したらしく、ハイヒールを履いた足を止める。


「あら、おちびちゃん。お出迎えかしら?」


 からかうようなその口調に対し、スカーレットは警戒する。


「そんな怖い顔をしてると、可愛らしいお顔が台無しよ」


 蛇の女性は笑う。その笑い声は、出で立ちに相応しい気品を感じさせる。

 未だ、結界を破ろうとする無数の光は止まらない。だが、彼女だけは結界の外よりやってきた。

 もう既に答えは出ているようなものだが――


『お前、何者だ?』


 琥珀状の物体は問う。スカーレットも目の前の女性、その正体を確認しようとしていた。

 蛇の女性は辺りを見渡すと、再びスカーレットに目を向ける。


「おちびちゃん、意外と低い声してるのね……」

『とぼけてんじゃねえ。こいつの声じゃないってことぐらい、薄々分かってんだろ』


 冗談の通じない相手だとでも思ったのか、蛇の女性は呆れたような表情をする。


「そうねぇ、少し前にお邪魔した黒ずくめの男、その姉と言っておこうかしら」

『血縁って訳か。そういや、お前の弟の姿が見えないみてえだが、あいつはどうした?』


 蛇の女性はため息を吐く。終わったことを蒸し返してくれるなと言わんばかりだったが、彼女は答えた。


「処分したわ。標的、よもや素人に負けるような弱い奴は要らないもの。私が手を下すまでもない。飢えた獣の群れに放り込んでやったわ」


 その瞬間、蛇の女性の鋭い眼から、冷気のようなものをスカーレットは感じ取った。

 少しだけ()()された彼女は、昔の事を思い出した。


 実の姉と共に人間に迫害を受けた時。赤い竜人と共に牢獄から脱出しようとした時。

 あの時もあの時も、スカーレットは人間の残酷さを思い知った。

 蛇の女性も同じなのだ。対象はどうあれ、残酷であることに間違いはない。


 だが、だからこそ今は、立ち向かわなくてはならない。何も出来なかった昔とは違うからだ。

 スカーレットの双眸が、蛇の女性を捉える。その赤い目は炎が燃えているようだった。


「その目、気に入らないわね。まるで私に反抗するかのよう」

『実際そのつもり、だと言ったらどうする?』

「――なら、幸せな死なんて認めない。此処で、苦しんで死になさい」


 スカーレットは自身の得物を取り出して構える。それを見てか、蛇の女性は再びため息を吐いた。


「だけど、残念ね。どう転んでもあなたは犬死にしてしまうもの。私の目的はあなたじゃないから」

『何?どういうことだ?』


 蛇の女性は薄く笑うと、指を弾く。すると、彼女の背後より大蛇がその姿を現した。




 その一方、建造物内の執務室。


 深界とその下僕達による結界の維持作業を見ていた冥は、突如として部屋を出ようとする。

 それに気付いた深界は、軽く頭を上げて「お客さんかい?」と問うた。


「そのようです。お出迎えしますね」


 そう言って冥は部屋を出る。


 閉じた扉を背にしたまま静止する。

 少しの間の後、暗闇の中より複数の刃物が冥めがけて飛んでくる。

 冥は微動だにせずそのままで待ち、やがて紫色の大きな手が全ての刃物を受け止め、取り込んだ。

 大きな手は主である冥に刃物を見せる。ひと目見て、それが暗器の類だと理解し、飛んできた方向へと投げかえすよう大きな手に命じる。


 すると、暗器の飛んでいった場所から数度の爆発が起こった。その一部始終を見ていた冥は暗器自体が微かに発光していたのを確認する。

 暗器自体に起爆する魔法が仕込まれていたのだ。投げかえさせるのが少しでも遅れていたら巻き込まれていただろう。


 煙が通路の一部に充満すると、やがてその中を突っ切る人影が1つ、姿を現した。

 黒く、それで尚動きやすそうな衣装に身を包んだ少女らしき者が一人、冥の付近で低く着地する。


「普通、魔法が仕込まれていると気付くはず無いんだけどねぇ。お姉さん、一体何者?」

「――あの仕掛けでしたら、少し見ただけで分かりましたよ。もう少し工夫を施すべきでしたね」

「理解したよ。お姉さんが只者じゃないって」


 少女は腰の鞘より得物を抜き取る。刃身の短い、屋内で扱うには誂え向きの剣だった。


「そして、ここから先に進むにはお姉さんを倒さないといけないともね」


 冥は薄く笑うと、大きな手を少女へと向けた。




「人魚さんも襲われてるかもねぇ。まあ、ここから逃がすつもりはないけれど」

『――それが揺さぶりになると思ったら大間違いだぜ。既に対策は打ってある』


 深月の眠る部屋には、今現在スカーレットの背後に居る2体の人形と同じものが4体ついている。

 内2体が深月にとっての栄養分である水の取り替えに出向き、内2体が深月の近辺の警備となり、それが交代制で行われている。

 仮に襲撃者が居たとして、少なくとも2体の人形がその迎撃につくだろう。


 面白くないと判じたのか、「そうなのね」と淡々とした口振りで蛇の女性は呟く。


 その直後、大蛇が開口したかと思うと、その口から液体の塊を勢いよく吐き出した。

 毒々しい色のそれを見て、スカーレットと2体の人形はそれぞれが回避行動を取る。

 すると、塊の付着した地面が白煙を立てて溶け出していった。


『強い毒みてえだな。触ったりでもしたらひとたまりもねえぞ』

「いつまで避けられるかしら?」


 琥珀状の物体の『来るぞ!』の声を合図に、スカーレットは蛇が次々吐き出す毒を右へ左へ避けていく。

 その間人形たちは素早い動きで大蛇の背後を取ると、片手を大蛇の方へかざした。

 かざす手の前に不思議な紋様が浮かび上がったかと思うと、剣の形をした光の塊が出現する。


 剣状の光は大蛇へと迫る。だが、飛び出した物影がそれを阻んだ。

 それは蛇が編み重なったような物体。いや、実際編み重なっているのだろう。剣の刺さった箇所より紫色の体液を少し吹くと、剣と共に地面に落ちる。


「妙な魔法を使うのね…まずは彼らから片付けようかしら」


 蛇の女性は大蛇をスカーレットに向けさせつつ、自身は人形たちに注視する。

 それを好機と見たスカーレットは、毒を避けながら大蛇へと接近する。

 回避行動を取りながらにして詰められた距離は微々たるものだったが、ある程度迫った所で、スカーレットは竜の力を借りて大蛇へと飛び込んでいく。


 大蛇の動きをよく観察して、大蛇の攻撃と次の攻撃の間に出来る隙を突いた接近。

 事実、近づいている最中に、大蛇は何もしてこない。大蛇の巨体が、前を見つめるスカーレットの視界を埋め尽くそうとしていた。

 だが、最後まで何もしてこない訳がない。刻一刻と、大蛇は次の攻撃の準備に入っていた。

 大蛇との距離は短くなっていく。スカーレットはただただ、()()()を待っていた。


『回転をかけろ、スカーレット!』


 スカーレットはそれを聞いて言われるままに得物を振り回す。

 すると、その勢いに引っ張られて体全体が回りだした。


『伏せろ!』


 指示された通りに姿勢を低くした、スカーレットの視界が目まぐるしく変わっていく。このままでは今後に支障をきたすと思い、目を閉じる。

 もう大蛇が攻撃の一歩手前まで来ている。彼女の行動は単なる悪手に見えたが、彼女は一人で戦っている訳ではなかった。

 ある程度回転が加わった所で、彼女の戦装束の裾がみるみる伸びていく。そしてそれは、平らで大きな刃身へと姿を変えた。


 突如として出現した刃は、スカーレットの体と共に大蛇へと距離を詰め、やがてその身に触れる。

 十分な程の勢いがついている刃は大蛇の体に食い込み、そこから体を切り裂いた。


 真っ二つにされた大蛇の上半身が宙を舞う。肉を切る音に気付いたか、蛇の女性が振り向くと、そこには綺麗な断面を境に分かたれた下半身のみが残されていた。

 既に絶命した上半身が地面へ叩きつけられるとほぼ同時に下半身も倒れ込む。倒された大蛇はやがて、霞となって消えた。


『もう目を開けていいぞ、スカーレット』


 次にスカーレットが目を開けた頃には回転は止まっており、竜翼が彼女をゆっくり降り立たせようとしていた。


「巨体を切り裂くとはね…少し迂闊だったかしら」

『弟からは何も聞いていなかったのか?()()()()よ』


 皮肉交じりに琥珀状の物体がそう言うと、蛇の女性は薄く笑う。

 だが、その表情に純粋な喜びと呼べるものは無い。まるで、スカーレットの存在自体が不快であるかと言わんばかりのものだった。


 襲撃への対策。更に、目を離した隙に起きた大蛇の撃破。この2つが彼女を苛立たせているのだろう。

 微かに抱く威圧感にスカーレットは冷や汗を垂らした。


「もうお遊びはこれくらいにしましょう」


 すると、蛇の女性の背より大量の紺色の蛇が出現する。

 先程の大蛇のような巨体ではないが、それでも大きな蛇である事に変わりはない。

 蛇は彼女の手の動きを指示とみなしたか、1つだった群れを2つに分ける。人形二体へ過半数が向かい、残りの数がスカーレットへと迫る。


『御大将だけを倒せと言われたが、そいつが群れの発生源だったとはな…』


『薄々分かってはいたが…』という琥珀状の物体のつぶやきを聞き流しつつ、スカーレットは、迫る蛇の群れへの対処を始める。

 鈍器のような得物を逆さにし、先端を手前の地面へ差し込むと、其処から赤い池を作り出す。

 小さく広がった池は腕のような細長い物体を浮上したかのように出現させ、蛇が主人へ辿り着くよりも先に、その鋭い身を変則的に振り回して蛇を捌いていく。


 だが、赤い池が捌ききれる量ではない。それを把握したスカーレットは直ちに得物を引き抜く。

 その時には、蛇が飛びかかろうとしていた。彼女は両手で得物を振り回し、飛びかかる蛇を順番に殴り倒していく。

 赤い池が数を減らしているおかげもあって、彼女が対処する蛇の数はとても少なく、対処は楽なものとなった。


 赤い池が最後の蛇を捌いたのを見て、スカーレットは蛇の女性に再び目を向ける。

 彼女は既に、スカーレットへと迫っていた。片手が巨大化した状態で。

 正確には、何らかの塊が彼女の片手に纏わりつき、手の形をしているというべきか。だんだんと大きく見えてくるそれを注視していると、その正体に気付いてスカーレットは気圧された。

 大きな手、それを形成する部品として用いられているのもまた、蛇だった。

 先程召喚されたものと同じような蛇たちが、身をくねらせて主の手に纏わりついている。その繰り返しで巨大な手を作り上げているのだ。


 蛇の女性は邪魔になる赤い池に巨大な手を殴りつける。正に物量の暴力と言えるそれに対し池が反撃を試みるも、手の本体に間合いが届かない。

 手をある程度攻撃出来ても、切り崩す事には至らず、やがて押し潰された。

 分解された手の一部の内、生きているそれらがスカーレットへと襲いかかる。


 空中で横一列のように並んだそれらを得物で対処する事は出来ても、地を這う蛇たちには対処が追いつかない。

 すると、琥珀状の物体の意思で、スカーレットの装束の裾が変形し、その蛇たちを捌いていった。

 だが、赤い池が封じられ、人形たちとの連携が出来ない今では、彼女たちで全ての蛇を捌くのは難しい。


 やがて、裾に噛み付いた蛇の毒牙にやられ、裾の刃も使い物にならなくなる。


『すまねえ…スカーレット…俺がやれるのはここまでのようだ…』


 焦燥する彼女はとにかく得物の能力を使う隙を作ろうとするが、絶え間なく迫る蛇たちのせいもあり中々上手くいかない。

 それに、襲いかかるのは蛇だけではない。その主もまた敵である以上、スカーレットを潰しにかかる。

 次に彼女が見上げた時には、巨腕が振り上げられていた。

 咄嗟の回避でそれを凌ぐも、蛇の女性は回避途中のスカーレットに容赦なく迫った。


 高台の麓へスカーレットが吹き飛ばされるのは時間の問題だった。


 背中が酷く痛むのを感じつつ、砂埃に塗れ、咳き込むスカーレットは次第に晴れていく視界の中、自身に起きている異変に気付く。

 肩より垂れる布の上から、噛み付く一匹の蛇が居た。スカーレットは無理にでもそれを引き剥がそうとするが、その前に蛇が離脱する。

 その直後より、彼女を強い脱力感が襲った。手や足に力が入らず、得物を握る事が出来なければ、倒れた体を起こす事も出来ない。

 視界がぼやけてくる。目をこするも対して効果は無く、喉元から強い不快感がこみ上げてくる。それが吐き気だったと気付くのは、草むらの上に撒き散らした赤い体液を見た後だった。

 血のような赤い色。それが血なのか、あるいはそれ以外の体液であったのかは、今のスカーレットには分からない。


「中々手こずらせてくれたね、お嬢ちゃん。地獄は見れそうかしら?」


 幸い耳に異常は無く、蛇の女性の声が聞こえる。ぼんやりとした視界でも、近づくその姿形を捉えることは出来た。

 そして、何かをしようとしているという事も。


「苦しいかしら?でも、もっと苦しませてあげる。私をこんなところで足踏みさせた罰よ」


 恐らく、このままだと死ぬ。スカーレットが理解したのは、今自分が置かれている状況だった。

 この状況から脱するには、何かしらの手段をもって抵抗しなければならない。

 抵抗と言っても影響力の少ないものではなく、今の状況を打開できる程の何か。

 だが、得物は握れず、足も動かせない。裾は使い物にならないほどボロボロにされ、人形たちも助けにこれないのだろう。


 手詰まり、としか言えない状況であるが、諦める彼女ではなかった。


 ――こんなところでお兄ちゃんを死なせたくない。


 ただその一心で、スカーレットは自分に出来ることを探す。

 なぜなら、その為の力を持っている事と、それを行使するだけの手段は――もう教わったのだから。


 一度目を閉じ、次にスカーレットが目を開いた時、蛇の女性の動きが一瞬止まった。



 ◇◆◇



 蛇の女性は凍りついたかのように動かなくなる。いや、動けなくなった。

 目の前の少女、後はただ死ぬまで甚振るだけだと思っていた存在が、急に恐ろしく感じたからだ。


「な、によ、それ…何なのよ…!?」


 炎のような赤い痣を持つ少女の表情が、少女の顔が、赤い何かに埋め尽くされている。ただ、赤い何かの付かなかった目だけが此方を見つめている。

 顔のみが変化し、それ以外は何も変わらない彼女が、蛇の女性にとっては恐ろしいものに見えていた。

 攻撃を試みようにも、その度にまた別の何かに変わるのではないか、という可能性が、彼女の行動を阻害する。


 体が動かせない。蛇の女性は何故そうなったのかを考えると、間もなく1つの答えに辿り着く。

 見てしまったのだ。少女を庇うように現れた、赤い液体で構成された女性の人型を。

 それを見た途端動けなくなった。その正体を理解出来ずとも、とてつもなく恐ろしいものだと理解できてしまった。

 それは恐らく、少女を守るべく動く何者かの存在。自分の意思を持つ赤い池が出てきた時点で、そのようなものも居ると気付くべきだったのだ。


 やがて、少女は起き上がる。毒など最初から食らってなかったかのように。

 蛇の女性は、その様をただ見ることしか出来なかった。





 スカーレットは、急に蛇の女性が行動しなくなったのを確認し、ゆっくりと起き上がる。

 隙だらけではあったが、それを攻める事の出来ない程の、影響力の強い経験があったのだろう。

 彼女の表情が、それを物語っている。――表情を確認した直後に、スカーレットは自身に起きた異変に再度気付く。


 姿形しか確認できなかった程の視界が、元に戻っている。

 手や足に力が入り、自由に動かせる。脱力感もとっくに抜けきっている。

 ボロボロだった裾も、いつの間にか綺麗に修復されている。


 何が起きたのだろう、とスカーレットは疑問に思うも、答えは出てこなかった。


『動かねえなら、今が好機じゃないか?スカーレット』


 琥珀状の物体の言葉にスカーレットは頷くと、得物を両手に握って、蛇の女性へと迫る。

 放心状態のようになっていた蛇の女性は我に返ると、巨大な手を盾代わりに構える。

 得物の威力を受けて、巨大な手を構成していた蛇が、徐々に解けていく。

 解けた蛇の一部が、スカーレットに襲いかかろうとするも、地面より吹き出た赤い液体が、それを捕まえて覆い尽くす。

 いつの間にか、彼女の足元には、彼女を中心とした赤い液体の池が出来ていた。

 攻撃を彼女が、防御を赤い池が行い、蛇の女性は防御を強いられた。


 だが、それを許す蛇の女性ではない。巨大な手で防御しつつも、反撃を試みようとしていた。

 空いている片手で召喚した蛇たちをその手に纏わりつかせ、もう一つの巨大な手を作り上げる。

 そして、その手でスカーレットを殴りつけようとしたが、スカーレットの得物の球体が勢いよく衝突する。


 少し(へこ)んだが、手応えありとみて再度攻撃しようとすると、その手より赤い液体が吹き出てきたのを見て蛇の女性は悲鳴を上げる。

 球体と衝突した際に液体を仕込まれたのだ。液体の圧力に負けた手は蛇の体を引き千切って瓦解する。元の手も赤い液体に(まみ)れていた。


 赤い液体を見るやいなや、蛇の女性の勢いが弱くなる。戦意が削がれているかのようだった。

 防御態勢を取り続けている巨大な手もまた瓦解するのは時間の問題だった。


 瓦解する直前、スカーレットは得物を勢いよく叩きつけ、蛇の女性を大きく弾き飛ばした。


 蛇の女性が遠方で着地姿勢を取ったのを見て、スカーレットは得物を構える。

 だが、次第に得物を握る力が弱まり、やがてその場に倒れ込んだ。


『――スカーレット?大丈夫か?……無茶が祟ったみたいだな…』


 二回目とはいえ、慣れない内の力の使用が彼女を疲労させてしまったのだ。

 赤い池も消滅し、隙だらけの状態になってしまった。


 蛇の女性は若干足を引きずりつつも勝ち誇ったかのような笑みを浮かべる。


「…私の勝ちのようね、お嬢ちゃん」


 そのまま通り過ぎようとするが、赤い腕がそれを阻む。

 スカーレットが動けない今、それを動かしているのは琥珀状の物体だ。


『こいつが戦闘不能になった所で、通すとでも?』

「主人が動けない内は大人しくしておいた方がいいわよ、私は何時でもお嬢ちゃんを殺せるから」

『どうかな?俺だけじゃないのはもう分かってるだろ?』


 すると、人形たちが現れ、赤い腕に捕らえられた蛇の女性に向けて手を構えた。蛇の攻勢を切り抜け、やっと合流出来たようだ。

 琥珀状の物体はスカーレットがうつ伏せになったことでかなり遮られている視界の中、捕らえた蛇の女性の顔を見ようとする。

 そして、拝めたその顔には、冷や汗が浮かんでいた。


『どうした?とても気分が悪いようだが』

「ええ、そうね。私がこんな形で捕まるなんて、屈辱よ」

『そんなんじゃねえ。あんたはもっと別の事を気にしてるだろ』


 彼女は顔を俯かせる。それを見て彼は当たりだと見抜いた。


『あれか、あんたが取り乱した時。よっぽと恐ろしいものを見たようだが…何を見たんだ?』

「あなたの言った通りよ。恐ろしいものを見たわ」


 とんちのような返しに、琥珀状の物体は少し呆れた。それと同時に、これは外れだと見抜く。

 捕まっているにも関わらず、抜け出そうともがく気配は無い。"気にしてる別の事"が見えてこず、琥珀状の物体は蛇の女性が次にしようとすることを当てる事にする。


『もしかして、蛇を使って抜け出そうと思っているんじゃ無いだろうな?』

「そうだと言ったら?」

『そうか。じゃああんたのしたいようにしろ』

「言われなくても――」


 すると、先程スカーレットが切り裂いたのと同じような大蛇が出現する。

 事前に力を緩めていた為、赤い腕は大蛇ごと蛇の女性を離した。


「そうするわ!」


 大蛇を人形に差し向けつつ、彼女はスカーレットに見向きもせずに高台へ向かっていく。

 始末する好機をみすみす逃したのを見て、琥珀状の物体はやっと"気にしてる別の事"が理解できた。


『今更急いだって何になる?あんたが建物の前に来れたからと言って、()()()()とは限らないぜ?』


 その言葉を聞いて、蛇の女性は足を止める。


「口の減らない男ね…いいわ、お望み通り始末してあげる」

『いいのか?そんな事をする余裕はあるのかよ?』


 大蛇に命じようと手を掲げた途端、彼女の動きが止まる。


『――もう夜明けだぜ?』


 彼の言う通り、空の一部が明るくなっていた。陽が差し込んでくるのは時間の問題だろう。

 すると、彼女はその場に力なく座り込んだ。


「あ…ああ…あ……」


 頭を抱える。どうやら()()に失敗したらしい。


『俺たちの相手をしすぎたみたいだな。いささか、お遊びが多かったんじゃないか?』

「ああああああぁぁぁぁ!!」


 頭を抱えたまま大声で叫ぶ。大蛇は人形二体の能力に押さえつけられた状態で、主を見ていた。


『制限時間があったんだな。差し詰め夜明けまで、ってところか』

「許…して、下さい……」


 何かに許しを乞うている。その表情はとても怯えていた。

 何故謝るのか、と疑問に感じた彼だが、少なくともこの場に居る誰かに謝罪している訳では無い、とすぐに把握した。


『おい、誰に謝っている?相手は誰だ?』

「私は死にたくない…こんなところで……ッ」


 すると、彼女の体が徐々に動かなくなる。琥珀状の物体には、固まっているのではなく、凍りついているように見えた。

 本体であるスカーレットが動けない今、ただただ見ている事しか出来なかった。


「あ……ああ、あ……」


 首から下までが凍てつき、やがて頭部も全て固まる。蛇の女性は、瞬く間に氷の彫像と化した。

 嘆いているまま固まったその表情からは痛々しさが感じ取れた。


 やがて、氷の彫像は弾け飛ぶ。粉々になったそれは、跡形も無く消え去った。


『何が起きている…?』


 自然ではありえない現象である為、何者かの仕業であるのは間違いない。恐らく、許しを乞うていたのはこれを起こした誰かだろう。

 しかし、予兆のようなものは何もなく、誰が起こしたのかは突き止められなかった。

 スカーレットの事を殺したがっていた女性が、目の前で無残に始末された。琥珀状の物体は、今すぐにでも言葉に発したい事を抑え込み、複雑な感情を抱えつつ沈黙する。




「まさか、ここまでとはね……」


 時は少し遡り、執務室手前の廊下では、冥が少女を捕らえていた。

 紫色の粘体に塗れたような手が、少女を取り押さえている。

 それを尻目に、冥は主からの通信が来たのに気づいてそれに応答する。


「はい。いかがなさいましたか?」


 主である深界から、ある情報を聞き取り、やがて通信が終わる。

 すると、冥は姿勢を低くし、少女に手をかざす。


「貴方には色々と聞きたいことがあります。その為に貴方を一旦保護する事になりました」

「えっ、何で……?」

「この周辺に現れた侵入者が次々と氷漬けになり消滅したそうですよ?…どんな芸当かまでは存じ上げませんが、貴方も()()()()()()()のでしょう?」


 少女の体が徐々に沈み込んでいく。彼女の周辺の床のみが沼状になっているからなのだが、その様は床に取り込まれているかのようだった。


「待って、何処へ連れて行く気なの!?」

「安心して下さい、貴方の想像するような酷い場所ではありませんから」


 そう言って立ち上がると、取り押さえる腕ごと連れて行かれる少女を見送った。




 陽がある程度差し込んだ後、スカーレットは目を覚ます。

 起き上がると、人形たちと目が合う。どうやら、眠っている間に見張ってくれていたらしい。

 軽く頭を下げて感謝の意を示すと、同じく寝ていたらしい琥珀状の物体を起こす。


『…おお、起きたか、おはよう、スカーレット』

 ――もしかして、私、寝てた?

『ああ。急にぐっすり、ってな』


 すると、スカーレットの顔はみるみる赤くなる。その紅潮は羞恥から来ていた。


『(今までやってきた事だろうに…何を今更恥ずかしがる必要があるんだ?)』


 そう思う琥珀状の物体だが、深月に基本的な作法を仕込まれていたのを思い出し、それに反するからこそ恥ずかしいのか、と自己解決する。

 無論、声に出さずともスカーレットにはその一部始終が筒抜けなのだが。


 それに気にせず、スカーレットは赤くなった顔を両手で覆い隠す。


 ――この事は内緒にして、ね?

『ああ、分かってるよ。要らん事で深月さんを怒らせる訳にいかねえしな』


 少し経ち、スカーレットはやっと落ち着く。


 ――お姉ちゃんの具合、良くなったかなぁ。

『どうかな。術者は倒しても呪いの解除をさせた訳じゃ無い。まあ、治ってないなら別の方法を探せばいいだけだしな。あまり深く考えず、もう戻ろうぜ』


 スカーレットは彼の言葉に頷くと、高台へ向けて進んでいく。その後を二体の人形が続いた。



 寝室に戻ると、上体を起こした深月が待っていた。

 スカーレットは真っ直ぐ進み、その顔色を伺う。すると、次に彼女を待っていたのは、青く大きな腕による抱擁だった。

 初めて会った時のような温もりがスカーレットを包み込む。病み上がりとはいえ、優しいことに変わりはなかった。


『具合はどうだ、深月さん』

「すっかり良くなったわ。貴方達のおかげよ。本当にありがとう」


 暫くの間、スカーレットは深月の温もりを堪能した。

 抱擁が終わり、琥珀状の物体が話を始める。


『スカーレットにはいずれ話すつもりだったが、深月さんにも聞いてほしい。今回起きたことをな…』


 スカーレットと共に対峙した、蛇の女性の事。戦いの末、突然起きた彼女の末路を話す。


「そう、そんな事があったのね…」


 心当たりがある、といった表情で間を置いた深月は、再度口を開く。


「"あの子"の力を使うなんて……あの男の仕業としか考えられないわ…」

『あの男って、誰だ?』


 深月はスカーレットを見つめる。その目の奥からは、冷たいものが感じ取れた。


「彼を説明するには、私の身の上、つまりは此処に来る前の話を貴方達にする必要があるわ」


 続いて、深月はスカーレットの胸元、琥珀状の物体に目を向ける。


「いつかの貴方の質問、答えを改めさせて。今だからこそ言える、"あの子"と、スカーレットは違う」


 深月は区切りを付けつつ言葉を発する。それは、逸る自分を(なだ)めているかのようだった。


「…だからこそ貴方達に聞いてほしい。私の過去を」

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