表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔の宴  作者: Gno00
紅い棘と蒼い花
7/39

穿つ紅:前編

 脱走した罪として、体罰とやらを受けた。

 体が大きく、肉体に自信がありげな人間どもが俺を殴ってきやがったが、勝手に返り討ちにあって、俺は茶番ともとれるその光景にため息を吐いた。

 道具を使ってするべきもんを、雑にやろうとするからこうなる。


 結果が分かりきってた事をする奴も、それを敢えてやらせる奴も奴だな。


 苦痛を顔に浮かべながらも拳をさする人間どもを帰らせ、俺を殴るよう指示した長い髪を生やした奴が、誰かと話をしている。

 なんだ、あの姿は。俺はその誰かが気になった。人の服は着ていれど、そいつが人間でないのは分かる。

 妙な足飾りが見えるが、それが飾りではなく、体の一部だと分かった途端、俺はそいつが水辺に関する種族だと理解した。


 そう言えば、聞いたことがある。この世界には「魚人」とかいう種族がいて、主に海や湖の近辺に生息しているとか。

 そんな奴が何でこんな場所に居るんだか。そして、何故人間を使役出来る立場に居るのやら。


 顔、というより腹から下が見えねえから明確な姿形は分からねえ。

 だが、はっきりと言える事がある。足は2本なのに対し、腕は複数本ある。


 話を終えた長髪の男がこっちに近づいてくる。対しての魚人の奴は、静かに立ち去り、物陰へ隠れて見えなくなった。


「聞け、竜人。今後このような問題を引き起こした場合、先程のような体罰では済まさんぞ」


 その体罰とやらが効いてないのだがな。俺は欠伸をしながら答える。


「こっちとしちゃ願い下げだがな」

「では大人しくしていろ」

「それも嫌だ、と言ったら?」


 すると、長髪の男が気持ちの悪い笑みを浮かべてくる。そして無言のまま時間が流れた。

 男が踵を返し、最後に俺を一瞥すると、立ち去っていった。


 二度とその気持ちの悪い顔をするんじゃねえ。


 俺はそう思いつつ、スカーレットに向き直る。見ると、心配している顔だった。


「何時もの事――そうは言ったが、やっぱ慣れねえか」


 スカーレットは軽く頷く。それから俺は、いつもの様にスカーレットの独房に入り込んだ。


「――外の様子はどうだったよ?」


 俺としては何気ない質問だったが、言った側から、それが失言だと理解する。

 こいつ(スカーレット)は喋れない。発言しようにも、出来ない体になってしまっている。

 自ら話をするという事を放棄しちまったのか、あるいは、そうする為の内臓がやられちまったのかは分からないが、とにかくスカーレットは言葉を出せない。


 微妙な空気になっちまった。俺はさっきの質問を取り消そうとしたが、スカーレットが俺を見つめていた。

 だが、その口は開かない。怒っている訳でも無いその顔は、じわりと俺に罪悪感を与えてくる。


 ――見慣れないものがいっぱいあった。面白かった、と思う…。

「へえ、そうか、そりゃ良かった――」


 焦りのあまり適当に流そうとしたが、俺はすぐさまそれに気付いた。

 言葉が聞こえた気がする。辺りを見渡した所で、猛獣だらけなのは分かりきっている。

 消去法をせずとも、それがスカーレットのものだと分かった。


「お前、言葉が――」

 ――喋ってはいないよ。お兄ちゃんだけにお話しているの。


 と言う事は。スカーレットの言葉は俺だけに聞こえているという事。

 どういう理屈かは知らないが、俺はこの事実を嬉しく思った。

 会話は、相槌だけじゃつまらないからな。それに、こいつと会話が出来る事は、願ってもないことだった。


「それにしても、兄ちゃんか――」


 思えば、俺の家族に妹と呼べる者は居なかった気がする。

 俺に妹が居たなら、こんな風に呼ばれていただろうか。


「――悪い気はしねえな」


 顔がにやけてくる。抑えようとすれば、その分だらしなくなる。

 これが照れるって事か。変な声を漏らす俺は、不思議そうに見つめる視線をただ感じていた。




 ◇◆◇




 仮面を付けた男が襲来してから2日が経った、その日の夜。

 白の外套を身に纏う、深界が施設へと戻ってきた。


 事前に連絡を受けた冥は、執務室にて主の帰りを待っていた。

 そして、扉が開け放たれる。その姿を目に映す前より冥は一礼する。


「ただいま、冥」

「お帰りなさいませ、深界様」


 答礼を返した深界は、そのまま歩くように移動し、石製の机と一式になっている椅子に腰を下ろした。



 冥は留守中の間、起きた事を報告する。


「――成る程、そんな事が」


 深界はそれを聞き、自身が調査した者たちが未だスカーレットの事を諦めていないという事を把握した。

 今まで彼女たちだけで返り討ちに出来ていたのが奇跡と言うべきか。今後は"ここに居る者達"全員で対処しなければならないだろうと深界は判断する。


「…それで、深月くんとスカーレットくんはどうしている?」

「はい、ご報告します」


 深月は敵の攻撃により、かなり弱っている。怪我は無いとは言え、スカーレットも今回の一件で心傷を負っているだろう。

 深界は彼女たちを案ずる思いで現状を知ろうとしていた。


「――深月様は只今、ご自身の部屋でお休みになっています。スカーレット様は――」


 そう言おうとした途端、扉を叩く音が聞こえてくる。

 深界の返事を聞いて、扉はゆっくりと開かれ、その向こうから赤い少女が姿を表した。

 スカーレットだ。彼女は赤い双眸を、目の前の二人へ向けていた。




 彼女たちが施設へ戻る前。黒の男を撃退し、日が暮れた頃。

 深月は前かがみになっている体を両手で支える。呼吸は荒く、俯くその顔から、何かしらの異変が伺える。

 その様子を心配に思うスカーレットが歩み寄ると、彼女が体に触れるより早く、深月は行動した。


 ふらつくその体を何とか前へ進ませる。その足取りは少しずつ施設の入り口へ向かっていた。


「お姉ちゃん、ちょっと疲れちゃったみたい……早めに休ませてもらうわね」


 その言葉に元気は感じられない。スカーレットは不安を露わにしたまま、ただ付いて行く事にした。


 先程までと違って何事もなく、二人は寝室を訪れた。

 深月は星型の頭飾りを外して近くの机へ置くと、柔らかい寝台の上へ体を放る。

 大魚の下半身が少しの間姿を表したが、すぐさま寝台の一部と置き換わる液体の中へ浸かる。

 厚い敷布を掛ける事無く、深月は上体だけを起こしてスカーレットに目を合わせた。


「湧き水の間から、水をいくつか持ってきてくれる?分からなかったら、深界さんか冥さんに聞いてみて」


 その言葉にスカーレットはただ応じると、寝室を後にした。


 多量の水を注いだ入れ物を2つ、持ち運ぶ。結構な重量だが、スカーレットにかかる負担は少ないものだった。

 琥珀状の物体――それは()()()()の成れの果てであり、それが竜の力を貸し与えているからだ。

 水をこぼす事無く、スカーレットは深月の指示を仰いで深月の寝台の左右に置く。


 すると、深月の髪の一部が触手のように伸び、水の中へ先端を浸した。

 その後水面が少しずつ低くなっているのを見て、スカーレットは触手から水を飲んでいる事に気付いた。


 少しだけ、顔色が良くなった気がする。スカーレットは深月を見てそう思った。


「…ありがとう。これで、よく眠れるわ」


 深月のその言葉にスカーレットの不安が少し取り除かれた。

 だが、事態は好転しているようには思えない。深月の姿は、依然何かに蝕まれているようだった。


 今までとは違う、彼女を苦しめている何か。怪我と呼べるものは無く、何が彼女を蝕んでいるのかはスカーレットには分からない。


「――スカーレット」


 その言葉に、スカーレットは深月の方へと向き直る。


「今日はとても良かったわ。戦う姿から、あなたの決意が感じ取れた」


 深月は微笑みながらそう伝える。だが、それを聞いたスカーレットは浮かない顔のまま。

 何か不安な事があると感じ取ったのか、深月は続けた。


「私がどうなっているか、気になる?」


 スカーレットは元気なく首を縦に振る。

 それもそう。戦いが終わってから様子がおかしいのだから。


 深月は元気そうにしているが、顔色には若干疲れが見えて、無理に元気を出しているようにしか見えない。

 彼女は「大丈夫」と言いたげだが、このような顔色で「大丈夫」と言われたところで説得力がない。

 ならば、突き止めるべきではないだろうか。彼女を蝕んでいるものの正体を――


「スカーレット、これは毒よ」


 聞き慣れない言葉に、スカーレットは耳を傾ける。それを見てか、深月は腕を少し持ち上げる。

 すると、腕の膨れ上がっていた部位が、萎み始め、紫色の棘が露わになり、彼女はその棘を見つめた。


「私もまた、毒の使い手だから分かる。私のは特段強力で、この棘で刺した相手を急激に弱らせてしまうの。でも、私を今蝕んでいる毒とは違う。この毒はゆっくりと弱らせていくのね。私が倒れかかったのはそれによる立ちくらみからよ」


 露出した棘は、徐々に膨らむ厚い皮膚の中へと沈み込んでいく。

 深月は腕を下ろすと、再びスカーレットへと目を向ける。


「『湧き水の間』の水で少しは回復出来たわ。だけど、まだ本調子とまではいかないわね。スカーレット、深界さんを呼んできて。あの人なら解毒方法を知っているはず」


 それを聞き、スカーレットはただちに執務室へと向かっていった。




 そして、今に至る。


 スカーレットは深界へと近づき、深界を見上げる。


「どうやら、急ぎの用事があるみたいだね」

『ああ、深月さんの様子を診て欲しい。解毒方法を知りたい』

「――分かった、すぐ行こう」


 冥を一旦待機させ、スカーレットと深界は寝室へと急いで向かった。




 深界は上半身を起こした深月に手をかざし、彼女を蝕む毒を探る。

 少しの間、彼の掌で光が微かに灯ったかと思うと、すぐに消える。


「生物的なものだが、呪いに近い。これを使う術者が居て、そいつに解除させない限り治らないみたいだね」


 深界はそう判断を下す。その直後、深月が質問した。


「毒蛇から受けたものですが、その蛇の本体が居ると?」

「ああ。今回襲撃をかけた者をけしかけたのもそうだろう。毒蛇や襲撃者の他に、何か居なかったかい?」

「ええ。扉を塞ぐ大蛇が居ました」

「成る程な。冥くんからは三匹の子鬼が居たとも聞いている。これは複数犯と見ていいだろう。それも計画をよく練った上での襲撃だ」


 それを聞き、深月とスカーレットは驚く。だが、想定していたのか、深月の驚きは徐々に小さいものとなった。

 深界は続ける。少なくとも、当事者である2人には、伝えておくべき事だから。


「今回の目的は先の襲撃者よろしくスカーレット君の誘拐。だが、それはあわよくば、のものだ。深月くんとスカーレットくんを分断させたのは、その成功率を上げる為だろうが、この計画を練ったものは、それが成功するものだとは思っていなかった」

「…他に目的があった、という事ですか」


 深月の言葉に深界は首肯する。


「今回はあくまで確認が主軸だった。それも、この場所を中心にかけた結界、その効力をね」

「この場所に結界なんてあったのですか!?」


 初耳だ、とばかりに深月が食いつく。スカーレットもまたそのような表情をしていた。


「君達が知らないのも無理はない。知らせるのは無意味、どころか逆効果と判じ、私がそれを隠していたから」

「それで伝えなかったのですね……」


 深月から不満気のある声が聞こえてくる。それもそうだ、結界の事を伝えなかったということは、信じていなかったという事。

 単に必要な情報で無かったからであれど、居住地を与えていながら、そこに住むものを信じていないのはあり得ない話だ。

 怒られたとしても、仕方の無い事である。深界は謝るべきか、と考えるも、深月の次の言葉でそうするだけに留まった。


「まあ、仕方の無い事ですよね…来た当初の私たちがそれを聞いてしまったら、たちまち甘えていたでしょうから…」


 深月はスカーレットと目を合わせ、彼女もまた同意見だという事を把握する。

 それは、自分達の未熟さを理由に、深界の行動を許してくれたという事。ならば、これ以上弁明するより感謝する方が彼女達への礼儀ではないだろうか。


「…ありがとう」

「それより、話を戻しましょう」


 事情を話したばかりに少し脱線してしまった。話は結界の話に戻る。


「此処に張っている結界は、此処の頂上から、高台の麓までを覆う歪な結界で、私が認めていない者を通さず、また遠くからは此処を見えないようにする代物だよ。君達が結界について知らなかったのは、これも一因だ」


 結界について知らせなかったのは、結界の範囲を伝える事で、彼女たちのこれからの行動範囲を狭めてしまうのではないか、という懸念もあったためだが、これについては言わないでおこう。

 あまり脱線しすぎると彼女たちに逆に怒られてしまう。事態は一刻を争う以上、これ以上は脱線できない。


「だが、通さないという効果は必ずしも通用する訳ではない。効果を無視出来る程の実力を持つ者は通り抜けられてしまう。だが、これについて対策は施してある。結界範囲内にのみ効力を発揮する弱体化効果だよ。少しずつ弱らせ、あまり暴れらないようにする。そういった効果だ。スカーレットくんの今回の勝利は、これも1つの理由だが、主だった理由は君の実力だよ」


 スカーレットの実力を評価したが、彼女の反応を待たずに続ける。

 発言している内にスカーレットの表情が一瞬崩れた気がした。


「今回の一件で、恐らく敵は結界の範囲、及びその効力を把握したに違いない。今日中か、はたまた明日になるか、近いうちに攻撃を仕掛けてくるだろう。今度こそスカーレットくんを奪い去る為にね。――だが、私たちはそれを利用させてもらう事にする」


 一旦間を置き、そして深界は続ける。


「此処を守る結界の上に、更に大きな結界を何層かに分けて張る。私の張る結界は間の距離が近ければその効力も増すから、今回はそれを活用する。私の下僕達も総稼働させよう。これより此処は防御態勢に入ることになる。――そこで、スカーレットくんに質問だ。君はどうしたい?」


 深界の仮面越しの視線は、スカーレットへと向けられる。

 スカーレットは胸元の琥珀状の物体に目を向け、そして、深界へ視線を戻す。


『この場所を守るんだろ。俺たちは戦うぜ。――どれだけ通用するかは分からないが、だからといって閉じこもってる訳にもいかないからな』

「――そうか。では、私の下僕の何体かを君の護衛につかせよう。もちろん、深月くんの護衛もね」


 それを聞いて、深月は頭を下げようとするが、深界が手を上げるのを見て、動きを止める。

 礼には及ばない――挙手の意味を受け取ってか、深月は下ろしかけた頭を上げた。


 踵を返し、寝室を去ろうとする深界は、扉の手前で足を止めた。


「それじゃ、私は結界を張る準備に取り掛かるよ。君達、特に深月くんはしっかり休みなさい」


 そう告げ、深界は寝室を立ち去った。



 ◇◆◇



 深月から入浴するよう促され、浴場へ向かおうとするスカーレット。

 いつも深月と共に入っていたため、寝室からの道はすっかり頭の中に入っていた。


 幾つかの道を曲がり、浴室が見えてきたところ、スカーレットは足を止める。

 見知らぬ存在が目の前に立っていた。それもスカーレットと背丈の同じぐらいの少女が。


 敵の侵入か、と一瞬思うも、浴場の手前で足を止める侵入者が居るだろうか。

 結界の存在を知っている以上、内部構造を理解していないというのはあまりにもおかしな話。

 ならば敵ではないのだろう、と警戒を少し緩めて、スカーレットは足を進める。


 死角を横切る――それでも扉の開閉で見つかるだろうが――なるべく気づかれないようスカーレットは歩いていた。

 だが、浴室に近い以上、その者の視線がスカーレットへと向けられる。そして――


「いたいた!スカーレットちゃん!待ってたよー!」


 元気な少女の声が響き渡る。スカーレットは驚いて固まっていると、制服のような衣装を着たその少女は近づいてきた。

 何処かで知り合っただろうか?と当然のように思うも、心当たりが無い。


『何なんだよ、こいつは』

「あっ、この姿で会うのは初めてだったね!」


 少女は一呼吸置くと、調子はそのままに自己紹介を始める。


「私は冥。今まであの姿でいたけれど、こっちが本当の姿なんだ。主にこっちは隠せと言われてからあの姿だったけれど、今回は特別に許可を貰えたんだ」

『あんたが冥さん!?……嘘だろ?』


 琥珀状の物体は声を荒げる。だが、スカーレットも声が出るなら叫びたい気分だった。

 せめて冗談の類であって欲しい――本当の事を言っているとしか考えられないが――スカーレットはそう思いたがっていた。


「嘘じゃないって。ほら、目を見れば分かるでしょ?」


 少女は微笑みながら装甲のような、濃紫の手で自分の目を指差す。

 左右とで白と黒とが反転した目。確かにそれは、普段の冥の特徴と一致していた。

 髪型や肌色も似ていない訳ではない。身長だけでない()()()()()が増えているが、冥本人と見て間違いないだろう。


 スカーレットは声にならない声で自分の意見を唱える。それを琥珀状の物体と共有するのにさほど時間はかからなかった。


『信じて良いのか、こいつの言葉を』


 スカーレットは強く頷く。未だ納得のいっていないようだが、やがて、自身を納得させるように琥珀状の物体は再度発言する。


『分かった。あんたが冥さんだってこと、信じよう』

「ありがと~。ごめんね、事前に伝えておくべきだったね」

『いや、伝えなくて正解だった。下手に口外しちゃ不味い理由が、あんたにはある。そうだろ?』


 すると、冥の目つきが先程の年相応のものから、真剣なものに変わった。


「そうだよ…」


 一言であれど、その声色はとても重いものだった。

 ありのままの自分――今の冥の姿――をさらけ出せることが許されず、我慢せざるを得ない状況が続いていたのだろう。


 静かな時が少し流れた後、再び冥は顔を緩める。


「そんなことより、早くお風呂入ろ!」


 スカーレットも微笑みを浮かべつつ頷くと、二人は浴場への扉、その向こうへと入っていった。


 脱衣を済ませ、一糸まとわぬ姿の二人は湯気に曇る浴場へと足を踏み入れる。

 必要最小限の設備が整えられており、全体的な配色も目立たない、質素な雰囲気のその場所だが、広々としている。


 風呂椅子を1つ持った冥が、ゆったりとした足取りで広い空間へと向かい、そこに椅子を置く。


「ここに座って」


 楽しげな口調でそう言うと、スカーレットは言われた通りに椅子に座った。

 すると、雨雲のような物体が出現し、温水を撒いてスカーレットの体を洗い流し始めた。


 スカーレットはこの施設に来てから浴場へは深月としか来たことが無く、深月の能力の1つかと思いこんでいたが、どうやらそうでは無い事を初めて知る。

 いつものことではあるが、冥と入る新鮮さからか、温水をより一層心地よく感じていた。

 ある程度スカーレットの体を濡らすと、雨雲のような物体は遠ざかっていった。


「少しじっとしててね」


 冥は口調を崩さずそう呟いて、装甲のような手を、スカーレットの両肩にかける。

 すると、両手から、紫色の粘体が滴り落ちてくる。


 突然の事で琥珀状の物体から驚きの声が上がるも、驚いただけなスカーレットを見てか、彼も落ち着きを取り戻す。

 そうこうしている内に、粘体は垂れて落ちる事無く、彼女の体を包み込んだ。

 彼女の首から下が、紫色の膜に覆われると、冥は手を離して、試しにスカーレットの腕を軽く擦る。

 其処から、少しずつ泡立っていく。それを確認してか、冥はスカーレットの体を隈なく洗い始めた。


 粘体が変化した泡がスカーレットの全身を包み込んだ後、雨雲のような物体が再度スカーレットの頭上に近づくと、付いた泡を洗い流した。

 細部は冥が洗い流し、あちこちに炎の模様のような赤い痣のあるスカーレットの肌が露わになる。


「次は髪を洗うね。それにしても綺麗な赤髪だね」


 髪の事を褒められて、スカーレットは実の姉の事を思い出した。


 スカーレットと同じ色の髪の長さは腰まであり、白みがかった赤の肌をしていた。肌の色の事を、彼女は昔見た果物だという「桃」の色だと称していた。

 きっと、大人になったなら彼女と似たような姿になるだろう、と思うぐらいに彼女の姿はスカーレットと似ていた。


 思えば、血の繋がった姉妹である以上、彼女の他に家族と呼べる存在が居たはずだ。

 だけども、彼女からは聞かされていないし、聞いてもいない。物心付いた時から、いつも二人きりだった。

 それでも、彼女との生活は楽しかった。知らない事を教えてくれたし、遊んでもくれた。

 辛いこともあったけれど、それを含めて彼女との生活はとても楽しいものだった。


 ――あの日までは。


 スカーレットの目の色が暗くなる。俯いた途端に前髪へ温水がかかり、程よく髪が濡れていく。

 赤い髪の全てが水分を含んだ後、彼女の頭上に来た冥の手より、粘液が垂れ落ちた。


「あんまり髪を擦ると傷んじゃうからね、頭を撫でるように洗うと良いんだって」


 スカーレットの頭を洗う冥の手付きは優しく、心遣いが感じ取れた。

 じっとしていると、少しした後に温水が泡を洗い流していった。


「さてと、綺麗になったね。次は私の番だね」


 それを合図としてスカーレットは椅子から立ち上がると、その椅子に冥が座った。

 自分自身に先程の粘体を纏わせているのを見て、スカーレットは粘体の付着した箇所から撫でるように冥の紫色の体を洗い始める。


「手伝ってくれるの?うれしいな」


 二人が入浴するのは、冥が髪を洗い終えた後だった。

 大きな浴槽に湛えられた湯は、心地の良い温もりを彼女らに与え、冥がつい心地良さそうな声を漏らした。


「スカーレットちゃん、湯加減はどう?」


 冥の顔が、湯船に浸からないようある程度髪を結ったスカーレットの方へ向き、スカーレットは自身の胸部の上にある琥珀状の物体に目を向ける。


『丁度良い、ってよ』

「そっか、それなら良かった」


 嬉しそうな顔をして、冥は正面に向き直る。


「何時かは触れ合おうと思ったけど、まさかこんな形になるとは思わなかったなぁ」


 スカーレットもまた、意外だったという顔をする。

「お姉さん」という言葉が似合いそうな女性の正体が、幼女だとは思いもしなかった。

 だが、同時に嬉しくも思った。本来は隠し通すべき秘密をこうして明かしてくれるという事は、彼女に認められたという事だ。


 形はどうあれ、それはスカーレットを元気づけるには十分だった。


 十分程経って、冥は立ち上がる。


「そろそろ上がるよ。のぼせちゃうと大変だし、もうすぐ準備しなくちゃね」


 その言葉にスカーレットは頷き、二人は浴場を出た。

 浴場を出た先――脱衣場に居たのは、極めて機械的な存在だった。


 人型をしているが、その背丈はスカーレット達より少し大きいぐらいで、頭部は胴体と統合し、丸みを帯びた形状をしている。

 何処と無く深界と雰囲気の似た、純白のその存在はスカーレット達の姿を確認すると、畳まれたある物を丁重に差し出す。


 それは布地が吸水性に富んだ布物で、広げてみれば全身を拭うには丁度良い大きさだった。

 二人分用意されており、スカーレットに続いて冥も受け取った。


「主の下僕だよ。私たちが入浴している間に、入り口近くを見張ってくれていたんだ」


 体を拭きながら冥が説明すると、スカーレットも安心して体を拭き始めた。

 脱衣場は何処からか温風が吹き出ており、冷える思いをすること無くスカーレット達は全身を十分に乾かした。


 冥は清潔な下着の上に先程着ていた制服を着て、スカーレットは自身の能力で装飾が少なく動きやすい服装に着替える。

 戦装束にはまだ着替えない方が良い――その上での判断だった。

 あまりの早着替えに、初見だった冥は驚く。


「便利だね、それ…」


 そう呟いた後、動き出した深界の下僕達に続いて冥が脱衣場を出る。

 スカーレットも、その後に続いた。


 向かった先はいつも深界の居る執務室。その中には、スカーレット達を誘導した下僕達が複数体、円陣を組むように立ち並んでいた。

 スカーレット達を誘導し終えた下僕二体もまたその円陣に加わる。

 こうして計六体の下僕が並び、深界が仮面の下にあろう視線を向ける。


「何事もなかったようで何よりだ。準備は整ったから君たちに役目を与える。冥くんには私や下僕達の護衛を頼む。そしてスカーレットくんには君の希望を尊重して、外部の警戒を頼む。恐らく外部には大群を率いる存在が居る筈だ。そいつだけを迎え撃ってほしい」

『ちょっと待て。俺たちは結界の外で迎撃するのか?』


 冥が元気よく返事をし、大人びた女性へと姿を変える間に琥珀状の物体が質問する。


「いいや、君たちには結界の中で迎撃させる。大群は通さず、御大将だけを通すよう仕向けるからさ」

『それじゃ、あんたたちの護衛を用意したり、一部の下僕を深月さんの元につかせるのは――』

「冥を私たちの護衛につかせるのは、侵入者に私たちの妨害をさせない為で、深月くんに護衛を与えるのは敵の妨害工作のどさくさに紛れて報復させない為だ。万が一がないとは限らないからね」


 その言葉に琥珀状の物体は唸る。

 それを感心と見てか、深界は続ける。


()()()の護衛は部屋の外に待機させてある。後の主導権は君に譲ろう。さあ、行ってきたまえ」


 スカーレットは頷き、足早に執務室を去っていた。

 冥がその後ろ姿を見送る中、深界は多重結界を展開した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ