目覚める力:前編
俺はスカーレットを肩に乗せて外へと向かう。
人間達の居る場所を避けて通ったから、幸い騒ぎにはなってないらしい。こんなことをしなくても、外を見ることぐらい好きにさせてくれってもんだ。
まぁ、凶悪犯を放っておけないと言われりゃそれまでだが。
光の差し込むところが見えてくる。だが、俺がくぐるにゃ狭すぎる。
このまま進めばスカーレットがつっかえちまうか。俺はスカーレットを降ろした。
「行ってこいよ、スカーレット。気持ちを軽くして空を見とけ」
そうは言ったが、当のスカーレットは困惑したままだ。
仕方がねぇからスカーレットを後押しする。
おっかなびっくりって感じだったが、外に出てきた時には落ち着き出した。
見てきた景観とは違えど、異なる魅力があると感じたんだろう。
あるいは、これまでに外に出る機会など無かったか。ありえねぇとは思うが、無いとも言い切れねぇ。
だとしたら尚更、こんな狭い場所に入れっぱなしって訳にはいかねぇ。脱出の計画を練るべきか?
「――おい、もう良いのか?」
少しして、スカーレットが戻ってきた。スカーレットは頷く。
「遠慮しなくて良いんだぜ、じっくり見てこいよ」
引き留めようとはしたが、スカーレットは俺の手を引っ張り、来た道を戻ろうとしている。
何となくだが、考えが見えてきた気がする。俺は続けた。
「見つかる前に戻ろうってのか?」
それを聞くと、スカーレットはまた頷いた。
俺を引っ張る力が強くなり、徐々に俺の体が引きずられだしたが、俺は逆らわないようにした。
手遅れな気しかしないが、こいつなりに俺を気遣ってくれているのだろう。なら無碍にするわけにもいかねぇ。
さて、独房に戻ったら、こいつを庇うとするか。
俺は自分の足で動き出すと、スカーレットの頭を撫でてやった。
どうやら、撫でられることは初めてだったらしい。スカーレットは戸惑っていた。
◇◆◇
「おはようございます、深界様」
まだ日の昇っていない朝。執務室を訪れた冥は、窓越しに外の景色を見る深界へと声をかけた。
「ああ、おはよう、冥。今日は留守番を頼みたいけど、良いかい?」
「承りました。…今回はどのようなご要件で?」
二つ返事を受けて深界は続ける。
「彼女を狙う存在…どんな者たちなのか調べ物をしてくる。……彼女たちにばかり負担はかけられないからね」
それを聞いて冥は微笑んだ。
「お気をつけて。スカーレット様を様々な手段で確保しようとする辺り、油断の許されない相手と思われます」
「分かってる。じゃ、行ってくるよ」
深界は冥を一瞥すると、執務室を去ろうとする。
その時、部屋の中にある石製の机、その端――丁度何かを収める箱状になっている箇所――の蓋が独りでに動き出した。
蓋がその下にある窪みから離れると、窪みの中にあった中身が飛び出し、そして、蓋はまた窪みを覆い隠した。
深界が右腕を上げる。裾が少しずり落ちたが、右手らしきものが見えない。
窪みの中より飛び出した、白く輝く球体が右手のあるだろう位置に収まると、その形を大きく変えた。
それは、中心に青い球体を持つ、白く細長い棒のようなもの。
そうであると理解するには事前の情報を要するであろう、深界の杖であった。
杖は深界の右手らしき位置に収まったまま浮遊している。まるで何かに掴まれているかのように。
そして、主人である深界の動きに合わせ、杖もまた、移動を開始した。
一連の動作。深界を人間と考えるには、あまりにも不自然な流れであったが、冥はそれに疑問を感じなかった。
深界が何者であるかを理解しているがゆえの、余裕というものなのだろう。
「スカーレット様、ですか?」
「ええ。朝から姿を見ていないのですが。冥さんは?」
黒い十字の模様が描かれた石床の廊下にて、深月は冥へと声をかける。
深月の言葉を聞いて、普段は共にいる筈のスカーレットが居ないことに気がついた。
「申し訳ないのですが、見ておりません。私も共に探しましょうか?」
「いいえ、私一人で探してみます。ありがとうございました」
深月は冥へと深くおじぎすると、急いで廊下の中を進む。
今、スカーレットは狙われている身。姿が見えず、不安であることもあるだろうが、何かあっては、深月だけの責任問題では済まないからこその行動だろう。
遠ざかる深月の後ろ姿を、冥は見送る。
「…備えておきましょう」
そう言って、深月の進んだ方向とは逆の方向に進んでいった。
石製の施設のある高台の上では、心地の良い風が吹いている。
そんな中、スカーレットは長い赤髪を靡かせつつ、広がる青空に目を向けていた。
玄関より出てきた深月がその姿を見つけると、駆けるようにスカーレットへと近づいていく。
スカーレットが振り向いた頃には、すぐ近くにまで来ていた。
『何も言わずに出ていってすまねぇな』
「いいの。どうしたの、スカーレット」
優しい声色で、そう尋ねる深月の姿に、スカーレットは決心した顔つきを見せた。
『強くなりたい、ってよ。あんた達の力になるために』
「どうして?」
『守ってもらってばかりじゃいられない、というのがこいつなりの考えだ。俺や深月さんらをもっと頼ってくれ、とは言ったんだがな、そしたら考えを変えようとしなくなっちまった』
「…"わがまま"になってしまったのね」
『…そうだな』と若干恥ずかしげに呟いた琥珀状の物体の声を聞いて、深月は微笑んだ。
少しの間が過ぎ、深月達は話に戻る。
「スカーレットの考えはよく分かったわ。けれど、スカーレット自身が何を持つのか…それが分からない限りは何もしてあげられないわね」
『気軽に特訓じゃ駄目なのか?』
深月は小さく首を振る。
「それでは時間を無駄にしてしまう。私に出来る事がこの娘に出来る事とは限らないもの」
『それもそうか。だけど、何も無しに、能力ってもんは開花するものなのか?』
「…そうね、まずは私が能力を使うわ。少し離れていて」
深月のその言葉を聞いて、スカーレットは後ろに下がる。
身の回りに障害物になりそうなものは無いのを確認してから、深月は目を閉じる。
続いて、右手をゆっくりと上げると、上を向く掌へと球体状の水の塊を出現させる。
水の塊がある程度大きくなるのを感覚で理解し、深月は右手を振り下ろし、その動作に連動する水の塊を地面へと叩きつけた。
水の塊が地面へ吸い込まれるように消えたかと思うと、彼女の近くへと水柱が噴き上がった。
水柱の先は雨のように周囲へ降り注いでいく。深月はその水で体を濡らした後、スカーレットの方へと振り向いた。
「――これが、私の能力。だけど、今見せたのはこの力のほんの一部に過ぎない。貴方にはどんな能力が――」
スカーレットの姿を見た時、深月は驚きと共に言葉を失った。
スカーレットが深月と全く同じ手順で自身の能力を行使しようとしていたのだ。
彼女の掌の上には、深月と異なり、赤い液体が球体となって浮かんでいた。
それでも、深月が見せた動作と一致している。そして、深月がそうしたのと同様に、スカーレットは赤い球体を地面へ叩きつけた。
地面に溶け込む波紋の後、赤い水柱が噴き上がった。
勢いの強い水柱は、スカーレットの姿を深月の視界から隠してしまった。
深月が出した水柱よりも太く長い水柱。能力の制御が出来ていないのか、はたまた、単純に強力であるのか。
その水柱もまた、落ちていく水滴を雨のように降らせていく。深月は動じることなく赤い水を浴びると、力が湧いてくるのを感じ取った。
また、水滴に触れる度に、心が安らぐような温もりも感じ取る。赤い水が温かいのもあるが、きっとそれだけでは無いだろう、と深月は思った。
詳しい理由の分からない妙な現象に、深月はこれが錯覚ではない、確かなものであることだけは把握した。
赤い水の作用が抜けたのを感じた後、深月は、真剣な眼差しで勢いの弱りだした水柱を見つめる。自分の持つ能力と照らし合わせて、この力が何を意味しているのかを、理解したからだ。
そして、これまでに来た人間達が、何故スカーレットを欲しがるのか、も。
水柱が消えた後、そこに、スカーレットの姿が再び見えた。
深月の鋭い眼差しを受け、スカーレットは怯む。何処か怒っているように見えて、子供心に恐ろしく感じたのだろう。
『こいつが、何かしでかしたか?』
琥珀状の物体の言葉を聞き、深月は微笑みを浮かべる。
「いいえ、何も。上出来なくらいで、私より凄い水柱を作るスカーレットが羨ましくなっちゃった」
元の優しい顔つきに戻ったことで、スカーレットの表情から不安が消えた。
安堵する彼女を尻目に、深月は先程の水柱から推測を立てる。
「スカーレットの能力は私と似たようなものなのね」
『似てるってことは、同じものじゃないのか?』
「あくまで似てるだけ。使い勝手は一緒だろうけど、詳しいところはスカーレットが使いこなせるようになるまでは分からないわ」
深月にとって、数、大きさに関係なく水柱を出すことは容易な事である。
スカーレットも見よう見まねで再現出来た事から、彼女にとってもまた容易なのだろう。
「これから私がすることも、スカーレット、貴方に出来る事じゃないかしら」
そう言って、深月は腕を伝い、落ちようとした水滴を前方へ振り払った。
そして、その水滴は、まるで意思を持っているかのように、水滴同士で連接していく。
そんな水滴は大きく膨れ上がっていき、やがて、細長い一本の槍へと姿形を変えた。
「以前、私がこれと似たものを使ったのを覚えてる?」
一連の動作を凝らして見たスカーレットは、軽く頷いた。
傭兵らしき男女との戦いで使った大槍と、大きさは違えど姿形は同じだった。
「これは、槍と呼ばれるもの。私の記憶を元に能力で作り出したの」
『という事は、見覚えのあるものなのか?』
「ええ。…良い思い出では無いけれど」
嘗て、深月もまた追われる身であった。
異種族を忌み嫌うものや、物珍しさ故に狙うもの、風の伝えからか腕試しをしようとするもの。
様々なものの目に晒され、身の安全を保障出来ない日々を送ってきた。
記憶を元にしている以上、深月の持つ水の槍は、確かに彼女に向けられた事のあるものと同じ形状をしている。
苦々しい思い出。だけど、忘れてしまわない為にも、こうして使い続けている。
深月は何時の間にか俯かせていた顔を上げ、スカーレットの顔を見据えた。
「何だって良い、貴方が覚えているものを形作るの」
落ち着いたその言葉に、スカーレットは力強く頷いて早速実践に移る。
スカーレットの足の付近に、赤い液溜まりが出来上がった。
液溜まりは一部を蔓のように空中へと伸ばし、形作り始める。
蔓のような液体は棒状のものを作り出し、その端の一方に棘を、もう一方に大きな球体を更に作り出した。
それは、杖のようで、鈍器の類のようでもあった。
完成とばかりに、形作るのを止めた赤い液体は、不要となった分を液溜まりに落とす。
不要分が落ちきった後、液溜まりは小さくなって消えた。
そして、作り出された杖とも鈍器ともとれる物体は、スカーレットの手が真下にあるのを確認したかのように、ゆっくりと彼女の手元へ降りてきた。
スカーレットが棒状の部位を握ると、その重みに耐えかねてか、姿勢が崩れだす。
彼女のよろけるような姿を見て、手を差し伸べようとした深月だったが、物体を離さずしっかり持ったスカーレットを見て安堵した。
『以前、使った事のある代物らしい。記憶が曖昧みたいだが、こいつがそう認識している以上確かだろうな』
「見たことの無い物ね。スカーレットは使い方、分かってる?」
率直な感想を述べつつ優しい声色で問う深月だが、スカーレットが戸惑う様子を見せたので、言葉を付け加える事にする。
「…大丈夫よ。すぐに思い出せなくても、ゆっくり思い出せば良い。分からないなら、これから考えていきましょう」
その言葉に首肯を得られたのを確認した深月は、一息つく。
「ここまでにしましょう。出した直後で悪いけれど、その武器を片付けて」
手に握っていた槍を軽く握ると、大量の水が深月の手からこぼれ落ちた。
続いてスカーレットも、出した物体を元の液体へと戻す。
『まだ日が落ちてないが、これからどうするんだ?』
「考えておくわ。先に戻っていて」
施設へと戻っていくスカーレットの後ろ姿を見送る。
それから、自身もまた戻ろうとしたが、深月は動きを止めた。
人の気配のようなもの。そうした違和感を少しだけ抱いたからだ。
冥や深界のものではない。ましてや、スカーレットでもない、何者かのもの。
だが、微かなものだったので、深月はあまり考えないようにした。
施設へと向かっていき、閉じた扉に手をかけようとしたその時、深月はその手を扉から遠ざけた。
すると、鞭のようにしなる存在が何処からともなく現れ、持ち手と扉との間にその体を挟み込んだ。
毒々しい色合いを持つ謎の物体。微かに蠢いているのを見て、深月はそれが蛇らしき生物であることを理解した。
そして、振り返る。先程の違和感は気のせいでは無かったのだ。
外套と思しきものを纏い、全身を黒の衣服で覆った男。
「ははっ、気付いたかい青人魚。間抜けでなくて良かったぜ」
挑発ととれる言葉を気に留めず、深月は軽く構える。
軽快な口調だったが、男が付けている仮面らしき黒い物体により、その表情は伺えない。
「貴方も、あの娘を狙っているのね」
「おうおう、分かってるじゃねぇか。流石に、三度も来られりゃ察するか」
嘲るような余裕を含む口調で喋る男に対し、深月は不快感を少し抱く。
先に来た他の者達と違い、この男は見下す気を隠すつもりは無いらしい。
それほどの実力を持っているのか、あるいは、無根拠の自信か。
結果的に失敗に終わったが、不意打ちを狙ったであろう先程の蛇を見て、前者だと仮定して、深月は迎え撃つ姿勢を取る。
それを見てか、黒の男は思い出したかのように言った。
「俺の目的を知ってるのはいいがよう、あんたは扉の向こう側が絶対に安全だと思っているのかね?」
「…何が言いたいの?」
「奇襲に失敗したと思ってるだろうが、目的は別にあるんだよ」
深月はそれを聞いて、先程の蛇が、扉を塞いだ意味を理解する。
深月とスカーレットの分断。その上で、男が深月を相手にしている間にスカーレットを確保しようというのだ。
残された時間はあまり無いであろう状況の中、深月は、素早く男を倒そうと行動に移った。