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魔の宴  作者: Gno00
紅い棘と蒼い花
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大事なもの

 太った人間が俺を殴ってくる。どうやら揉めてきたらしい。全部筒抜けだってのに。

 聞いたところお前が全部悪いじゃねぇか、謝る事も出来ねぇのか。

 んで訳の分からん怒りが俺に向いてくる。俺はてめぇのおもちゃじゃねぇんだぞ。


 だが俺の鱗は丈夫に出来てるぜ、てめぇ如きじゃ砕けねぇ程度にはな。

 殴る度にてめぇの血で赤くなって、俺はほとほと呆れたぜ。

 んで最後に一発ぶん殴ると。効いてすらねぇのに負け惜しみか何かか。

 あいつが立ち去って、足音が聞こえなくなってから、俺はため息を一つついた。


 朝っぱらから醜いもんを見ちまった。これだから人間という奴は嫌いだ。

 俺が捕らわれの身じゃなかったなら、今頃あいつをボコボコにしてたろうな。

 変身で拘束を解いて、そうするのもありだったんだが、今そうする訳にはいかねぇ。


 あんな奴が気にならなくなるくらい、気になるやつが目の前に居るからだ。

 心配そうにしてんな。まぁ、俺は何とも無いぜ。あいつの(きたね)ぇ血がこびりついちまってるが、それでも俺は無傷だ。


「何ともねぇさ、何時もの事だ。もしお前が俺のように殴られる事になったら、そん時はお前の身代わりになってやっから、よ」


 それでも納得いかねぇ顔してやがる。空元気とでも思ってるのか?


「だから何ともねぇって。心配には及ばねぇから、暗い顔をしてくれんな」


 そうだスカーレット、お前の暗い顔は見たくねぇ。

 だが、スカーレットの顔は曇ったままだ。こりゃ無理にでも話を変えてみるか。


「……お前は、外を見たことがあるか?」


 スカーレットの顔が突然の質問に唖然となっちまった。俺は自嘲混じりに付け加える事にする。


「ここに来るまでの間、落ち着いて外を見たことがあるか、って言ってんだよ」


 するとスカーレットが首を振った。横に振ったって事は、見たことがない、って事なんだよな。

 なら話は(はえ)ぇ、俺が外の景観を見せてやるとすっか。


「スカーレット、行こうぜ。外の景色を見に――」



 ◇◆◇



 高台の麓、草原の広がる静かな場所。

 先日、招かれざる客が来たのにも関わらず、そうとは思えないほどに穏やかである。


『ありがとうな、深月さん。エレーネの頼みを聞いてくれて』


 紅い少女、スカーレットの近くより声が聞こえてくる。その声は、少女のものとはまた異なる存在のものだった。

 そして、その声は紅い少女の目の先、蒼い人魚の深月への礼の言葉だった。


『先日、あんなことがあったばかりだってのに。こいつもありがたく思ってるぜ』

「礼には及ばないわ。ここの景観は綺麗だから、じっくり見ていらっしゃい」


 声に対して、優しい口調で返した深月は、今度こそ、と思いつつスカーレットを見守っていた。

 徐々にスカーレットが遠ざかっていく。表情に出さずとも、興味津々な様子が伺えた。


 その様子を見て深月は、ふっ、と微笑む。先日と殆ど変わらないが、楽しそうに思えたから。

 時間が刻一刻と過ぎていく。時計があったなら、秒針の刻む音が微かに聞こえてきただろう。


 このまま、日没まで過ごして、夜になって建物に戻って眠り、一日を過ごせたならどんなに幸せな事か。今の深月にはそうとすら思えていた。

 だが、深月の思考はそれを許してはくれない。変化の無い光景が、昨日の事を思い出させるからだ。



 先日の者たちは私の実力で追い返せたのは良いものの、今後、そうならない可能性が十分に有り得る。

 約束を破るような者たちでは無いと信じているが、言いふらすなり何なり、情報を広めることだって出来る筈。

 だとするなら、あの2人よりも実力の高い者たちが来るのかもしれない。無論、必ずしもそうなる訳ではないし、願わくばそうなって欲しくない。


 しかし、可能性を失念してはいけない。ありうるという事は、何時、起こるのか分からないものだから。

 今になって起きるかもしれないし、気を緩めた途端に起きるかもしれない。明日か、明後日か、あるいは――



 ――危機感が膨らんでくる。深月はスカーレットに覚られないようにしつつ首を振った。

 起きるかもしれないものを考えたところで仕方ない、と溢れ出しそうになった焦燥を押し殺す。



 少なくとも、今日明日で解放してはくれない呪縛だと思う。解放されるには、その根源を断つ他ない。

 根源には心当たりがある。と、いうより、先日見た面影が決定打となった。幼い頃、私の目の前でそれを見せつけ、それを隠すように、実の親のように接してきた、欲に目のないあの男――


(――まさか、あの男が生きているっていうの……?)


 気付いた頃にはしばらく忘れようとしていた光景が目に浮かんでくる。思い出したくも無かった、靄がかかった光景。

 視界に映る光景は曖昧なものだが、自分が冷や汗をかいているのを理解しながら、深月はその光景に目を向ける。それが自分の為、スカーレットの為に役立つことと思い。

 身が微かに震えるのを感じつつも、やがて、微かな光景は消えていき、深月の目には周辺を見回るスカーレットの姿が映った。


 先程と変わらぬ彼女の姿が深月を元気づけたか、深月は安堵のため息をついた。


(とにかく、私はもう一度、会わなければならないというの…あの男に)


 深月は空を見上げる。胸中に複雑な感情を抱きながら――




「彼女たちは何処へ向かったのかな?」


 高台の上に存在する建造物の中、その一室である執務室。

 椅子に腰掛け、机に肘置く白い外套の男、深界が、紫の少女、冥へと問う。


「外へと出て行かれました。スカーレット様が外を見たいとのことでしたので」

「…彼女たちの様子はどうだったかい?」

「先日よりも親しくなられたと思います。手をつながれていたので」


 冥の言葉を聞き、深界が嬉しそうな口調で「…そうか」と返答する。


「それは何より。昨日の一件をうまく好機に変えたようだね」


 深月からの言伝てにより、深界も冥も先日起きた一件を把握している。

 それを聞いて話す機会と見たか、冥は口を開いた。


「昨日の一件なのですが、襲撃してきた者たちが人間であること、そして、スカーレット様を狙っていたことが気になります」

「確かにそうだね。種族はこの際置いておくとして、スカーレット君の確保が目的ということは、何かしらの理由があるということ」

「と、言いますと」


 冥の言葉の後、深界は一呼吸置く。そして、


「――何か良からぬ事が起きているようだね」


 執務室に少しの静寂が訪れた。



 ◇◆◇



「…もういいの?」


 太陽の少し降りてきた頃。近づいてきたスカーレットに対し深月が問うと、首肯を得られた。


『昨日の邪魔が入って、見れなかった分も堪能したからもう良いとよ』

「そう」

『後日で良いから、こいつが近場を探検したいらしい。あんたの都合の良い日に頼むぜ、深月さん』

「わかったわ。じゃあ、戻りましょう」


 向かう時そうしたように、2人は手を繋いで来た道を戻っていこうとする。

 ――が、気配を感じ、やや強引ながら、深月はスカーレットを進行方向へと進ませた。


 スカーレットが振り向く頃には、深月は水の壁を展開し、防御態勢を整えていた。

 そして、水の壁は球体状の飛来物を捕まえて勢いを弱らせる。無力化に時間はかからなかった。


「感づかれちゃ、どうしようもねえなぁ」


 明確な悪意を(はら)む、男の声が聞こえてくる。深月は水の壁が無くなった直後、スカーレットを庇うように身構えた。


 少々奇抜な、民族衣装ともとれる衣装を身に(まと)う、褐色肌の人間たち。

 手には太陽の光を反射する手袋や杖、爪型の刃物を持つ者たちで構成されており、深月は先の飛来物から、彼らが魔道士であることを把握した。

 スカーレットと出会った日の者たちとはまた異なる、魔道士たち。


「あんな小国の魔道士共が怪我しただけで帰らされたと聞いた時には楽だと思ってたのに、どうも違うみてぇだなこりゃ」

「まぁ初撃が失敗しただけだって。次行こ次」


 軽い調子で人間たちが会話する。その直後、杖持ちの者が構え、"爪"持ちの者が(ささや)くような声で何かを唱え始めた。

 上空に火炎が収束し始めたかと思うと、火球と成って深月へと襲いかかる。


 深月は再び水の壁を生成し、火球を包んで消滅させる。が、


「ッらぁ!」


 息もつかせぬ間に、咆哮(ほうこう)のような声が聞こえてくる。

 爪を振り上げた人間が飛ばしたのは、土煙を巻き上げて迫る刃。土で構成されたかのようなものだが、その様は生き物のようであった。


 深月は当初、水の壁で防ごうと考えたが、土の刃の勢いを見て、考えを改め、土煙からスカーレットを守るように後退する。

 土の刃は水の壁では防ぎきれるようなものでなく、触れた途端に水の壁が掻き消されてしまった。


「ここから逃げて、早く」


 自分が焦っては駄目だと自らを落ち着かせつつ、深月は小声でスカーレットへと指示する。

 スカーレットがそれを了承し、高台へと通じる階段へと駆けていったのを見て、深月は少し安堵する。


 だが、それをみすみす許してくれるような人間たちではなかった。

 手袋を付けた者が地面を殴り、放たれた大地を這う衝撃波により、深月は抑えつけられ、スカーレットが弾き飛ばされる。


 姿勢を崩したスカーレットへと、俊敏な動きで"爪"持ちの男が迫っていた。


「貰ったぁ!」


 太陽に背を向け、爪を構えた細身の男が飛びかかる。

 衝撃波による影響が弱まったと同時に、深月は地面を裂くように現れた液体へと飛び込んだ。


 スカーレットは目を閉じる。その直後、聞こえてきたのは肉を刺す音だった。

 だが、何も起こらない。恐る恐る目を開け、次に目の前の光景を見た時には、スカーレットは目を見開いていた。


 深月が背を向けて現れており、男の爪は深月の左腕へと突き刺さっている。そしてその傷跡からは、青色の液体が滴っていた。

 肥大化した腕に隠された棘により阻まれ、深く刺さってはいないが、それでも深月の血管を裂いたのは確かである。

 痛みを堪えつつ深月は、勢いが殺されたことで地に足付けようとしていた男の腹部へと、棘を露出した右腕を叩きつけた。


 その途端、余裕に口角を上げていた男の顔が、苦痛に歪む。


「――ぐっ、がぁ!」


 爪を深月の腕から無理に引き抜くと、そのまま仰向けに倒れ込み、地面を転がりまわった。

 その様子に異変を感じた仲間達は、男の元へと駆け寄る。男は表情で痛みを訴え、棘を差し込まれた腹部を押さえていた。


 一方の深月も、爪を引き抜かれた痛みで左腕を押さえる。呼吸を荒げつつも、背後のスカーレットを確認し、怪我をしていないことに安堵の表情を浮かべていた。

 それだけを確認すると再び人間達の方へと向き直る。姿勢を崩したままのスカーレットは唖然とした様子だった。

 いや、信頼を置く存在が怪我をした事を、自分のせいだとし、罪悪感を覚えた、というべきか――。



 ◇◆◇



「しっかりしろ、どうした!」

「この毒、この傷跡!…相当酷いぞ……」


 人間達の言葉を尻目に、スカーレットは表情を凍りつかせる。優しい姉が怪我をしてしまった事実が目の前にあるから。

 スカーレットの目に、ある日の光景が浮かんだ。それは、実の姉が居た頃の光景。


 彼女の姉はすらりとした体躯に、笑顔のまぶしい整った顔立ちという美しい容姿の持ち主であったが、彼女は実の妹であるスカーレットを庇う度に身を傷つけていった。

 どれだけ理不尽な暴力に、身も心も傷つけられようとも、実の妹には優しく微笑みかけ、元気づけようとする優しい少女であった。

 その度にスカーレットは傷心していた。美しいと認めているからこそ、傷ついて欲しくない、と。

 同時に、実の姉も守れない自身の無力さを痛感していた。励まされる度に、その痛みは彼女を傷つけていた。


 今のスカーレットは、かつての姉と深月とを照らし合わせている。容姿は何処と無く似ており、接する姿もまた似ているから。

 深月を初めて見た時よりそれを感じ、身の回りの世話をすると言い出した時にはまんざらでもなく、すんなりと受け入れられた。彼女と共に居た者たちもまた然り。


 何も起きずに一日を過ごせたなら――それを願っていたのは深月だけではなかったのだ。


 だが、目の前で異変が起き、自身の無力さを思い出してしまった。何も出来ない、足を引っ張ってばかりの自分が悔しくて仕方ないのだ。


 ――また、同じ過ちを犯すのか。


 …心が痛む。暗闇が自身を飲み込もうとしているのを感じ――


『――おいッ!スカーレット!しっかりしろ!』


 だが、今の彼女は一人ではない。スカーレットの胸元にある琥珀状の物体の問いかける声で、彼女は我に返る。


『顔色が悪いぞ。一度落ち着け。俺の見聞が正しいなら、今、人間達に襲われて、深月さんが怪我をしちまった。そうだろ?』


 スカーレットは声が出せないが故に、心の中で物体へと返答する。


『だったら、どうする?深月さんに言われた通り逃げるか?それとも――戦うか?』


 強い鼓動が聞こえてくる。スカーレットは目の前の深月へと目を向けた。

 昔の自分にはなく、今の自分にはある選択肢。そうすることで、それを選ぶことで義理の姉――深月へと貢献が出来る。


 今すぐにでもそうしたいところであったが、冷静な彼女の思考が、逸る気持ちに歯止めをかける。


 ――そもそも、私は戦って役に立てるのか?


 実戦経験が無いからこそ、浮かぶ当然の疑問であった。

 深月の実力は、実戦経験の積み重ねの上にあるものだと、そう理解しているからこそ、いざ自分の出番となると不安ばかりが募る。


 気付けば、人間達が腕を押さえたままの深月へと近づこうとしていた。そこにあるのは明確な殺意。味方を痛めつけられた恨みを晴らそうという意思があった。


『――スカーレット』


 深月の指示に従い、逃げるべきか。

 琥珀状の物体の提案に乗り、戦うべきか。


 迷うスカーレットを待つ事無く、時間は刻々と過ぎていき――



 ――紫の飛来物が、人間達へと襲いかかった。


 飛来物は人間達の足元で爆発すると、深月達と、人間達の間に土煙による境目を作り上げる。

 何が起きたのか。スカーレットは理解できずにただ驚いていた。


「南方、砂漠地帯に主な居住区を置く民族の方、ですね。目的は先日来られた方々と同じ、ですか」


 淡々とした女性の声が聞こえてくる。スカーレットは聞き覚えのあるその声に少し安堵した。

 深月に向いていた殺意は、乱入してきた少女への驚きと興味へと変わっていく。


「ですが、先日の方々とは、武器も容姿も共通点が見かけられません。目的を除く他の共通点があるとするならば、魔法を行使するという点。――差し詰め、お金で雇われた傭兵、といったところでしょうか」

「な、なんだてめぇは」

「この聖域に住まわれる御方を主とする、単なる従者です。あなた方に名乗るほどの名ではありませんよ」


 綺麗な衣装に身を包む、紫の女性、冥だった。

 彼女は、ゆっくりと高台を降りる手の形をした紫色の足場に乗りつつ姿を現し、人間の問いが聞こえてくる頃には、草原に足を着けていた。


 冥は深月、次にスカーレットの様子を伺う。数秒見つめた後に憂いを帯びた表情で口を開いた。


「…間に合わず、申し訳ありません。深月様もスカーレット様も、どうぞ建物までお戻り、お休み下さい。後の事は私が処理いたしますので」

「はん、そう言われて逃がす奴が居るか!」


 杖持ちの女が手に持つ杖を掲げると、三つの尖った岩が空中に出現する。

 動く気配の無い深月へと、尖った岩が迫り来る。だが、その間に割り込む影があった。


 それは、紫色の粘液状の物体で構成された手だった。見ると、草原の上から伸びている。

 その手は開いたまま岩を待ち構え、そして、岩が手へと突き刺さる。

 すると、岩の勢いはみるみる弱まっていき、岩は手に飲み込まれて消えた。


「私が相手では不服でしょうか?」

「…は、はん、退屈はしなさそうだ」


 何が起きているのか納得のいかない様子をしているが、それでも冥の能力だと理解した人間達は構える。


「帰りましょう。私は…大丈夫だから……」


 まだ痛むのか、左腕を押さえつつ深月がスカーレットへと近づく。

 彼女の傷跡を気にしつつも、冥を一瞥すると、スカーレットは階段を登りつつある深月の後を追った。




「しかし、いいのか?お前一人で」

「いいのですよ。私の力は、一人の方が都合が良いですから」


 冥の物言いに、褐色肌の人間達の、隊長格らしき男は興味を示す。


「――それに、そろそろ私も羽を伸ばすべきかと思いまして」


 天を仰ぐようにしていた粘液状の手が、突如として掌を地面に押し付ける。


 腕が力を込めるにつれて、腕が釣り上がっていく。やがて、腕の先より隠していたものが姿を現した。

 冥が呼び出した腕は、腕だけの単なる存在ではない。れっきとした、"手の持ち主"がいるのだ。

 大きくなる影に、人間達は圧倒されていく。それはせいぜい、おとぎ話にしか出てこないものかと思っていたから。

 不安が募る中、隊長格らしき男だけは、不安と、期待とをないまぜにした表情で、ただそれを見上げていた。


 言うなれば巨人。粘液を肉体とする、目と思わしき丸い光を放つ紫の巨人が、上半身を晒していた。

 上げた腕より粘液が滴り落ちる。地面へ落ちた粘液は、白煙を立てながら染み込むように消えていく。


 そして、巨人の前に冥が立つ。巨人の主が、彼女である事は明らかであった。


「――お付き合い、下さいませ」


 その言葉と共に、巨人は上げた腕を人間達へと振り下ろした。



 ◇◆◇



 スカーレットと深月は冥に後のことを任せ、自分たちの部屋へと戻っていた。

 深月は座って怪我の手当をし、スカーレットはただ俯いている。部屋は静寂に包まれ、窓より覗く沈みかけた太陽が照らしている。


 突如として、スカーレットが立ち上がる。向かう先は、この部屋の扉。


「…何処へ、行くの?」


 深月の何気ない問いにスカーレットは足を止める。その後、琥珀状の物体が返答した。


『ちょっと、風に当たりに、な。…深月さん、こいつのことは暫く一人にしてやってくれねぇか』

「――わかった。暗くならない内に戻っていらっしゃい」


 扉が開閉する音が聞こえてくる。だが、深月は目も向けず、癒えたばかりの腕を見つめていた。

 そして、少しばかり顔を上げる。その目には、静かな決意が宿っていた。




 建物を出て、強い風に吹かれるスカーレット。立ち尽くす彼女は沈みゆく太陽を見つめている。


『あまり見つめると目を痛めるぞ、スカーレット』


 琥珀状の物体がさり気なくそう言うと、スカーレットは座り込み、俯いた。

 吹かれて靡くものたちが、時間が経つのを告げている。


『…何が悔しいんだ、スカーレット』


 悩みの正体を的確に突いたその言葉に、スカーレットは目を見開く。

 そして、その目は琥珀状の物体を見つめ始めた。


 ――どうして、分かるの?


『どうしても何も、それだけ悩んでちゃ、分かってくるさ』


 ――情けないよ、私は。迷って、冥お姉ちゃんに迷惑をかけた。


『冥さんは迷惑がってない、と、俺は思うぜ。スカーレットはまだ幼いんだ。少しは年長者に甘えたって良いんだぜ』


 ――甘えてばかりじゃいられない。私がしっかりしないから、深月お姉ちゃんが傷ついた。


『――スカーレット』


 その言葉にスカーレットは一瞬、身を震わせた。物体は続ける。


『別にお前がへましたから、傷ついた訳じゃないだろ。お前を大事に思って、深月さんはお前を庇ったんだ』


 スカーレットは何も答えない。物体は更に続けた。


『お前の、実の姉さんとやらも、お前を大事に思ってくれてたんだろ。そりゃお前は可愛くて、強いんだ。守ってやりたくもなるさ』


 ――何で、お姉ちゃんを?…それに、強いって…


『今の俺はお前の一部だ。なら、記憶の共有も出来て当たり前だろ?俺とあの場所で出会った時、お前は監視の目の無い内に俺に名前を教えてくれた。その時点でお前は強い奴だな、と思ったが…違うのか?』


 ――強くなんか、無いよ。力になれなくて、お姉ちゃんを失い、深月お姉ちゃんを傷つけ、お兄ちゃんを苦しめ、今の状態にしてしまった。助けてもらってばかりなのに、何一つ恩返し出来てない…。


『それが、悔しいと?』


 スカーレットは頷く。彼女は何よりも、無力な自分が許せないでいた。すると、それを察したかのように物体の声色が少し変わった。


『あのな、スカーレット。少なくとも、俺や深月さんは恩返しをしてほしいと、感じる程のことはしてないぞ?』


 それを聞き、スカーレットは驚いた。物体は彼女に気にせず続ける。


『むしろ、甘えて、頼って欲しいぐらいだ。今のお前にはそれが足りない。多少わがままなぐらいで俺たちが不快に思うとでも?』


 意外な返答に言葉を詰まらせる彼女を見て、物体は続けた。


『今は恩返しだなんだなんて気にすんな。お前を守りたくて、俺たちは今こうしている。お前は、ただ俺たちを愛してくれれば良い。…それでも役に立ちたいと言うなら止めはしない。何が最善か、相談しつつ決めていけ』


 スカーレットは最早何も言わず、物体の言葉に耳を傾ける。彼女の目より、光を受けて輝く雫が滴り落ちた。


『それに、お前ぐらいの年頃のやつは、わがままなぐらいが可愛いってもんだ。かえって気を遣われたら接し方が分からなくなる。愛想笑いもごめんだぜ、自然体な笑顔が出せるぐらいが丁度良い』


 その言葉を聞いて、スカーレットはようやく自分が泣いていることに気が付いた。

 心が軽くなる気がして、物体の言葉を聞くことが不思議と心地良く感じていた。


 ――なれるかな、そんな風に。


『なれるさ。時間はたっぷりある。これから、少しずつ変わっていきゃあ良い』


 ――優しいね、お兄ちゃんは。


『当たり前だろ。伊達に、経験を分かち合った身じゃねぇからよ』


 スカーレットは涙を浮かべながらに、微笑む。

 ちぐはぐな表情だが、嫌じゃないと彼女自身は、思っていた。


『…少しはすっきりしたか?もし、今日が失敗だったと感じるなら、明日から頑張っていけ』


 調子の良い返事をすると、彼女は立ち上がり、建物へと戻っていった。


 そんな彼女の背を、高台を這い上がる液体に混じり、見ていた冥は、微笑みを浮かべていた。

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