楽園の島/女王パルファセア
船内で休むスロンへと、クシルカレが近づく。
「体の調子はどう?」
「動けるぐらいにはなったよ。久しぶりだなぁ、クシル姉にこうしてお世話してもらえるの」
その言葉を聞き、そんなに経っていたのか、とクシルカレは思ったが、最後に身の回りの世話をしたのは100年以上も前のことだったと思い出す。
当時の幼い少女が大怪我を負い、「強くなる」と決心した事件。今のスロンが居る大きな要因だが、苦い思い出でもあった。
「時が経つのは早いものなのね…」
「そういえば、クシル姉には聞きたいことがあるんだった。今のうちに聞いていい?」
何のことだろう、と疑問に思いつつもクシルカレは彼女の質問を許可する。
「クシル姉にはさ、私みたいな頃ってあったのかな、って」
クシルカレは表情を変えず、次に紡ぐ言葉を組み立てていった。
「…そうね、いい頃合いだから話しておきましょう。私にもスロンのような、活発な頃はあった。その頃に比べれば、私は大分元気というものを無くしたのね…」
自虐的に語ったからか、スロンが苦笑いを浮かべているのを見て、クシルカレは少し反省する。
「…まあ、とにかく。先程サフィリさんが呼んだ『クシルッカ』というあだ名はその名残なの」
「だから、嬉しかったんだね、クシル姉は」
「そう。久しく呼ばれていなかったから、嬉しくなった。『クシルッカ』は、他でもない、人間が付けてくれた名前だから」
それを聞き、スロンは目を丸くした。それを見てクシルカレは無理もない、と考える。
地上界に赴く遥か前に、人間たちと接触していたという事実は、今まで胸の内にしまっていたことだから。
「クシル姉って、以前も地上に来たことがあるの?」
「ある。貴方が生まれる前に一度だけ、ね」
「迷い込んだと言ったほうが正しいけれど」と付け加えつつ彼女は続ける。スロンは興味津々といった様子だった。
「魔界に種としての仲間があまり居なかった時代。孤立してしまった私は寂しい思いをしていた。だけどある日、寂しさを吹き飛ばしてくれる者たちと出会った」
「それが、人間」
「そう。温かった彼らは種族の分け隔てなく私に接してくれた。兄さんが、長老が教えてくれた遊びについても更に詳しく学んだ。何もかもが新鮮で、楽しかったわ」
当時を思い出し、クシルカレは薄く笑う。スロンもまた、姉のその姿に微笑みを浮かべていた。
少し経ち、スロンは立ち上がる。足取りが安定する程には回復出来ていた。
「まだ、時間があるし、この船を見て回ろうよ」
「ええ、そうしましょう」
2人は船内を後にする。
「よお、お疲れさん」
「あんたか。空を見張ってくれていつも助かるよ」
股下が膝までしか無いズボンに、裾をまくったシャツ姿の男が、海面より顔を出した男の人魚に労いの声をかける。
整った顔立ちをしているその人魚は一旦海に潜ると、次に甲板の上へと姿を現した。
彼の魚のような下半身の周りには、甲板と置き換わった水が発生しているが、船に浸水した様子は無い。
「こっちこそ、海中には中々手が回らなくてな」
薄着の男は船の手すりに背もたれて、彼の元へ人魚が近づく。
「この船にも搭載されてる…その、センサーとやらがあるから、俺たちの役目は無いかと思ったよ」
「センサー搭載とは言え、試運転段階だからな。今はまだ人手が必要なのさ」
自警団の乗る船には彼らの会話の通り、海中の情報を収集し、岩礁や接近する生物など危険を自動的に知らせるセンサーが船体に搭載されている。
センサーは試作された最新型であり、自警団はこのセンサーの稼働データを技術者達に渡す契約を結んでいた。
そして、稼働データはセンサーの製品化に大きく関わっている。護衛の人魚たちが居るのは、機能の補助を含め、そのデータを守る為だった。
「しかし、いずれ俺たちの役目は終わるだろう。センサーは否が応でも今の俺たちと取って代わる」
「そして、俺たちもな…直接見なくとも、空がどうなってるか分かるようになるはずだぜ」
「と、なると、俺やあんたに暇が出来る、って訳か」
「センサーやらの整備、点検でより一層忙しくなるだろうが、それでも暇は作る。その時は遊ぼうぜ」
男たちは拳を合わせる。異種族同士など些細な事と言わんばかりの友情がそこにあった。
「ああ、約束だ」
船は海面を割って進み続ける。波の小さい、穏やかな航行だった。
脅威の去った今、聞き慣れた海鳥の鳴き声がよく聞こえてくる。彼らはそれに心地よさすら覚えていた。
「そういえば、見慣れない人魚が居るんだってな」
「ああ。肌は真っ白で、下半身が蛸足の女の子だ。礼儀正しい子だよ」
「へえ、育ちの良い子なんだな」
「そっちこそ、どうなんだ?確か、青い肌の女の子と、大きな1つ目の女性が来たとか」
「確かに来たが、あまり会話出来ていないな…」
ふと気になり、船内へ通じる扉に目を向けると、丁度青肌の少女と、単眼の女性が姿を現した。
それを見て、男は彼女たちへと手を向ける。
「ああ、彼女たちだよ」
「これはまた、個性的だな…」
「俺たちが言えた立場ではないが」と人魚の男は付け加えつつ苦笑する。
通りかかった彼女たちへと、薄着の男が声をかけた。
「もう体は大丈夫かい?」
「うん、十分休めたよ~ありがとうね」
無邪気に笑う青肌の少女を見て、男たちは微笑んだ。
「これからどうするんだい?まだ到着まで時間はあるけど…」
「少し、船を見て回ろうかと思います」
「だったら、俺みたいに暇してる船員も居ると思うぜ。気軽に声をかけてみてくれ。案内するだろうからさ」
「分かりました。ありがとうございます」
単眼の女性が頭を下げる。日の光を受けて、綺麗な黒髪がより一層輝いて見える。
2人は男たちの元を後にする。その後姿を彼らは見送っていった。
「見た目は近寄り難いが、話してみると良い子たちだとよく分かるな」
「見かけによらず、ってやつだろう。しかしまあ、女三人で海を渡って来たとはねえ」
「あの子たちが何処から来たか、知っているのか?」
「いんや。まず聞いていねえからそこまでは分かんねえよ。でも、海と空、両方から姿を現したんだ。そう思うのが筋ってもんだろ」
薄着の男の話を聞き、人魚の男は顎に手を当て、顔を上げた。
「そういえば、昔話で見たことがあるな、あのような姿に似た者を。…確か、『弱虫ヒルト』という名前だったかな?」
「人間たちを前に逃げ出した魔族の話だろ?あれはどうも胡散臭い話だと思うぜ」
薄着の男は間を置いて、それから続けた。
「撤退を逃走と履き違えるか、普通」
◇◆◇
「島が見えてきたぞ!」
船員の1人が叫ぶ。その声は、甲板に居る全ての船員の耳に届いていた。
それを合図に、サフィリは号令をかけた。
「上陸の準備をしな!」
『へい!』
それから船員は、船のあらゆる場所を忙しなく動き出した。
上陸準備の整った自警団の船は、島にある桟橋に接近する。
そこでは船の護衛と同様に、正式な装備を身に着けた魚人や人魚たちが配置されており、船を迎え入れようとしていた。
無事に停泊は完了し、サフィリを含めた一部の船員たちが上陸する。
「お疲れ様です。今回はどのようなご用件で?」
「そっちの陛下から直に頼みたい要件があるってんで、それの確認に来たのさ。それと、あんたらに来客だ」
「来客…ですか?」
「ああ。急な事になっちまったが、楔の件で用があるとか」
その単語を聞き、話し相手の魚人は目を見開く。
「…すぐに確認を取ります。どうぞあちらへ」
「助かるよ」
魚人は右手を向け、桟橋の奥へと案内する。桟橋の向こう側にある陸地には魚人が2人、一行を待っていた。
船員たちが降りるのに続いて、クシルカレたちも船を降りる。
「あちらが…」
「そう。よろしく頼んだよ」
魚人は通り過ぎる3人を凝視する。しかしその目線に恐れの類は感じられなかった。
クシルカレには、彼の目は何か確信めいたものを孕んでいるように見えていた。
魚人に先導され、サフィリ達一行は陸地を踏み越え、独自の生態を持つ木々の中へ進んでいく。
木々の中、ある程度整備された小道は、木陰が日光を遮っている為か快適な温度を保っていた。
時折クシルカレはスロンやエルナーテの様子を見るが、彼女たちに変わった様子は無い。
それに安堵し、彼女は歩を進める。すると、小道の終わりに差し掛かっていた。
小道の先には、青白い色をした壁のようなものが広がっている。
「特例措置が出ましたので、お三方もどうぞお入りください」
青白い色の壁を通り抜ける自警団の面々を見送りつつ、奥で待っていたクシルカレたちへと魚人達は声をかけた。
一抹の不安もあったが、クシルカレはそれを表に出さず壁へと進む。すると、彼女の体も青白い壁を通り抜けた。
続くスロンもエルナーテも壁を通り抜ける。最後に魚人が壁の内側へと入り、一行は再度動き出す。
青白い壁の内側を少し歩いた先。そこには目を疑う光景が広がっていた。
島の気候に順応したあらゆる植物が生息している。伸び伸びと育ったそれらからは力強さすら感じ取れた。
そしてその植物に囲まれるように、丸屋根の巨大な建造物が建てられている。
建造物の外には、魚人か人魚らしき者の姿が見える。正しく彼らの楽園と呼ぶべき空間がそこにあった。
一行は建造物へと進んでいく。建造物の正門が見える頃には、丸屋根が隠れて見えなくなっていた。
魚人の兵士が一礼すると、正門前で配置に付いていた兵士もまた一礼を返す。すると、正門は独りでに開き出した。
徐々に内部が見えてくるも、内側にも扉を開ける者は居ない。まるでこの建造物自体が生きているかのようだった。
光を鮮やかに反射するほど磨かれた青い床の上に、黄色い絨毯が伸びている。奥へ奥へと続くその様は、行路を示している。
「絨毯を目印にお進みください。先に段差がありますので、ご注意を」
クシルカレには無用の注意だったが、他の者にとってはそうではない。
彼女が送った目配せに、エルナーテとスロンは頷いて返事した。
絨毯の上を進んでいると、正門程では無いが装飾の豪華な扉が見えてくる。そして、その手前側に絨毯を囲うように魚人や人魚の兵士達が配置されていた。
先頭の魚人が通りかかると共に、彼らは敬礼を送る。歓迎の意を表する彼らに見送られつつ、独りでに開いた扉の中へ一行は進んでいった。
扉の先には、広い空間が存在していた。雪国の城程では無いものの、それでも手の込んだ空間なのは確かだった。
扉を境に途切れていた黄色い絨毯がまっすぐ伸び、その先には少しの段差と玉座が設けられている。そして玉座の奥には、鉱石らしきものが存在していた。
壁や床下に設けられた青白い光体とは異なる、巨大な青白い光体。他の光体と同じく装飾の一つに見えるが、クシルカレはそれに違和感を覚えた。
彼女はエルナーテやスロンを見やるも、彼女たちも若干警戒している。もしかしてと思いつつも、機会があるその時まで口をつぐむ事にする。
玉座の手前側に先程と同じく魚人や人魚の兵士たちが配置されており、彼らもまた歓迎の意を表する。
そして、玉座の上。そこには尾の先を床と置き換わった水に浸す、1人の人魚の少女が座っていた。
肩の位置で切りそろえられた銀色の髪と褐色肌に、青みがかった魚類の下半身。薄着ながらも装飾の施されたその姿は、威厳すら感じ取れた。
いや、実際に偉い立場に居るのだろう。玉座に座っているのが何よりの証拠なのだ。
「よく、来たな。サフィリとその仲間たち。そして、来客の方々」
言い終わると、コホコホと軽い咳が聞こえてくる。クシルカレは彼女の顔を見ると、目を見開いた。
一見健康的に見える姿はその実、痩せ細っている。まるで、何かに精気を吸われているかのように。
「驚かせたなら、申し訳ない…酷い有様だと思うただろう…3年前程だったか、ずっとこの調子なのじゃ……」
切り出すべきか、それとも…クシルカレは迷った末、口を開く。
「やはり、奥の石が…」
「そうじゃ…余だけではない…民もまた、この楔によって苦しめられておる……」
褐色の人魚は天を仰ぐように顔を上げる。
「この楔が打ち込まれて早500年…この身には得意客ですらあった相手を潰され、更には民に苦渋を強いる天使共への恨みが募るばかり」
咳が酷くなり、周囲の者たちが駆け寄る。サフィリもまたその1人だった。
「大丈夫じゃ…後少しの辛抱……後はあの子達が解決してくれる……」
「解決って、何言ってるんだよ!パルファセア陛下!」
人魚の女王、パルファセアは俯いていた顔を少し上げる。
「苦痛に耐えかねた自分自身が見せた幻とすら思うていた…しかし、この魔力量は幻ではない…悟られぬよう欺きの魔法をかけているようじゃな……蛸足の少女か?角を生やした青い子か?あるいはその全員が使い手か…」
クシルカレは再び目を見開く。出発前にかけていた、魔力の感知を阻害する魔法がいともたやすく見破られた。
解除された訳ではないようだが、それを無視する事が出来るようだ。今後の課題だと彼女は考える。
そして、パルファセアはその銀髪の髪で表情を隠している。すると、くくくっ、と低い笑い声が微かに聞こえてくる。
「ついに…ついに…この時がやってきたか!くっはははははは!」
パルファセアは先程まで弱りきった様子を見せていたのは嘘だったかのように大笑いする。しかしすぐにひどい咳をし、再び周囲の者たちを心配させる。
クシルカレ達魔族の面々は、また別の意味で驚いていた。
「…何かの冗談かと思うた……しかし、現に目の前に居る!魔族が生き残っていたというのは嘘ではなかった!」
「じゃ、じゃあ、あたしたちが連れてきたクシルッカたちは…」
「ああ、魔族じゃ。土の眷属、ヒルト・オルヴィオンスが丹精込めて育てた魔族の子孫。あの子たちがそうじゃ」
すると、広間一帯にどよめきが走った。恐れとは程遠い、希望を見出したかのような視線に、クシルカレは困惑する。
スロンやエルナーテもまた、戸惑う様子だった。しかしすぐにクシルカレははっ、とする。
「長老を何かご存知なのですか?」
「ああ、ああ。暇さえあればいくらでも話そう。じゃが、今はこれが先じゃ」
玉座の奥、巨大な楔を指差す。何を言いたいのかが伝わってくる。そして、彼女の予想通りの言葉が告げられた。
「この忌々しい楔を壊してくれ」
「その後は何をしても構わぬぞ」と付け加えられ、クシルカレはマトロクを抜刀しようとする。
だが、それは扉の奥からの伝令と、エルナーテの報告に遮られる。
『侵入者が現れました』




