大海原
時は流れ、太陽がある程度昇った頃。雲の少ない青空を照らす太陽を、横切る1つの影があった。
蝙蝠のそれに似た、大きな二対の翼を持つ青肌の少女、スロンシェイルは地上界の空を心地よさそうに飛んでいた。
「スロン、調子はどう?魔力が足りなくなったら何時でも言って」
「ありがとう、クシル姉。とっても調子良いよ!」
スロンは翼を元気よく羽ばたかせる。しかし、彼女と会話をしている筈のクシルカレの姿は何処にも見当たらない。
それでも、スロンは何とも思わず目的地である島へと向かっている。彼女の真下辺りの水面もまた、彼女の動きに合わせるように揺らいでいた。
スロンは向かっている最中、海鳥の姿や、鳥とも違う、巨大な翼を持ったものの影を目撃する。
だが、彼女に接近しようとするものは居なかった。それを見て、スロンは少し残念に感じていた。
時を待たずして、彼女は気分転換に数時間前の事を思い出すことにした。
魔界にて、クシルカレよりスロン、グッシュデム、エルナーテへと衣服が手渡された。
スロンへはボレロジャケットとホットパンツ、グッシュデムへは十字模様のあしらわれた紫黒の甚平、エルナーテへは水着のようなオフショルダーとパレオがそれぞれ配られた。
「ごめんなさい。本当はこの前に作っておきたかったけれど…装置が動かなかったから出来なかった」
クシルカレは完成させ、渡すのが遅れてしまった事を詫びる。
彼女の言う装置が動かなくなったのは、丁度グッシュデムの前の服が完成した頃だった。
「ありがとう。嬉しいよクシル姉」
「重ね重ねありがとうございます、クシル姉さん」
「あの、ありがたいのですが、似合う、でしょうか…」
その発言を聞いて、一同の視線はエルナーテの方へ向く。
白い衣服を身に着けた姿を見られ、エルナーテの顔が黒みを帯びていく。恥ずかしがっているのだろうとスロンは思った。
「似合うよ~。普段のエルちゃんも良いけど、こっちの姿も素敵だな~」
「僕もそう思います。綺麗ですよ、姉さん」
「寧ろ、もっとおしゃれを知るべきだと思う。自信をもって、エルナーテ」
幼い少女の恥じらいは、笑顔に変わっていった。
「――ありがとうございます、皆さん」
スロンは新しくなった自分の姿を見る。彼女は、クシルカレの作った衣服をとても気に入っていた。
「気に入ってくれたようで、何より…」
「本当にありがとう、クシル姉」
スロンの腹部辺りの影が微かに蠢いた。
海鳥の鳴き声を聞きながら、スロンは滞りなく進んでいく。
すると、目下に広がる青い海に、気になるものを発見した。
黒を基調とした、独特な形状を持つ大型の箱。それは所謂、帆船と呼ばれる代物だった。
その船の真横より、数度激しい光が発生する。恐らく交戦しているのだろう。
「海上にて2つの勢力が交戦しているようです。いかがなさいますか?」
海から進んでいたエルナーテより情報が入る。スロンは一旦滑空を止め、翼を羽ばたかせて空中に止まる。
「出来れば関わらないようにしたい、けど」
スロンは空中にて構えを取る。見ると、人間らしき存在が迫ってきていた。
「そういう訳にもいかないみたい」
大陸の西に位置する大海原。その海上にて戦いは起こっていた。
機動性と船体の容量をある程度確保した中型帆船は海面を割って進んでいく。帆船の通り過ぎた海面に、敵の攻撃は落ちていった。
魔石の研究と魔石を用いた技術の開発による文明の発展。それと合わせるかのように海洋国も大きな発展を遂げていた。
海にて採取出来るとされる特殊な鉱石、海皇石。その鉱石は、海の魔石と呼ばれるように、魔石と似た性質を持つ代物だった。
望んだ強さ、向きの風を発生させる、海洋生物の生体感知を行う、魔力を増幅させるなど、様々な用途が発明された結果、海の知的生物にとっては、必要不可欠な代物となっていった。
また、帆船が持つ機動力の底上げに用いられたり、岩礁や生物などを感知するセンサーとして搭載されたりと、帆船の機能としても組み込まれた。
今となっては、帆を必要としない、海皇石を純粋な推進力とする船の研究、開発も進んでいる。
自警団を名乗る者たちの搭乗する中型帆船もまた、海皇石を備えた船である。
面舵を取り、まるで追い風が吹いているかのように素早く動く船へと槍のような光体が複数迫ってきていた。
すると、船上より1人が大きく跳び上がり、得物を横に薙ぐ。彼女の目の前より大きく反った水流が噴き上がり、槍を弾いて海面に沈める。
「すまねぇ、姐さん!」
姐さんと呼ばれた少女、サフィリは静かに船上に降り立つと、状況を再度確認する。
太陽を背にするように、大型の異形が船を睨んでいる。人型のようだが、胴体を含め、あらゆる部位が、まるで肉を削ぎ落としたように異常に細い。
そして、その異形の肩に乗る人影もあった。その人影が合図らしき手振りをすると共に、人型が右腕を突き出した。
不味い、と感じたサフィリだったが、対応が間に合わない。異形の右腕から魔法陣らしきものが多数展開される。それが撃ち出されるのは時間の問題だった。
だが、その前に海面から複数の、得物を象った水の塊が飛び出す。まるでそれの軌道を読んでいるかのように、一箇所へと水の塊は集まっていく。
そして、太い線のような光体が射出された途端、その水の塊によって光体は打ち消される。
水属性の特性を最大限利用した防御術。それが出来るのは彼らしか居ない。心当たりのあったサフィリは急いで甲板の端に近づいた。
「ありがとうな、みんな!」
船の近くの海面より顔を出していた者たちが応じる。彼ら人魚と魚人は、自警団の心強い味方だった。
「しかし、王国の奴らが今更何で此処に…機甲兵まで引っ張り出したってこたァ本気だなこりゃ…」
理由は何となく察しがつく。恐らくこの先にある楔が狙いなのだろう。だが、今まで沈黙を貫いていた理由が彼女には分からなかった。
考えている内に、異形の付属機らしき物体が船体へと迫る。その間、異形が沈黙している事に彼女は目をつけた。
(ひょっとして…あの攻撃は連発出来ないのか?)
再度撃つにはある程度の時間が必要であり、付属機はその隙を補う為にあるのだろう、と彼女は推測に付け加える。
既に、船員たちが船に攻撃しようとする付属機の相手をしている。彼女も船員たちに加勢した。
無人かつ小型の付属機は、動きこそ素早いものの、繰り出す攻撃は光弾の射出と体当たりと単純で、対処がしやすい。
また、攻撃に割り込むのも簡単であり、難なく対処出来た。
(個々の戦力は微妙…目的はこっちの戦力を削ぐんじゃなく、時間稼ぎか?)
彼女の予想は当たっており、付属機の相手をしている間に、人型の異形は強い光をその身に蓄積させている。
次の準備を整えているのだと確信し、彼女はその手に持つ得物を構えた。
錨を武器に加工したかのような形状を持つそれの表面が小さく波打ち始める。
頭上では、陽の光を遮る水の塊が形成をし始めていた。
「これでも、食らえ!」
波打つ得物と連動するように、大型の錨を模した水の塊が異形へと振り下ろされていく。
異形の次の行動を阻止出来る確証は無い。だが、それは彼女1人だけが攻撃した場合の話だった。
付属機を捌きつつ、手の空いた船員や、人魚たちが彼女を支援すべく動き出した。
「姐さんに続け、お前らァ!」
『応ッ!!』
大砲より飛び出した砲弾、水属性の魔法をかけ大きく変質した銃弾や、先ほど防御に用いられた水の武具などが異形の元へ飛んでいく。
それらは目の前の異形へと次々に叩き込まれる。異形を破壊するとまではいかなかったが、それでも、その装甲に傷を付け、行動の阻止には成功したらしく、異形は一時沈黙した。
「本当に、頼りになる奴らだよ」
しかし、警戒は緩めない。人型の異形は高度を落とし、その姿形と、肩に乗る者の正体を船員たちに明らかにした。
金色の模様が浮かび上がる白い金属と思しき装甲に身を包んだ人型の異形。その頭部に存在する窪みより、白い丸が映し出される。
白い丸は甲板の周囲を見渡した後、サフィリを捉える。それが目だと理解した彼女は、更に警戒した。
異形の目がサフィリを捉えたのを頃合いと見てか、異形の肩に乗る青年が口を開く。
「流石はこの海域を活動範囲にしている自警団。見事な連携だね」
もし、支えとして異形の頭部を持っている手が自由ならば拍手をしていただろう、と思うほどの語気だった。
そして、サフィリは確信する。それを理解した上でこうして戦いを挑んできたのだろう、と。
「あたしらの存在はあんたらにとって邪魔だったって訳だ」
「察しが良いね。確かに、同じ人間同士戦うというのは気が進まないが、君たち自警団のような有力な武装集団は計画の邪魔になる」
目の前に存在する人型の異形。それが発言の何よりの根拠だと思い、サフィリの額より冷や汗が落ちる。
大陸において最大の国となる、人間至上主義を掲げる王国。その国の噂は辺境の港町に暮らす彼女たちにも良くも悪くも伝わっている。
人間以外の生物を下等な存在だとみなしており、特に同じ知的存在である亜人やその系統に対し当たりが強い。
そんな彼らとは程遠い生活に身を置いているサフィリは、少なからず相容れない存在だと認識していた。
「それを聞いて、安心したよ。ここで食い止めりゃ、あんた達があの国で暴れずに済む」
「へえ、そこまで把握してるんだ、すごいね。君が亜人たちと手を組んでいなければ、王国に招待していたところだよ」
「仮に、そうだったとしてもごめんさ。あたしにとっちゃ、人間しか居ない生活ってのがどうにも苦痛なんでね」
「君がこの自警団に居るのも頷けるね。差し詰め亜人の存在は目の保養かな?」
「いいや、仲間さ」
それを聞いてか、人型の異形が再度動き出す。警戒を解かなかった船員や人魚たちは何時でも対応できる準備を整えていた。
「残念だよ。せめて、みんなまとめて海に返してあげよう」
亜人と人間が手を取り合う姿が余程お気に召さなかったらしい。サフィリはそう思いながら異形の行動を阻止しようと動き出す。
すると、何らかの影が見え、彼女は咄嗟に目の前へ得物を構えた。
2種類の衝撃が得物へと命中する。阻んでいなければ体に届いていただろう、と彼女は確信する。
その直後、船体の端の手すりの上へ2つの人影が着地した。
「勘がいいね、お姉ちゃん。それとも今の動きは読めた?」
「一度目を阻んだのは見事。だけど、二度も三度も防げるかしら?」
ゴシックスタイルの衣服に身を包んだ少年少女。この場所に似つかわしく無い姿の彼らは一通り発言を終えた後、姿を消す。
次に姿を現したのは、他の船員の目の前だった。その時、サフィリの得物に命中した衝撃の正体が明らかとなる。
少年は半月を描く大きな剣身をそのまま武器にしたような刃物を、少女は無骨な戦棍をその細い手に持っていた。
そして、体格に似つかわしくないそれを容易く制御してみせる辺り、実力の高さが伺える。
突然の襲撃に船員たちの判断が鈍るが、それでも狙われた者の近くにいた、近接用の武器を所持する者たちが応戦する。
しかし、新手の2人が繰り出す猛攻に対し、受け止め防ぐ事で精一杯だった。
半月型の刃物と無骨な戦棍による攻撃に対応が若干遅れているのを見て、このままでは不味いと判断したサフィリは応戦する船員たちに割って入ろうとする。
その直後、彼女は異変に気づき上空を見上げる。必然的に、彼女の足は止まっていた。
何かが落ちてくる。機甲兵や、王国の人間たちとはまた違う、別の何かが――
それは人型の生物であるが、見慣れないものがあらゆる部位に存在している。だが、生き物である以上甲板にこのまま落下すれば無事では済まないだろう。受け止めるべきだとサフィリは思うが、不意をつかれた為か動くことが出来なかった。
しかし、その人型は誰かの助けを待つまでもなく、行動に移る。腰の部分に生えた翼らしきものが動き出し、落下速度が遅くなっていく。
やがて、速度の落ちた人型は安全に甲板へと降り立った。二対の翼らしきものは持ち主が無事である事を確認したかのように、その大きさが少し小さくなる。
この場に居る多くの人間にとって、人魚や魚人以外の他種族と出会った瞬間だった。




