雪山の異形
スロン達が大森林に向かって間もない頃、角と装甲のような四肢を持つ褐色の少年、グッシュデムと、四肢が黒に染まった単眼の女性、クシルカレは吹雪く雪山を歩いていた。
クシルカレは細長い指を曲げた左腕で目に入りそうな雪を遮りつつ、グッシュデムは着用している衣服にかかる雪を時折気にしつつ足を進めていた。
黒の装束が大分白に染まってきたのを確認した後、クシルカレはグッシュデムを見やる。
グッシュデムが着ている、小豆色を基軸とした黒色の衣服は、着物に近いが、動きやすく改良を施されている。所謂和洋折衷と呼ばれるもの。
その上に黒の羽織を着ており、暖かそうな服装であった。少し前に、クシルカレが彼の為にこしらえたものである。
「寒くはない?グッシュデム」
右目側の大きな角が一層赤熱しているのを見ながら彼へと問いかける。
彼は雪を気にするのを少し止め、足を止めた。前髪の影響で目線は見えないが、恐らく彼女を捉えている。雪のかかった衣服は、濡れてもすぐに乾いていた。
「問題ないです、クシル姉さん。姉さんこそ、寒くは無いですか」
「私も平気。魔界の冷気に比べれば、これぐらい大した事は無い。それに――」
クシルカレは薄く笑う。その表情には、何処か悲哀を帯びた雰囲気があった。
「――この姿は、特殊だから」
彼女にかかった雪は一向に溶ける気配は無い。服の上の白い塊を払い、彼女たちは再び歩きだす。
周囲の雪をも溶かしている一人分の足跡だけを残して、彼女たちは白い景色の中を進んでいった。
少し歩いていると吹雪が収まり、歩きやすくなった。
辺り一面、白い景色だが、何も無い訳では無い。雪の積もった木々があり、野生動物も居る。
黒い体毛に包まれた熊がのそのそと歩いているのを2人は確認するが、熊は目線を合わせるどころか、目を背けつつ去っていく。
狼らしき生物も見かけたが、彼らも警戒しているかのように2人の様子を目で追っていた。
時折白い兎が見えて、兎達は距離を取りつつ2人に付いていく。恐らく、主な捕食者が近づいてこないのを見て、目的の場所へ辿り着く為に利用しているのだろう。
ある程度行動を共にすると、白い草の元へ向かっていくのを見送りつつ、2人は頭上を通り去った影に気がついた。
全身に鱗を纏った、巨大な翼と尻尾を持つ、雄大な姿。あれこそが竜と呼ばれる生物なのだろう。
だが、その竜もまた、心なしか2人を避けつつ飛んでいき、白い空へと消えていった。
おそらく、警戒されているのだろう。熊にしろ、狼にしろ、竜にしろ、得体の知れない存在が、危害を加えてくるのを恐れている。
それほどまでに、この雪山そのものに似つかわしくない存在だと、認識されているのだ。
そこから更に進むと、グッシュデムの呼吸が乱れているのをクシルカレは確認した。
歩いてきたのもあるだろうが、顔色が少し悪い。彼女は、彼の元へと近づく。
「疲れてはいない?グッシュデム」
「…まだ地上には慣れないようです。ですが、休む程の疲労でもありません」
言動からは無理をしているような様子は無い。彼が我慢強い事もあって、日頃から彼女は気にかけていたが、彼の姿を見て少し安堵する。
「そう、なら良いけど、くれぐれも油断はしないで」
見ると、建物らしき影が遠方にあった。ある程度近づいて、2人はその細かな形を目にする。
目立つように上へ建っている訳では無く、中の様子は周囲を覆う外壁の陰に隠れてしまっている。それでも、外壁が頑丈に造られているのは見ていて分かる。
魔界に存在する、「聖魔の鏡」と呼ばれるものが指し示していたのは丁度あの建造物のある辺りだった。
ならば、あの場所の何処かにあると見て間違いはない。一行の歩みは早まっていった。
建造物に近づくと、そびえ立つ外壁がより一層大きく見えてくる。
そこからある程度進んだところで、クシルカレは付いてくるグッシュデムを静止させる。
外壁に存在する扉が独りでに開いていく。開き出したという事は、当然それを開ける何者かが居るという事。
クシルカレはグッシュデムに目配せを送り、警戒を取りつつ扉が完全に開くのを待った。
開かれた扉から姿を現したのは、幼い人間の子供のような背丈の者達。
ファーの付いた青く厚い防寒着姿で露出を出来る限り抑えているが、時折被っているフードの下から覗く顔は成人した者のそれだった。
「ようこそ、おいでくださった。人ならざる旅の方々」
武器らしい細い筒状の物を背負いつつ、小柄な者達は魔族2人に歓迎の意思を示した。
◇◆◇
それからというものの。事は雪山の中の国を訪れた魔族2人にとって、都合の良い方向に進んでいった。
外壁で囲まれた城下町への出入りが許可され、更には城の中に案内され、国王に面通りすることになった。
突然の訪問の為、かかる準備の間、謁見の間の手前にある広間にて待たされる事になった。
楔を探し出し、この間に破壊するのも一つの手であったが、それだと準備が整うまでに間に合う保証は無い。
それに、会話をする機会を蔑ろにしてまで事に及んでは心象が悪くなるのが目に見えている。ならば、物事に順序を整え、その順番通りにこなしていけば良いだけだ。
迎えの者が現れた事で、2人は広間を後にし、その者に続いた。
廊下に出てある程度歩き、派手な装飾を施された大きな扉の前で立ち止まる。すると、扉は音を立ててゆっくりと開かれていった。
全開になった扉の先へ入っていく。そこには、広間よりも広大な空間があった。
氷を象った水色の石床に、青く長い絨毯が真っすぐ伸びている。その先には円状に広がる階段があり、その頂点に玉座が置かれていた。
そして、その玉座に小柄な者が一人座っている。権威を示すと言っても、華やかな金物を少し付けた程度だが、あの人物が王様なのだろう。
ある程度進むと、扉が閉まっていく。閉まり切るのを待たずして、2人は階段の手前へと足を進めた。
「よくぞ参られた」
王様の歓迎の言葉を聞きつつ、2人は階段の手前で立ち止まるが、雪国の王を見上げるだけでそれ以外は何もしない。
だが、それを咎める者は誰一人として居なかった。
「厚意に感謝する。そなたらに膝を突かせる事は恐れ多いことであるからな」
「と、言うと」
「そなたらの正体は知っておる。北の門より参られた、魔族の方々であるな」
クシルカレとグッシュデムは目を見開いた。少し目を閉じてから、クシルカレは再度口を開く。
「何故、そうだと」
「まず、そなたらの姿は見慣れない姿だ。周辺国との交流もあるが、やはり、そなたらに近しい姿の者を見ることは無かった。次に、そなたらの放つ魔力のオーラ。その強さがそなたらを只者ではないと証明している」
そんなものがあるというのか。クシルカレは内心驚きつつ、それが悟られないように表情には出さなかった。
つまりは自分から魔族だと名乗っているようなもの。目の前の王のように、察しの良い者ならすぐにそれに気づく事が出来る。
「他国の強い戦士を目の当たりにしたことがあり、そなたらのように強いオーラを持つ者も幾度か見たことがある。だが、どうもそなたらの力は何かに抑制されている気がしたのだ」
王の予想は当たっている。現在地上に存在する楔の存在がそう。だったら、この王はもうここに来た理由を把握している筈。
「抑制されて尚、強い魔力。そなたらの特徴的な姿と合わせ、魔族と確信が持てた」
「表にいた彼らが歓迎したのはそれが理由ですか…」
王は首肯する。こう誘い込まれたからには、楔の破壊には何らかの交換条件が提示されてくるだろう。
程度が知れない以上、安請け合いは避けるべきだが、無条件に拒む訳にもいかない。クシルカレはその条件を引き出そうとした。
「それで、私たちに何を求めているのですか?」
「…近頃、この国には山賊が攻めてきている。迎え撃つにも我らでは一苦労な相手でな、楔の破壊をする代わりにそやつらを撃退する為に力を貸して欲しい」
山賊の撃退と聞いて、クシルカレは必要な情報を王や側近の者たちに聞き出した。
敵の数は200近くおり、それぞれが並外れた練度を有している。長銃という名の筒状の武器で応戦しているものの、装備している鎧によって阻まれる事が多いらしい。
仕方なく接近戦を挑む事も多くなり、賊一人に対し、兵士10人がかりで抑え込むのがやっととの事。
また、賊の長だけでなく、賊よりもかなり強い実力者も加勢しており、王は慢性的な戦力不足に悩まされている。
そこに、クシルカレとグッシュデムという異様の者が来訪してきた。渡りに船とは正にこの事か。
「敵はどうすれば良いですか?楔は何時破壊すれば?」
「敵に関しては情報を聞き出したいところだが…贅沢を言ってられないのが現状でな、手段は問わず、無力化してほしい。楔に関しては賊の迎撃の前に破壊してくれて構わない。私たちにはどうすることも出来ん代物であるからな」
「でしたら、一つ、お願いしたいことがあります」
「何だ?…私たちで出来る事であれば引き受けよう」
「表のものが着ている防寒着、あれを貸してほしいのです」
クシルカレの見立てでは、周辺国との交流がある以上、客人用の防寒着があると考えていた。
ただ、想定しうる汚れには細心の注意を払わないといけなくなる。一度付着してしまったものには、落とすのが難しいものだってある。
防寒着を汚した場合の事を彼女が考えている内に、王から予想外の答えが返ってきた。
「…ふむ、そなたらの考えは分かった。稀に、私たちとは違い極端に背丈の長い者が誕生する事もある。その者用の防寒着を貸し出そう」
兵士10人がかりでやっとと言うのは、体格に関係なく実力で、という意味だったのか、とクシルカレは目を見開きつつ思った。
楔の正確な位置を教えてもらい、城の地下二階に存在する薄暗く広い空間へと2人は訪れた。
壁をくり抜いた穴の中に小さな光源が埋め込まれており、その光が空間内を照らしていた。
そして空間の中央に存在する、鉱石状の物体。光を反射しているそれこそが楔なのだろう。
「あの方たちは楔を守っていたのでしょうか。部屋がとても綺麗です」
「守っていた、というより最低限の事をしていただけでしょう。清掃がきちんとされているのは、ここを訪れる者への礼儀」
クシルカレは目を少し細めて楔を睨む。
「大方は私たち魔族への、ね」
先程雪国の王が言っていたとおり、彼らにはどうすることも出来ない代物だった。
楔に対して魔力を乗せていない攻撃は効果が薄く、また、魔力を乗せたとしても、楔の吸収能力を上回る攻撃で無ければ傷一つ付ける事が出来ない。
更には、この楔は国周辺の魔素を吸い上げている。魔素の影響を受けやすい種族の一つである彼らにとっては、迷惑極まりない代物でもある。
国外からの襲撃。そして、国内に存在する楔の二重苦に彼らは困らされていた。
そんな彼らの負担を少しでも和らげられるなら、快く、確実に楔を破壊するべきだ。
「この機を逃したら面倒な事になる。グッシュデムは下がっていて」
その言葉と共に、彼はクシルカレの立ち位置から3歩後ろに下がった。
それを確認し、彼女は腰の左側に両手をかけた。まるで、腰に吊るした見えない剣を引き抜くかのように。
「『マトロク』。私の元に来て」
彼女がゆっくりと右手を動かすと同時に、黒い光体が彼女の手元に出現する。やがてそれは棒状となり、少しずつ形になっていく。
彼女の右手が腰からある程度離れると、黒い光が霧散し、灰色に近い黒の物体が出現する。それはサーベル状の武器だった。
刃となる部分が平たく広がっており、全体的に少し沿っていた。柄となる部分を、彼女の右手は握っている。
クシルカレは腰を少し落とし、右手を腰と水平になるように低く構える。すると、構えた剣の刃が小さく波打ち始めた。
それを見計らって、楔へと踏み込む。一瞬にして間合いを詰め、黒い一閃が楔に叩き込まれた。
楔の表面が深く抉れて、輝きを失う。そして、すぐに楔は細かく霧散をしはじめた。
「行きましょうグッシュデム。前金は貰ったから、しっかり役目を果たさないと」
鞘に収めるように剣を霧散させ、彼を連れて部屋を後にする。
次に向かうのは、この国の外にある雪原だった。




