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魔の宴  作者: Gno00
紅い棘と蒼い花

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11/39

紅に染まりゆく

 目の前の竜人が不意に倒れ込む。倒れた彼の周りから血が流れ出した。

 彼の血から作られた赤い池に彼の体が沈んでいく――彼女にはそんな気がしていた。


 彼の体を揺する。だが、体が大きすぎて動かず、返事も無い。


 ――起きてよ、お兄ちゃん。


 問いかけても、反応と呼べるものは見受けられなかった。

 彼女の目から涙が零れ落ちる。また大切なものを1つ失ってしまった、と。


 人間たちが近づいてくる。捕まったら、またあの場所に閉じ込められてしまうだろう。

 だけど、対抗できるような力なんて持っていない。


 どうすれば良いか――悩んだ彼女の答えは、1つだった。


 それは、倒れた竜人をかばう事だった。





 今思えば、最初からこうする為の罠だったのかもしれない。

 監視の目をわざと手薄にして、外へ逃げ出そうとしたところに致命的な攻撃を加える。そういう作戦だったのかもな。

 あいつらの掌の上だったと思うと、自分の甘さが許せなくなる。


 俺が倒れたらスカーレットが危険に晒されるというのに。

 俺がやらなければ誰が守るというんだ。あのか弱い小娘を。


 俺は脱力感からか、開かない目をこじ開ける。視界は悪いが、何とか周囲の状況は確認できた。

 すると、俺が守るとしていた小娘は、逆に俺を守ろうとしていた。


「(な…にやってんだ……早、く、逃げろ……)」


 口は開いている筈だが、声が出ない、当然、目の前の小娘には聞こえちゃいない。

 ここまで来て、またあの牢獄に連れ戻される。それだけは何としてでも阻止しなくては。


 その時、俺にある1つの考えが過った。遠い過去が俺に提案する。

 俺の一族に伝わる、継承の秘法。それは、自らを犠牲にして、相手に自分の力を授けるというものだった。


 今でもはっきりと、そのやり方を覚えている。どうせ使う事は無いと思っていたが、まさかこんなところで使うことになるとはな。

 だが、もう時間が無い。やるなら今だ。俺は、力を振り絞って目の前の小娘の、その棘みたいな足に手を伸ばした。

 しっかり掴んだ。感触も微かに感じる。準備は整った。


 俺は強く念じる。その途端、小娘の体に俺自身が引きずり込まれる感覚を味わった。

 ――もう既に始まっている。初めて実践する技術だが、確かにそう思えた。

 実際に取り込まれているのだろう。小娘の体がそれを受け入れているのではなく、俺が無理にでも入り込もうとしている。


 相手の了承が無ければはた迷惑な技術なのかも知れない。だが、小娘が受け入れようが拒もうがどうだって良い。

 要は、目の前のそいつが助かるかどうか、だ。


 俺はどの道長くない。ならばこの力で小娘を助けられるなら本望、というもの。

 小娘が助かって、幸せになれるのなら、俺はもうそれ以外を望まない。


 達者でな、スカーレット―――





 スカーレットは突然足を掴まれる感触を覚え、振り向く。そこには、倒れた赤い竜人の姿があった。

 その直後、彼の姿は光となって消える。すると、彼女は力が湧き上がる感覚を抱いた。


 スカーレットの体が発光体となり、赤くまばゆい光を放つ。それは周囲の視界を奪った。



 ――そこから先、ある1体の人魚と出会うまでの記憶は、少女から抜け落ちている。





 ◇◆◇





 スカーレットは恐る恐る、輝きを放つ星型の髪飾りへと手を伸ばす。

 見覚えのあるものだからこそ、深月のものだと理解できる。


『…ッ、深月さんは!?』

「もう、ここには居ないよ。それが指し示している」


 スカーレットが捜索を始める前に、声がかかる。

 それは、深界の声だった。壁に背もたれた彼は、ゆっくりと歩み寄る。


「それを見てごらん。点のような光が浮かんでいるだろう?」


 言われるがまま、星型の髪飾りに注視する。そこには、絡み合う複雑な線の上で、はっきり動く点のようなものが浮かび上がっていた。


「いざと言う時、彼女の居場所が分かるようになっているみたいだね。方角は東北東、か」

『…俺たちはどうすれば良い』

「連れ戻しに行こう。これは、君に渡して欲しい、と彼女に頼まれたものだ。彼女は備えとして、それを置いて行ったのだろう」


 すると、扉を叩く音が聞こえてくる。直後に冥が入室し、深界とスカーレットの二人に頭を下げる。彼女は何も言わず、二人のもとへ歩み寄った。

 それを見届けてから、深界は続ける。


「準備を整えよう。その間に、彼女はある場所に移される筈だ。その点が動きを止めたら教えて欲しい。僕の予想が正しければ――」


 深界は扉の前へと進み、取っ手に手をかける。そして、視線を向ける二人へと顔を向けた。


「――点は、僕が以前向かった場所で止まる」




 意識が回復し、彼女は目を開ける。目の前の光景は、日の出がもうすぐ出てきそうな薄暗闇だった。

 両手の自由が効かない。見ると、どちらも氷漬けにされ、下半身にも氷が伸びている。

 つまりは固定されている。辺りには薄氷が球体状に広がっており、冷気の中に晒されているのだと実感した。


 寒い。体が小刻みに震え、白い吐息が見える。フィンに殴られた事で生じた痛みも上乗せされ、身動きなど取れない状態にあった。


 近づいてくる気配がある。顔を上げると、ゼルパーダの姿がそこにあった。

 憎んでいるはずなのに、彼に対して、何の感情も湧いてこなかった。


「気がついたかい、フォルナシア。ごめんよ、僕だってこんな酷い仕打ちはしたくなかったんだ」


 心配そうにしているのがわざとらしい。深月は目線で彼の動向を追う。


「少しの我慢だ。君が僕を受け入れてくれるなら、君をすぐにでも解放出来る。今からでも遅くはない、君の答えを聞かせてくれ」


 彼女は弱った目で周囲を見渡す。今居る場所はとても足場が狭い事と、辺りには観客席らしき円状の段が見えた。


「ここが気になるかい?…ここは、闘技場と呼ばれる場所だ。この国はとても小さな国でね、この場所が目印になるくらいなんだ」


 頼んでもいない現在地の説明をしつつ、ゼルパーダは深月の顔を覗き込む。


「答えを聞かせてくれないか。時間が無いんだ」


 それでも、深月に答えるつもりも、気力も無かった。


「――お願いだ、フォルナシア。君が一言言ってくれれば、君を保護してやれる。守ってやれる。こんな仕打ちなんて今すぐにでも――」

「――もうその辺で良いだろう、ゼルパーダ殿」


 低い声がゼルパーダの訴えを遮る。彼が振り向くのを見て、深月も視線を移した。

 全身を鎧と思わしきもので包んだ大男たちが近づいてくる。


「その人魚は庇護を求めていない。ならば契約通りこちらに引き渡してもらおう」

「何故ここが分かった…!?」

「簡単なこと。青い人魚を探させ、ここを割り当てた。貴殿に何の監視も付いていない訳がなかろう」


 黒く身軽そうな服装に身を包んだ者たちが、鎧姿の集団の前に姿を現す。

 どうやら、ゼルパーダの思惑通りに事が進んでいないらしい。


「ま、待ってくれ。まだ説得が終わってないんだ。もう少しで――」

「そう言って何度我らを待たせた?腕利きの者を紹介してやったと言うのに、それでなお失敗したでは無いか。もう次など無いのだぞ?」


 大男の内何人かがゼルパーダを取り囲み、彼を拘束する。

 そして、彼は鎧の集団の後ろへと消えていった。それから、先程彼と話していた男が歩み寄る。


「お初にお目にかかる、青い人魚よ。…だが、すぐにお別れだ」


 すると、大男たちがそれぞれ得物を取り出し、掲げる。この後の展開など、容易に想像できる。


「これからお前は死に、その肉体は我らの富に生まれ変わる。その事を誇って死ぬがよい」


 今の深月にとって、訳の分からない事を目の前の男は平然と口にした。

 先程よりも弱っているその目で、目の前の男を見やる。すると、男の表情が少しだけ変化した。


「1つ忠告しておこう。楽に死にたいと言うのなら、その目で我らを見るのを止めたほうが良いぞ」


 どうやら、人でない者に見られる事を、目の前の集団は嫌っているらしい。


 殺意にも似た、不快と感じている表情が、少しだけ目の前の男から見えた。

 しかし、自分がこれから受けるだろう仕打ちがどうなろうと、彼女にとってはどうでも良い事だった。

 置いてきた星型の髪飾り、それを義理の妹はどう捉えるのか――それだけを彼女は気にしていた。





 星型の髪飾りから浮かび上がる点は、ある場所で止まっている。

 執務室にて、スカーレットはその事を深界に報告した。


「――やはり、この場所か。時間切れは近い、か」

『どういう事だ?俺たちに説明してくれ』


 スカーレットも首を傾げて、深界の返事を待っている。

 深界は少し間を置いてから、説明を始めた。


「この場所は、というよりこの国は、少し前に調査という名目で来た場所でね。ここに深月くんの叔父、ゼルパーダなる男が居る事を確認した。彼は、この国を拠点にしていた」

『つまり、ここから追っ手は送り込まれていた、ってことか?』


 琥珀状の物体の問いに、深界は頷く。それから彼は続けた。


「前にやって来た南方の民族は金銭で雇われていた。しかし、彼個人にそれを賄える程の財力は無い。では誰が出していたのかというと、この国が出していた」

『調べはついているのか?』

「ああ。他でもない彼らに喋らせたからね。冥くんの得意分野だよ」


『恐ろしい人だな…』という琥珀状の物体の呟きに、スカーレットは疑問符を浮かべていた。


「その後やって来た彼ら――影使いの男と蛇の女、彼らはこの国に雇われていた。失敗すれば無事じゃ済まない契約の上で、ね。これもまた、証人が居てその子に喋らせたんだ」

『…情報を引き出した奴らはどうしたんだ?』

「解放してあげたよ。一部の記憶と、ここへは出入り禁止になることと引き換えにね」


 琥珀状の物体はそれを聞いてか、少し安堵したのを、スカーレットは確認する。

 スカーレットもまた、穏便に事が済んだのだと琥珀状の物体の様子を見て把握する。


「この事を知った上で考えてみると、この国は、彼に協力している事がよく分かる。彼らは間違いなく繋がっていると見ていいだろうね。小国とは言え、一個人にここまで手を貸すという事は、労力に見合う、何らかの見返りを提示されているはずだ。そして、その見返りが――」

『深月さんと、スカーレットか』

「そう、君たちだ。ゼルパーダが情報を提供した事で、この国は君たちの価値を知ることになった。だけど、まだ見返りは支払われていない」

『どういう事だ?深月さんの分はもうあっちに渡っているんじゃないのか?』

「確かにこの国に彼女は居る。だけど、理由はどうあれ、彼女の身柄はゼルパーダが確保していると見ていい。ゼルパーダは、彼女に執心しているようだったからね」

『はあ…国に居るが国に渡されていない……よく分からないな…』

「しかし、それも長くは続かないだろう。ゼルパーダはそう思わなくても、国は随分待たされたからね。もう時間が無いよ」

『だったら、急がねえと』

「そう、だから準備を整えさせた。僕からの説明は終わりだ、部屋の外で冥くんが待っている。後のことは冥くんに聞いてくれ」


 スカーレットは執務室を後にする。深界の言う通り、そこに冥が待ち構えていた。

 急ぎ足で廊下を進む冥の後を彼女は追う。すると、4体の人形が合流する。


 玄関にたどり着くのに、さほど時間はかからなかった。大扉を開け放ち、外の草原をある程度進んだところでやっと冥は動きを止める。

 振り返り、冥はスカーレットを見下ろす。


「深界様から指示を受けましたね。これから、東北東にある小国、その闘技場へと向かいます。そここそが深月様の居場所だと思われますが、念の為その髪飾りを確認してください」


 スカーレットは髪飾りを見る。点滅を繰り返す白い点の周囲には、何重もの広い円が存在する。

 恐らく、この場所が闘技場なのだろう。


「時間がありません。最短で向かいます」


 すると、彼女の付近より紫色の池が出現し、そこから四足を持つ獣らしき生物が姿を現す。

 その生物にまたがると、彼女は手を差し伸べた。


「お乗りください」


 差し伸べられた手を取り、スカーレットも獣にまたがる。


「念の為、髪飾りはこちらで預かります。戦闘が想定されますので、準備をお忘れなく。では、しっかり私に掴まってください」


 スカーレットの細い腕が、冥の腹部に巻き付く。それを見てか、冥は再び口を開いた。


「出発します」


 四足の獣は体を浮かせたかと思うと、そのまま空中を駆けていく。それに浮遊する人形たちが同行する。

 そんな彼女たちを迎えるように、太陽は徐々に顔を出していた。




 一方、執務室にて外を見ていた深界は、石製の椅子に腰掛けると、急に執務室より姿を消す。

 次に彼が姿を現したのは、施設の屋根、その上空だった、


「やはり、襲撃者は今日も居るのだね。逃げられた場合を想定して、か」


 彼の目の前には、外套に身を包んだ集団が居た。その集団も深界を認識したらしく、彼を見つめている。

 深界は杖を構える。すると、杖は一瞬にして小型の2つに分裂した。


「彼女たちの帰るべき場所は、守らないとね」


 魔法と思しき光が、次々と彼へと迫った。





 ◇◆◇





 薄氷の球体を少し砕いて、鎧姿の男たちは更に近づいてくる。

 その様子をただ見ていると、拳が彼女の腹部で炸裂した。重みから意識が遠のきそうになる。


「――ッ!!」

「言ったはずだ、その目で見るな、と。次はこの程度では済まさんぞ」


 痛みに顔を歪めつつ、周囲を見渡す。見ると、見物人らしき者たちの姿が確認できた。

 どうやら、見せ物にするつもりらしい。それぞれ異なる意味を持つ視線が、彼女の方を向いていた。


 すると、彼女の頬へ拳が命中した。何が起きたのか、深月には理解出来なかった。


「余所見をするな。お前はこれから死にゆく身。大人しくしていろ」


 深月は少し頭を整理する。どうやら、自分たちだけでなく、他の人間の姿を捉える事が許せないらしい。

 ならば、事態が変化するまで大人しくしているのが筋というものだろう。深月は目を閉じ待つことにした。


 頭を掴む感触が伝わったかと思うと、頭の触手を引っ張り上げられる。その強引さから生じる痛みで、彼女は目を開けた。


「目を閉じるな!お前は我らの勇姿をその目に焼き付けていろ」


 理解が出来ない。見るなと言えば目に焼き付けろと言われたり。結局のところ、難癖をつけて暴行したいだけではないのか。


 抵抗出来ない状態での理不尽な仕打ちは、徐々に彼女を蝕んでいた。




 四足の獣は高度を維持しつつ空を駆ける。その間、冥が守ってくれているのか、同乗しているスカーレットにかかる負担は軽いものだった。

 時間の経過をあまり感じない内に、獣は目的地である国へたどり着く。冥は獣に指示を送り、上空で静止させる。


「目的地はここで間違いありませんね?」


 預けていた星飾りを受け取り、スカーレットは確認する。

 点滅する点は、現在地に重なっていた。


『ああ。ここに深月さんは居る』

「では、参りましょう」


 獣は、下向きに駆けてその高度を徐々に落としていく。

 やがて、獣は闘技場の付近に降り立つ。搭乗していた二人が降りると、獣は静かに姿を消した。


 スカーレットは周囲を見渡すが、見張りの類は見受けられなかった。その直後、琥珀状の物体を見下ろす。彼は何か言いたげな様子だった。


『思い出したぜ、スカーレット。間違いない、ここは俺たちのいた場所だ』


 スカーレットも思い出した様子で頷く。見渡した先には、見覚えのある光景が広がっていた。

 捕らえられていた施設に、その付近の森。すぐ近くにある闘技場の外壁にも、見覚えがある。


『この国が俺たちを狙っていたのがよく分かる。この国は脱走した俺たちを連れ戻そうとしてたんだな』


 ゼルパーダともこの国で出会っている。事態は、意外なところで繋がっていた。


「では、闘技場に突入しましょうか」

「――それ、僕も混ぜてくれないかな」


 聞き慣れない少年の声が何処からか聞こえる。すると、半透明の少年がスカーレットたちの近くに降り立った。

 四肢に鱗があり、肌には不思議な模様のある、尻尾の生えた少年。彼は落ち着き払った様子で声をかける。


「僕の名前はフィン。訳あってこんな姿だけど、僕もお姉ちゃんを助けに来たんだ」

「お姉ちゃん、とは」

「深月お姉ちゃんだよ。お姉ちゃんは、今、ひどく苦しんでる」


 フィンと名乗った少年は、悲しそうな表情で続ける。


「あのゼルパーダがここに連れてきたから、お姉ちゃんは苦しんでる。今すぐ助けてあげたいけど、僕じゃ助けられないんだ」

『どうしてだ?』

「僕の体は、ゼルパーダに操られてる。僕が望んでないのに、僕の体はお姉ちゃんを傷つけたんだ」


 スカーレットの中に衝撃が走る。軽く俯き、彼女は闘技場へと飛び出した。




 突然の行動に驚いた冥はスカーレットを呼び止めようとする。だが、間に合わなかった。


「行ってしまったね、あの子」

「こうなっては仕方ありません…」


 彼女は少し間を置く。それから、決心して前方を見据えた。


「強行突破です」




 ◇◆◇




 闘技場の内部、薄暗闇の石造りの通路をスカーレットは駆ける。

 星飾りは闘技場の中央を指し示している。現在地と照らし合わせて見ると、若干のずれがあった。

 近いようで遠い。そう思いつつ、彼女はその中央へ向かう通り道を探し続けていた。


 時間がない。焦燥感に駆られるも深月を助けたい一心でいた。

 琥珀状の物体は何も言わず、彼女の様子をただ見守っていた。

 急ぐ彼女の体は少しずつ変質していく。やがて彼女自身が気付かない内に、彼女の肌は赤く染まっていた。


 それから間もない内に、彼女は中央へと進む階段を見つける。

 待ち伏せがいるかも知れない。それでも、彼女は進むしか無かった。

 その棘状の足を浮かせつつ、彼女は階段を流れるように上っていく。


「何だ、貴様は!」


 階段を上っていく内に、鎧姿の者たちが見えてくる。彼らはスカーレットを目視した途端、武器を構えた。

 スカーレットは躊躇せず鎧姿の者たちへと接近する。そして、彼らの得物の間合いに入った途端――


 ――赤い拳が彼らを殴り倒した。彼女の裾が既に変化しており、それが彼女に代わって鎧の者たちを迎え撃つ。


 動ける者たちが居なくなったと同時に、赤い拳は元の裾へと戻っていく。

 彼女は差し込む光の中へと突き進んでいった。




 一方、深月は痛めつけられ、ひどく憔悴していた。

 おそらく静止を求めても、目の前の男たちは止めるつもりは無いのだろう。


 冷気と打撃による痣が苦しめていく。苦悶すら浮かべることの出来ない顔から、涙が零れ落ちる。

 突然顎に力をかけられ、顔を強引に動かされる。その視線の先には、怒る男の顔が見えた。


「目をそらすなと言ったはずだ!そんなに死にたいか?」

「――」


 口が開いているはずなのに、声が出てこない。

 その姿が目の前の男の更なる怒りを買った。


「お望み通り殺してやろう……!」


 男は槌を取り出して、それを勢いよく振り下ろした。

 頭を割るつもりだ。こんな手足では逃げることも、防ぐこともままならない。

 目を閉じる事すら、出来なかった。


 しかし、振り下ろされた槌は、彼女に当たること無く止まった。

 何が起きたのか、深月はその目を動かして確認すると、男の腹部から黒い刃が飛び出しているのが見えた。

 そして、それは引っ込んでいく。いや、引き抜いたのだろう。刃が抜き取られ、腹の傷から血が流れ出始めた。

 間もなく男は血を吐き出す。槌を持つ手も、顎を掴んでいた手もかけていた力が緩み、男は崩れ落ちた。


 男が立っていた場所の先、そこに見覚えのある姿があった。ゼルパーダだ。

 先程見た時と違って、彼の衣装は汚れているが、彼もまた、顔に激しい憤りを浮かべている。


「何だこれは…!フォルナシアを痛めつけて、挙げ句それを見せ物にしようとしている!こんな横暴が許されると思っているのか!」


 ゼルパーダは叫ぶ。すると、彼の背後より鎧姿の男が姿を現した。


「困るんですよねえ、ゼルパーダさん。私たちとの約束を守れなかった上に、私たちの邪魔をしようだなんて、ねえ!」


 ゼルパーダの影より姿を現した黒い人型が、男の首をはねる。

 倒れた男の近くから光が反射したのを深月は見ていた。


「そうか、最初から狙いはこれだったのか……」


 ゼルパーダの影が広がっていく。それは近くにいた死体も、先程深月を殺そうとした男も呑み込み、黒い人型へと作り変えていく。

 狭い通路の中、黒い人型が大量に出現する。そして、その者たちはゼルパーダの後ろ、観客席へと向かっていった。


「僕を騙し、フォルナシアを見せ物にし、僕をも殺すつもりだった。あれほど協力的だったのは、こういうことだったんだな……」


 逃げ惑う観客たちを、黒い人型が次々斬っていく。中には応戦する者もいたが、あえなく返り討ちにあった。


「いいか、よく聞け!貴様ら全員、生きて帰れると思うなよ!」


 黒の軍団、それによる一方的な殺戮が始まった。

 晴れた空の下、人々の断末魔が聞こえてくる。寒さからか恐怖からか、深月の体は震え、耳を塞ぎたくなった。


 もはや出来る事は1つ。来るかどうかも分からない、助けを求める事だった。


 手を合わせることは出来ない。ただ祈るだけ。望みがあるとすれば、生きてここから出られるということだけだった。

 そして、彼女の望みは聞き届けられる事になる。


 闘技場の外へ続く階段の下から、赤い液体が上ってくる。血液のようだが、性質が違う。深月には遠くからでも理解できていた。

 上っていく液体は、広がった影を上書きするように広がっていく。やがて、見覚えのある赤髪が見えてくる。


 全身が赤く染まった、スカーレットが姿を現した。




 スカーレットは闘技場の中央へと到着する。目の前の狭い通路の先には、球体がある。


『見えたぜ、スカーレット。あの球体の中に深月さんが居る』


 琥珀状の物体の言う通り、その球体の内部に深月が捕らわれていた。

 急いで、そこへ向かおうとする。だが、それを阻む者も居た。


 黒い人型の存在が、彼女の前に姿を現す。黒い人型はすぐに攻撃に転じた。

 スカーレットは背後に飛んでその攻撃をかわす。だが、背後にも黒い人型は既に居て、今度はその者たちが攻撃を仕掛けた。


『任せろ、スカーレット!』


 攻撃がスカーレットに届く前に、巨大な刃へと変質した裾が背後の黒い人型を刺し貫いた。

 巨大な刃はスカーレットの前方に向き直る。それを見て、スカーレットは突進した。


 間合いに入ったと同時に黒い人型は攻撃を仕掛ける。だが、刃の方が速く黒い人型へと届いた。

 刃が引き抜かれると黒い人型はもやとなって姿を消す。障害を排除した事で、スカーレットは深月へと近づく。


「やれ、フィン!」

『上だ、避けろ!』


 琥珀状の物体の指示に従い、飛び退いて落ちてくる氷弾を避けた。

 やがて、球体の前に鱗のある四肢を持つ少年が姿を現した。


『あれがフィンの本体か』


 先程会った姿より、黒く変質しているが、彼本人と見て間違いはない。

 意識の無い死体だけが、彼女の前に立ちはだかった。


「誰もフォルナシアには近づかせない!」


 客席近くのゼルパーダの発言の直後、フィンは氷の刃を持ち、彼女に接近した。

 連続する斬撃に赤い刃が応戦し、攻撃が届くのを未然に防ぐ。それでも、スカーレットは少しずつ後退を余儀なくされた。


 埒が明かないと思ったのか、琥珀状の物体が赤い刃を振り抜き、氷の刃を弾き飛ばす。

 そして、赤い刃を拳に変え、フィンを殴りつけた。

 しかし、フィンはそれを両手で受け止める。損傷を抑えつつ、受け止めた拳を凍りつかせようとしていた。


『…!厄介な能力だぜ!』


 もう一方の手でフィンの体を掴むと、スカーレットに指示を送りつつ後ろへ投げ飛ばす。

 その衝撃で客席より砂煙が舞う。一方掴んだ手はそこから凍りつき、受け止められた拳もろとも砕け散った。


『時間は稼いだ!頼むぜ、スカーレット!』


 その言葉に応じて、スカーレットは自分の得物を取り出す。そして、液体に満ちた球体が上になるよう構えると、その姿勢で突進する。


「させるな!起きろ、フィン!」


 砂煙の中よりフィンは片手を前に向け、氷弾をスカーレットへと飛ばす。

 しかしそれは、すぐに紫色の物体に阻まれた。


 ある程度深月へ接近すると、その手前で止まり、液体の満ちた球体を通路の床へ差し込む。

 すると、中身の液体が激しく振動を起こし、目の前の薄氷の球体へと注がれていく。

 球体の損傷部は紅い液体に補強され、液面を高くするそれは、やがて深月を呑み込んで、球体を紅い液体で満たそうとしていた。




 ある空間にて、深月は目を覚ます。そこには、ただただ白い光景が広がっていた。

 体を蝕んでいた氷は無くなっており、怪我も見当たらない。体に違和感があるとすれば、体温がいつもより高く感じることだけだった。

 だが、それは不快なものではなく、寧ろ心地が良い。彼女は安心感に包まれていた。


「お姉ちゃん」


 体の確認が終わると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 振り向くとそこに、フィンが寝転がっていた。微笑むその姿を見た途端、涙が溢れ出てくる。

 彼を抱きしめ、深月は激しく泣いた。


「ごめんなさい…お姉ちゃん、貴方のことを守れなかった……」

「良いんだよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、よく頑張ったよ」


 彼の、成長の止まってしまった幼い手が背中を優しくさする。

 その手の懐かしい感触が、彼女の中の悲しみという感情を全て吐き出させた。


 ほとぼりが冷め、彼女は自分の涙を拭う。それからフィンが問いかけた。


「お姉ちゃんは、これから何をしたい?」

「考えてみれば色々あるわ。でも、その中で一番したいことがあるとすれば、スカーレットを幸せにすることよ」

「お姉ちゃんは、スカーレットちゃんのことをどう思ってる?」

「貴方に似た、素直な良い子だと思ってる。時折、貴方の姿を思い出す」

「でも、僕とは違う、でしょ?」


 その言葉に深月は快く頷く。すると、フィンは起き上がり、彼女の手を握った。


「だったら僕の力、お姉ちゃんのこれからの為、あの子のこれからの為、使ってあげて」


 深月は戸惑う。これからその力を使うとしたら、目的は既に決まっている。


「良いの?私、人を殺してしまうかも知れないのよ?」

「例え、今殺すために使うことになったとしても、お姉ちゃんが無闇に人を殺したりしないと、分かっているつもりだし、信じている」


 深月は水の矢と毒の棘を使いこなせるようになった時の事を思い出し、それを何の為に使いこなせるようにしたのかをもう一度自分に言い聞かせる。

 それを待ってか、フィンは少し間を置いて続けた。


「動くはずの無い体を散々動かされて、散々こき使われて。僕ももう疲れたよ……あの男がこれ以上何かする前に、お姉ちゃんに葬ってほしいかな」

「…分かった。貴方の思いは無駄にはしない」

「ありがとう。嬉しいよ」


 フィンは握っていた手を彼女の背中に回して抱きしめる。

 体が急激に冷えるのを感じたが、彼の為に深月は堪える。


「短い間だったけど、本当に幸せだった。もっとこうしていたいけど、もう僕はここに居るべきじゃない。いつかまた何処かで、お姉ちゃんと会えるのを、楽しみにしているよ」


 フィンは抱きしめていた手を少しずつ緩める。そして彼は立ち上がった。


「さようなら、元気でね」

「さようなら、私の愛しい、弟――」


 彼の姿が消えると共に、彼女の視界は暗転した。




 さほど時間もかからず、紅い液体で充満した薄氷の球体は、その状態に耐えきれなくなり、粉々になった。

 それと同時に紅い液体が溢れ出ていく。その中より、深月が流れ出された。

 スカーレットは急いで彼女の元へ向かう。幸い、彼女を蝕んでいた氷は溶けてなくなっている。

 少しずつ目を開けていく姿を見て、彼女が生きていることを実感し、スカーレットは少し安堵した。


「スカーレット…スカーレットなのね……」

『ああ、俺たちだ、深月さん。帰ろう、あの場所へ』

「その前に、やるべきことをさせて」


 深月は体をゆっくりと起こす。その後、心配そうに見つめるスカーレットの頭を優しく撫でた。

 スカーレットは、少しずつ遠のいていく背中を、信じて見送った。




 フィンを抑えていた紫色の物体は、フィンの手で凍りつき、砕け散る。

 姿を現した冥がその様子を見て、次の策を練っている。そこに深月は近づいた。


「冥さん。代わります」

「お体の方は大丈夫ですか?」


「大丈夫です」と自信を持って答えた深月に、冥はすんなりと譲った。

 黒いフィンが氷の刃を持って迫る。それに対し、深月は腕を広げて迫るのを待っていた。


 彼女の予想通りか、黒いフィンは氷の刃を深月の体に突き刺そうとする。だが、彼女の体に触れた刃は折れて砕けた。

 フィンより受け継いだ氷の力をもって、刃の当たる部分のみを凍らせ、氷の装甲を一瞬だけ生成した。すぐに解除し、無防備になった黒いフィンの体をそっと抱きしめる。


(また何処かで会いましょう)


 黒いフィンが彼女の体を凍らせようとするその前に、彼の肉体を凍らせ、砕け散らせる。

 粉々になった氷の粒は、床に落ちると共に消えた。それを見つめると、深月は自分の体の異変に気がついた。


 手の甲に血管を伝うような水色の線が3本浮かび上がり、右手の人差し指と、左手の薬指が氷塊のように変質している。腕には雪結晶の模様が薄く描かれていた。

 冥の方へと振り向く。すると、彼女と共に居た半透明のフィンの姿も消えようとしていた。

 彼の嬉しそうな表情に微笑みで返し、完全に姿が消えるのを見送った。


 残るは、あの男のみ。深月はある一方に見やる。

 そこには、威勢の消えたゼルパーダの姿があった。




「あ、ありえない……」


 ゼルパーダは、予想外の出来事に、そう感想を述べた。

 黒いフィンが、氷となって砕け散った。あれは間違いなく彼自身の能力。

 今までのフォルナシアには決して使うことの出来なかった能力。何故、使えるようになったのか。


 ゼルパーダは必死に頭を使う。氷の能力を、フォルナシアが使えるようになった理由を考える。


 彼の能力を逆流させた? 違う。彼女はそんな芸当を持ち合わせてはいない。

 彼を自爆させた? 違う。彼の体は水浸しにはなっていなかった。遠目から見ていてもよく分かった。


 あらゆる可能性を考えてみても、いずれも使えるようになった理由には当てはまらない。

 可能性を潰していく内に、彼の中にある一つの考えが浮かんだ。


 まさか――力を継承した?


 フィンは既に死亡しており、肉体に自我は無かった。ならば、信じたくは無いが彼の霊体がそうさせたのなら、納得がいく。納得が出来てしまう。


「そうか!力を受け継いだんだ!あいつの霊体が何処かに居て、フォルナシアに干渉したんだ!」


 未だに信じられないと思いつつも、笑い飛ばして自分を納得させる。

 だが、すぐに彼は現実に直面する事になる。先程、フィンを倒したフォルナシアが近づいてきているという事実に。


 それを認識した途端、彼は声にならない悲鳴を上げた。


「あ、ああ……あ…」


 ゆっくりと近づいてくる彼女に、ゼルパーダは言いようのない恐怖を覚える。その恐怖は、彼を後ずさらさせる。

 しかし、すぐに壁際へと追いつめられた。左右に逃げようにも、表情の見えない彼女がそうさせない。

 いつもなら待ち望んでいた光景。だが、今だけは這い寄る恐怖でしかない。

 ゆっくりとだが、着実に彼女は迫ってきていた。


 両手が伸びる。恐らく、急所を掴むつもりなのだろう。

 殺される。そう思っても、彼に反撃は出来なかった。愛しているが故に、拒絶など出来るはずもない。

 目を閉じる。せめて凶悪な彼女の姿を目に収めてしまわぬよう、彼は何も見えない視界の中で、自分が死ぬのを受け入れる事にした。


 何かが抱きつく感触を覚える。だが、それ以降は何も感じない。

 少しの時間が経ったが、何も起きる気配が無い。彼は恐る恐る目を開ける。


 すると、彼の大柄な体を抱きしめるかつての姪の姿がそこにあった。

 彼女はとても穏やかな様子で抱きしめている。その様子を見て、彼にあった恐怖心というものは次第に薄れていった。


 体が酷く冷えてしまっている。恐らく、先程までの仕打ちがそうさせてしまったのだろう。

 申し訳無さと、自分を受け入れてくれた喜びを胸に、彼女を自分の体で温めようとする。


「…叔父さん」


 久しく呼ばれなかった呼び名を聞いて、彼の鼓動が高鳴る。目の前にある頭をそっと撫でようとした、その瞬間だった。


「さようなら」


 不意に彼女の頭が動き、何の感情も無い目が、彼を捉え、淡々と告げられる。

 それが、彼を恐怖のどん底へと叩き落とすのにさほど時間はかからなかった。

 必死になって彼女を呼び止めようとするが、声が出ない。訴えようとしても、彼女には伝わらなかった。


「それだけは、やめてくれ」


 そのたった一言すら言えずに。彼の意識は急に途絶えた。




 ゼルパーダの肉体もまた、氷像へと姿形を変える。

 そして、その氷像の足元を伝うように、氷が広がっていった。


 深月は手を離す。しかし、氷の侵食は止まらない。やがて、この国の全てを呑み込んで、この国は永久の眠りにつくだろう。


 全てを終わらせ、一人空を見上げる。それから少しして、近づいてくる存在に目を向ける。

 スカーレットを抱え、冥が近寄る。氷が地面を覆っているとはいえ、彼女は慣れた足取りで向かってきた。


「スカーレット様は眠ってしまいました。力を使いすぎたのでしょうね」

「この子が来なければ、私は助からなかった。感謝してもしきれません」


 冥がふっと微笑むと、深月に道を譲るように動く。

 すると、彼女が退いた先に、宙に浮いている大穴が見えた。


「一度来た場所で無ければ接続出来ないものです。あれをくぐればあの場所に戻れますよ」


「さて、帰りましょうか」という彼女の言葉と共に、深月たちは大穴をくぐった。



 冥が大穴をくぐり抜けると共に、大穴はその口を閉じる。

 氷に覆われた闘技場は、静寂に包まれた。

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