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魔の宴  作者: Gno00
紅い棘と蒼い花

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10/39

戦慄

 脱出の計画ってのは、意外と早く準備が整うんだな。

 やろうと思えば出来たという俺自身の能力に驚かされる。見張りの目を掻い潜り、時に目を欺いて、牢獄を隅々まで調べて入念な計画を立てた。

 後はそれを実行に移すだけだ。いつかは決行しようと思っていた計画を前倒しにしたのは他でもない、スカーレットの為だ。


 こいつは、こんな所に居ちゃいけない。何故だかそんな気がする。


 失敗したところで、俺が身代わりになればいい。俺が時間を稼いで、こいつだけでも逃げられるようにすればいい。

 結果はどう転ぼうと、こいつとは別れる事になる。寂しいと言えばそうだが、そんな感情は計画を成功させるまで取っておく。


 独房周りの見張りが居ない。あれだけ騒ぎを起こしておいて、監視を増やさないってのはおかしな話だな。

 物音すら聞こえてこない。今日だけはあえてそうしているのかも知れないが、どれだけ大きな音を立てても反応1つ返ってこない。


 ――やるなら今だ。そう思った俺は、得意の変身能力でまず自分の枷を外す。

 次に、格子をすり抜けて、スカーレットの枷を外してやり、独房からも出してやる。今度こそは自由の身だ。

 そして、俺たちの独房と隣り合っていた檻に押し込められた者たち――猛獣どもも解放してやる。


 全ての猛獣の枷を外し、檻から何時でも出られるようにしたその時、猛獣どもは目を覚ました。

 暴れ狂うってこういう事を言うんだな。俺たちのことには目もくれず、猛獣どもはある一方へ飛び出していった。

 怖がるスカーレットを慰めてやり、俺たちは猛獣どもの向かった方向とは逆の道を進む。


 脱出経路は頭に叩き込んである。後は想定できる妨害を突破するのみ。

 スカーレットを抱きかかえて、俺は牢獄の中を突き進んだ。



 道中には多数の別れ道があったが、それにいちいち悩まされるほど俺も単純には出来ちゃいない。

 集めた情報を頼りに、牢獄にある裏口を目指す。


 理由としては、正面口から出るのは危険だと考えたからだ。

 少し前まではある程度は人員を割いていたはずの見張りが、今日は見当たらないのはおかしい。

 ならば、別の事に動員していると考えるべきだ。恐らく、正面口は抑えられていると考えていい。


 まあ、裏口にも見張りが居たらそこで俺たちの脱出計画は破綻する事になるが。

 その時はその時だと、余計な事をなるべく考えないようにして脱出経路に沿って動く。




 ……やはりと言うべきか。見張りと呼べる人間が見当たらない。

 こうして独房に入れられていた連中が逃げ出したとしても、気付けるような状況にない。こちらにとっては好機この上ないが、奴らの杜撰(ずさん)さを改めて知ることになり、俺はほとほと呆れる。

 計画通り、裏口へと辿り着いたが、あまりにも順調に進みすぎて、罠の可能性を疑いだした。


 1つ気がかりがあるとすれば、あの多腕の大男。顔までは見えなかったが、奴が人間でないこと、またここに居た荒くれ者どもの上に立つ者だと言うのは確証が持てる。

 この先に罠があるなら、恐らくそいつの仕業だ。ここから先はより慎重になって進むしか無い。


 頑丈そうに見える鉄扉。俺は試しに扉の取手を握り、捻って見る。ある程度は開いたが急に扉は動きを止めた。

 外から鎖が見えて、外から鍵が掛けられているのが分かった。俺は更に力を入れると、鍵が壊れて完全に開いた。

 外を見渡してみても、人影は一切無い。建物を見上げても、罠らしきものは一切無かった。


「スカーレット、出てきていいぞ。ここは安全だ」


 建物の内側で心配そうに見ていたスカーレットに声をかけてやる。

 スカーレットも、安堵した様子で外に出てきた。


 ある程度外に出てきたところで、近くにある木陰まで移動する。まだ建物との距離は短い。ある程度離れたところまで逃げるまでには、見つかる訳にはいかなかった。


「スカーレット、これから先も俺はお前を逃がすために行動する。例え俺が動けなくなっても、お前が別の何処かへ逃げられたら、それで俺たちの目的は果たされる。いいな?」


 その言葉にスカーレットは頷く。俺は続けた。


「…これから先、何があっても、俺のことは気にするな」


 牢獄に人間らしき存在は見当たらなかった。それはつまり、牢獄の外に人間たちが居る事になる。

 恐らく、俺たちの脱出に気づいて追手をけしかけてくるかも知れない。既に、把握して対策を打っているのかも知れない。

 もし、その追手から襲撃を受ける事になれば、スカーレットは辛い思いをすることになるだろう。俺が思っている以上に。


 スカーレットは何かを言いたげにしていたが、それを遮って俺はスカーレットを抱きかかえる。

 ここまで来たからには、何としてでも逃げ切るつもりでいた。




 走る。走る。走る。時に街の中を、時に森の中を、時に開けた場所を。

 牢獄の時は事前に情報を掴むことが出来たが、外に関しては情報が不足している。投獄される前の記憶を頼りに進むしか無い。

 しかし、俺は走っている間に違和感を覚えていた。外にも、人間らしい存在が見当たらないからだ。

 一体何が起きている。考えても答えは出てこない。好機と言えばそうだが、あまりにも不自然だ。


 不安を抱きつつも、それをスカーレットに悟られないよう進んでいく。

 そうしていくと、意外にもあっけなく街の出口らしき場所に辿り着いた。

 左右を見る。しかし待ち伏せらしきものは見当たらない。悩んでも仕方が無いから、突き進む事にした。


 だが、街の出口らしき門をくぐり抜けた途端、何かに気づいて俺はスカーレットを持つ腕を前に出した。

 その直後に、鋭く太い何かが俺の腹を貫いた。痛みに疼くまりそうになりながらも、俺はスカーレットを抱えて逃げようとする。

 更に太い物体が俺の体を刺し貫く。倒れそうになる体を何とか前へ前へ進ませる。

 俺を貫いたものが何なのか、嫌でも見ることになったスカーレットは今にも泣き出しそうな顔をする。そんなスカーレットは見てられないと、俺は勇気づけることにした。


「…心…配、する、な……スカーレット……お前…だけ、は…何と…してでも…逃がす……」


 だが、俺の意思とは裏腹に俺の体は動かなくなる。腕を前へ突き出したまま俺は倒れ込んだ。

 倒れた衝撃からか、途端に俺の視界は朦朧とし始めた。腹が立つ程晴れた青空と、ぼやけたスカーレットの姿を見て、俺の視界は途絶えた。




 ◇◆◇




 青い人魚の少女、深月から明かされた過去の出来事。

 その衝撃的な内容に、スカーレットはただただ驚いていた。


『こいつと出会ったのはそれから間もない頃か』


 琥珀状の物体の問いかけに、深月は首肯で返答する。

 深月は実の弟のように愛していたフィンを失い、心の隙間が埋まらない内にスカーレットと出会ったのだ。

 恐らく、出会った日の時点では、見分けがついていなかったのだろう。

 姉を守ろうとして命を落としたフィンと、生きるために足掻いていたスカーレットの姿が。


『しかしよお…ちょっといいか』


 琥珀状の物体は深月に再び問いかける。


『あんたはフィンという、弟さんが死んだと確信してる』


 深月はその言葉に頷いた。琥珀状の物体は続ける。


『だったらよ、その、ゼルパーダとかいう男が生きてるのはおかしいんじゃないか』

「あの子と一緒に、あの男が死んでる、と」

『まあ、そういうことになるな』

「だけど、二人の魔法使いがやって来た時。私は確かに感じたの。見覚えのある気配を。そして、立て続けにここが襲撃を受けている」

『その時の気配と複数回の襲撃があの男の生存を確信させた、って訳か』


 深月は頷く、それを見てか琥珀状の物体は唸った。


『…襲撃が起きたのは俺たちが来てからだろ?そのゼルパーダとかいう男と俺たちに何か関係があるのか?』

「見覚えがないかしら。最初の内は貴方たちを狙っての襲撃だった。それが、私、あわよくばスカーレットをも狙う襲撃に変化した」

『あるようなないような…腕が複数ある大男なら見たことはあるぜ。……顔は見てねえけど』

「恐らくそれね。貴方たちが逃げてきたのを知って、連れ戻しに来たんだわ」


 深月のその答えに『…まじかよ』と琥珀状の物体は驚いた声で答えた。

 琥珀状の物体と、深月の談義は続く。


『しかし何で目標を変えたんだ?俺たちのことは、…まあ諦めた訳でも無いようだが』

「襲撃者たちの情報から私が居ることを突き止めたのではないかしら。追い返した魔法使いたちが彼らに情報を与えたようね」

『…口封じ、無理にでもしとくべきだったかな』

「その必要は無かったわ。いずれにせよ突き止められていただろうから」


『…そうか』と琥珀状の物体は呟く。

 襲撃の内容は徐々に大規模なものへと変化している。恐らく、今度は施設を破壊するつもりで襲撃をしかけてくるだろう。

 深月はともかく冥や深界への負担も大きくなっている為、早い内に解決するのが望ましい。

 だが、問題は相手が何処にいるか、だ。脱出した牢獄のあった場所など逐一覚えてはいない。


 琥珀状の物体はそう考えつつ、その見えないところから針を軽く刺されているような今の状態を快く思ってはいなかった。

 スカーレットに声をかけて、深月の元を去ろうとする。が、その途中でスカーレットを止めた。


『もう1つ、質問いいか。ゼルパーダは今も生きて、何処かに居る。だったら、あんたの弟さんも生きているとは思わないのか?』

「あの子はあの時点で大怪我を負っていた。その状態から崖に落ちたの。…望みは限りなく薄いわね」

『そうか……』


 それ以上は何も言わず、スカーレットは部屋を後にした。




 時の流れというのは、遅いようで早い。あっという間に、少し欠けた月が昇り始める時間になっていた。

 疲れていたのか、早く眠ってしまったスカーレットの寝顔を見た深月は、部屋を後にする。

 薄暗く、少し冷えた廊下の中を進んでいく。月の光を反射させた紫の瞳は、ある決意を宿している。


 そんな彼女に、背後から声がかかる。声の正体は深界だった。

 夜闇に紛れていても、白い外套はよく目立つ。少しずつ彼は深月へと近づいていった。


「こんな時間に何処へ行こうと言うのだい?」


 深月は申し訳なさそうに目をそらす。その様子から察したのか、深界は続ける。


「かつての叔父さんと決着を付けるつもりだね。確かに、来るとするなら今日だろう」


 深月は目を見開く。話した訳でも無いのに、深界は既に知っている。


「何時、知ったのですか……」

「僕も少し気になってね。襲撃をかけてきた彼らがどういう存在なのか、また、何処から来ていたのか独自に調べていたんだよ。…そうしたら、奇妙な事実に辿り着いた」

「…それが、私の叔父の仕業、だと」


 深界は首肯する。知らず知らずのうちに迷惑をかけていたという事に、深月は申し訳無さで一杯になる。

 だが、そんな彼女の肩を、深界は持つ。深月が顔を上げるのを見て、深界は続ける。


「決して、迷惑をかけたと思うんじゃない。遅かれ早かれ知っていた情報だ。これから先、僕たちも手を貸すよ」


 深月はお礼の言葉が言いそうになるも、敢えて飲み込む。聞きたいのは、"それ"では無いのだろうと感づいたからだ。


「私は、どうすれば良いのでしょう…」

「どうするも何も、君が、さっきまでやろうとした事をすればいい。僕たちはそれを出来る範囲で支援する。後のことは考えなくていい」

「止めないのですか?…恐らく私のする事は、私が思う以上の大事になりますよ……」

「それならそれで良いじゃないか。要は、君が納得するかどうか、だからね。このままもやもやした気持ちを抱えて過ごしていても、仕方がない、だろう?」


 それを聞いて、深月は少しだけ安堵した。この人たちに会えて良かった、と。

 深界が手を離したのを見て、深月は決心のついた目で彼を見上げる。


「ありがとうございます。…私は、私のやりたい事をやってきます。そこで、深界さんに、1つお願いがあるのですが……」


 深月はその手で星型の髪飾りを外して、深界によく見えるよう差し出す。

 月の光を受けたそれは、曇りのない輝きを放っていた。


「これをスカーレットに渡してください」


 深界はこれ以上追及することなく、静かにその髪飾りを受け取る。

 深月は一礼すると、駆けるように施設の出入り口へと向かった。




 ◇◆◇




 建物の外。深月はある程度整備の施された階段を降りていく。

 夜闇と冷気に包まれつつ、彼女は辺りを見渡して状況を探る。

 誰の姿も見当たらない。だが、確実に近づいてきている。根拠は無くとも、そう確信出来ていた。


 スカーレットから深界の発動した結界はまだ有効であると聞かされているが、その結界の守りを無視して施設へと近づいてくることの出来る者も少なからずいる。

 それは予め、深界が定めた例外というもの。そして、その例外の中には――


「やあ、久しぶり。フォルナシア」


 ――当然、この男も含まれている。

 聞き覚えのある優しげな声が聞こえてくる。今の深月にとっては耳障りな声。

 六本の腕を持つ、魚のような水色の肌の大男。あの頃の服装と似たような姿をしたゼルパーダだった。


 その姿を捉えた瞬間、深月は身構える。明らかな警戒態勢であるのに対し、ゼルパーダは接近を止めようとしない。


「そう怖い顔をしないでくれ。今は再会を喜ぼうじゃないか」

「仮に、作戦が上手くいったとしても、そう言うつもりだったのでしょう。私は喜べませんが」


 ゼルパーダはその言葉を聞いて、きょとんとした顔をする。そして、その表情は途端に笑みへと変わった。


「なんだ、知っていたんだね。流石はフォルナシアだ」

「なぜ今更私を狙うのですか」

「言ったじゃないか、フォルナシア。君を幸せにする、と。その為に迎えに来たんだよ」

「必要ありません。それに、手荒な真似をしてくれるのですね」

「あの時断られてしまったのでね。こうでもしないと君を連れていけない、と思ったんだよ」


 今もまた断られてしまったが、と付け加えるゼルパーダを無視して、深月はため息を吐く。

 自分が使役出来る者たちばかりに任せているから、この男は知らないらしい。


「私が今の貴方を知らないように、今の私を貴方は知らない。だから、こうして強引な手ばかりを使うのですね」

「あの時のように明らかに拒絶しているね、僕を。敢えて聞くが、僕にどうして欲しいのかな?」

「何もせずに去りなさい。そうすれば、今回の件は無かった事にしましょう」


 そう言うと、ゼルパーダは今にも腹を抱えるような勢いで笑った。


「それは無理だね。だって、こうして僕が出てきた以上――」


 夜闇より、黒い人型が複数姿を現す。その手にはそれぞれ得物が握られていた。


「――君を必ず連れて行くからね!」


 因縁の戦い。それは静かに始まりを告げた。




 黒い人型は少しずつ数を増やしていく。恐らく、あの時と同じように数の利で攻めるつもりなのだろう。

 深月は集中する。黒い人型は倒しても数が減るだけで、すぐにその分が補充される。ならば、狙うは一点のみ。


 深月は右手を背後へ向けると、間を空けずに、まるで何かを放るように振るった。


 それと連動するかのように、何もないはずの地面から直線を描く水しぶきが数度、ゼルパーダへと迫るように起こった。そして――


「ぐあっ!?」


 急に姿を現した水球がゼルパーダの手前で破裂する。ゼルパーダはその衝撃で大きく吹き飛んだ。

 黒い人型は本体が攻撃された事で、数の増加が一旦止まる。だが、すぐに再開した。


 姿勢を立て直したゼルパーダの衣服は、水に濡れている。深月は表情を変えずに次の手を打とうとしていた。


「黒い人型を狙うんじゃなく、最初から僕を攻撃するつもりか。少しは考えたようだね」


 それでも、黒い人型を作り出していくゼルパーダの手は止まらない。

 対して深月は自らの右手に持たせるように細長い棒を作り出す。やがてそれは水の槍へと大きく姿を変えた。


 何時でも投擲出来るように構える。ゼルパーダは迎え撃つつもりだったようだが、その直前である異変に気がつく。

 黒い人型が近くに居ない。ゼルパーダが辺りを見渡すと、黒い人型は水流に押し流されていた。

 先程破裂させた水球の残骸。それが深月の能力によって水流を作り出した。

 黒い人型は数が減らされる度に学習し、自分たちへの攻撃に何らかの対策を身につける。ならば、数を減らさずに行動を阻害したならどうなるか。

 寄せ付けず、近づけさせない。無防備になったゼルパーダへと、深月は水の槍を投擲する。


 水の槍はゼルパーダに命中する。彼は、まるで立板を押したかのようにあっけなく倒れた。

 手応えが無い。深月は目の前の彼に当たったが、()()()には当たっていない事を把握する。


 その証拠とばかりに、倒れたゼルパーダの影より、黒い物体が姿を現し、やがてそれはゼルパーダの姿となった。

 一方、倒れた彼は黒い物体へと姿を変え消滅する。つまりは、影の中に潜んでいた方が本物ということ。


「見事だ、フォルナシア。ここまで僕を追い詰めるとはね。彼を失ったことが君を大きく成長させたのかな?」


 ゼルパーダは拍手を送っている。皮肉交じりなその声に、怒りがこみ上げてくる。

 しかし、今は感情をさらけ出す場合ではない。早くなる鼓動に手を当てて、深月は自分をなだめる。


 返事を待っている今こそが好機。深月は拍手の音を聞きつつそう確信した。

 ゼルパーダは余裕の表情をしているが、自分を守るはずの黒い人型が、未だ水流に押し流されているという状況は変わらない。

 先程の水球の結果から考えて、ゼルパーダは不意打ちに弱い。恐らく、ある程度は予測出来る攻撃でなければ、黒い人型を動かしたり、身代わりを作り出したり出来ないのだろう。


 深月はまっすぐゼルパーダを見据えると、彼の様子を見る。依然、拍手をしているままだ。

 それだけを見ると、深月は右耳の手前より生えている触手を動かし始める。

 耳の手前より生えている触手のみ、左右とで長さが異なり、左と比べて右側の方が長い。

 その長い触手の先がゼルパーダを捉える。細く点のような穴が、ゼルパーダへと向けられた。そして――


「――ぐっ!?」


 ――ゼルパーダの左肩が撃ち抜かれ、後ろに倒れ込む。その途端、黒い人型は動きを止めた。


 ゼルパーダを負傷させる攻撃。それは、先程動いた長い触手より放たれた。

 他の触手と比べて出力の高いその触手のみが撃てる、水の矢。腕の猛毒の棘と同様、普段は隠しているものだ。


 それが持つ可能性に気づいたのか、ゼルパーダは左肩を押さえつつ不敵に笑う。


「――やるじゃないか、フォルナシア。過酷な環境が、君をそこまで強くしたのかい?」

「あまり使いたくない手です。誰であろうと、簡単に壊してしまう力ですから」


 隠している理由はそこにあった。猛毒も、水の矢も、強すぎる為、想定外が起こりやすい。

 ゼルパーダや野盗たちのように簡単に命を奪えるような者になりたくない為、この2つの力を使う時が来ても、制御できるよう力をつけた。

 もっとも、あの時に使う事が出来たなら、という後悔もあったが。


「ならば、僕も見せないとねえ。あの時とは違うって事を!」


 自分の影から新たに黒い存在を生み出す。それを見て、深月はあることに気がついた。

 ゼルパーダが新たに生み出した黒き生物は、子鬼と呼ぶべき姿をしていた。それは、深界から聞かされた一部の侵入者の姿と一致している。

 ゼルパーダは自身が雇ったであろう者たちだけでなく、自身の配下をも送りつけていた事を、深月は把握する。


 子鬼たちは完全に姿を現した途端、左右へと散らばっていく。放っておいて良いような者では無いと思い、深月は髪を模した触手を動かし始める。


「なぜ他の者たちと姿が違うのか、教えてあげようフォルナシア。彼らは元々、人間だった」


 一瞬の動揺。しかし、それは子鬼たちが行動するのに十分な時間を与えてしまった。

 走る子鬼たちの動く影から次々と黒い人型が作り出されていく。黒い人型は次々と深月へと迫った。


 一体ずつなら対処できるが、複数体で攻め込まれては為す術が無い。体のあちこちを浅く斬られ、深月は痛みに苦しむ。

 得物を持った黒い人型が去ったと思うと、続けざまに素手の部隊が現れる。囲むように迫る者たちに対処出来ず、蹴られ、殴られた。

 先程の斬撃と違った鈍い痛みは深月を倒れさせる。動けなくなった深月を黒い人型が囲んだ。

 恐らく、水流は既に解除されてしまっている。何か行動を起こせばすぐさま嵐のような迎撃を浴びる事になるだろう。例え、周囲の者たちを倒したところで、すぐさま別の黒い人型が迫ってくる。今の状況が恐ろしいと感じた深月は、涙のこみ上げる目を開ける事が出来なくなっていた。


「あの赤い少女を追っていた魔法使いたちも、僕が新たに雇った傭兵二人組も、僕が与えた任務に失敗した。僕は役立たずに厳しくてね、殺すのも面倒だったから何か別の使い道が無いかと考えたんだ。それで、僕の実験に付き合ってもらうことにした。もちろん、実験体として、ね」


 ゼルパーダの発言。それは、スカーレットを狙った人間たちの結末を淡々と説明していた。

 実の叔父である彼と決別した時に抱いた感情が蘇る。それは現在置かれている状況に対するものとはまた異なる、恐怖というものだった。

 あの時まで、彼が隠していた彼自身の残虐性。嫌という程思い知らされたものをまたしても叩きつけられた。


 涙が止まらない。今の状況が悪夢であってくれと願ってしまう。自身にある戦意というものが削がれていく。

 だけど、投げ出す訳にはいかなかった。今、ここにいるのは、他でもない、自分の為。

 あの時果たせなかった過去との決別をする為。立ち上がるしか無い。


 閉じたままだった目を恐る恐る開くと、黒い人型はこちらを囲んだまま動こうとしない。

 こちらが明確に行動しなければ、迎撃出来ないのだろう。ならば、この状況は寧ろ好都合と言うべきだ。

 黒い人型が囲んだ事で、ゼルパーダはこちらの動向を見る事が出来ない。仕込むなら、今だ。


 深月はうつ伏せになって倒れたまま、胸を覆う触手の先を伸ばす。それが腰回りの水たまりに届くのにさほど時間はかからなかった。


「君が傷つくのはあまり見たくないんだ。君が怪我をする度、心が痛むからね。つまり、君をそれほど愛しているということさ。降参するなら今――」


 ゼルパーダは発言を止める。それもその筈、この状況からでは想像だに出来ない事態が起きていたからだ。

 先程まで深月を囲んでいた黒い人型が全て、地面より突き出た水の棘に刺し貫かれて消滅したからだ。黒い人型が消えた途端、水の棘も引っ込んでいく。


「な、何をした!」


 彼は黒い人型を慌ててけしかけるが、もう遅い。

 仕込みは既に終わっている。後はそれを発動させるのみ。


 全てを呑み込まんとする大津波。深月はただただそれがのしかかる様子を見つめていた。

 黒い人型が迫るどころか寧ろ遠のいていくのを感じつつ、途端に彼女の視界は水に覆われた。

 ゼルパーダ諸共、黒い人型の集団を押し潰したであろうその頃に、深月は多量の水に包まれていた。

 彼女が使う水には、若干ながら癒やしの効果がある。スカーレットのものと比べれば些細なものだが、痛みを和らげ、切り傷を修復するのには十分な効果だった。


 水が引いていくのを確認し、彼女はゼルパーダの様子を見る。

 水の塊を押し付けられた衝撃からか、すぐには動けない様子だった。黒い人型は全滅したのか、見当たらない。


「まだ、続けますか?」


 状況は逆転した。立て直す事すら不可能に近いだろう。深月はせめてもの情けとして、彼に問いかけた。

 しかし、彼に諦める様子は見受けられなかった。


「決まっているじゃないか、フォルナシア。この程度で勝ったなんて、君は甘すぎるよ」

「そう、ですか」


 一番、恐れていた状況。それは自らの力で他者の命を奪うこと。

 躊躇(ちゅうちょ)していてはすぐにでも反撃されてしまうだろう。ならば、一人の犠牲をもってこの戦いを終わらせるべき。


 先程使った長い触手を、今度は少し上へ傾けて伸ばし、高圧の水を噴射させ、それを維持する。

 このまま振り下ろせば、彼の肉体など容易く切断出来てしまうだろう。やりたくはないが、もう迷ってはいられない。


 水の刃は刻一刻と彼へと下ろされていく。しかし、彼に触れる寸前で、止まってしまった。

 決して、彼女自身が止めた訳ではない。その根拠とばかりに、触手だけは動いている。水の刃自体が止まってしまっていた。

 更に、触手から離れ、停止したままの水の刃は、またたく間に凍りついて砕け散る。


 誰の仕業なのか、深月にはすぐに理解できた。そして、それが非常に望ましくない事態であることも。


 ゼルパーダが能力で生み出したかのような黒い姿。しかし、それは黒い人型でも、子鬼でもない。

 鱗のある四肢を持つ、長い尻尾が特徴的な少年。フィンだった。彼は起き上がろうとするゼルパーダの前に姿を現す。


「君は知っているね。あれだけ愛でていたから」

「やはり、蘇らせていたのですね…」


 彼女には想定出来ていた。もちろん、その根拠もある。


「蘇らせた、とは厳密には違う。彼は既に死んでいるから、その死体を利用させてもらっているだけさ。彼の持つ能力も、ね。…ところで、その様子じゃ予想出来たみたいだね」

「あの時、貴方はたくさんの人間を殺害した。その死体が殺された人数に比べて少なかったのを覚えています」

「僕が死体を乗っ取って傀儡に仕立て上げた、と。流石の観察力だ、フォルナシア。…だけど、根拠はそれだけじゃない、だろう?」

「少し前にやって来た侵入者が、任務に失敗した途端、氷漬けになって消滅したと聞かされました。側で見ていたからよく分かる。それは、その子の持つ能力です」

「――ご明答。やはり君は素晴らしいよ」


 深月の中に複雑な感情がこみ上げる。ゼルパーダを殺すには、傀儡となったフィンも殺さなければならない。

 既に死体である以上、意識などなく、ただゼルパーダに命じられるがまま。彼の意思を尊重するなら、一刻も早く、解放するべきだ。

 しかし、あの姿は確かにフィンだ。今となっては、攻撃など出来るはずも無い。


「君に機会を与えよう。この少年を倒す事が出来たなら、僕は潔く君のことを諦めよう。ただし負けた場合は――分かっているね?」


 自分の利益の為ならば、邪魔者を排除し、時に利用する。あの時、分かっていたはずなのに。


 もはや心許ない彼女の戦意を叩き折るには十分な仕打ちだった。

 彼女が俯いている間にも、黒いフィンは彼女を殴りつける。


「どうしたんだい?フォルナシア。殴られていてばかりでは、君は勝てないよ?」


 腹部を、顎を、頬を、フィンは力いっぱい殴りつける。立っていられる程の精神力は、拳が叩き込まれる度に削れていく。

 涙が零れ落ちる。もし、あの時、フィンを探して見つけてあげられたなら、こんな事にはなっていなかった。


 後悔と自責。そして目の前の残酷な現実が、彼女を苦しめた。


「出来ないよ…フィン。貴方をこれ以上苦しめるなんて……出来ない」

「…そうか、残念だよ、フォルナシア」


 氷を纏ったフィンの拳が、彼女を大きく殴り飛ばす。

 彼女の視界は、途端に悪くなる。凍てつくまでの冷気が、曇らせていくように。


(スカーレット……フィン……ごめんなさい……)


 深月は薄れゆく意識の中、倒れていく。

 勝利を確信したゼルパーダの笑みが、彼女が最後に見た光景だった。



 それから少しして、スカーレットは目を覚ます。嫌な予感を感じ取ったからだ。

 彼女が慌てて周囲を見渡すと、彼女は微かな光を目にする。

 それは、姉と親しむ少女の、本来ここにあるべきでは無いはずの、星型の髪飾りから放たれていた。

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