第六十七話 甦る想いと新たなる敵。
手足の感覚が鈍い。指先も自分の意志で動いている訳ではなく、痙攣的に動いているだけ。吸い込む空気は僅かばかりで、懸命に取り込んでいた。目は開いてはいるけれど、見えるモノは施設の天井ではなく何かのノイズ。始めのうちは鮮明だった映像も目まぐるしく変わっていって、今はそのノイズだけが目に映っていた。
そして、見つけた。ノイズの中、隠れる様にして瞬く小さな光を。私がソレにソッと手を触れると、破裂した様に溢れ出した光の奔流が、私の身体を包み込んだ――
――遠くから声が聞こえてくる。それは男の人の声、女の人の声、お年寄りの声、そして……ネコ? ゆっくりと目を開けると、心配そうに私を覗き込む顔があった。
「美希! 大丈夫か?!」
私を抱き抱えるスズタクに、コクリ。と、頷く。それを見たみんなが、安堵の表情をみせた。全身を覆っていた倦怠感も喪失感も、今は身体の何処にも感じない。私は具合を確かめる様にしながらゆっくりと立ち上がり、クレオブロスに相対する。
「もう、止めて」
静かで落ち着いた声が私の中から外に出る。これが、私の本当の声……?
「……まだ、向かって来る。と、いうのか?」
ドスの効いた声。今度は容赦しない。と、いう意志の強さが感じられた。
「ええ、アナタの所業を許す訳にはいかない」
一歩二歩とクレオブロスに向かって足を出す。スズタク達はまだ完全に回復していないようで、立つ事もままならない様子だった。
「なるほど。あくまでボクの邪魔をする。と、いうのだな? ならば、死んでもらうしかないなっ!」
クレオブロスの手の平から放出されたプラズマは、私に向かって真っ直ぐに迫り来る。
「嬢ちゃん!」
「美希っ!」
「美希さんっ!」
「美希っち!」
身を案じるみんなの声に、振り向いて微笑んで応え、そしてチカラある言葉を口にする。
「『魔法障壁』展開」
床に瞬時に描かれる魔方陣。その半径三メートルの範囲内に触れたクレオブロスのプラズマは、何かが焦げ付いた様な匂いだけを残して消え失せた。
「な……んだと……?」
殺すつもりで放った術が防がれたばかりか、消失した事に驚きの声を上げるクレオブロス。
「もう止めよ? クレオブロス、いえ……レオン」
「何っ!? キサマ、何故その名を……?!」
これまでに度々見ていたあの夢。始めは私の中に存在していた静さんが見せているモノだと思っていた。しかし、静さんの魂を引き抜かれても同じ夢を見た。一体誰がその夢を見せているのだろう? と、疑問に思っていた。だけど、今は……
「こんな事をしても誰も喜ばないよ?」
「五月蝿いっ! ボクは何としてでも、何をしても取り返す! アリサを、彼女と共に過ごした時間を!」
レオンから感じる魔力波動の高まり。それが極大に達すると、レオンの背後に闇が生まれた。
「出でよ。我が下僕、二匹の龍!」
闇の中から二匹の龍が顔を覗かせた。一体は赤く炎を纏い、一体は青く水を湛えていた。レオンが腕を空に向かって差し出すと同時に、二体の龍の口が開きソコへ向かって光が収束されてゆく。
「美希っ!」
なんとか身を起こして助けに入ろうとするスズタクを私は手で制する。彼等がコレを食らったら再起不能な程の大ダメージを負ってしまう。
「滅びよ。異界の者達よ! 二龍の咆哮!」
振り下ろされた手と共に放たれる二つの光弾。これ一つだけでも私達を消し去るには十分過ぎる程の威力がある。しかし――
「『反射障壁』展開」
チカラある言葉を紡ぐと、私の前方に紋様が浮かび上がった。それは約三十センチ程の大きさをした三角形と逆三角形。それ等が交互に組み合わさって、私達の身を隠す程の大きな結界となった。その結界に触れた二つの光弾は、音もせずに向きを変え、撃ち出した当人を貫いた。
「な、んだと……?!」
「あなたは知っているよね? コレがどんなモノか」
「何故だ……? 何故キサマがその術をっ!? その紋様魔術はアリサのモノだ!」
「何っ!?」
「なんじゃと!?」
「アリサ、さん……?!」
「にゃー?」
紋様魔術。付与魔術の基となった魔術で、紋様と呼ばれる多種多様な魔方陣を組み合わせて様々な効果を得る。付与魔術とは違って手で触れなくても自身や空中、床などの目標に投影する事が出来る防御主体の魔術。このチカラを見初められ、私は都市防衛の第一人者となった。
『永遠に変わらぬ想い』そんなモノは夢か幻だと思っていた。だけど今、目の前にいる彼は、数千年の孤独に耐え、闇に押し潰されそうになりながらも、それを体現している。『嬉しい』。その気持が心を埋め尽くし、感情を押し流そうとする。今スグに彼の胸に飛び込みたい。飛び込んで『やっと逢えたね』って伝えたい。だけど、今はまだ……
「エディット起動。菱形陣をベースに紋様を再構築」
頭の中に浮かび上がったひし形の内部に、目的のモノに効果がある紋様を描いてゆく。出来上がったひし形の紋様をコピーして繋ぎ合わせ、一つの陣として完成させる。待っててね。今、あなたが抱え込んだモノを取り払ってあげる。
「『菱形儚虚陣』展開」
チカラある言葉を解き放つ。闇の中で生まれた一つの青白いひし形が、細胞分裂をする様に瞬く間に広がり、彼が生み出した闇を打ち払った。
「な……」
唖然として膝をつくレオン。
「あなたは昔からそうだったよね。パンク寸前まで抱え込んで……」
「な、何故それを……」
「そんなだから、私はあなたを放っておけなかった……」
「あ……ま、まさか。まさか……」
よろめきながら立ち上がり、おぼつかない足取りで近づいて来るレオンに――
「やっと、逢えたね」
自然と笑みが零れた。
ノイズの中で見つけた小さな点。その中には、ある人への想いと後悔の記憶が詰まっていた。それを紐解くと、溢れ出したそれらが私を埋め尽くした。そして理解した。あの夢は一体誰が見せていたのか? それは誰でもない私自身だったのだ、と。
「ア、リサ……」
フラつきながら歩み寄るレオンを、私は包み込む様に抱き締めた。
「ごめんね。今まで寂しい思いをさせて」
胸の中で身を震わせて静かに泣いているレオンの頭を撫でてやる。
「美希がアリサ……? 一体どういう事なんだ……?」
「私だったのアリサさんは。今ならハッキリと分かる。私はアリサ=フリージアの生まれ変わりなんだって」
「ホッホッホ、成る程のう。そういう事じゃったか」
「数千年の時を経て、再会を果たした恋人……素敵ですっ」
「さあレオン。こんな事はもう止めにしよ? 失ってしまった時間は戻らないけど、これからまた作れば良い。ね?」
七つの施設を繋いで顕現している『神への扉』。これを消滅させれば、私達の旅も終わる。後は住民に影響が無い、人里離れた施設を暴走させて破壊すれば、こんな事をしようと考える奴は二度と現れないだろう。あの扉だけは開けてはならない、開く様な事になってはいけない。しかし――
「どうしたのレオン。早く『扉』を消すのよ」
「それは……出来ない」
「どうして!? 『地の扉』は神域へと繋がっては――」
ハッ。と気付いて言葉を中断した。彼は元々、技術者であったはず。神の乗っ取りを行おうとするならば、ソレだけでは足らずに魔導技術が必須となる。数千年の間に自力で会得した……? いいえ、彼はそんな器用な人間では――
「ねぇレオン。コレをあなたに教えたのは誰?」
何者かの邪悪な意思による関与を察した。
「教えてレオン。あなたに『神への扉』の開け方を教えたのは誰なの?」
「どういう事だ美希」
「彼は、七つの古代遺跡の本当の役割を知らずに開けようとしていたのよ」
それは、古代魔法文明人の中でもほんの一握りの人しか知らない事。都市防衛を一任されていた私にだけは教えられていた。古代魔法文明以前の出来事を。
「本当の役割……じゃと?!」
「それは一体どの様な……?」
「簡単に言うと、ある存在を封じ込めている。と、いう事よ」
「万が一、ソレが解き放たれた場合は……」
「この宇宙の滅亡を意味するわ」
ピクッとレオンの身体が震えた。
「すまない。すまないアリサ。ボクはただ、キミの笑顔をもう一度見たかっただけなんだ。だからボクは――」
突然眼前に、赤い液体が噴き上がった。それがレオンの身体から出たモノだと気付いたのは、彼の腹から突き出された、何者かの腕が引っ込んだ後だった。
「レオン! レオン!」
彼の命の灯火が細く小さくなってゆくのを感じ、慌ててコマンドから魔法を選択する。使う呪文はランクSの回復魔法。その選択は間違いだと思った時には、既にオートで詠唱を始めていた。
詠唱を終えて発動するまでに時間が掛かり、彼が無事である保証がない。彼の死。その言葉が頭を支配し、彼の顔を歪ませた。と、突然。レオンの身体が青い光に包まれた。
「発動まで私が支えます! 大丈夫ですよ、必ず助かります」
麻莉奈さんの心強い言葉に、微笑んで頷いた。
「神の癒し手!」
呪文を解き放つと、レオンの身体が淡い緑色の光に包まれた。と同時に、私の魔力がグングン吸い上げられてゆく。
「やれやれ。これだからニンゲンというやつは……」
「誰だっ!?」
何処からともなく室内に響いた声に、それぞれが武器に手を掛けた。
「スズタク後ろっ!」
青く輝く星が映ったスクリーンの前に浮かぶヒトの形を成したナニカ。黒のタキシードに靄の様なモノを纏わせてゆっくりと床に降りてくるソイツは、ヒトの形を成していてもヒトではない事は、私も理解していた。