第六十四話 幕間 在りし日の夢。
リーン、ゴーン。リーン、ゴーン。何処からともなく鐘の音が耳に届く。
「綺麗だよ」
声にハッと気付いた私は、真っ白な薄いヴェール越しに、声の主に微笑んだ。
差し出された手を、シルクで出来ている意匠が凝らされた白手をはめた手で掴むと、今まで何ともなかった鼓動が急に暴れ始めた。
「緊張してるのかい?」
誓いの言葉をちゃんと言えるか? とか、純白のドレスの裾を踏んだらどうしよう。とか、そんな事ばかりが頭の中を駆け巡り、身体がガッチガチになる。それが余計に良くない方向へ考えを推し進め、鼓動が更に大きくなってゆく。
「だって……今日は大事な日だもの、緊張しない方がどうかしてるわよ」
こんな時にでも沈着冷静な彼が羨ましく……ううん。頼もしく思えた。
「じゃあ、大きく息を吸って、そして吐くんだ」
彼のアドバイス通りに大きく深呼吸をする。それを何度か繰り返すと、暴走寸前だった鼓動が落ち着いた。……気がする。
「どう?」
「う、うん。なんとか」
「上出来だ。それじゃ行こうか」
彼は真っ白な扉を開けて眩い光が差し込む室内に、私の手を引いて一歩を踏み出した。
今日は挙式をあげてから一ヶ月の記念日。新婚旅行先のサンナギリアから戻るなり仕事が忙しくなってしまい、彼は毎日遅くに帰ってくる。今日は久し振りに早く帰る様な事を言っていたから、自然とテンションが上がり、気付けばテーブルの上は料理だらけになってしまっていた。
「ただいま」
ドアが開かれる音に続き彼の声が耳に届く。パタパタパタ。と、スリッパを鳴らしながら、満面の笑みで彼を迎える。
「おかえりなさい。食事にします? お風呂にします? それとも、わ、た、し?」
かねてから用意していた台詞を、ここぞとばかりに言ってやった。よぉし、驚いてる驚いてる。
「ふふ……そうだね。ハラ、減ったかな」
「ん、オッケー」
差し出されたカバンを受け取って、それを抱き締めながら部屋に戻ろうとした時、背後より伸ばされた腕が腰に絡み付き、私をガッチリとホールドする。『いただきます』。耳元で囁かれた言葉は、とてもシンプルなものだった。
彼と一緒になってから半年が過ぎた頃、大きな仕事が舞い込んできた。
「第八都市……ゼーシタットか?」
「うん、そう。そこのシステムが、最近頻繁にエラーを出す様になったそうよ。だから、守護陣を新しいモノに変えるから手伝えって」
「新しいモノと……? どんな陣だ?」
「さあ? 私も詳しい事は聞かされなかった。現地に行かないと確認出来ないわ」
「……なあ、それ俺も一緒に行っちゃダメか?」
「え……? でも、そっちも忙しいんでしょ? 何だっけ? クーロン?」
「クローンだよ。何というか、新しい守護陣ってヤツに興味があってな」
「都市規模の張り替えなんだから、評議会にも報告義務があるし、そのうち見れるわよ。ちゃっちゃと終わらせて帰ってくるから…………浮気すんなよ」
「ああ、分かってるよ。他の女なんて考えもしないよ」
そう言って微笑む彼の顔が、赤く点滅する警告灯にチラついた。第八都市は今現在、イレギュラーな状況下にあった。
「ダメです! 堰き止められません!」
「何としてでも食い止めて! このままだと都市ごと消えるわよ!」
慌ただしく機器のコンソールをタッチする研究員達、その顔には焦りが見える。硝子越しで見下ろすこの都市の王の顔を見た瞬間、今のこの状況がイレギュラーでも何でもない事を悟った。
「魔素反応炉臨界値を突破します!」
「クッ! ここはもうダメだわ。貴方達は緊急脱出を!」
「主任はどうなさるのですか?!」
「一か八か、第一都市の守護陣を上書きしてみる。もしかしたらそれで止まるかもしれない」
ゼーシタットの奴が一体何を狙っているかは知らないけど、都市民を犠牲にする事は許される行為じゃない。その野望、私が打ち砕く。だって私は……私の仕事は都市民を護る事だから!
「主任! どうすれば良いのか指示を下さい!」
「え……? な、何してるの貴方達!? 逃げろと命じたでしょ?!」
「え? そんな事言ってました? 警報が五月蝿くて聞こえませんでしたよ」
頷く研究員達に、胸の奥底から何かがグッと込み上げてくる。まだだ、泣くのは全てが無事に終わってから!
「これを使って上書きを始めて!」
ポケットに入っていたメモリーチップを取り出して投げて渡す。それを受け取った研究員はスロット差し込んで作業を始めた。都市の大きさによって展開されている守護陣は様々だけど、この第八都市は第一都市とほぼ同じ規模。だから上書きは可能なハズだ。前回の仕事でメモリーチップを返し忘れていたのが功を奏した。
「上書き開始します!」
モニターに映る都市の守護陣が書き換えられてゆく。これで、暴走状態の反応炉も制御を取り戻すハズだ。ふふ……ゼーシタットの奴め慌てているな。硝子越しで声は聞こえないが、側に控えていた黒服の男の襟首を掴んで何かを叫んでいる。
「魔素反応炉正常値に戻ります!」
よし! これで一先ずは安心出来る。しかし、早いうちに元の陣を展開させないと、どんなエラーが出るか分からない。早急な対応をしなければ。それにしても、面倒な事をしでかしてくれたモノだ。今回の件、恐らくは評議会に報告もしていないのだろう。都市を犠牲にする事など許可が出るハズは無い。この事は評議会に報告して奴の悪事を暴いてみせる。
「……あれ?」
私が守護陣の再展開プランを練り始めた時、研究員の一人が声を上げた。
「どうかした?」
「変です、都市民の数が……減ってます!」
「何ですって!?」
研究員が指し示すコンソールの数値を確認する。九百十万!? 確かここの都市民は一千万を超えていたハズ。この短時間で約百万人が何処かへ消えた事になる。しかも、今現在もその数値は加速度を増して減り続けている。一体何が起こったというの?!
「展開した守護陣をモニターに出して!」
「はい!」
映し出された守護陣を見て、私は言葉を失った。守護陣は完全に上書きされてはいなかった。所々に元の陣が残り、それらの所為で別な陣へと変わってしまっていた。
「都市民反応消失、尚も増大中です!」
都市民達を消し去っている波は、外側から内側へと迫って来る。間も無くここにも来るだろう事は、容易に想像出来た。守護陣を再上書きする時間はもう残されてはいない。
「みんな! ここから退避――」
「きゃあっ!」
避難命令を出そうとした時、研究員の一人が悲鳴を上げた。見ればその手は少しづつ霧散して消えている。
「主任! 何ですかコレは?!」
分からない。人が……人の肉体が霧散する現象など聞いた事は無い。だけど、これだけは分かった。逃げる時間は残されていない事、それと私達は死を迎えるのだという事。痛みも無く静かに、そして何も残らずにこの世から消えるのだという事が。
「参ったなぁ……、一週間で戻るって約束だったのに……。ゴメンね。もう逢えなくなっちゃった」
そこでこの夢は終わっていた。




