第六十二話 海底都市と過去の愚行。
「憑依のスキル。完成は間近に迫ってるわ」
「何っ!? どういう事だ?!」
スズタクは驚愕の表情で私に食って掛かる。スキルを生み出し、静さんでデータの収集をしていたクレオブロス。そしてそのスキルは今、私に与えられている。
「クレオブロスの計画は、私をこの世界に呼んだ時から最終段階に入ったのよ。彼が私に与えた条件は、レベルを最大まで上げる事。そして、そのレベルが最大になった時、スキルは完成する」
「もういい、言うな」
「おかしいと思ってたの。いくらレベルを上げても、身体能力が高まる訳でもなければ、魔力が強くなる訳じゃない。総てはこの為だったのよ」
「美希っ!」
スズタクは、私の言葉を遮る様にして私を抱きしめた。
「それ以上は考えるな。口にも出すな」
「やめて、離して……」
「そうはいかない。お前が大丈夫だって言うまで離れない」
「私なら大丈夫だから……」
「いいや、俺にはそうは見えない」
スズタクの優しさが私の内に届き、内で渦巻く様々な感情が涙となって溢れ出た。
「私……もうどうして良いのか分かんない」
元の世界に戻ろうと思えば思うほど、元の生活に戻る為に努力をすればするほど、クレオブロスの企みに手を貸す羽目になってしまう。
「お前が言っている事は全部仮説に過ぎない。信じろ、日本に帰れる。と、元の生活に戻れる。と」
「私だって信じたい! だけど、もしそれが本当だったら?!」
「よせ美希。止めるんだ」
「信じるモノを失ったら私は――」
唐突に口を塞がれた。射し込む陽の光とは別の、あたたかな温もりが触れた唇から全身に広がってゆく。
唇が離れ、目を大きく見開いたままスズタクの瞳を見つめる私の瞳を、真っ直ぐに見つめ返して彼は口を開いた。
「その時は、オレを信じろ」
嬉しかった。たった一言が、これ程までに身に染みた事は今までに無かった。彼を、スズタクを信じてさえいれば、どんな困難でも乗り越えられる。と、心の奥底からそう思えた。
「青春じゃのう」
「悔しいですが、美希さんが相手では諦めるしかないですね」
お爺ちゃんと麻莉奈さんは、浜に寝そべり頬杖をついてニヤつきながらコッチを見ていた。
「おっ、お前等! いつからソコに?!」
「『オレを信じろ』辺りからだの」
うわっ。ひょっとしてアレも見られてた?! は、恥ずかしい……
「ふぃ、スッキリしたニャ」
今まで何処へ行っていたのか、戻って来たミルクさんは、晴れやかな笑顔と共にそう呟いた。
「……ミルクの嬢ちゃん、地雷を埋めた様じゃな」
流石は元猫。砂を見たらせずには居られないらしかった。
「ハア……」
陽が傾き、海に張り出した山との距離を少しづつ詰まってきた頃、西方大陸と南方のサンナギリア諸島への玄関口。シトランドへ向かいながら、大きなため息をする。スズタクがああ言ってくれて、とても、とても嬉しいけれど、どうしてもソレばかりを考えてしまう。
『美希はん……美希はんっ』
「え……? あっ、な、何!?」
考え事していて静さんの呼び掛けに気付かなかった。
『こんな時になんやけど。ウチ、クレオブロスはんの居場所知ってるで』
「えっ!? それホント?!」
荒げた私の声に、先行くスズタク達が何事かと振り返る。
『モチのロンやわぁ。恐らくアソコに居てはるはずや』
「なんだ? どうしたんだ?」
「静さんがね、クレオブロスの居場所を知ってるって」
「ほほう。それで奴は何処に居るんじゃ?」
「エウディアの中央塔の中だって」
「なんと! 奴めそんな所に……灯台下暗しとはこの事じゃのう」
「……美希。奴に会ってどうするつもりだ?」
どうするってそれはモチロン……。そう言い掛けた時、スズタクの私を見る目が厳しくなった。……そうか。そうだよね。
「ゴメン。あなたを信じるって約束したもんね」
私は満面の笑みをスズタクに向けた。
「ふう。やっ……と着いた」
船を降りて、桟橋の上で大きく伸びをする。船上では何もする事がなく、日がな一日海を眺めるか船室でゴロゴロしているしか無いものだから、身体が鈍ってしまう。空を飛んでも良いのだけれど、海を渡るには効果時間が全く足らないし、再度術を発動するのに途中で海の中に降りなきゃいけない。そこで魔物に襲われては堪らない。
「さて、それじゃ行きますか」
首と腰を回して身体をほぐし、波によって僅かに上下する桟橋を歩き出す。目指すは中心部にそびえ立つ、灯台を兼ねたこの街の観光スポットであるフアロトルム。その内部に居ると思しき彼に会い、事の真相を問いただす。その為にシトランドの宿をコッソリと抜け出して、一人でエウディアまで来たのだ。
『直ぐ行かれはりますの?』
「ううん。取り敢えず宿を取って、夜中に行こうと思ってるよ」
周りにも人が居るから、小声で中に居る静さんに応える。
『そうどすなぁ。その方が人目に付かなとうて、よろしおすなぁ』
夜が更けて灯りが減った街の、屋根から屋根へと飛び移る怪しげな人影が居た。……つまり、怪盗気分の私だ。
「ここ?」
静さんが示してくれたポイント。塔内部へ入る為の入り口らしいが、私にはのっぺらな壁にしか見えない。
『そうどす。壁に手を触れておくれやす……あっ、もう少し上どすぇ。んっ……もっと、右。……そ、ソコ! ソコどすぇ』
「……静さん、エロい」
『エロいって何ですの?! せっかく教えてあげよ思うとるんよ?』
ああっ! ごめんなさい。ごめんなさい。
壁に手を触れると触れた部分が仄かに光り、壁の一部が横に動いて人が余裕を持って通れる穴が、のっぺらだった壁に開いていた。
中は真っ直ぐな通路で、塔方向に向かって延びている。床は全体が仄かに光り、明かりを点けなくても問題ないくらいの明るさがあった。
「凄い……なんか未来的ってカンジ」
『こんなん大昔には、仰山ありましたぇ』
え、マジ!? じゃあ、未来的よりは過去的になるのか?
内部は半袖では薄ら寒い。床からは、カツンカツン。と、いう金属音が通路に響く。しかし、同じ素材で出来ているであろう壁は、触れると土の様な感触で、叩くと金属の様に硬い。一体なんなんだこの素材は……
真っ直ぐに続いていた通路が突然途絶え、左下方への階段に変わる。左側の壁は手すりに変わり、下を覗き見ると最下階の床が見える。
『下の横に扉がありますやろ? あそこが次の部屋への入り口どす』
「次の部屋……?」
『ここはいうたら玄関なんどす。クレオブロスはんが居る部屋に行く為には、幾つもの部屋を通らないとあきまへん』
なるほど。最奥の部屋でふんぞり返っているって訳か。
「見た所、誰も見かけないけど、他に誰か居るの?」
『んー、ウチが知る限り、ここで人を見た事はありまへん。ゴーレムくらいどす』
ゴーレムか。普通のゴーレムなら負ける要素は見当たらないけど、タロンで遭遇したモノとかコーカンドに居たようなモノだと、空間的に限定されているこの場所での戦闘はキツイ。万が一、壁に穴でも開いて海水が入り込んだら、まず助からない。
警戒しながら階段を下りる。最下階には、静さんが教えてれたドア以外、何も見あたらない。扉の先は、またしても通路になっていて、白で塗られた通路の五十メートルくらい先が黒に染まっていた。
「な、何コレ……?」
仄かに光るオレンジの灯りに照らされた、ガラス製と思しき円筒があった。それはアルスネル王都で見かけたモノと非常に似ていて、それが部屋の中に夥しい数置かれていた。百? 千? とにかく沢山だ。
『コレはクローン培養器どすなぁ』
「クローン……じゃあ、静さんの身体はここで?」
『ちゃいますよぉ』
違うんかい。
『うろ覚えどすが、もっと奥やったと思います』
「もっと奥……? じゃあ、ここは何を作っていたの?」
『さあ? ウチも見た事あらへんさかい、分かりまへんなぁ』
そうなのか……これだけ数を揃えておいて、使ってないって事は無いだろうけど……
「中はカラ……か」
ほんの少しでもナニカが残っていれば、ソコから何か分かったかもしれないのにな。
その後、幾つかの部屋を通り、現在は先が霞む程真っ直ぐに延びた橋の上で、遠くの街並みを眺めていた。広大な敷地に大小様々なビルが建ち並ぶ。海の中にこれ程の施設があった事も驚きだが、近代建築物が建てられている事も驚きだった。
「ここは一体……」
「見ての通り街だよ」
内側からではなく、外から聞こえた声に慌てて振り返る。突然現れ出た何者かの気配。黄金色の髪に蒼い瞳を持つ男が一人立っていた。その様相は、私がこの世界に来た時と何一つ変わってない様だった。
「クレオブレス!? どうしてこんな所に?!」
「おいおい。どうしては無いだろう? キミはボクに会いに来たんじゃあ無いのかい?」
それはそうなんだけど……。突然現れるとつい。ね。
「ここはゼーシタットさ」
「ゼーシタット……?」
「そう。海底都市ゼーシタット。それがここの名だ。はるか昔、現代の人々が古代魔法文明と呼んでいた時代には、約一千万人がこの地で生活を営んでいた」
「豊かな時代だったらしいね?」
「ああ……豊か過ぎた」
豊か過ぎた……?
「あらゆる欲を手中に収めた者が、次に欲するモノは何だと思う?」
え? 何、突然。なぞなぞ?
「あらゆる欲って……?」
「権力、金、酒、女……総てだよ」
「じゃあ、もう無いでしょ?」
全部の欲を手に入れたのなら、ソレで満足でしょうに。
「あるんだよ。たった一つだけ有ったんだ」
それは、不老不死と呼ばれるモノ。権力、金、酒、女……、全てを手に入れたゼーシタット王は、禁断の呪術に手を出した。閉鎖的ともいえるこの地で行われた愚行は、この地の民を消し去ったのだという。
「非道い……」
「ああ、欲に囚われたゼーシタットは、この地の民を犠牲にして不老不死を手に入れようとし、自身も消滅した。禁呪は失敗に終わったのさ」
「だけど、あなただって北の大陸を消滅させたのでしょう? だったら、同じじゃない」
「静に聞いたのか? 彼女はボクの呪縛から解き放たれたようだね。ならば知っている筈だ。ボクが何を目的としているかを」
『……アリサはん。でしたなぁ』
え? アリサちゃん?! 一体どういう事……?
「アリサちゃん……? 何であの子が関わってるのよ」
「アリサはボクの婚約者だった」
婚約者……?! えっ、ええっ!?
「彼女は優秀な魔導技術者でね。よくあちこちの都市に呼ばれていたよ。そしてある日……彼女は消息を絶った。住む所も決めて式をどうしようかと話し合っていた矢先だった……」
「まさか、ここで……?」
「察しが良いな。そうだ、彼女はこの地に呼ばれ、そして……消えた。ゼーシタットの所為でな。そこからだ。ボクが彼女を取り戻す為の戦いを始めたのは」
「だからと言って四百万人……ううん。この世界をも犠牲にするなんて!」
「彼等は犠牲になったのではないよ。一時的に魂を借りているだけだ。事が成されれば、総て元に戻す事も出来る」
「事を成すって、一体何をするつもりなの?!」
「その答えはもうすぐ分かる。日本からやって来たキミの仲間が、最後の守護者を倒したようだ。間もなくここへやって来るだろう。それまで、観光でもしていると良い」
「観光!? 巫山戯ない……で?」
立ち去ろうとするクレオブロスを、引き留める為に一歩を踏み出した時だった。突然、私に襲いかかった眩暈い。目に映る総てが渦となり、一つに交ざり合って闇と化してふつり。と、途絶えた。