第五十九話 消えた街ともしもの代償。
「こっちは終わったわ! 他には!?」
「こちらです!」
衛生兵に案内され、次の患者に向かう。巨人から離れた場所に設営された救護テントでは、戦場よりも酷い有様だった。運ばれてくる患者の殆どが、緊急治療が必要な重傷者。腕や足が無かったり、直視するものキツイ状態の患者ばかりだった。緊急性が高い患者から治療に当たっているが、私と麻莉奈さん、そして皇国の神官達が全力を尽くしてなお、運ばれてくる数百、数千の患者に翻弄され続けていた。
「クッ!」
「キャッ!」
設営テントに風が吹き荒れ砂塵が舞う。砂丘を貫いた一条の光が、テントの上空を通過した為だった。
「こぉんのアホ! こっちに向けるんじゃないっ!」
『す、すまん』
魔法の伝声機、マジックパールからスズタクの声が届く。スズタクにお爺ちゃん、ミルクさんとグラナート王は、今現在巨人と交戦中で苦戦を強いられている様だった。早く私達も合流したい所ではあるけど、緊急治療が必要な患者が押し寄せて、それどころではなかった。仮にそれら全てを治療したとしても、魔力が残っている筈もなく、ただのお荷物になる可能性の方が高い。
魔女の身体を間借りしている私はまだまだ余裕があるけれど、肩で息をし始めた麻莉奈さんの額には、玉の様な汗が浮かび流れ落ちる。
「麻莉奈さん、少し休んで。麻莉奈さんまで倒れちゃったら、完全に人手が足らなくなるから。私と交代で治療しましょう」
渋々と納得し、休憩に入ろうとした麻莉奈さんの動きが止まる。マジックパールからの救援要請が届いたからだ。
『グラナート王がやられた! 誰か来てくれ!』
グラナート王が!?
「美希さんが行ってください」
「え? だけど――」
「私の魔力はほとんどカラです。行った所で何の役にも立ちません。ですから、余力がある美希さんが行かれるのがベストです」
「〜〜分かった。それじゃ、ここは任せたから!」
「はいっ! 任せて下さい!」
救護テントの外に出た私は、身体に風の力を纏い駆け出した。
スズタク達が未だ戦闘を続けるその周囲は、惨憺たる有様だった。地面は抉られクレーターの様になり、黒く変色した幾つもの筋がアートの様に描かれる。そのうちの一本がコーカンドの街中を貫き、建物がソックリ消えている。砂丘の麓に誰かが横たわっているのを見つけ、一直線にソコへ向かった。
「グラナート王!」
「む、コンドウミキ……か?」
「動かないで下さい」
身を起こそうとする王を止めて、そのまま寝かせる。着けている鎧は歪んでいて、胸部を圧迫している様。慌ててナイフを取り出しグラナート王の脇腹に差し込んで、鎧の前面と後面を繋ぐ革製のベルトを断ち切り鎧を脱がせる。革製のインナーにベットリと血が付いているが、外傷が無い事から吐いたモノだと推測した。となると、内臓を痛めているか。
「慈愛の女神リーヴィアよ。我、汝に嘆願す。この者に癒しを。我の同胞たる者の傷を癒し、立ち上がる力を与え給え。癒しの息吹」
翳した手の平が青白く輝き、その輝きのひと粒ひと粒が揺らめきながら、グラナート王の身体の中に浸透する様に消えていった。それを王は驚きの表情で見つめている。
「コンドウミキ。お前は癒しの魔法すらも使えるのか」
「はい。神官に教えていただきました」
「なんと。これもちーと。と、いうヤツか……お前達異邦人は一体何処まで強くなるのだ?」
何処まで。と、いわれても、その限界は私達でも分からない。レベル的に言うと九十九か九百九十九といった所だろう。しかし……
「ご安心下さい、グラナート王。私達がどれ程強くなろうとも、グラナート王をこの世界を裏切る事は致しません」
「そうであって貰いたいものだな」
グラナート王の懸念は痛い程良く分かる。現時点でも、抑制出来る者が限られている私達が、更なる強さを手に入れて、しかも暴走を始めたなら誰も止められなくなる。それを恐れているのだろう。
手から放たれていた光が消える。魔法による蘇生効果時間が過ぎたが、グラナート王はまだ何処か辛そうにしている。
「王。安静になさっていて下さい」
「む、これでは戦う事叶わぬか。コンドウミキ。そなたにこの剣を貸し与える」
「え……? これを私にですか?」
「そうだ。動けぬ私に代わり、あの巨人を倒して参れ」
「はいっ!」
差し出された剣を両手で受け取る。伝説の七つの武器。その一つである封緘を解きし劔。剣身は一メートル程で、その幅は私のウェスト程もあり、重そうに見えるが、その実あまり重量を感じない。柄を握りやすく加工しているだけで、飾り気のない外装。街中の武器屋に無造作に置いてあっても気付かないレベル。だけど、こうして手に持つとハッキリ分かる。チカラが漲り、身体能力が格段に増してゆくのを。
これさえあれば、私は無敵だ。……そう思える程だった――
「(ん……あれ? どうして真っ暗? ああ、そうか目を閉じているからだ)」
どうして目を閉じていたのかは分からない。ゆっくりと目を開けると、青い空に白い雲が飛んでいた。
「お、目が覚めたようじゃな。どうじゃな? 体調は?」
体調? 一体何の事なのやら。
「ん、良好だよ……あ。でも、ちょっと痛みを感じるかな」
よっこいしょ。と、身を起こすと、側には抜き身の剣を地面に立て、座り込んで肩で荒い息をしているスズタク。ミルクさんは、砂の上に寝転んでいる。そして、あれ? 麻莉奈さんいつのまにここへ? グラナート王は私達から少し距離を取った場所で、親衛隊であろう兵士に囲まれている。
「どうやら、元に戻ったようじゃの」
元に戻った?
「何の話?」
「覚えておらんか? 後ろを見てみると良い」
「え?」
お爺ちゃんの言った通りに後ろを向く、そこには何もなく地平線ならぬ砂平線が遠くに見えるだけだ。
「え? 何も無いよ?」
「そうじゃ、何も無くなった」
無くなった?
「何処まで覚えておる?」
「え? どういう事?」
「良いから、何処まで覚えておる?」
何処までって……そうね。
「んーと、スズタクからグラナート王の負傷を聞いて、駆けつけて治療して、巨人を倒してこいって剣を渡されて……あ、そういえば巨人は?」
「そこまでか?」
「? うん、そうだよ」
「そうか……ならば順を追って話すぞ? 気をしっかり持ってな」
気を持つ……? 何の事やら。
「儂等が巨人と戦闘をしとる時、グラナートの剣を携えた嬢ちゃんがやって来た。嬢ちゃんはの、儂等が苦戦しておった巨人相手に、まるで遊んでおるように見えての、そりゃぁ驚いたもんじゃわい」
その後も戦闘は続いたらしく、巨人からの攻撃は全て躱し、斬り裂き、弾き返したのだという。
「そして、剣に力を込めた一撃が振り下ろされた時、辺り一帯を白が埋め尽くしたんじゃ。儂等が気付いた時には、巨人だけではなく、街も消えておった」
「……え? 街……も?」
そういえば、コーカンドの街は?! いやいや。街まで消えるなんて有り得ないっしょ。
「またまたー。お爺ちゃん冗談も程々にしてよ。街ならこの砂丘の向こう側で……」
砂丘を登っても街は無かった。眼下には救護テントが立ち並ぶだけだった。私は慌てて振り返る。
「え……ウソ……でしょ?」
スズタクは前を向いたまま、麻莉奈さんは私から目を逸らした。ミルクさんは寝たままで、お爺ちゃんだけが、私の視線を受け止める。その目はウソをついている様な目じゃ無かった。チカラが抜けてゆくのを感じた。砂の上に座り込む。
「ウソ……私が、街を……? そんな……」
涙が溢れ景色が歪む。ウソだと言って欲しかった。冗談だよと笑って欲しかった。だけど、だけど……
「ウソよぉぉぉぉ!」
砂は私の叫びを全てを呑み込み、搔き消した。
「スズキタクよ」
「は、何でございましょう。陛下」
「私はお前に命じる。この魔女を斬れ」
え……?
「お前達は、もしもの事があれば切り捨てる。そう約定しておったのだろう? 今、そのもしもが成った」
「申し訳ございませんが陛下。その命には従えません。美希は現在自分を取り戻しており、魔女ではありません。それに、また同じ様な事になったとしても、我等が取り押さえます」
「何を言うか! 先程の戦いでも、勝てたのは運が良かったからだ! 次も押さえられるとは限らん! お前達が倒れれば、ヤツを止められる者は誰も居らんのだぞ!?」
「……」
「もう良い! 私が始末を付ける!」
「ひ……」
鬼の様な形相で武器を持ったオジサンが、私に向かって来る。スズキタクと呼ばれた男の人が私との間に立ち塞がった。
「……何のつもりだ? スズキタク」
「申し訳ございません。このまま黙って見過ごす事は出来ませんので」
「い、いや。いやだっ! もう嫌っ! おうち帰るぅ!」
「逃すな! 捕らえよ!」
駆け出した私を怖いオジサン達が追い掛ける。必死に逃げたけど、身体にナニカが纏わり付いて砂の上を転がった――
ガタゴト。と、馬車は進んで行く。街のメインストリートに集まった群衆は、皆私の事を見ていた。その目には、恐怖、憎しみといった光が宿っていて、私はそれを虚ろな目で見返していた。今、私の側には誰も居ない。冷たい鉄の棒が私をグルリと取り囲む。
「ミキさん!」
……セーラ、さん?
「私、あなたの事信じてたのに! コーカンドを救ってくれるって思ってたのに!」
涙が溢れて頬を伝う。違う、私じゃない。私がやった訳じゃ……
薄暗い地下牢に入れられて、一体何日が過ぎたのだろう。食事が運ばれて来た回数を数えるに二、三日。といった所か。
「私、どうなるのかな……」
その答えは、どこからも与えられない。処刑が執行されないのは、恐らくスズタク達が必死で私を擁護してくれているからだろう。だけど、それもいつまでもつか。
「戻りたい。元の世界に……」
『それやったら、戻ったらええんちゃいます?』
内なる声がそう囁く。
「無茶言わないで、クレオブロスのクエストをクリアしないと、戻れる訳無いじゃない」
『せやったら、そいつ倒して手に入れたらええやありませんの。世界を渡る力を』
確かにそうだけど。事はそう簡単にはいかない。
「相手は神様なんだよ? 勝てる訳が無いじゃない」
『あんさんは勘違いしとりますなぁ。アイツは神とちゃいます、神を気取っているただの人間どすぇ』
「どうしてそんな事が……」
ハッとして顔を上げる。だけど、周りには誰も居ない。
「ハー……。とうとう幻聴が聞こえる様になっちゃったか。しかも京都弁だなんて……」
『酷いどすなぁ、ウチあんさんの中に居るのにぃ』
「……へ? ええっ!?」
水滴が落ちる音だけが響く薄暗い地下牢に、見事なまでのエコーが響いた。
エセ京弁スタートです。