第五十六話 嵐の中の都市と火急の知らせ。
ドドドッ。ザザザザ。そんな音と共に、きめ細やかなパウダースノーが煙となって後方に流れてゆく。 つい数時間前まで黄一色だった景色は、今や白銀の世界に変わっていた。一体何処をどうすれば、これ程の極端な気候が生まれるのか不思議でならない。
「ブヒャンッ!」
荷台の中で、ダルマの様に着膨れしているミルクさんが盛大なくしゃみを披露してくれた。
「うう……寒いニャー。……麻莉奈っちー、コタツ出してニャー」
無茶言うな。そんなもん――
「ハイどうぞ」
――あるんかい!
「オイ! また来たぞ!」
御者席に座って手綱を握っていたスズタクが告げる。スズタクの後ろから前を伺うと、馬二頭で十人乗りの大きな雪ゾリを引いてやって来るのが見えた。
砂漠と雪原の狭間にある集落を出発してから実に三度目である。その度にいちいちソリを止められて、質問を受ける羽目になっていた。
「そこの雪ゾリ! 止まれっ!」
エリージア皇都からやって来たと思しき馬車から、厚手のコートを着込んだ兵士達が雪ゾリを取り囲む。
「やれやれ。面倒じゃのう」
後ろの幌をバサリと上げてお爺ちゃんが表に出る。
「責任者はどいつじゃな?」
「何だぁ? 抵抗するなら拘束するぞ!」
「……あ、あなた様はっ! ギャルソン様っ!?」
お爺ちゃんに対して剣や槍を向けている兵士をかき分け、責任者と思しき人物が驚いた様子で声を上げて前に出る。ちなみにこのやり取りも三度目である。
「前も前々の隊にも止められたが……」
お爺ちゃんってば、結構煩わしかった様だ。
「一体何があったのじゃな?」
「度々のご無礼、誠に申し訳ございません。何事かと仰られた事に関しては、王より何人にも漏らすなとの命を受けておりますので、王のご友人であらせられるギャルソン様とてお話する事叶わないのです」
「そうか、ならば王に直接聞くとしよう。でだ、これから先、お主らの様な者達が通る度に、いちいち止められるのも面倒なのでな、止められる事のない印の様な物はないか?」
「あ、でしたらこちらをお持ち下さい」
渡されたのは白地に緑色のラインが入った一枚の布。一メートル程の長さがあるその布の中央には、黄金色をした樹の刺繍がある意匠を凝らした旗だった。
「お爺ちゃん。これは?」
「これはエリージア皇国のシンボル、黄金樹じゃよ」
お爺ちゃんの話だと、白地は雪を表し、緑は草原を表しているのだという。こんな雪まみれの場所に草原? そんな疑問は、雪のカーテンを抜けたと同時に納得のいくものに変わった。
青々と広がる草原には、先程の極寒の厳しさがウソであった様に、優しく柔らかな春の風が戦いでいる。雪解け直後の小川の水は、陽の光で輝きながら青い穂が波打つ田園地帯へと流れていた。それだけでも十分に目を奪われる景色だけど、その先に在るモノは、そんなモノは叙景にもならぬ。と、言わんばかりの存在感を放っていた。
富士山の様に大きな山の麓からは、イチョウの様な黄金色の葉を付けた樹が、白亜の城を呑み込む形で山の三分の一程まで育ち、その白亜の城も四割程は青色に輝く水晶の様なモノで覆われ、それら全てが陽の光を反射してこの世とは思えない情景を映し出していた。
「こ、これが皇都エリージア……」
「どうじゃ? ファンタジー感丸出しじゃろう」
ファンタジー感。確かに、剣と魔法の世界のドファンタジーな建造物。私はソレに魅入っていた。目を逸らしたら勿体ない気がしてならなかった。
皇都エリージア。分厚い雪のカーテンに守られ、霊峰ライ・エ・エルムが嵐の中心に聳え立ち、その麓には枯れる事の無い不思議な樹木。オーロ・バオムが、王城の四割程を覆う青色クリスタルと共に取り込む形で生えている。前々回の魔女討滅戦に於いて、多大な戦果を挙げた騎士の中の騎士。聖騎士王グラナート=ヘイリング=エリージアが統治する国。
「ま、ざっと纏めるとこんなもんかのう」
「んで、爺さんはグラナート王とはどこで知り合ったんだ?」
「ん? 十二年前の魔女討滅戦で、奴の窮地を救っただけじゃよ」
戦の終焉、追い詰められた魔女は、防衛から一転して猛攻に出た。仲間は皆、その猛攻に飲み込まれ倒れ伏し、その牙がグラナート王に迫った時、辛うじて間に合ったお爺ちゃんが、その牙をへし折ったのだという。
「儂が居なかったら、今頃奴は生きてはおらんだろう」
「ほー。んじゃあ、爺さんは命の恩人という訳か」
「だからといって、大切な剣を貸してくれるとは思えないんだけど?」
「そりゃまあ、そうだが」
「言うだけならタダじゃ。駄目ならそうじゃの……奪うか」
「だから、それ止めろって。そんなに世界を敵に回したいなら一人で頼む。武器だけは貰うからよ」
ちゃっかりしてるなスズタクさん。
そんなスズタクさんに冷ややかな視線を送りながら、雪ゾリを預けて石材を削って作った門を潜る。山の麓まで続く真っ直ぐで、僅かにほんの僅かだけど登り坂のメインストリート。四車線の道路程もある広い通りの左右には、大小様々な露店が並び、買い物客の足を止める。売られている物は主に野菜や果物で、肉は寒さに強い獣を狩ったり、北西部の酪農や他の街から供給されているそうだ。
唐突に、フッ。と、辺りが薄暗くなる。見上げると太陽はどこにも無く、ただただ澄んだ蒼い空が見えているだけだった。
「もうすぐ日も落ちる。一晩泊まってから城に行くかの」
「日が落ちるって、まだ三時くらいだと思うんだけど?」
太陽の傾きから推測するとそれくらい。王城に行って用件を伝え返事を貰って戻っても、かかっても七時くらいだろう。
「見ての通り、この街は嵐の中心……言わば台風の目の中に在るでの。ぶ厚い雪雲のカーテンに遮られて日の光が届きにくくなっておる。あと二時間もすれば、明かりが必要なくらいに暗くなるんじゃよ」
なるほど。
「それにしても凄いねこの雪雲。ずっとこんなカンジなの?」
「そうじゃな。年中無休でこんなカンジじゃ。じゃからこの国には春以外の季節がない」
春しか無いなんて、春野菜をイヤという程満喫出来るじゃないか。
「冬を満喫したければ雲の中に入れば良いし、夏が欲しければ砂漠に行けば良いからのう」
夏を堪能する前に、冬を乗り切らなきゃならないのは厳しい限りだが、それぞれの季節を同時に、しかもいつでも満喫出来るのは凄い。行くまでが面倒そうだけど。
「さて、それじゃ。儂、オススメの宿に行くとしよう。温泉付きじゃ」
「温泉!? って事は、アレ活火山なんだ」
煙は出てないように見えるけど。
「いや、アレは火山ではないが、何故か温泉が湧いてくるそうじゃ」
なんじゃそりゃ。
お爺ちゃんの案内で宿にチェックインした私達は、一旦は部屋で落ち着いたものの、夕食にはまだまだ早い時間だったので、ひとっ風呂浴びてからメシ! と、いう事になった。
「大きくて羨ましいです」
お湯に浮かぶおっきなおっぱいを麻莉奈さんはしきりにつつく。あの、つつかないでくれませんか?
「鬱陶しいだけだよ」
元の身体では丁度良い大きさで、大きい人は良いなぁ。と、思っていた。が、いざ大きくなってみると、身体を動かせば重りが後から付いてくる様なカンジだし、肩は凝るし。と、あまり良い事は無い。あるとすれば……異性の目を惹きつける効果があるくらいか。街に着いた時、果物を買っていると露天の人がガン見してたし、周囲からの視線も感じていた。なんで私が視姦プレイされなきゃならんのだ。
「鬱陶しいだなんて、そんな事言わないで下さい!」
肩をガッと掴んで、巨乳は人類の至宝だの何だのと、熱弁する麻莉奈さん。
「あ、あの。熱く語るのも結構だけど、肩痛い」
それに、先っちょ同士で裸の触れ合いしてるんだわ。
「ハーッ。良い湯だニャー」
お湯にお尻を浮かべて尻尾をフリフリしながら、ミルクさんは恍惚の声を上げていた。
翌朝。快眠を貪った私達は、薄暗い通路を通り食堂へとやって来ていた。日の出も遅いんだね。
「おはよっ、お爺ちゃん」
「おお、おはよう。居心地はどうじゃった」
「うん。もう最高だね」
温泉があって食事も美味しい。部屋は広々でベッドもフカフカ。今まで泊まった宿の中では最高ランクだった。
「そうじゃろう、そうじゃろう。なにせ、一晩泊まるのに両手では足らんからのう」
…………へ?
「え? あ、あの。それって、銀……貨だよね?」
お爺ちゃんは何も言わず、ニヤリ。と、口角を吊り上げた。うわっ! ここって超高級ホテルじゃんかぁっ! 道理で総てが最高ランクのはずだわぁぁぁっ!
「真の高級とは、見たくれじゃ無いのじゃよ」
お爺ちゃんは涼やかな顔をしてモーニングティーを飲み干した。支払いの時、スズタクが何度も聞き返していた事を明記しておく。両手どころか二人でも足らんかった。
「爺さんよぉ、もう少し考えて宿を選んでくれよぉ」
王城に向けて歩きながら、スズタクはジト目でお爺ちゃんを見つめていた。
「ホッホッホ。金ならたんまりあるんじゃ、そうケチケチするな。それに見ろ。嬢ちゃん達も満足そうな顔をしとるじゃろう」
確かに満足したよ。値段以外は。
「はい。とても素晴らしい宿でした。満足を越えて大、大満足です」
「ホッホッホ。タクよ、よく覚えておけ。女が元気だと、儂等も元気になれるんじゃよ。普通の宿でも構わんが、たまには贅沢させてやれ。只でさえ命のやりとりが平然と横行する世界じゃ、ストレスをため込んでは判断力が鈍り命が危険に晒されるやもしれん。それにの……」
お爺ちゃんはスズタクの耳に手を当て、何やら内緒話をしていた。チラリ。と、私達に向けた視線は、何を意味しているのやら。
「あれ? もしかしてミキさん?」
「え?」
何処かで聞いた事のある声の主を捜すと、すぐ目の前で私を見つめる人物と視線がかち合う。朝日に輝く金色のショート・ボブ。日に焼けた肌は砂漠の民である証。全体的に締まった感じのプロポーションは、健康的で活発な彼女の魅力の一つだ。
「セーラさん?!」
「ミ、ミキさ……」
私に向かって倒れ込むセーラさんを慌てて受け止める。杖代りで使っていたであろう何かの棒がカラリと倒れた。見れば衣服はボロボロで、鎧には爪で引っ掻かれた様な跡まである。
「大丈夫!? しっかりして!」
「お、お……」
お? おが何だって?
「お腹減った……」
「へ?」
クー。と、鳴くなら可愛いかったんだけど、ギュルルル……。と、野生動物の鳴き声みたいな音が聞こえた。
「おかわりですっ!」
「ウチもニャッ!」
「張り合うなっ!」
セーラさんを背負って手頃な食堂に入った私達。遅めの朝食へとやって来た他の客が、テーブルに積まれた皿を見て驚いていた。厨房もウェイトレスも忙しくて、他の客の対応が追い付いてない。にしても、朝食を死ぬ程食べたというのに、ミルクさんはまだ食うんかい。……セーラさんも良く食べるなぁ。
「ふー」
椅子の背もたれが軋みを上げる。満足そうに背もたれに寄りかかるセーラさんのお腹は、まるで妊婦の様になっていた。
「いやぁ、助かりました。ご馳走さまです」
「オゴるなんて、一言も言ってないわ」
「……え」
満足そうな顔から一変して、サァッと、血の気が引いてゆくのが分かる。前にちっぱいって言った恨みだ。
「うっ! 産気づいたので、ちょっとトイレに……」
何処で産み落とすつもりだ!
「ホッホッホ。良い良い、儂がオゴろう」
お爺ちゃんがそう言うと、青ざめた顔がパアッと明るくなった。分かりやすい娘だな。
「それで、どうかしたのかの」
お爺ちゃんの問い掛けに、食後のデザートを口に運ぼうとしてその動きが止まる。そして、慌てて立ち上がった。
「そ、そうだ! 私、王城に行かなきゃ! お腹一杯で忘れてました!」
忘れるなよ。
「取り敢えず座って話を聞かせてくれ」
「あ、はい」
スズタクに促され、セーラさんは椅子を引いて座り直す。そしてデザートに再度手を伸ばした。食い意地張ってるなぁ。
「実はですね」
セーラさんから齎された話は、驚きの表情を隠さず見せるのには十分すぎる内容だった。
コーカンド北方に位置していた大砂丘が突如として爆発し、砂煙の中から現れたのは大きな白い人型のナニカ。そのナニカが街中で大暴れをしているのだそうだ。
「コーカンドが壊滅した!?」
「壊滅じゃありませんっ! その、ちょっと潰れただけですっ!」
その違いって分からないけど、とにかく大変らしい。大商人達が雇っている傭兵や、エリージアの兵達が応戦したが、撤退を余儀なくされたらしい。セーラさんの父親であるセラルドさんをはじめ、兄達は傭兵達と共に民を逃がす為の護衛の任に就いているそうだ。
「私はお父様から、伝令役を言いつかったのです」
そうか。それでこの国の兵士達が、血相を変えて砂漠に向かって行ったのか。
「すまん」
「え……?」
突然、テーブルに両手をついて頭を下げるスズタクに、セーラさんはキョトンとしていた。
「俺達が離れちまったから、壊滅するハメになっちまった」
セーラさんはガタリ。と、席を立ち、掌をブンブン。と、交差させ始めた。
「い、いえ。皆さんの所為じゃありません! ……それにちょっと潰れただけですから」
あ、ソコはちゃんと突っ込むのね。
「丁度儂等も城へ行く所じゃ、一緒に同行してはどうじゃな。コーカンドが壊滅したとなれば、一大事じゃて」
「え? あ、はい。是非お願いします。……でも、ちょっと潰れただけですよぉ」
ひょっとして、みんなでセーラさんの事イジメてるの? 目に涙が浮かんでいるじゃないの。
こうして私達は、ポロポロと涙を零しながら、ちょっと潰れただけ。を繰り返し呟くセーラさんを伴い、王城へと向かったのだった。