第五十五話 天麩羅と温冷の狭間。
応接セットに腰を下ろすと、毎度毎度絶妙なタイミングで給仕係が颯爽と現れて、それぞれにティーカップを置いてゆく。
「今年初めて収穫したモノです。どうぞご賞味ください」
私達の対面の右に座るプレアに勧められ、ティーカップの中を見ると、黒々とした液体と嗅ぎ覚えのある香りに驚いた。
液体を口に含むと、まず苦味がやって来て、次にコクを感じる。そして、鼻から抜けてゆく香りにホッとする。
「まさかコッチでコーヒーが飲めるとはな」
「そうですね。なんかホッとします」
スズタクと麻莉奈さんはそう言うけど、私はストレートで飲むのは苦手だ。
「うむ。美味いの。よくここまで育ててくれたもんじゃ」
「はい。お師さんのご指導の賜物です」
プレアは満足そうな表情をしていた。
「指導? お爺ちゃんが作り方を教えたの?」
「そうじゃ。元の世界で儂は流通業を営んでおっての――」
素材の仕入れには必ず現地に足を運んでいたらしく、そのお陰で作り方を覚えてしまったらしい。
「数年前にある場所で、青かん……散歩しておったらの」
おい! 今、何を言い掛けた!?
「コーヒーの木を見つけての、持ち帰って栽培を始めたんじゃよ」
現地まで何度も足を運んだお爺ちゃんだからこそ、それがコーヒーの木だと分かったのだろう。
「で?」
お爺ちゃんはコーヒーを飲み干し、カップをコトリとテーブルに置く。
「はい。お話の件ですが、先ずはこれをご覧下さい」
中央に座るカスプが、何かが入った包みをガチャリと置く。音からして陶器の様なモノかな。
「むう」
「これって!?」
「どーなってんだおい」
「ハラ減ったニャー」
紐解かれた包みの中身を見て、私達は驚きの声をあげた。包みの中は、恐らく球体状であったであろう砕かれた水晶片。お爺ちゃんはその一つを手に取って、前から後ろからと、方向を変えて覗いていた。
「ニセモノじゃな」
「ニセモノ?!」
「はい。我々も、いつすり替えられたのかも分からず、調査のしようも無い状態でして」
「じゃからセラルドを追い返した訳じゃな」
「左様です」
「困りましたね。これでは遺跡の内部に入る事が出来ません」
麻莉奈さんもお爺ちゃんがやったのと同様に、水晶片を覗いていた。
「……この街の防衛はどうなっておる?」
「はい。我々が雇い入れた傭兵が七千。そして、皇都より防衛隊が五千程常駐しています。近日中には皇都より派遣部隊が五千程到着予定です」
「ふむ。それだけ居れば街を守るのに十分かの」
「お爺ちゃん、何をするつもりなの?」
「うむ。龍の目がニセモノである以上、我々には打つ手は無い。しかし、アレならば道は開けよう」
アレ?
「ギャルソン様! まさかそれは!」
「封緘を解きし劔じゃよ」
「シールブレイカーだと!?」
真っ先に反応したのはスズタクだった。
「あ。まさかそれは、麻莉奈さんの?」
「はいそうです」
麻莉奈さんのクリア条件である、七つの武器の一つか。
「アレならば、いかな強力な封印であろうが、破る事が出来る筈じゃ」
「しかしそれは聖騎士王の所有する武器。お借り願うどころかお目にかかるのも困難であると思われます」
「ふむ………………奪うか」
「お止め下さい!」
「ほっほっほ。冗談じゃよ、冗談」
いや、結構マジな顔してたよお爺ちゃん。
ドドドド。ザザザザ。そんな音を立てながら、砂漠特有のきめ細やかな砂が煙となって立ち昇っている。地平線ならぬ砂平線の奥に見える山々はゆっくりと動き、視線を落としてゆく毎にその速度は増して後ろに流れてゆく。
砂漠のオアシス、コーカンドを出発して二日目。砂トカゲは今日も元気に幌付きの砂ゾリを引っ張ってくれていた。
私達の目的は、エリージア皇国の聖騎士王グラナート=ヘイリング=エリージアに会い、彼の所有している剣を借りる事。
「暑いニャー」
ミルクさんが舌を出して項垂れる。十人乗りの荷台には幌が掛けられ、照り付ける日差しから私達を守ってくれているが、だからといって涼しいという訳では無く、五十度は軽く超えているであろう外気温よりは多少マシな程度。移動によって風が流れ込んでも熱風では意味がない。荷台の中はまるで湿気の無いサウナの様だった。
その荷台には、お爺ちゃんと私、ミルクさんが座り、スズタクと麻莉奈さんは仲睦まじく御者席に座り手綱を握っていた。
「ミーキー。またアレやってくれニャー」
ミルクさんが熱によって半分溶けながら、三十分程前にやってあげた事をまたしてくれ。と、懇願する。仕方ないな。
「氷よ。我が意に従い其を凍て付かせ」
チカラある言葉を解放する。荷台の中央に置いた魔石から冷気が漂い、あっという間に高さ一メートル、厚さ三十センチの氷柱へと成長した。ミルクさんはそれに飛び付く。
「冷たいニャー。ありがとニャー」
嬉しそうに氷柱に頬ずりするミルクさん。熱によって既に融け始めた氷から滴る水で、雨に降られた猫の様になっていた。
「魔石の無駄遣いするなよ」
手綱を握っていたスズタクが後ろを振り返ってミルクさんを嗜める。
魔石自体に魔力をチャージする事は出来ない。内包している魔力を使い果たすと、砂とも金属ともいえない物質に変化して粉々になってしまう。
南方諸島の塩湖が干上がったお陰で、そこで採れる魔石を一般人でも入手が出来るようになったが、普及するにはまだまだ時間が掛かるみたい。残り十数個。まだまだ高額な魔石を大事に使わないといけないのだが、こうも暑くちゃねぇ。
「そろそろ休憩しましょうか」
麻莉奈さんお提案にスズタクは砂ゾリを止める。途端、荷台の中はサウナと同じになった。……あ、氷があるからか。
「水よ。我が意に従い大地に降り注げ」
チカラある言葉を解き放つと、百六十程の私の背丈より少し高い上空に黒に近い灰色の雲が現れ、程なくして落ち始めた水滴が、虹を作りながら砂に降り注いだ。
ザザザッ。砂トカゲが走り寄り、その中で嬉しそうに飛び跳ねる。それに混じってミルクさんも飛び跳ねていた。
水浴びを楽しんだ砂トカゲ達は、唯一の日陰である砂ゾリの下に潜り込み、腹を晒して昼寝を始める。ふてぶてしく思えるのは、私だけだろうか?
「どうぞ美希さん」
「ありがとう」
麻莉奈さんから手渡されたサンドイッチを頬張ると、シャキシャキとしたレタスに似た野菜からの、瑞々しい食感がなんとも心地よい。
麻莉奈さんは四次元ポケッ◯の様な能力、マジック・カーセットから予め作っておいた食事を皆に配っている。この能力は手に持てる物ならば、生物以外なら何でも収納が可能で、しかも入れた時の状態のままで保管される。だから、いつ取り出してもホカホカと温かかったり、キンキンと冷えていたり、瑞々しい状態を保っていたりする。いつ見ても便利な能力だと思う。
「ねぇ、スズタク」
「んんっ? んっ……く、なんだ?」
「アレナニ?」
私が指差す方向。ソコには灰色の壁があった。コーカンドを出発してから少ししてソレが見え始め、今はそれなりに首を上げないとてっぺんは見えない。
「あーそうだな、行ってみれば分かるさ」
「ホッホッホ。そうじゃな、自分の目で見た方がええの」
お爺ちゃんとスズタクは歯切れの悪い事しか言わないし、口裏でも合わせているのか麻莉奈さん達も教えてくれなかった。
それが今、私の目の前にある。なんというか、見たままを素直に口に出しても、大抵の人はこう言うだろう。そんなバカな。と。それを目にしている私でさえ半信半疑なんだから。
腕を前に差し出す。ジリジリと肌を焼く感覚がソコを境に失せ、代わりに肌を突き刺す様な感覚に襲われる。引き抜けばまた元の肌を焼く感覚に戻る。
この場所には、見覚えがあった。あれはそう、死んでこの世界に降り立つ前の事だ。クレオブロスによって床に映し出されたこの世界。そこで見た砂漠と雪原が隣り合わせになっている場所。それがココだ。街や村というより関所に近いこの集落には、これからエリージアに向かう為の装備を貸し出している。
「凄いねコレ」
それ以外の言葉が見つからない。一寸先が氷点下の世界になっている場所なんて南極くらいだろうな。
「だろ? 気温差は八十度って話だな」
八十度!? なんて温冷ダイエットに最適な場所なんだ。
「これからこの中に入るんだよね?」
「ああ、ここから約一日進んだ所に、皇都エリージアがある。今爺さん達が引き手を探している所だ」
砂ゾリはそのまま雪の上でも平気だが、それを引っ張ってくれた砂トカゲは寒さには弱い。だから雪の中を引っ張ってくれる動物が必要だった。親しんだ砂トカゲ達もここでお別れかぁ。
「ふぅ」
雪の中から姿を見せた一人の傭兵らしき人物が、大きくため息を吐いた。着ていた外套衣を脱いでバサバサと振ると、付着していた雪が地面に落ち、あっという間に溶けてなくなる。彼が手にしている外套衣からも日に晒されて湯気が立ち昇る。
それも珍しい光景だけど、私の目に付いたのはその様相だった。肩と胸を覆い、腕を僅かに覆う軽装鎧は、機動力をウリにした一般的な軽戦士の格好で良く見る。が、問題は背中にある武器だ。
幅は私のウエストはありそうな厚みがあり、柄から剣先までは私の身長ほどもある。それを、ヒョロリとしたもやしっ子の様な人物が、背中に背負っているのだから目に付かない筈はない。彼は私を一瞥すると、そのまま南に歩いて行った。
「どうした?」
呆然と見送る私をスズタクが声を掛けてきた。
「うん。あの人ヒョロッとしているのに、あんな大きな剣を背負ってるから」
「ん? ああ、確かに変だな……ん? あれはまさか……」
「どうかしたの?」
立場が逆転し今度は私が聞いた。
「んー。いや何でも無い。あり得ないしな。それより出発の準備が出来たそうだ。みんな呼んでる」
スズタクが指差す方向を見ると、こっちに向かって麻莉奈さんが手を振っていた。