第五十一話 幕間 砂漠に開いた穴と迫り来る虫。
ドスリ。腹に剣を突き立てると、ギギギィという鳴き声の様な音を発して、それの動きが止まる。
完全に動かなくなったのを確認して、突き立てた剣を引き抜いた。六本ある肢がビクリと動き、剣を抜いた者以外の周囲に居る者達が驚いて後退る。
「ふう……」
剣を突き立てとどめを刺した、皮を鞣して何枚も重ね合わせた鎧に、日に焼けた肢体を包み込んだ少女がため息を吐いた。
「セーラ!」
遠くから掛けられた声に反応し、セーラと呼ばれた少女は顔を上げ、仄かに水色をしたその瞳に自分の名を呼んだ者を捉えると、年相応の笑みで以ってその者を迎えた。
「ヴィヒム兄様」
「どうだ? そっちは」
セーラと同じ、皮を鞣して作った鎧を身に纏ったヴィヒムと呼ばれた男は、地面に転がる死骸に視線を落とす。
「こっちに侵入したのは、これで最後です」
セーラもヴィヒムと同じく視線を落とした。
地面に転がる死骸。それは全長が二メートルを超えるメスのカブトムシに酷似した巨大昆虫だった。
この虫が街に侵入してくる様になったのは、一週間ほど前からで、一日一回の時もあれば何度も入り込んでくる時もあり、その数も一度に数匹の場合もあれば、今回の様に十数匹の場合もあった。
今の所、別にたいして被害も無いのだが、街中を我が物顔で闊歩されては迷惑な上、一ヶ月後には祭りが行われる為に、街へとやって来るVIPを含めた人達を、危険に晒す訳にはいかなかった。
「他の兄様方は終わったのですか?」
「ああ、グラウもレヴンも今頃は屋敷に戻っている頃だろう」
「流石は兄様達です」
セーラはそう呟くと同時に、ヴィヒムにしても自分の担当区を早々に終わらせて、自分の事を心配して駆け付けたのだろう。と、自分は心配ばかりかけてしまう未熟者で、早く兄達に追い付きたいと思うのだった。
「では私達もお父様にご報告しなければいけませんね」
「そうだな。では戻ろうか」
「はい。兄様」
セーラの返事を聞いて、ヴィヒムは踵を返して元来た道を戻る。しかし、背後から付いて来ている筈のセーラの足音が聞こえないのを不思議に思い再び振り向くと、セーラは足を止めて北方に在る砂丘を見つめていた。
ヴィヒムはセーラと同じ方向に視線を巡らせると、連なる大砂丘が見えるだけで、別段変わった様子は見られなかった。
「どうした? セーラ」
ヴィヒムが声を掛けると、セーラの肩がピクリと反応する。
「い、いえ。何でもありません。ただ……砂丘が大きくなっている気がして……」
「砂丘が?」
ヴィヒムは再び砂丘に視線を向ける。
「(私には変わらない様に見えるが……)」
「多分、気の所為だと思います」
「そうか。では急ぎ戻るとしよう。お父上の首が長くなる前に、な」
「はい」
セーラは微笑み小走りでヴィヒムに駆け寄ると、二人は揃って歩き出した。
アルラハ砂漠最大で唯一のオアシスコーカンド。
都市の中心部には古代魔法文明時代に建てられたとされる建造物があり、その地下からは都市を支えるには十分過ぎる程の水が湧き出し、半径一キロメートル程の湖を成している。
湖を囲む様にして形成された街は、三人の大商人によって統治され、皇国領でありながら自治が認められているという稀有な施政を敷いていた。
街の防衛と治安維持は、皇国に古くから仕えてきたアヴィリオ家の現当主セラルド男爵とその配下の兵、それと商人達の自衛軍によって、その総数は一万五千にも達する。
執務室のドアがガチャリと開けられ、一組の男女が室内に入ると、室内に居た三人の男が一斉に顔を向けた。
「ただいま戻りました。お父様」
「おお、ヴィヒムにセーラ。遅いから心配しておったぞ」
中年。というよりは初老に近い人物。セラルドは腰掛けていた執務机の椅子から立ち上がると、微笑みながら二人の元へ歩み寄った。そして、ヴィヒムとセーラの肩に手を置き、二人の無事な姿を頷きながら確かめていた。
「兄者、随分遅かったですね」
執務室の片隅に置いてある応接セットのソファーに腰掛け、その様子を見ていた知的な様相の青年が声を掛ける。
「ああ、セーラを迎えに行っていたのさグラウ」
ヴィヒムの言葉にグラウの向かいに座る、体育会系の様相をしたもう一人の男が、持っていたティーカップをテーブルにガチャリ。と、乱暴に置いた。
「またかよ兄貴。兄貴がセーラを甘やかすから、コイツはいつまで経っても未熟者なんだよ」
「まあ、そう言うなレヴンよ」
セラルドはレヴンの叱咤によって、項垂れるセーラの頭に手を置いた。
「ああは言ってるがな、その実裏ではお前の事を好いておるのだ」
「なっ! 何言ってんだよオヤジ!」
レヴンはソファーからガバッと立ち上がりセラルドの言葉を否定するが、顔が真っ赤になっている所を見ると図星なのは明白。三男であるレヴンは体育会系で少しスパルタな部分もあるが、直ぐ顔に出る性格はセーラも内心可愛いと感じていた。
「ハァ……」
台車に乗せられ運ばれてゆく魔物を目で追いながら、セーラはため息を吐いた。
五年に一度の大イベント。砂漠の競売市まで三週間を切り、本来ならばイベントに向けた警備体制の打ち合わせなどで忙しい時期なのだが、出現する度にあらゆる手を止めて討伐にあたらねばならず、その忙しさが更に輪をかけていた。
「(ホント、一体何の嫌がらせなのかしら?)」
先日言っていた商人達の言葉をなぞる。恐らく駆り出されている討伐隊の、そのほとんどがそう思っている。それほど皆嫌気がさしていた。
「ハア、暑いし帰ろ」
魔物を見送ったセーラは、快晴の空に白く輝く陽に背を向けて、報告の為に帰路についた。と、その足が急に止まり、共に討伐に来ていた者達はセーラにぶつかりそうになった。
「やっぱり……大きくなってるよね」
建物の屋根と砂丘の頂上とを、親指と人差し指を開いて測りながらセーラは呟いた。それを見ていた討伐隊の幾人かは、セーラに奇異な視線を向けていた。
「(確か、あの虫の様な魔物が姿を現し始めたのは一週間ほど前……それと同時期に大きくなり始めた砂丘。もしも、この二つが関係しているのだとしたら? やっぱりお父様に進言してみよう)」
セーラはそう決意し、父セラルドの元へと駆け出した。
セラルドが執務を行う部屋のドアを開けると、いつもの様に微笑んで出迎える。が、今回に限ってその笑みも何処か陰って見えていた。
「おお、帰ったか」
「あの……お父様にお話が――」
「帰った所すまんが西門へ行ってくれんか?」
「――え? 西門ですか?」
「そうだ。実はな、西門から少し出た所で虫共の巣らしき穴が見つかったのだ。兄達もそこへ向かっていてな、合流して内部の調査を行なって欲しいのだよ」
「虫の巣……穴」
よくよく考えてみれば、確かに虫の出現区域は西側に偏っていて、その他地域では殆ど見かけない。
「分かりました」
「うむ。くれぐれも気を付けて調査してくれ」
「はい」
結局セーラは砂丘の事は言い出せずに、再び熱く渇いた砂漠へと足を向けた。
「ヴィヒム兄様!」
「来たかセーラ」
「おせーよ」
「ごめんなさい。……ここが?」
「ああそうだ。ここが虫の巣穴だ」
そこは帝国へと続く街道よりも北側に位置している、砂丘と砂丘の間に挟まれた街道からは死角になっている場所だった。
砂丘を穿つ様に開いた穴は、大人が立って歩くのには十分過ぎる高さがあり、横に三人並んで歩ける程の幅、それが入り口からゆっくりと地面に下っている。
「よし、それでは調査を開始する!」
集められた兵達にヴィヒムが号令を下すと、緊張した声で返事が返ってくる。人員は、隊長にヴィヒム、分隊長としてレヴンとセーラ。そして配下の兵達。総勢三十名程の調査部隊だ。
穴に一歩を踏み出すと、ヒヤリとした風が穴の奥から戦いでくる。昼間の暑さに慣れた身体では、肌寒いくらいに感じていた。
「こりゃなんだ? 金属……か?」
レヴンは壁に手を添えると冷たい感触が伝わる。何の素材で出来ているのかすらも分からないその壁は、等間隔に刻まれた溝が真っ直ぐに奥へと続いており、円形状で屈んでやっと通れるくらいの小さな通路が所々で分岐していた。
「どうする? 兄貴」
「そうだな……取り敢えずこの本道を先に調べよう。セーラ、明かりをくれ」
セーラは分かりましたと応え、明かりの魔法を唱えると、セーラの頭上に白く輝く球体が出現し周囲を照らした。ここから先は陽の光は届かない領域に入る為に、四兄妹の中では唯一の魔法適性者であるセーラが加わる事で調査の幅に広がりをもたせていた。
ギギギィ!
明かりを点けた途端、奥の暗闇からあの虫の鳴き声が一行の耳に届く。
「ヤツが来るぞ! 迎撃よぉーい!」
ヴィヒムの掛け声と同時に、後方の兵達が持っていた弓に矢をつがえて弦を引き絞る。
「放てー!」
放たれた矢はセーラ達の頭上を越え、光に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる虫に当たるが、その殆どが硬い外殻によってあらぬ方向へと弾かれた。
「クソッ!」
レヴンは苛立たしげに剣を抜き、ヴィヒムは既に抜剣状態で迎え撃つ構えを見せる。この様な狭い通路では、切った張ったをするには二人が限界であり、隊長のヴィヒムと分隊長のレヴンが魔物を食い止める役を買って出る。そんな二人の間を、赤く輝く一筋の光が通り抜け、虫の頭部に直撃して燃え上がらせた。
ギィギィィ!
虫は苦悶と思しき鳴き声を上げその進行が止まる。
「ナイスだセーラ!」
セーラから放たれた魔法の矢によって怯んだその隙をついて、ヴィヒムとレヴンは一気に決着を着けた。
「取り敢えずはコイツだけみだいだな」
他に来ない事を確認したヴィヒムは、汚れた剣を布で拭き取って鞘へ納める。セーラはそれを呆然として見ていた。
「どうした? セーラ。そんな顔をして」
「いえ、何かおかしいなって……」
「おかしいって、なんだよ」
「その……これだけ大騒ぎしたのに、他の虫が気付かないっておかしくないですか?」
セーラの言葉にヴィヒムはフム。と、考え込んだ。自分達は虫共の巣に居るはずなのに、その虫はまだ一匹しか見ていない。その一匹もセーラが明かりを点けた途端襲い掛かって来た。本来の虫のように光に向かって来る習性があるならば、もっと大量に襲われてもおかしくない筈だった。
「もしかしたら、ここは虫の巣などではなく――」
ズズズズ……
ヴィヒムの言葉を遮るように、何処からともなく地響きが聞こえ始めた。
「じ、地震!?」
立っているのが困難なほど大きく揺れ始めた地面に、誰も彼もが這いつくばる。そして、穴の奥からは風が吹き始め、それが突風となるまでにさしたる時間は掛からなかった。
「……ん」
ジリジリと身を焼くような陽の光でセーラは目覚めた。
「……そ、と? そうか……突風で吹き飛ばされて……。ハッ兄様達は!?」
ガバッと身を起こすと、頭に乗っていた砂がサラサラと落ちていった。辺りを見回すと、気を失っている仲間を揺すっている者や、起き上がって服の中に入った砂を落としている者などが目に入り、その中の一人にヴィヒムの姿を認めたセーラは、慌てて駆け寄った。
「兄様大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかな……セーラは平気か?」
セーラがはい。と、応えると、側に転がっていたレヴンも目を覚ました。
「いつつつ……何だったんだありゃぁ……な、なあ兄貴。あれって一体何だ?」
レヴンの指差す方向にセーラとヴィヒムが視線を巡らすと、今までには無かった巨大な構造物が砂漠から生えだしていたのだった。