第四十五話 目覚めのキスと新たな暗雲
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「ウチはタクの飼い猫だニャ。いや、だった。が正しいかニャ」
ミルクさんが口を開いたのは、結構な時間が経ってからだった。やっぱり日本から来たんだ。
「あの日は何時も通りの朝だったニャ。タクのほっぺをモミモミして起こしたんだニャ」
肉球でほっぺモミモミですと!? ナニソレヤバイ! すっごくヤバイ!
「タクは仕事へ行くから、ウチは玄関で見送ったんだニャ」
しかし、夜になっても朝になってもスズタクは戻って来なかった。それから何日も過ぎ、その間に幾人もの人が出入りをした。その中でミルクさんに手を差し伸べた人も居たが、頑なにそれを拒みスズタクの帰りを待ち続けていたのだという。
「そのうち、眠くもないのに瞼が降りてきて、気付いたらご主人の部屋じゃない場所に居たんだニャ」
そこは真っ白な空間で、目の前には優しく微笑む女が居た。
「願いを叶えてやる。と、言ったからウチは願ったニャ。タクの側にずっと居たいとニャ。そしたらこの身体をくれて、この世界に飛ばされたのニャ」
スズタクの手を握り締め、顔を見ながらミルクさんは話してくれた。私は椅子から立ち上がって、ミルクさんの頭をソッと抱きかかえた。
「な、何だニャ! 気持ち悪いのニャ!」
「聞かせてくれて、有難う」
心からそう思えた。動物ならではの純粋な思い……私は心を打たれた。
ガチャリ。病室の扉が開けられ、麻莉奈さんが荷物を抱えて戻って来た。
「ただ今戻りました。ごはん買って来ましたよ」
「メシニャッ!」
握っていたスズタクの手を放り投げたミルクさんは、素早い動きで麻莉奈さんからバゲットサンドを奪い取ると、嬉しそうにそれを頬張った。……うん。分かっていたよ。己の欲望にまっしぐらだって。だってケダモノだもん……私の感動を返して?
「どうされました? 美希さん」
「……いいえ、何でもない」
私は麻莉奈さんから差し出されたサンドを受け取り頬張った。……あ、コレおいし。
「それにしても、お目覚めになりませんね」
スズタクの脈を取ったりと、一通りの診察をした麻莉奈さん。ヤケに様になっているけど、看護士か何かだったのかな? この人。
「何か他に要因があるのかなぁ……ん?」
スズタクから離れた麻莉奈さんは、衝立の陰から手招きをしていた。
「……麻莉奈さんがキスしたら目が覚めるかも」
「えっ?!」
麻莉奈さんは驚いた表情で私を見つめた。
「ホラ、眠れる森の美女って話、有ったじゃない?」
物語のタイトルを聞いて、麻莉奈さんは、ああ。と、手の平をポンと合わせた。
「でも、私なんかで良いんですか?」
「麻莉奈さんだから良いんだよ」
私がやっては容姿的に完全にアウトだ。ミルクさんだと……ダメだろうな。
「麻莉奈さんの大人のテクで、ブチューッと蹂躙しちゃってよ」
「ブチューっとですか……分かりました。僭越ながら私がヤらせて頂きます」
頷いた麻莉奈さんは、スズタクが寝ているベッドの端に腰掛けると、前屈みになって顔を近付けた。
私から見ても柔らかそうな唇が、ゆっくりと近付いてゆく。フーッ、フーッ。それに反して、思っていた以上に鼻息が荒かった。
ブチューッっとイクまで、あと三十センチ。……二十センチ。……十セン……
「うわっ!」
チッ、起きやがった。
「ななな……」
スズタクは驚いた表情で、何やら『な』を連発していた。何を期待していたんだ? コイツは。
「何だっ?! その猫はっ!?」
「ニャー、クルクルクル……」
麻莉奈さんに抱っこされた豹のような猫は、スズタクに対して意外にも好意的なようである。
麻莉奈さんがスズタクを診察した折、奴の狸寝入りが発覚し、衝立の陰でこの計画を練り上げた。熱い口付けを交わす役に、たまたまミルクさんの所に来ていた猫にお願いをして起用した。お礼はバゲットサンドである。
「良いじゃない。人外ネコミミ愛好家には、垂涎もののシチュエーションよ」
「人外過ぎるわっ! ただのケモノじゃねーか! ってお前……美希か?」
「そうよ。覚えてないの?」
スズタクはブハーッと、風呂上がりで牛乳を一気飲みした後の様に息を吐いた。
「良かった。上手くいったんだな」
「全然良くないわよ。カッコ良く出てってアッサリやられるなんてダッサイわね」
「しょーがないだろアレしか思い付かなかったんだから」
「死んだら元も子もないでしょうに」
「麻莉奈が居るんだ。多少の傷くらいなんとかなると思ってな」
「残念ながら私だけではどうにも出来ませんでした。美希さんの機転でタク様の命を繋ぎ止めたのです」
「え?! マジ!?」
驚愕するスズタクに、私達は揃って頷いた。
治療術師からほぼ強引に退院許可を貰ってから三日。魔女による世界支配を阻止してから一週間程が過ぎた。
不安、恐怖、怯え。暗く沈んでいた人々に笑顔が戻りつつあり、破壊された街や村も復興に向けてボチボチと動き始めた。と、いう話だ。今もあちこちから、魔法によって瓦礫を破壊する音や、ノミで石を削る音が響いてきている。
魔女が発動させた隕石落としによって、巨大な湖となってしまった隣国アルエーデ王都は、国を継ぐ王族も居ない為にアルスネルとノスティアで分割統治される事になったとの事だ。
暗雲が無くなり晴れ渡った青空の下、私とスズタクはアルスネル王城に向けて歩を進めていた。私達の目的はラスティン近衛隊隊長に会い、この地を離れる事を伝える為と、西方大陸コラルリウムに渡る為の船を用立てて貰おう。と、いう理由からだ。
みんなでゾロゾロと行っても仕方が無いので、思い入れのある私と、王女がゾッコンのスズタクで挨拶に行き、麻莉奈さんとミルクさんは出発の為の物資(主に食料)集めに奔走している。
「コッチはあんまり被害が無いわね」
第二城壁の門を潜ると、損害がほぼ見られない家々ばかりになっている。
「魔女が最後に唱えていた隕石落としは、一体何処を狙ってたんだ?」
「さーてね。彼女の情報に関しては、ロックが掛かって見れないから」
「ロック……か。疑い無く七賢人が絡んでいるな」
「でしょうね」
彼等が一体何を考えているのかなんて分からない。なんせこの世界を作った神様だしね。……と、スズタクは右腕を真っ直ぐ横に上げ、私の行動を制する。
「なに?」
「結界だ」
そういえば……、さっきまで聞こえていた石を砕く魔法音やノミの音が消えている。と、私達から少し離れた場所の空間が歪み始め、ソレが収まると赤髪のナイスバディなお姉さんが立っていた。
「……久し振りだな、サラ」
「ひさしぶりっ! いい男になったわねぇ。タクちゃん」
サラと呼ばれた女性は、間延びした声を出しながら私とスズタクの間に入り込み、スズタクの腕を胸の谷間に埋めた。
「それで? 七賢人が何の用だ?」
七賢人。結界を張るくらいだから只者では無いと思っていたが……この女性がスズタクを召喚した人なのか。
「いやん。そんな警戒しないでぇ。ちょっとした情報を持って来ただけだよぉ」
「情報?」
「そそ。サンナギリア諸島にある塩湖が干からびたそうなのよぉん」
「……ヘェ」
スズタクは、腕に抱き付いていたサラを振り解き、王城に向かって歩みを進めようとした。
「ヘェって、ちょ、ちょっと良いの? なんか有力情報っぽいんだけど?」
スタスタと先を歩いていたスズタクは、振り返って厳しい視線をサラに向ける。
「……サラ。何を考えている?」
「別にぃ、何もぉ」
「そうか……なら、そういう事にしておいてやるよ」
「ん。それじゃぁ、私は行くねぇ。頑張ってねタクちゃん。美希ちゃんもガンバだよぉ。またねぇ」
サラは歳不相応に可愛く手を振るとその姿が掻き消え、静かだった周囲に元の喧騒が戻ってきた。
「ねぇ、どういう事?」
「ん? ああ、宿に戻ったら話す。今はまず予定通りに王城へ向かおう」
そう言って城へ歩みを進めるスズタクの足取りは、どこか重そうに見えていた。
「よく来てくれた。英雄殿」
アルスネル王城近衛隊隊長執務室。ラスティンは執務用の机から離れ、訪ねて来た私達を応接室に自らが案内する。……それにしても、書類の量が以前とは比べ物にならないくらい増えているような……床にまで置かれているし。
「英雄呼ばわりは止めて下さい。ラスティン卿」
言ってスズタクは頬を掻く。英雄と呼ばれるのは照れくさいみたい。
「何を言うか、そなた達は救国の英雄なのだぞ? そういう扱いをせねば罰が当たると云うものだ」
ラスティンは運ばれてきた紅茶を手にとって口に含んだ。
「して、此度は何用かな?」
「我々はこの地を離れようと思っています」
「なに? 随分急だな……。もう少し待って貰う事は出来んのか? 間もなく我が王が疎開先からお戻りになられる。王からそなた達と直接会って、是非礼を言いたいと打診があった。リリアナ王女もさぞお喜びになるだろう。何ならそのまま腰を落ち着けてくれても良いのだぞ?」
ラスティンがとんでもない事を言い出した。
「王女も、もう十六だ。どこぞの馬の骨とも分からん相手と一緒になるくらいなら、そなたと結婚して貰った方が王女も幸せだろう」
「冗談はよして下さいよラスティン卿。私には――」
ラスティンは手の平を前に出してスズタクの言葉を制する。
「――目的があるのだろう? 分かっているさ」
「申し訳ありません。事は急を要するので」
「して、どちらへ行かれるのかな?」
「西方大陸コラルリウム。……つきましては、彼の地へ行く為の船をお貸し頂きたく、参ったのです」
「成る程な……。いいだろう。そなた達に船を用意させよう。……ただし条件がある」
「条件……ですか?」
「ああ、そうだ。その条件とは、元の世界に戻る際は、ここに立ち寄ってからにしてくれ」
「お安い御用です。必ずご挨拶に参ります」
「そうしてくれると有難い。四日後くらいには出港準備が整うはずだ。なにせ物資が不足しているのでな、すまんがそれくらいの時間は貰おう」
「無理をご承知で頼んでいるのですから構いません」
「船長はその時に紹介しよう。それでは――」
ラスティンはソファから立ち上がり頭を垂れた。
「そなた達のお陰で我が国、ひいては世界が救われた。民に代わってお礼を申し上げる」
「面をお上げ下さいラスティン卿。我々は自身の目的の為に行動したまでです。礼ならば、この近藤美希に言ってやって下さい」
ちょ、そこで私に振るの?!
「そうだな。コンドウミキよ。初めて会った時には、魔女ではないかと疑ったが、まさか本当に魔女になってしまうとはな」
は? えーっと? どう反応すればいいの?
「でも、良いのか? これで元の世界に戻るのが難しくなってしまったが」
ラスティンの言う通り、私がこの身体から離れれば魔女が開放されてしまう。だけど、私もそれは分かっていた事。
この身体が朽ちるまで何十年掛かるかは分からない。それだけ、元の生活に戻る。と、いう私の願いが叶うのが遅くなってしまう。……だけど、私はこの世界の人達を放り出してまで生き返りたくは無い。今はそう思えるから。
「私は構いません。この身体が朽ちるまでの間に、次の魔女への備えをお願いします。恐らく次の魔女は、先日程の力は持っていないでしょう」
「どうしてそれが分かるのだ?」
「此度の魔女の力は宝玉の恩恵によるものでした。それ等を総て回収してしまえば、厳しい戦いには違いありませんが、あれ程の脅威は無くなるでしょう」
「成る程な……宝玉についてはこちらでも調べてみたが、なにぶん神話級の代物でな、その詳細までは分からなかった。ウチのユーリッツに調べさせたいと思うのだが……回収した宝玉を一時お貸し願えまいか?」
スズタクはラスティンに首を横に振って応えた。
「アレは人の手には余るものです。聞いた話によると宝玉の暴走で大陸が消滅したとか」
「なんと! そのような事があったのか!?」
「はい。北方の林立する魔素柱がその名残だと聞きました」
それは魔女が私と戦っていた時に教えてくれた情報だ。ラスティンは宝玉が神話級の代物だと言っていたが、それを知っている魔女とは一体何者なのだろう?
「成る程。彼の地はそのような理由があったのか……」
「ですのでラスティン卿。この地を消滅させない為にも、宝玉に興味を示してはなりません」
「あい分かった。そなたの忠告、肝に銘じよう」
スズタクとラスティンはガッチリと握手を交わした。
「何ボーっとしてるんだ美希?」
「……え?」
「そうだ。そなたも加わるが良い」
「……はい」
私達はガッチリと握手を交わして城を後にした。




