第四十一話 塔の中の少女
読んで頂き誠に有難う御座います。
メリメリと音を立てながら、執事の姿が変貌してゆく。着ていたスーツには光沢が生まれ、服というよりは装甲の様に思える。四十代のイケてるオジ様顔は、鼻面が伸びて獣の顔になっていた。
「バフォメット。か」
指差しを行い、得た情報にそう書かれていた。
「ほう、この我を見通すとはな……」
バフォメットはブシュウと鼻息を吐くと、低い声で驚嘆し目を細める。
「あら? でも、バフォメットって山羊じゃありませんでした?」
「そういやそうだな。だがあれは……」
「羊だな「ですね」「だニャ」」
言われてみれば確かに。山羊というよりは羊ヅラだ。そして、私の頭に浮かんだモノがある。しかし、流石にそれを口に出す事は、憚れるような気がしたから言わない事に決めた。
「まさか、羊だから執事だった。とか?」
あ、言っちゃったよこの女性。
「ニャハハハハッ……グボッ!」
腹を抱えて笑い出したミルクさんを私が突き飛ばすと同時に、地面から鋭利な影が生み出され私の腕を抉る。
「……くっ」
「美希さんっ!」
「美希っち!」
駆け寄って来た麻莉奈さんが、即座に治療の祈りを捧げる。傷口に翳した手の平に青い光が生まれると、腕の痺れが消え、痛みが和らいでゆく。
「こぉんのアホネコッ! 姿がどうだろうが強敵には変わりないんだぞ! 気を抜くなっ!」
スズタクの言う通り、奴等の強さは姿形で計る事は出来ない。ゆるキャラの格好をしていようが強いものは強いのだ。
「我が主人は、少し遊び心がありましてね。この姿もかのような理由でして。全く困ったモノです。……でも、最近思っているんですよ、これもアリかなぁと」
アリなんかい!
「――なので、この姿を馬鹿にする。と、いう事は、我が主人を馬鹿にしたのと同義でしてね」
「マテマテ! オレ達は馬鹿になんかしていない! 殺るならあのネコだけにしてくれ!」
スズタク、あんたって……
「一緒に居た事を悔やんで下さい。さあっ、出でよ我が分身、黒影獣!」
地面から幾つもの黒い塊りが湧出し、獣の姿を形作る。その数は……三十って所か。
「美希イケるか?」
「問題無し」
麻莉奈さんのお陰で傷は完治した。これなら十分に戦えるが……あの影の獣、あれはヤバイと私の中の感性も告げている。
「さあっ、お前達! アイツ等を喰らいなさい!」
バフォメットの号令の下、黒影獣達はひと吠えして駆け出す。ヤバイ! やぁばーい、カワイイ……
『メェェェ!』
「おいっ! デレてないで戦えっ!」
「無理よ! こんなカワイイ羊達とは戦えないわ!」
ふっ。言い切ってやったゼ。
バフォメットが私達にけしかけたのは羊。某国で人気のアニメ、ひつじのショー◯。アレの白と黒が逆になった様な羊達だった。
「いい加減ファンシーグッズからは卒業しろっ!」
「良いじゃないの! 何歳になっても可愛いモンは可愛いのよ! そうですよね麻莉奈さん?!」
「えっ?! 私ペンギン推しで羊はちょっと……」
麻莉奈さんは杖で平然と撲殺しながらサラリと言う。 ……あ、そうなんだ。
「ああっ、もう! 分かったわよ! ヤれば良いんでしょ、ヤればっ! 風よっ! 我が意に従い嵐と成りて其を刻め!」
チカラある言葉を解き放つと、私達とバフォメットとの間に竜巻が生まれ、ひつ◯のショーン達が吸い込まれてゆく。……ああ、私の◯ョーン達が。せめて一体くらい手元に置いておきたかった……
あの竜巻の中には、幾つもの真空の刃が回転していて、吸い込んだモノを切り刻む。シュレッダーの様なモノである。
「先程から気になっていたのですが、アナタ方は本当に何者なんですか? ……特にアナタ!」
バフォメットはピシリと私に指を差す。
「あの様な魔術など、私は見た事も無いのですがね」
そりゃそうだ。ランクAの魔法を使える者などこの世界には居ないのだから。
「私に聞くより、ご主人様に聞いた方が早いかもよ?」
「……? どういう事ですかな?」
「だって私は魔女だからね」
腰に手を当て、えっへん。と、胸を張る。バフォメットの眼がスッと細くなった。
「ほう。……という事はつまり、アナタ様は我が主人と同格であると云われる訳ですか……」
あ。コレ、ヤバくない?
「アホッ! 怒らせてどーする!」
やっぱり怒ってるよねぇ、コレ。大気が震え出してるよ。
「このっ! 痴れ者がぁぁぁっ!」
バフォメットが叫ぶと宙に浮いていた石が、私達に向かって一斉に放たれる。
「下等なニンゲンの分際で、我が主人を語るとは万死……いいや! 死ですら生温いっ! 死にたくなる様な苦痛を永遠に与えてやるっ!」
バフォメットの咆哮と共に、私の全身の毛が逆立つ。
「なんだ!? この気配はっ?!」
スズタクも感じたんだ。この異様な気配。これは、まさか……
「ふふ。我が主人が準備に入った様ですな」
「準備……か。私達がここに居るってのに、随分と余裕ぶってるわね」
「私が本気を出した以上、アナタ方に勝ち目は無くなったのですよ」
どうしてコイツ等は人間を見下すのだろう?
「人間、舐めすぎじゃない?」
「はっ! 何者にもなれぬ中途半端な存在に、魔人であるこの私をどうにか出来るとでも?」
その驕りがアンタ等の最大の弱点なんだよな。
「光よ! 我が意に従い光弾となりて其を撃て!」
閃光弾。数十発のゴルフボール大の光弾が、多くの軌道を描き目標に殺到する。
「フッ。影よ我が身を護れ! 身代わりの影!」
バフォメットの周囲の地面から影が吹き出して球状に覆う。
「……秘技、影斬り」
素早く間を詰めていたスズタクの一撃が、黒い球体をシャボン玉の様に弾けさせる。
「何っ?!」
驚愕の声を上げるバフォメットに私の光弾が殺到した。
「……!」
光弾の着弾音に混じり、断末魔の声であろうモノが土煙の中から響く。と、ゾワリと肌が粟立ち、私が咄嗟に身を引くと、地面から円錐状のランスの様な影が、空に向かって突き立った。その際、幾つかの髪の毛を削ぎ落とす。
おにょれっ! 女の髪をっ!
「ミルクさん!」
「はいニャ!」
私が投げて渡したソフトボール大の石を、ミルクさんは盛大に振りかぶって投げる。ミルクさんの手を離れた石コロは、プロ野球投手顔負けの速度でバフォメットに向かった。
「フン。こんなモノなど……影刃斬!」
バフォメットの腕の動きに合わせて三日月型の影が生まれ、石に向かって放たれる。
バフォメットはこれで斬り裂けるとでも思ったのだろう。だが甘い、その石には光の魔法を付与してある。
「何だと?! グアッ!」
影の刃を撃ち抜いた石コロは、見事にバフォメットに直撃する。そして……
「魔を貫く聖なる剣!」
麻莉奈さんの祈りは、輝く巨大な剣を上空に出現させ、バフォメット目掛けて落下する。
「ギャオワォワォォォ!」
人とも獣とも思える絶叫の声を上げ、バフォメットは光の剣に呑まれていった。
「……アレを喰らってまだ生きているなんて、アンタ本当に強いんだね」
円状に窪んだクレーターの中心で、地面に両手膝をついて荒い息をしているバフォメット。
「クッ!」
私の足下から空に向かって影が突き立つが、光の魔法を付与している今の私の身体には、極限まで弱体化した魔族の攻撃など通らない。
「な、何なのですあなた達は……? 一体何者なのですか?」
「言ったでしょ? 魔女と愉快な仲間達だって」
後ろで愉快な仲間達が何やら文句を言っているが、無視しよっと。
「何か言い残す事は?」
「……いいえ。ありません」
「……そう。光よ。我が剣に纏て力と成せ」
「ああ、成る程。私如きが勝てる相手ではありませんでしたね」
光を纏わせた剣を振り下ろす。それは苦もなくバフォメットに入り込み、二つに割れたバフォメットは霧散して消滅した。彼も最後には理解したらしい。私が魔女と同じチカラを行使する事に。
「……ふう」
「終わったな」
「ええ。出来れば休みたい所ではありますが」
「ラスボスが残っているニャ」
だよねぇ。バフォメットが敗れたというのに、魔女の奴は呪文の詠唱を止めるつもりは……そうか!
「マズイ! 魔女は強行手段に出たわ!」
私と塔へ駆け出した。続いてスズタク達が追ってくる。
「どういう事だ?!」
「魔女転生!」
「……! そうか!」
私達が攻めようが攻めまいが関係なかった。『肉体は滅んでも魂は不滅』それを逆手に取った。現状で出来得る限りの破壊を行い、討ち取られたら転生して同じことを繰り返す。そうして、世界を疲弊させて最後には……
「雷よ! 我が意に従い筒と成りて其を撃て!」
魔石を電磁加速させる魔法で塔の扉を吹き飛ばす。これで魔力の残りは三割ほど。そろそろ疲労がみえてきていた。
ぽっかりと開いた塔の入り口は、漆黒の闇で塞がれている様に思えた。ともすれば、中から闇が這い出て来そうな雰囲気さえ感じる。
ゴクリ。
唾を飲み込んで一歩を踏み出すと、目眩にも似た感覚に襲われた。そして、闇から一変して差し込む光が私達の視界を奪う。
「な、何だここは……」
スズタクがあげた驚愕の声に、麻莉奈さんやミルクさん。そして、私も同じだった。
塔の中の筈なのに、空が広がり森が広がる。私達が居る崖の上から見る限り、それがずっと続いていた。眼下には貴族のお屋敷が建ち、建物は半透明の何かで覆われている。
「まさか、何処かに転送されたのでは!?」
麻莉奈さんはそう言うけれど、屋敷を覆う半透明のドームの中から漂う威圧感。魔女は間違いなくあそこに居る。
「いえ、魔女はあの中よ」
「ああ。急ごう。呪文を止めないと」
崖を降り森を駆ける。私達の想いはただ一つ、間に合って欲しい。ただそれだけ。
スズタクの刀で屋敷の結界を解き門を潜る。薔薇の庭園を抜けた先、玄関と思しきドアの前で誰かが立ちはだかっているのが見え……え?
ガギッ!
見えていた姿が突然かき消え、気付けば目の前で抜き身の剣を振り下ろしていた。もし、側にスズタクが居なかったら、私の頭はスイカのように真っ二つになっている所だ。それを認識した途端に全身から汗が吹き出した。
男はガッチリとした筋肉質の体型で、鎧は付けず上半身裸のまま。そして肝心の顔は、仮面を被っていて分からない。だが、さっきの動きからかなりの手練れである事は間違いない。
「行け! 魔女を止めるんだ!」
ギャリンッ! と、男の剣を弾き返し、スズタクは叫ぶ。その眼はここは任せろ。と、語っていた。
「早く来てよね」
私は屋敷に駆け出すと、背後でまたしても金属音がした。
「おう! とっとと片付けるぜ!」
背後から掛けられた声に、私は振り返りもせず真っ直ぐに玄関へと向かった。
ドアを開けると濃い魔力が溢れ出し、私を押し戻すかの様な錯覚がした。二階への階段は無く真っ直ぐな細長の部屋は、どちらかというと教会に近い構造をしている。
その際奥の祭壇に、腕や指先をしきりに動かし、金の髪を揺らしているエプロンドレスを着た少女が立っていた。その姿はまるで不思議の国のアリス。
「空の彼方……流れる星々……」
マズイッ! 詠唱が最終章に入っている!
「雷よ。我が意に従い筒と成りて其を撃て!」
直撃させるわけにはいかないから僅かに逸らす。これで驚いて詠唱を止めてくれれば……
ギャリンッ!
チッ! 弾かれた! 防御策を講じていたか!
魔女は私に気付き口角を吊り上げる。ってゆーか気付かれてたぽいな。
『お前にこの結界は破れん』
「声?!」
魔女のモノと思しき声が頭に響く。クソッ、こうなったら叩き割ってやる! 口の中で付与魔術を唱え、炎の力を纏った剣を振り上げて、そして振り下ろす。それで結界が砕ける筈だった。
「き、拮抗してる!?」
炎の力を纏った剣と彼女の張った結界とでプラズマの様なモノが発生する。押してもビクともしない。
魔女は振り返って私の目をジッと見つめ……、あれ? 私……この子を知っている気がする。でも、一体何処で……?
「ま、まさか……アリサ……ちゃん?」
ピクリと眉を動かし、彼女の動きが止まる。辺りがシンッと静まり返った。