第三十六話 幕間二 再臨せし厄災
フィリアンが砦より消息を絶つ少し前、アルエーデの国境に程近いノスティア領の連合軍司令部では、衝撃の事実が発覚していた。
―― アウイルの塔封印崩壊十六日目 ――
「ラスティン君、これは一体どういう事なのかね」
司令部の椅子に座り、机に広げられた地図を見ながら戦況を整理していたラスティンの元に、一人の人物が詰め寄った。
アルエーデ王国軍総司令官カルクス=ドゥィム=アルエーデ。おおよそ戦闘経験なぞ無さそうな体型をしている小太りで頭が禿げかかった人物だ。それもそのはず、彼は国王の甥に当たる人物で、コネで今の地位に着いたらしい。こういった実力が伴わないのにもかかわらず、公職に就くような者達が最近では増えてきている。
「無敵の我が軍が、魔物共の妙な動きに翻弄され撤退を余儀なくされている。奴等は烏合の衆では無かったのかね」
ただ猪突するだけの魔物だったはずが、ここ数日で組織だった動きを見せ始めていた。進軍する兵士を挟撃したり、待ち伏せや補給線を狙ったりと、巧みな戦術を使うようになっていたのである。
「カルクス卿。今暫くお待ち下さい。只今情報の収集を行っている所です」
ラスティンもそれには気付いていた。撤退を余儀なくされているのはアルエーデの軍だけではなく、精鋭のアルスネル軍、錬度が高いノスティアの軍までもが、一時軍を退いている。
「情報の収集だと? 今更遅すぎやせんかね」
そんな事は云われるまでもなく、既に数日前から調査班に塔周辺の調査を依頼している。
(確かに……遅い)
本来の予定ならもう既に戻って来ている筈だった。しかし、一向に戻ってくる気配すらもない。
「もういい! こうなったら我々だけで街を奪還する!」
ラスティンの煮え切らぬ態度が癇に障ったらしく、カルクスは顔をトマトのように赤く染め司令部から出ていこうとする。
「お待ち下さいカルクス卿! 敵の意図が分からぬ以上、無闇に軍を動かすのは……」
「黙れ! 叔父上の手前大人しく従っていたが、とんだ無能者ではないか! ヴァッセルは我が領地、地の利はこちらにある! 奴等がどのような策を弄しようと、数で圧倒すれば済む話だ!」
「カルクス卿。少しは落ち着いたらいかがですかな?」
この二人のやり取りを、座ったまま腕を組んで静かに目を閉じている人物が口を挟んだ。彼はレイヴン=カストラル。元傭兵という彼は現在ノスティア王国現国王であり、友国の危機に国王自らが出陣していた。
「フン! おい! 兵を集めろ! ヴァッセル奪還作戦を決行する!」
「ハッ!」
司令部の天幕の側で控えていたアルエーデ軍の兵士にカルクスは指示を出し、カルクス自身もまた司令部から出ていった。
「良いのですかな? ラスティン殿」
「出来れば止めたい所ではあります」
「何故、そう思うのかね?」
「この地よりヴァッセルへ行くためには、あの狭い渓谷を通らねばなりません」
「待ち伏せされやすい。と?」
「その通りです国王。この数日間の魔物の動きからして、まず間違いなく待ち伏せされているでしょう。守るに適した地形ではありますが、逆に攻めるには不向きなのです」
「ふーむ。どうしてこの様な事に相成ったのか……」
「恐らくですが、奴等魔物を統率するだけの力を持ったモノが出現したと思われます。それを確認する為、数日前に既に調査班を送り込んだのですが……」
「戻って来ない。と、いうわけか」
「左様です」
悄然とするラスティンを見て、レイヴンは腰をあげた。
「……やむを得んか。どれ、私も少し身体を動かしてくるとするか」
レイヴンは椅子から立ち上がると、腰を捻り腕を伸ばしストレッチを始めた。
「陛下?!」
「なに、ほんの少し身体を動かすだけだ。表立って動けば奴の自尊心がズタズタに切り裂かれよう。それに、彼の軍も大事な駒の一つなのであろうからな、失う訳にはいくまい」
「しかし、国王自らご出陣なさるなど……」
「私もこの目で確かめておきたいのでな。クーリエ! 腕の立つものを二十人ばかり集めろ、アルエーデを陰から援護するぞ!」
レイヴンに呼ばれ、天幕の入り口に姿を見せたクーリエは、一礼すると幕の陰に消えていった。
「なに、悪い様にはせん。今よりは状況は良くなるだろうさ」
ためらいが見て取れるラスティンに、レイヴンは和かに言い放つ。
「よろしくお願いします」
ラスティンは深々と礼をすると、レイヴンは片手をあげて司令部の天幕から出て行った。
ヴァッセルへと続く細い山間の道をゾロゾロと進む一団がいた。そして、草木も生えず岩がむき出しの山の上から、一団を見下ろす人物が居た。
背後から徐々に近付く蹄の音に、男が乗る茶色い毛並みの馬がヒヒンと嘶いた。
「王!」
「首尾はどうだ?」
「やはり待ち伏せがありました。峡谷出口で敵集団を確認、数はおよそ三千」
レイヴンはフムと考え込む。普通の戦闘ならば、三千の兵に対して一万の兵を有するアルエーデの軍が負けるはずはない。しかし、戦となる場は細い道の出口。戦闘に参加出来る兵の数は限られる。
「それと、落岩の計の準備がされておりました」
やはりか。レイヴンは予想通りだと頷いた。逃げ場のない細道に、岩を落としてやるだけでも相当な混乱を招く事が出来る。岩に油を染み込ませ、火をつけてやるとなおも効果的だし、短時間で決着をつけるのにももってこいだ。
「よし。そちらを潰すぞ」
「ご安心下さい。既に対処済みです」
レイヴンはクーリエの迅速な対応に不満の表情で応えた。
「そんな顔をなさらないで下さいよ。あなたは今や王なのですから、民の為にも無茶をなさらないで下さい」
「そうだな。では、無茶では無い範囲でやろうか」
クーリエは両手の平を天に向けて、やれやれとため息を吐いた。
渓谷の出口で戦闘が開始された。軍司令のカルクスの手腕は、あまりよろしくない様にレイヴンには思える。
半円状で包囲する敵軍に対して、同じ陣形で以って当たる。まあ、それでも悪くは無い。が、兵の大半は未だ渓谷の中で、何の役にも立っていない。
オレだったらどうするだろう? レイヴンは思慮を巡らせる。
半包囲の敵の正面からわざわざ同じ陣形で当たる必要もない。兵の数が多いのだから、半数くらいで中央突破を行い敵を二手に分断させ、残り半数の兵とでそれら敵軍を包囲してやるのが良いだろう。単純計算で千五百の敵を五千の兵で囲んでやれば被害もそれ程出ない。
「やはり出張ってきて正解でしたね」
「ああ」
カルクスのやりようは、最も被害の出やすい消耗戦といっていい。これでもし、落岩でもされようものなら全滅は免れなかった筈だ。レイヴンはカルクスの無能さに呆れながら短く応えた。
戦闘は三時間近くの時間を費やしたただの物量作戦だった。たかが前哨戦で、アルエーデ軍は二千近くもの被害を出す結果となった。それでも、カルクスはヴァッセル奪還に意欲的な様で、陣形を再編し進軍をするつもりの様だ。
(オレなら撤退するな……)
レイヴンはそう結論付けた。
恐らくここからが本番だ。敵軍の本隊が待ち受けている筈である。二千もの兵を失ったアルエーデの軍が、一体どれ程の事ができるだろう。
「居ました。敵本隊です」
レイヴンはクーリエから差し出された遠見の筒を受け取り覗き見る。
レイヴンの予想通り、敵軍の本隊がアウイルの塔周辺に展開していた。数は目算で数万にもなるだろう。そして恐らく、前方だけではなく左右にも同規模の軍を配置している筈だと、レイヴンは推測した。
しかし、数で圧倒している筈の魔物達は一向に動こうとはせず、そのまま黙って事の成り行きを見ているだけである。そして、それを知ってかしらずか、アルエーデの軍が進軍してゆく。
「……妙だな」
「ええ。敵軍は、戦闘隊形を取っていません」
偶発的な遭遇戦ならともかく、敵が攻めて来るのを分かっていてのこの隊形である。レイヴンの中で、嫌な予感が膨らんでゆく。それは、傭兵時代に培われた戦士としてのカンであった。
(恐らく何かが来る!)
レイヴンがそう思ったのと同時に、辺り一帯が異様な雰囲気に包まれた。鳥達が一斉に飛び立ち、大気が震え始めたのだ。
「どこだ!」
レイヴンは辺りを見渡すが、その元凶は見当たらない。
「王! 上です!」
クーリエの叫びにレイヴンは空を仰ぎ見た。
「何だ、アレは……」
レイヴンが見たものは、赫く輝く小さな何か。それが、時を経る毎に大きくなっていく様に見える。
絶望がこの地に降臨しようとしていた。
「王ーっ!」
クーリエは、呆けたまま事の成り行きを見続けるレイヴンに体当たりをして地面に押し倒す。直後、地響き、耳をつんざく様な轟音、そして大量の土砂がレイヴン達を襲い、それ等と共にレイヴン達もまるで人形の様に宙を舞った。
レイヴンが気が付くと、空にあった筈の赤い火球はその何処にもなく、蒼い空が何処までも続いている。
「国王。お気付きになられましたか」
声の方向に首を向けると、多くの衛生兵と共に心配そうに覗き込むラスティンの顔が見えた。
「ラスティン……魔物共の黒幕は……ヤツだ」
レイヴンの言葉にラスティンは黙ったまま頷く。離れた所に居たラスティンも、空から火球が落ちるさまを見ていた。だからこそ、即座に兵を出し生き残りが居ないか捜索をしていたのだが、見つけたのはレイヴンとノスティアの兵数名。アルエーデにいたっては、形すらも残らずに消滅していた。
一万もの軍を一撃で消滅させる力を持った存在。
(奴め、十二年前よりも遥かに強くなっている)
ラスティンは、背後に広がる巨大なクレーターを見ながら、こんな事が出来る化け物に人類は勝利する事が出来るのか? と、疑問視せざるを得なかった。
魔女。
それは、古から転生を繰り返し、幾度となく人類を葬ろうとしてきた存在。強大な魔力を操り、それによって魔物をも操り、総てを無に帰する冷酷で残忍な存在。それが今、魔法文明が廃れたこの時代に降臨したのだった。