第三十五話 幕間 塔より出ずる混沌
―― 今より約一ヶ月前。アルスネル王城、会議室 ――
高い天井から一筋の光が放たれ、床より一メートル程の高さがある円形のテーブルを、闇より浮き立たせていた。
円卓を囲む様に等間隔に並べられた椅子が五つ。その内の四つまでが埋まり、その者達は残り一つの部屋の入り口に程近い椅子の主人が現れるのを待っていた。
「珍しいな、アイツが緊急だなんてよ」
部屋の奥から部屋の入り口を望み、向かって左奥に座る、両手を後ろ頭で組んで、ともすればひっくり返ってしまいそうに椅子を弄ぶ男。アルスネル王国騎士団ナンバー三。サージェント・タスク・フォース総責任者兼傭兵団隊長フィリアン=オルフェノが口を開く。
「ええ。その上、ナンバーズが全員集合だなんてタダ事ではありませんわ」
入り口に向かって右手前。フィリアンと対面に座る、王国騎士団ナンバー四。女性騎士隊、通称薔薇の騎士連隊の隊長リーナ=クラベールが頷いた。
「何か情報は有りませんの? ユーリッツ」
ユーリッツと呼ばれた、入り口に向かって左手前に座る男は、王国騎士団ナンバー五。錬金術技術研究所所長ユーリッツ=ジャスプだ。
「さあ? ピクニックにでも行くんじゃないですか?」
「ピクニックって……」
机に突っ伏して真っ直ぐに両腕を伸ばし、手にしている羊皮紙を眺めながら、適当に答えるユーリッツにリーナは呆れ顔で呟いた。
「宮廷魔術師殿は何か聞いてないのかぃ?」
「さて。私も陛下より何も聞かされてはおりませんな」
顎に蓄えた白い髭を触りながら、王国騎士団ナンバー二。宮廷魔術師兼アルスネル魔法兵団の長ヨルヴ=バルダーナはフィリアンに答える。
リーナの言う通り、アルスネル王国の実力者が一堂に会する事は滅多に無く、前回アルスネルが魔物の集団に襲われた時は、ナンバー二のヨルグはこの場に居なかった。こうして全員で集まるのは、実に十二年ぶりという事になる。つまり、魔女再来かと思われる程の一大事である事を意味してもいた。
常人ならば、ほんの少し音を立てただけで飛び上がりそうな緊張感が漂う中、部屋の扉が勢い良く開け放たれ、金色の鎧にその身を包み、赤いマントを靡かせて騎士団ナンバー一のラスティン=アレクサードは一言も発する事無く席に着いた。
「一体何だってんだ? ラスティン」
「アウイルの塔の封印が破られた」
「何だと!?」
「何ですって!?」
「何と!」
「……」
ラスティンの口から放たれた言葉に、フィリアンは椅子ごとひっくり返りそうになり、リーナとヨルヴは揃って声を上げ、ユーリッツは顔こそ驚いているものの黙って聞いていた。光の外にいる闇に控える者達からも、信じられないといった動揺の声が漏れていた。
数刻前にアウイルの塔が突然輝き出し、光の破片が舞い落ちるのを国境の警備に当たっていた兵士が目撃した。直ちに調査班を派遣し確認した所、彼等が目にしたのは逃げ惑う街の住民と燃え盛るヴァッセルの街。そして、炎の隙間で蠢く魔物の群れだったそうである。
逃げ落ちるアルエーデ国の兵士から聞いた話によると、塔の結界が崩壊し内部から魔物が溢れ出てきたという。駐留軍でも圧倒的な数の前では為す術も無く、生き残った住民と共に王都へ逃げ延びたらしかった。
「この事は既に陛下の御耳に入れてある。そして、陛下より全権を委ねるとの御言葉を頂戴している。フィリアン! 可及的速やかに東の国境へ赴き、我が国への魔物の流入を可能な限り防げ! ユーリッツ。アウイルの塔の再封印は出来るか?」
「全部はムリだよ?」
「魔物の流出を止められればそれでいい」
「なら可能」
「よし。準備を始めろ! ヨルヴ、リーナは王都の防衛に入れ!」
「よっしゃ! んじゃ、いっちょう行ってくるか!」
フィリアンは椅子を蹴飛ばして立ち上がると、パシリと掌を拳を合わせた。
「んで? オマエはどうすんだ?」
「私はノスティアとアルエーデに赴き、対策を協議する。皆の者! 王を国をそして、民を守るのだ!」
ラスティンの鼓舞に皆が勢い良く頷き、夫々が部屋を後にする。そして、ラスティンとフィリアンだけが残った。
「なぁ、ラスティン。今回の件、一体誰がやらかしたと思う?」
「あの封印を破れる者などそう多くはない。皇都の聖騎士王、帝都の英雄、南部のアマゾネス族長とオマエ。それと……」
「アイツ……か」
フィリアンの呟きに、ラスティンは黙ったまま頷いた。
――――
「ひいいいっ!」
斧の一振りで吹き飛ばされ、倒れ込んて悲鳴を上げる脆弱な人間に、トドメを刺すべく手にした武器を振り上げて、そして下ろす。それで、その人間の命は終わりの筈だった。しかし、武器を振り下ろしたというのに目の前の人間はまだ息がある。
おかしい。
そう思って武器を見てみると、手にしていた筈の武器は何処にも見当たらず、それどころか腕すらも見当たらない。
一体何が起きたんだ?
視線は真っ直ぐ目の前の人間を見ている筈なのに少しづつ横にずれてゆく。直後、天が左に見え地が右に見えていた。目の前の人間もなぜか横に見えていた。
「大丈夫か!?」
何故か横になっている自分を跨いで、もう一人人間が現れた。その者は尻餅をついていた人間に手を差し出すと引っ張って立たせ、振り向いて自分を蔑んだ目で挑発してきた。
人間如きがっ!
そんな意味を込めて低く唸る。直後、視界が黒に染まった。
アルスネル王国騎士団近衛隊隊長兼連合軍統率官ラスティンの策により、アルスネル、ノスティア、アルエーデの連合軍は、魔術学術都市ヴァッセルに破竹の勢いでその包囲網を狭め、塔の再封印が完了するのも時間の問題と思われていた――。
――しかし、塔から流出する魔物は尽きる気配は無く、寧ろその激しさを増している様に見えた。波紋状に広がる魔物達から、国内総ての町や村を守る事など不可能であり、幾つかの集落がその波に呑まれていく。それは、北のノスティアやアルエーデも例外ではなく、国境を抜けた魔物の集団によって王都が被害を被り始めていた。
―― アウイルの塔封印崩壊から二十五日目 ――
魔物の突然の変化に、国境付近にまで押し返された各国の軍は国境の砦に駐留し、各々の国に魔物の大量流入を防ぐので手一杯の状況が続いていた。
「撤退だと!? 撤退とはどういう事だ!」
アルスネル国境の砦で奮戦しているフィリアン=オルフェノは、手にした伝令文を見て吠えた。
ここを放棄して撤退すれば、塔から未だ湧き続ける大量の魔物が王都に押し寄せる事になる。それはつまり、王都に身を寄せる民どころか陛下の命も危険に晒されるという事だ。そうなれば、王を国を民を守る為にこの地で死んでいった者達にどんな顔をすればいいのか?
「ラスティン様の決定でして、私に言われましても……」
「お前に言っても仕方の無い事だったな。すまない」
困った顔でフィリアンを見つめる伝令の兵士にフィリアンは頭を下げた。
「恐らくは他の砦にも同じ伝令が伝わっている事でしょう。我々だけが残っても、敵中に孤立してしまいます」
STF参謀のモーリ=オルキーデが言う事は最もだが、そんな事はフィリアンには分かっていた。しかし、敵前からの撤退こそ至難の業だ。押し寄せる魔物に負傷した兵を抱え逃げ切る事など不可能である。
「あれしかないか……」
フィリアンは小さく呟いた。
「何かおっしゃいました?」
「いや、何でもねぇよ……アウレー!」
「お呼びでしょうかフィリアン隊長!」
背筋をピンッと伸ばし、踵を鳴らしてビシッと敬礼するこの女兵士は、かつて近藤美希が憑依していたミキ=アウレーである。今の彼女は美希が憑依していた事や、王都地下での出来事を全く覚えてはいない。
いつの間にかアカデミーを卒業し、いつの間にか特殊部隊に配属されていた。彼女にはそんな曖昧な記憶しかない。本来、そういったただの成り上がりは、使い物にならない落ち零れになりそうなのだが、努力家である彼女の頑張りによって周囲の評価を得、常人を超えた身体能力で第一線での任務に就いている。
身体値については、美希の能力が関係しているのだろうと推測されているが、その真相は未だ分かっていない。
「この砦を放棄する。撤退の指揮を取れ」
「了解しました! ……あの、フィリアン隊長はどうなさるおつもりですか?」
「俺は奴等に打って出る。その隙に王都へ撤退しろ」
「そんな! 無茶です!」
アウレーはそう言うが、頭では分かっていた。負傷兵を抱えては魔物に追い付かれてしまう事を。その為には誰かが残って魔物の侵攻を少しでも食い止めなければならない事を。
「ナンバーズの一員である隊長は、アルスネル王国に無くてはならない存在です! 私がその任を――」
「ダメだ」
「どうしてですか!?」
「女子供を残して戻るわけにはいかねぇ。そんな事をしてみろ、ラスティンの奴にどやされるのがオチだ」
「ッ……」
アウレーは掌に爪が喰い込む程強く拳を握り、血が出る程唇を噛みしめる。自分が女だから一緒に連れて行って貰えないのだ。そう思っていた。
「この戦が終わっても、王国には重大な傷跡が残るだろう。次に現れる魔女との戦いに勝てるかどうか怪しいもんだ。だからアウレー、それまでにお前にはもっと力を付けてもらって、魔女を倒し王国をこの世界を守って欲しいんだよ。オレももう年だしな」
「……しかし!」
「心配しなくても良いですよアウレー。この私が共に残るのですから」
「モーリ?!」
「参謀まで!?」
「隊長は背中に甘い部分がありますからね。ソコを私が補えば、生存率は格段に上がるでしょう。さあ、時間が勿体無い、急ぎなさいアウレー」
「……分かりました」
自分は軍人だ。上官の命令には従わなくてはならない。そして、自分が軍人である事をこれ程悔やんだ事はなかった。
「撤退の任。見事果たしてご覧にいれます」
「おう。ミキ=アウレーに命じる。誰一人欠ける事なく王都に帰還せよ」
「ハッ! 王都にてお二人がご帰還されるのをお待ちしております!」
アウレーは彼を目標と定め厳しい鍛錬を続けてきた。その彼ともう二度と会えないとそんな気がしていた。女の勘というヤツだ。そして、その女の勘はある日を境に的中率が百パーセントに跳ね上がっていた。しかし、アウレーは敢えてその言葉を口にした。女の勘は打ち破って欲しさゆえだった。
アウレーはその手腕を見事なまでに発揮し、その日のうちに隊を整えて、負傷兵と共に王都へと帰還していった。
「行ったか……見事だな」
「ええ。彼女はなかなか見所のある人物になりましたね」
砦の屋上からフィリアン達は撤退してゆく兵の様子を眺めていた。さしたる混乱も無く整然とした隊列にフィリアンは満足していた。もちろん彼女は殿を務め、時折こちらを振り返っているのが見て取れる。
「――全く、ホントに隊長は女に甘いんだからな」
何処からともなく声が響いた。
「なんだ? お前たちは。帰れと言ったろう?」
フィリアンは振り返って、ガチャガチャと階段を登ってくる男達に言う。その者達はSTFメンバーの六人。
「いやぁ、俺達昼寝してたもんで置いてけぼりを食っちまったんでさぁ。なぁ?」
「ああ。いい感じでウトウトしてたのになぁ」
「命令だ。王都に帰れ」
フィリアンは針が突き刺さるような冷たい視線で、メンバーを睨みつける。
「んじゃ、今限りで軍を辞めさせてもらいますよ。それなら問題ないでしょ?」
「…………フッ。全くどいつもこいつも死に急ぎやがって」
どうやら、何を言っても無駄だとフィリアンは思った。本当なら、ケツをひっぱたいてでも後を追わせるべきだろう。
――グルゥオァァァ……
「そら、おいでなすったぞ」
アウイルの塔の方向から、今はまだ米粒みたいな大きさだが、その幅や奥行きから千は超えているであろう魔物の大群がこちらに向かって進軍してくるのが見えた。中には大型種もいるようで、遠吠えはそいつから発せられた威嚇のようだ。
「今ならまだ間に合うゼ?」
「冗談きついっスよ。あれ位上等じゃないっスか」
「隊長、どうせならこのまま塔を制圧しちまいましょうや」
メンバーの言葉にフィリアンは一瞬驚き、そして不敵な笑みを作った。
「ハッ! そいつはおもしれぇな。よっしゃ! 塔に一番最初に入った奴に金貨五十枚をくれてやる!」
「おおっ」
「ヒュー」
「俄然やる気が出てきたぜ!」
「行くぞ野郎ども!」
『おおっ!』
こうしてフィリアン達は敵の只中に躍り込み、鬼神の如き剣技で以って敵の大半を粉砕し、見事味方の兵を撤退させるのに成功した。その後、彼等の姿を見た者は誰も居ない。