第三十話 饐えた猫
筆(指?)がノったので駄文ですがお届けします。
何も見えない暗闇の空間。遥か遠くに見えるランタンの様な光りを目印に、足元を確かめながらゆっくりと進む。不意に後ろからポンと肩を叩かれると同時に、周りが一気に明るくなった。途端、ザワリと辺りが急に騒がしくなり、芝を刈った後の青臭い匂いが、戦ぐ風に乗って私の鼻に届いた。
規則正しく並んだ机、前の授業で書いた文字が消しきれていない黒板。そして、休み時間で騒がしいクラスメイト達。
「何ボーっとしてんだよ」
彼は前の席に座り、私の机に両肘をついて掌に顎を乗せてジッと私を見つめる。その距離三十センチ。心臓の鼓動が聞かれそうだったので私は思わず身を引いた。近いって。
「今日、チア休みなんだろ? 帰りに何処か寄っていこうぜ」
私は彼に大きく頷いた。私と彼、鈴木拓とは付き合い始めて三週間。眉目秀麗な彼は、ちょっと奥手なのか、まだ手も握ってくれない。本当は握って欲しいんだけどね。デートもまだ二回だし、焦らずのんびりいこうと思ってるのかな……彼らしい。
学校帰りの寄り道、デートの締めは何時でも公園だ。どこか寄ろうイコール公園。別に何か話すわけでもない。ただ、二人で並んで座っているだけ。でも、彼の隣に居られるだけ私は幸せだ。
「ほい、ジュース」
飲み物を手渡しするにも、缶の上の方を掴んで渡すもんだから、定番の偶然触れちゃった作戦が決行出来ない。これ、ワザとやってないよね。
「この間の試合さ。美希のチア姿見て元気貰ったよ」
彼はサッカー部に所属しエースを張る程の実力を持っている。前回の試合には、私が所属するチアリーディング部も応援に参加した。
「ホント?!」
こんなにも喜んでくれるのなら一生懸命応援した甲斐があった。だけど、彼の視線がチラリチラリと下の方に向いているのに気が付いて、私はカバンで太ももを隠す。元気ってソッチ!?
「もー、男の子ってそういう所ばかり見るよね。もう応援してあげないよ」
私の拗ねた顔を見て、彼は慌てて言い繕う。そんな彼を、引き続き拗ねた顔で見ながら、内心では可愛いと思っていた。なんか良いなこういうの。ただ黙ったままで隣に居るのも良いけど、他愛の無いやり取りで、喜んだり拗ねてみたりするのも楽しい。明日からはそれぞれ部活だので忙しくなって暫く会えそうにない。だから神様、今、この幸せな瞬間の時間を止めて、永遠にして欲しい。
『ミキ……』
「えっ?!」
頭の中で声が聞こえた。目を大きく見開いて虚空を見つめ、驚く私を彼は心配そうに覗き込む。
『ミキっち!』
再び頭の中で声がする。何よ!? 私は幸せなんだから邪魔しないでよ!
『いい加減戻ってくる……ニャッ!』
「ゲフゥ!」
突然訪れた衝撃によって、私の身体は宙を舞い壁に叩きつけられる。
「痛いじゃないの! 何するのよ! ってあれ?」
ソコは、夕日に照らされた公園では無く、石畳で出来た円形状の闘技場のような場所。
「やっと戻って来たかニャ」
目の前には、あちこち傷だらけで肩で荒い息をしている自称ネコミミ族のミルクさん。辺りを見れば、スズタクと麻莉奈さんが床に転がっている。そして、部屋の中央には、金の瞳を持つティラノサウルスのようなドラゴン族がデデンと構えていた。
精神攻撃。暗闇の中で見えたランタンのような光は、魔眼の放つモノだったのか。やられたな。お陰ですっごい恥ずかしい幻覚を見せられていた。
「スズタク達は大丈夫なの?!」
「起こそうとしたんだけど、起きなかったニャ」
壁に窪みが二つあるところを見ると、彼等にも私と同じ起こし方を施したらしい。……アレ死んでないか?
「ミキっちが戻ってくれば百人力ニャ。ぱぱっと片付けるニャ」
スズタク達では力にならないのかと、内心ツッコミながら私はチカラある言葉を紡ぐ。
「炎よ。我が意に従い彼者に力を分け与えよ」
炎の精霊を使役し、ミルクさんに炎の力を付与する。これでミルクさんの身体能力は格段に上がる。
「おおお! み、な、ぎっ、て、来たニャー!」
残像に似たモノを残し、ミルクさんは一気にティラノサウルスの懐に潜り込んだ。そして、ティラノサウルスの腹に掌打を当てる。傍から見れば、ただ手の平で押しただけにしか見えないが、その後に訪れる理解不能な衝撃によって、ティラノサウルスの巨体が宙を舞った。
「雷よ。我が意に従い筒となりて其を撃ち抜け!」
私はすかさずスズタクから渡されていた魔石を取り出し、ミルクさんによって身体を浮かされ手足をジタバタ(小さい手をしきりに動かす姿がなんかカワイイ)させながら、宙を舞うティラノサウルスに電磁加速した魔石の一撃をお見舞いする。
ドッパァァァン!
花火が破裂した様な音が円形状の闘技場に響いた。そして……
「ッツ! ニャァァァー!」
ボトボトと生々しく落ちるアノ音と同時に、ミルクさんの沈痛な叫びも響いた。あ、ゴメンミルクさん。
「ううう。生臭いニャー」
全身を紅に染め、猫耳と尻尾はだらんと垂れ下がり、うらめしやー的に両手を体の前でプラプラと下げながら、ミルクさんはトボトボと戻ってくる。ふわんと漂うそのかほりに、私は顔を顰めて鼻を塞いだ。
「ちょっ、自分でやっておいてそれはないニャ!」
こっち来ないでくれる? 臭いし液体が飛び散るから。
「それにしても、アイツの魔眼見てよく平気だったわね」
「あんなもんが効く程、ウチカシコクないニャ」
えーっと……それってつまり、自分は馬鹿だと言っているようなもんですが? 防御手段が少なく一度掛かれば自力脱出が難しい精神攻撃は、脳筋なら回避可能なのか?!
「と、兎に角。スズタク達を起こそうか」
ニャっとミルクさんが頷くと、赤い汁が飛び散った。うぉっ! あぶなっ!
「成る程な。俺達はヤツの魔眼に囚われていたのか。ありがとう、よくやったな」
スズタクはにこやかな笑顔でミルクさんに向かって礼を述べ頭を下げた。
「褒めるならもっと近くで褒めてニャ!」
「うっせえ! くっせぇんだよ!」
その距離、十メートル程。加えて私達は風上に居る。それでも少し臭うのだ。多分、その元となっているモノが、野ざらしのままとなっているのが主な原因だろう。
魔眼の持ち主を倒したせいなのか、程なくして目を覚ましたスズタクと麻莉奈さんは、二人揃って鼻と口を手の平で塞ぎ、朱に染まるミルクさんから距離を取った。
その後、麻莉奈さんの聖なる水瓶の呪文で、ザバッと洗い流したのだが、汚れは落ちても臭いまでは落ちなかった。
「スズタクはどんな幻覚を見せられていたの?」
「ん? STAMPが世界進出する夢さ」
なんと。スズタクにもそんな野心があったのか。魔眼の幻覚作用にも色々あるが、掛けられた本人の望みを映し出し叶えた世界に囚え続ける。若しくは、逆に廃人になるまで精神を喰らい尽くす。大きくこの二つに分けられる。今回、私たちに掛けられたのは前者。後者だったら目も当てられない状況になっていたかもしれない。
「麻莉奈さんは?」
言葉を掛けるなり、麻莉奈さんの顔が熟れたトマトの様に真っ赤に染まり、目が泳いで身体をモジモジさせている。そして時折、私の事(特に股間の方)をチラ見するのだ。あー、コレ聞かない方が良い系だ。
「あの……とても良かったです……ポッ」
何がだ。
湖底神殿ヴェルドーラ、世界樹(仮)第二層。
螺旋状の階段を降りきると、一層と全く同じ、野球場程の円形状の空間に石畳が敷かれた部屋に着いた。
「いーっひっひっひ。ひーっひっひ」
スズタクは笑い転げていた。麻莉奈さんは口とお腹を押さえ、込み上げる笑いに必死に抵抗していた。
ミルクさんは、前のめりになりながら身体の横で拳を握り、尻尾は膨らんで天に向かって聳え立てて、ワナワナと震え……私も我慢出来ん!
「わはははは!」
「うっさいニャッ!」
こっちに振り返って顔を真っ赤にして怒るミルクさんの向こうには、大型の獣が悶絶して転がっていた。
エンシェントウルフ・クローン。
私が指で獣を指し示すと、ウィンドウにそう表示された。私の知らないモンスターだ。
先程のティラノサウルスにも引けを取らない巨体に、ドーベルマンの様な黒い毛並みは、あの地獄の門番と云われるケルベロスに似ている。ただ、あちらは頭が三つあるが、コイツは一つだ。
エンシェントドラゴンの様な例もあるし、『古の』と、名が付く以上、それ相応の強さなのだろう。
「ウチに任せるニャ! ミキっち! みなぎるヤツをくれニャ!」
「みなぎるヤツ?」
スズタクは怪訝な表情で私を見つめる。
「まあ、見てれば分かるわよ。炎よ。我が意に従い彼者に力を分け与えよ」
もう一度、炎の力をミルクさんに付与する。
「ニャァァァ! み、な、ぎっ、て、きたニャー!」
興味深そうに事の成り行きを見ていたスズタクは、『ほう』と感嘆の声を漏らした。
「行くニャ! ワン公!」
ビシっとエンシェントウルフに指し示し、ミルクさんは気合い一閃駆けだした。その場に居る誰しもが、犬(狼だが)対猫のワンニャンバトルが展開されるのを想像した刹那。
「フグッ?! ギャワァァァ!」
エンシェントウルフは苦痛の叫び声を上げ、ひっくり返って悶絶した。勿論、ミルクさんとは距離があり当人もまだ何もしていない。動きを止め唖然とするミルクさんを含め、皆が突然の出来事に固まっていた。
「あっ!」
暫しの沈黙を破った麻莉奈さんが、ポンッ。と、左掌に軽く握った右掌の腹を当て、何かに気付いた声を上げると、皆の視線が一斉に注がれた。
「犬の嗅覚は、人間の百万倍から一億倍だと云われています」
「「あっ!」」
麻莉奈さんの言葉に、私とスズタクも同時に声を上げる。そして、スズタクは笑い転げ。
「ウチのヤル気を返せニャー!」
ミルクさんは出鼻を挫かれた鬱憤を、絶賛悶絶中のエンシェントウルフに蹴りを入れて晴らしていた。
蹴られる度に、ビクンビクンと痙攣する彼が不憫に思えて仕方がない。あの巨体が悶絶する程なのだ、殺獣級のかほりがしていたのだろう。
「ヒーッヒッヒッ……ああ、笑った笑った。美希!」
スズタクは袋から魔石を取り出しホレと私に投げて寄越して『やれ』と言わんばかりに、エンシェントウルフに顎で指し示す。鬱憤が晴れないのか、ポコポコと未だ蹴り続けるミルクさんを尻目に、チカラある言葉を紡ぐ。
「雷よ。我が意に従い筒となりて其を撃て!」
ドッパァァァン!
「ニャァァァ!」
本日二度目の紅の猫が誕生した。