第二十九話 湖底の神殿
「カワイイ……」
一目見て私はそう呟いた。
ちょっとした広さの部屋の中、その中央にクリスタルの様な透明な柱が部屋の中央を上下に貫いている。その中に、以前スズタクが話をしていた女の子が、眠る様に内部に囚われていた。
スズタクの云った通り、歳は十歳くらいで、金色のロングヘアー。白いワンピースの服は、汚れのない白い肌と、仄かに膨らんだ胸を優しく覆い隠している。麦わら帽子がよく似合いそうだ。
「美希。こっちだ」
手を上げて私を呼ぶスズタクに、ちょっと待ってと告げた。ちょっとやってみたい事があった。
「炎よ。我が剣に宿りて力と成せ」
抜いた剣身に炎の力を宿し、耐久性や斬れ味を強化する。そして、えい。と、クリスタルに向かって横薙ぎにする。
ガギン!
硬いものに当たる音がして、私の剣はその場に留まった。幾ら力を込めても、一定以上は剣身が動かない。私は術を解いて剣を仕舞う。
「な? 無理だったろ?」
確かに、スズタクが云った通り刃が通らなかった。だけど……
「この娘、此処には居ないわよ」
「何だって!?」
術を纏った剣を当てた時、ほんの一瞬だったけど、少女の姿がブレた。と、いう事は、この娘の本体はここには無い。多分どこからかここに、映像が投影されているのだろう。
「じゃあ、この娘は何処に……」
「決まっているでしょ」
私の言葉に、皆が扉に描かれた魔法円を見つめた。
麻莉奈さんが全魔力を使っても開く事が無かった扉は、思いのほか簡単に開き皆を唖然とさせた。別に私は何もしていない。ただ扉に触れただけである。触れた瞬間、扉が仄かに光り、重そうな音を立てて横ズレた。私と麻莉奈さんとで何が違うのだろう……歳? 私は十代で、彼女は二十代。四捨五入したら三十…………まさかね。
その先は小部屋だった。先の城主の私室であったろう部屋の半分程の広さ。ただ、私室と大きく違っていたのは、黄金色に輝くモノが所狭しと置いてある事だ。
「うぉぉぉ! スゲー!」
「目がチカチカするニャー!」
「なぁっ、なぁっ!」
小さい子供が興味深々で物事を訪ねて来る様に、目をキラキラと輝かせてスズタクが寄って来る。
「この中に七徳の宝玉は無いのか?」
「私に言われても、分かる訳無いでしょ」
そもそも、現物を見た事も無いのだから、どれがそうなのか知らない。まあ、こんな所にあったら苦労は無いだろうな。私は床に敷かれたタイルの一つに指を差した。
「そこに転移の魔方陣があるけど、どうする?」
何処へ飛ばされるか全く分からない魔方陣だ。湖の底とかだったらアウトー。になり、タイキックどころの騒ぎでは無くなる。
「行ってみるしかないだろうな。麻莉奈、起動の準備をしてくれ。美希は、飛んだ先で何かあったらすぐ戻れるよう、転移の準備だ」
「怖くないの?」
私と違って、スズタク達は死というリスクが存在する。
「怖いさ。だが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。そんな言葉もあるしな。万が一を考えての転移の準備だ」
「では、いきますね」
麻莉奈さんが魔方陣を起動させると、眩いばかりの光が私達を包み込んだ。
私達を包み込んでいた光が治ると、私の目の前を何かが横切る。慌ててその何かを目で追うと、まずヒレが見え、続いて光に反射してキラキラと輝く鱗が見えた。そして、つぶらな瞳があり、特徴的な突き出た顎……えーっと、鮭?
「ヤバイ! 水の中だ! 美希、転移を! 皆集まれ!」
スズタクが叫ぶと、皆が私の周りに集まり、私は転移の準備に入る。
「橙の名を与えられし……って空気有るじゃん!」
「あれ? ホントだ」
ホントだじゃないわ。水中に放り出されたら、呪文なんか唱えられる訳がない。
改めて周りを見てみると、色とりどりの小魚や、明らかに肉食でしょ。と、いう魚が泳いでいる事から、水の中である事は間違いなく、上を見上げれば、陽の光が水面に揺らいでいる。魚を見て指を咥えながらヨダレを垂れ流す、ミルクさんの心も揺れていた。
「どうやらここは、泡で出来たドームのようなものの中みたいですね」
「その通りです」
突然、私達では無い誰かの声が聞こえ、私達は一斉に振り返る。声を発したその人物は、クリスタルに投影されていた少女だった。彼女の金色の髪は風も無いのに靡き、目を閉じたまま宙に浮かんでいる。
「ここは私の力で呼吸が出来る様になっています」
「お前は何者だ?」
スズタクがドスの効いた声で以って彼女に誰何する一方で、私に転移の準備をする様にと伝えた。
「その必要はありませんよ。近藤美希さん」
「! どうして私の名前を!?」
「この界隈では有名人ですからね。申し遅れましたが、皆様お初にお目に掛かります。私はエルネットと申します」
エルネットと名乗った少女は、両手でスカートの裾をつまみ、膝を軽く折る。いわゆるカーテシーという貴族の令嬢などが行う作法だ。
「緑のタロン。と、言った方が分かりやすいかしら」
「七賢人……」
私の呟きにエルネットは頷く。七賢人ならば、私の本名を知っていても不思議じゃないな。
「あなた達の活躍は、この魔眼を通して観ておりました」
エルネットは閉じていた目を開ける。他のみんなはそれをガン見していたが、私は反射的に視線を逸らした。
魔眼と呼ばれるモノには、様々な障害を齎らすモノが多いと聞いている。しかし、モロガン見していたスズタク達が無事な所を見ると、彼女の魔眼は石化や麻痺といった、私達を害する類のモノでは無い様だ。
「大丈夫ですよ、美希さん。私はあなた達に何かするつもりはありません」
改めて彼女を見ると、トパーズの様な淡い緑色の瞳に吸い込まれそうになる。幼児体形ではあるものの、落ち着いた雰囲気をその身に纏い、それが私達に癒しに似た何かを与えている様だ。
「鈴木拓さん、藤林麻莉奈さん。貴方方の求める物はここの奥深くで眠っています」
「奥だと?」
「はい」
エルネットは頷くが、奥といってもニ十メートル四方程の空間に、石畳が敷かれているだけ。通路も無ければ、扉も見当たらない。まさか、水の中を進め。とでも云うのだろうか?
「貴方方が進むべき路は此方です」
エルネットが掌で床を指し示すと、石畳の一部が下へとズレていく。
「此方が私の居城、湖底神殿ヴェルドーラです」
床にポッカリと穴が開き、石畳が下へ降りる為の階段となった。それを見てゴクリと生唾を呑む。
「挑戦、なさいますか?」
「勿論だ!」
スズタクの即答に、エルネットは不敵な笑みを浮かべる。
「それでは、最奥でお待ちしております」
エルネットは再びカーテシーを行うと、その姿が掻き消えた。スズタクは私達一人一人の目を見て頷き、前人未到の神殿攻略に力強い一歩を踏み出した。
両腕を横に伸ばせば届きそうな位の横幅が狭い階段は、螺旋状に下へと降っていた。壁の所々に魔石の様な石が埋め込まれ、仄かに光を放ってくれているお陰で、明かりを灯す必要も無くサクサクと進む事が出来る。スズタクも今度ばかりは、階段落ちを披露するつもりは無いようで何よりだ。
螺旋状に降りていた階段は、いつしか緩やかな下り坂となり、前方に強い光が見えると、私達はそこに向かって足を早めた。
「おおお……」
スズタクのみならず、私も麻莉奈さんもミルクさんも、目の前の景色に感嘆の声を漏らした。
広大な円筒状の空間に、天井からは太陽のものであろう光が十二分に降り注ぎ、壁からは何本もの大量の水が、ドウドウと音を立てて落ちてゆく。広さの比較としてよく登場する東京ドームは、一体何個分に相当するのか分からない。
そして、最も目を見張るのは、この広大な空間のほぼ半分を占めるであろう巨大な樹だ。樹齢何千……いや、何万年とも思える極太な幹。枝先には青々とした葉が幾重にも重なり茂っている。
「これは……まさか、世界樹!?」
麻莉奈さんが目を大きく見開き、驚きの声を上げる。
「世界樹?」
「そうです。世界樹とは、世界を体現している巨大な木の事で、九つの世界を内包していると云われています」
九つの世界は三つの層に分かれ、第一層は神々が住むとされるアースガルズ、ヴァナヘイムが在り、妖精の国アルフヘイムもここに位置している。
第二層には、小人の国ニダヴェリール、人間の国ミズガルズ、巨人の国ヨトゥンヘイムが位置し、第三層は氷の国ニヴルヘイム、死の国ヘルヘイム、炎の国ムスペルヘイムが位置している。
そして最上層には、各層への扉を有し、九つの世界を纏めているユグドラシルが在ると云われている。と、麻莉奈さんは教えてくれた。なんと! 世界樹ってそんなに凄いモノだったのか!
「むむむぅ、爪のとぎ甲斐があるニャァ」
とぐな。バチ当たるぞ。
私達が進んできた通路は橋に変わり、真っ直ぐに世界樹へと続いている。結構な幅が有るとはいえ、手摺りも何も無い平坦な路。下は水煙で底は見えず、一体どれだけの高さがあるか分からない。高所恐怖症でなくても、脚が震えて立ち竦んでしまう。架橋技術の『か』の字も無いただの平坦な路、崩れたらどうしようとか、強風が吹いたらどうしようとか、どうしても思ってしまうな……
「何してる! 早く来い!」
「え? あ! う、うん!」
スズタクから叱咤の声が届いた。って、いつの間にあんな所まで?! 私は地面を見つめ一歩一歩確実に歩みを進めてゆく。心なしか、地面がたゆんたゆんと揺れている気がするんだけど。
「もしかして、高所恐怖症か?」
「違うけど、みんなよく平気ね」
「ああ、もっと酷い所があったからな」
「タク足滑らせたニャ。ウチが助けたんだニャ」
「まだそれ言うか。ちゃんと返したろ?」
なるほど。見事な階段落ちを披露したり、卵を蹴飛ばしたりしていたが、幾つかのダンジョンを攻略してきた経験は伊達じゃ無い。と、いうわけか。なんか頼もしいな。ドジだけど……
「でかいな……」
世界樹の幹の側、とてもなく大きな扉が私達の行く手を塞いでいた。材質は鉄の様で、趣向が凝らされた扉の表面には、ドラゴンの様な怪獣や女神の様な浮かし彫りが刻まれている。
「これは……創世記の伝承にあったモノと似ていますね」
麻莉奈さんが浮かし彫りを指先で撫でながら、そう教えてくれたが……
「創世記?」
「ええ。遥か昔、神族と魔族との闘いがこの世界であったそうです。その闘いは大地を焦土と化し、海をも干上がらせる程、激しいモノであったそうですよ」
麻莉奈さんて、結構色々と知っているけど、一体何処でそんな情報を仕入れたんだ? 魔術学術都市ヴァッセルでもそんな文献無かったぞ。
「ねぇ、麻莉奈さん。そういうの何処で仕入れてくるの?」
「以前攻略したダンジョン内にあったので……」
麻莉奈さんが指で虚空をつつくと、本が幾つかドサリと落ちる。
「何かの役に立てばと思いまして、持ってきちゃいました」
テヘッと、可愛く舌を出す麻莉奈さん。別に出さなくても言えば良いだけなのに……
「そんな事は後にして、早く行こうぜ」
スズタクの呆れた顔と声に、麻莉奈さんはイソイソと本を仕舞う。
「んで? 開けられそうなの?」
スズタクはダメだと首を横に振った。今はミルクさんが、扉を小突いて戯れている。ただ、小突く度に扉が鳴動しているのが恐ろしい。あれで平手打ちされたら、首が何回転する事やら……
「ミルクさん下がって、私がやるわ」
半袖だけど、腕まくりする仕草をしながら扉に近付く。その際、ホレとスズタクが魔石を寄越すが、私はそれを使うつもりはない。そもそも、物理攻撃が効かないってわっかんないのかなー。
「魔の力によりて閉ざされし枢、我の魔の力に跪き開門せよ」
扉に当てた手の平が青白く光り、瞬く間に扉全体へと広がる。扉の内部でガチリガチリと、何か機械の様な動く音が聞こえ扉が上へとせり上がる。私は何か違和感を覚えつつ、パックリと口を開けた闇に一歩を踏み出した。