第二十四話 幕間 女神に愛されし地
ソコは、女神に愛された土地だった。
それに最初に気付いたのは、港町から離れた樹海の側に居を構えていた農夫。畑の手入れをしていた彼は、一部の作物の発育が異常に良く、そして、品質も他と比べ異様に良い事に不思議に思っていた。
ある日、港町の酒場で、いつものように飲んでいた農夫の前に、いつも取引をしている商人が姿を見せた。その商人も、農夫が質の良い作物を持ち込むようになったのを不思議に思い、酒を交えてあわよくば秘密を聞き出そうと考え、酒場に足を運んだのだ。
いつも飲んでいる安酒よりも、かなり高級な酒を数本渡された農夫は、上機嫌で事の真相を商人に話して聞かせた。その話は、商人と聞き耳を立てていた周囲の者達を驚かすには十分な内容であった。
農夫が言った樹海には、獰猛な魔物が多く棲みつき、その中心部には、太古の昔から生きていたとされる怪物が棲んでいる。と、いう言い伝えがあったからだ。しかし、良い作物が出来るなら。と、幾人もの者が樹海に入り開墾を試みたが、その尽くが帰らぬ人となった。だが、もしここを開墾する事が出来たなら、他の街よりも質の良い作物や穀物を作り高値で売れる。そう思った商人は、私財を投じ傭兵を雇って樹海の魔物を一掃しようと考えた。
だが、屈強な傭兵達でさえ中心部に棲まう怪物どころか、周囲を縄張りにしている魔獣も樹海に阻まれ討伐は叶わず、ほとほと困り果てた商人に、一人の少女が名乗りを上げた。
見た目が十四程度にしか見えないその少女に、傭兵達や商人は嘲笑い小馬鹿にした。
しかし、屈強であるはずの傭兵達は、誰一人として少女に傷一つ付ける事が出来ず、その上、当時の人々が見た事もない『魔法』という不思議な力を自在に操ってみせ、傭兵達を驚かせた。
それを見た商人は、少女を中心とした討伐隊を編成し、樹海に棲む全ての魔物の一掃作戦を開始する。
戦いは熾烈を極めた。
太古の昔より生き抜いてきた怪物は、傭兵達が束になっても敵わなかった少女に、傷を負わせ幾度となく地面に叩きつけた。
少女も血に塗れ、満身創痍になりながらも戦い続け、そして、夜が明け日が昇る頃。陽の力を借りた少女の一撃が怪物の急所を貫き、太古より生き抜いてきた怪物は、地響きを上げてその生を終えた。
勝利に沸き立つ討伐隊。しかし、倒したはずの怪物の骸は、気付くとその何処にも見当たらず、幻のように忽然とその姿を消し討伐隊を驚かせた。
ともかく、怪物の排除に成功し、周辺諸国の承諾を得た商人は、仲間と共に国を作り始める。樹海を切り開き、インフラを整え、長い年月をかけ王城が作られた。
誰がその城に住まうのか? その答えは既に決まっていた。再び少女の元へ訪れた商人は、以前と何一つ変わらぬ風貌に驚きつつも、建国の英雄たる少女を王にと誘った。当初、少女はその誘いを断り続けていたが、商人の熱意に負け王となる事を承諾した。
女王の名を取り、『タロン』と名付けられたその国は、女神の加護と女王の善政とで、周辺の町や村の貿易地として栄華を極め、瞬く間に大きく成長していった。しかし、目まぐるしく変化をしてく中で、唯一変わらぬモノがあった。それは、王となった少女である。
怪物との戦いより幾十年の時を経ても、あの頃と全く同じで変わらぬ姿に、女王は女神の現身で、永遠に繁栄を齎してくれる。と、狂喜に似た熱狂で以って女王に殉じる者も居れば、消えた怪物が少女の姿となっているのだと畏怖する者も中には居た。
不老不死。その言葉に魅せられ、探し求める者は何時、如何なる時代でも絶える事は無い。
周辺諸国の王が、その報せに狂喜したのはいうまでもなく、少女の秘密を我が者にしようと派兵するのは、当の本人達にとって当たり前の事であった。
しかし、いざ攻め入るとなると、樹海が進軍の邪魔をし、兵士は思うように動く事も出来ず、その上樹海に棲み付いた魔獣達に襲われ、無理に進めば女王が放つ魔法の手痛い一撃によって壊滅に追いやられ、幾度となく撤退を余儀無くされていた。
ほとほと困り果てた周辺諸国の王達は、ある策を思いついた。それは、何もしないただ居るだけ。である。
タロンへと入る商人や旅人を制限し、周囲を取り囲むだけの策。それは、樹海内に広大な農地を持つタロンにとってあまり意味の無い策であるが、包囲下にあるタロン国民は精神的に追いつめられてゆく。それが暴発するのも時間の問題であった。
諸国の王達の甘言に惑わされたタロン国民は、一人また一人と女王に刃を向け始め、愛する国民に裏切られた女王は忽然とその姿を消した。王達の甘言に騙された国民は、血眼になって女王を探し求めたが、その行方は杳として知れず、その無能さに呆れ果てた諸国の王達は進軍を開始する。
こうして最強の矛と盾を失ったタロンは呆気なく陥落し、国民のその殆どが死に絶えた。その後も諸国の王達は、あちこちに早馬を走らせ女王を探したが、その行方はついぞ分かる事は無かった。
女王を失うと同時に、それまで女神に愛され豊かだったその地は、以前のように作物に恵まれなくなり、悲しい出来事を覆い隠すかのように徐々に樹海に呑まれ、歴史の中に埋もれていった。
それは今より幾百、幾千前の話である。