第十二話 査問会
「ここは……」
そこは天井や壁などが白く塗られ、消毒液の匂いが微かにする部屋。窓からそよぐ風にレースのカーテンが揺れ、ベッドの傍らには優しく微笑むエルミーヌが居た。
「良かった。心配したんだから。朝起きたら姿が見えないんだもの」
目が赤く腫れていて隈が出来ている所を見ると、本当に心配してくれていたようだ。
「ねぇ、一体何があったの?」
奴隷商エイス=カールトゥイの暗躍。口にするのは簡単だけど、これは流石に言うのは憚れる。何しろ国家レベルの事件だった訳なのだから。
「ごめん。今は何も話せない」
そっか。とエルミーヌは寂しそうに頷いた。
「誰が私をここへ?」
「え……あぁ、フィリアン教官よ。ミキが大怪我してオレは看病できないから代わりに頼むって」
意識を失う前に見た人影はやっぱり教官だったんだ。
「ごめんね。心配かけて」
エルミーヌは首を大きく横に振る。
「いいのよ友達でしょ? ……だから……その……」
何故か突然モジモジしだすエルミーヌ。
「遠慮しないで言ってね。隅から隅まで身体を拭いてあげるから」
「それだけは遠慮します」
速攻で拒否ると、エルミーヌは人差し指同士を合わせ何やらブツブツと言い出した。
手足が動かせないのならまだしも、こうして動くしどこも痛くないのにお世話に……。あれ? どこも痛くない!?
「そういえば、体が動く……」
キマイラによって壁に叩きつけられて、体を動かすだけでも痛みが走っていたし、内臓も痛めていたはずだ。
「そりゃそうよ。ここを何処だと思っているの? 王家御用達の王立治療院なんだから、一流の治療師が居るに決まってるじゃない」
なるほど。それにしても、ファンタジーって凄いな。元の世界だったら二か月は掛かるだろう怪我も、回復魔法で一瞬か。今後役に立ちそうだから、是非とも覚えておきたい所ではあるけど、どこで教えてもらえるのだろう?
「お。目が覚めたか」
病室の扉をスラリと開けて、フィリアン教官が姿を見せた。その両手にはパンパンに膨らんだ袋を持っている。
「ホレ。見舞いだ」
「のぉっ!」
スッと差し出された袋をエルミーヌが受け取る。が、そのまま床に突っ伏した。どんだけ重い物が入ってるんだソレ。
「教官。この度は助けて頂き……」
「ああ。いい、いい。堅苦しいのはよせ。それで、体の調子はどうだ?」
「はい。もう大丈夫です」
「まぁ、今日はゆっくりと静養して、明日でいいから王城へ出頭してくれ。門番には話を通しておくからよ」
分かりましたと頷くと、フィリアン教官は病室を後にした。さて、こっちはどうなんかね。
「……大丈夫?」
床に突っ伏したままのエルミーヌに声を掛ける。
「……ダメ。ミキが抱擁してくれれば直ぐに治るけど」
ん、大丈夫そうでなによりである。
翌日、治療院を退院した私は、フィリアン教官の言いつけ通り、そのまま王城へ向かった。門番に目的を告げ待つ事しばし、戻って来た門番の一人に案内されて、私は王城内へ入る事を許された。
思えば、王城に入るのって初めてだよね。呼び出しじゃ無ければ思いっきりはしゃいだんだけど……気が重いなぁ。聞かれる事も大体分かる。その中で、話しても信じて貰える訳がなさそうな事があり過ぎる。
誤魔化そうにも、真っ二つにされたキマイラをフィリアン教官が見ているし、そもそも、唯の騎士見習い候補生如きが、キマイラを倒せる訳が無い。鋭い爪で三枚に下ろされるのがオチ。
大きな城門から城を見通すと、野球場とどっちが大きいのかな、くらいの広い中庭で騎士や騎士見習い達が訓練に勤しんでいる。中庭の中央に敷き詰められた石畳を歩く私達を、幾人かが見ていた。
中庭の突き当り城内とを隔てる壁には、さっきよりはかなり小さいものの、それなりの大きな扉がありそこにも衛兵が警備についている。衛兵によって扉を開け放たれると、中世時代の写真でよく見られるシンメトリー形式の内装が私の目に飛び込んできた。
高価そうな壺には色取り取りの綺麗な花が生けてあり、シルバーに輝く甲冑には誰かが入っていそうな雰囲気を醸し出している。天井からは大小様々なシャンデリアが下がり、絵画や石像に至るまでまるでちょっとした美術館である。
通路の至る所には衛兵が立ち並び城内を警備していて、目的の部屋に辿り着くまでに数えるのを諦めるほどの兵士とすれ違った。その度、訝しげな視線を私に投げかけた。
まぁ、貴族でも大商人でもない唯の小娘だからなぁ。
城内に入り結構な距離を歩かされた場所にあるその部屋には、アルスネル王国の重鎮中の重鎮であるラスティン=アレクサード近衛兵隊隊長が椅子に座り、それと傭兵団団長兼アカデミー教官のフィリアン=オルフェノがその傍に控える。
私は踵を鳴らして直立不動となり、右手は剣を持っているつもりで軽く握って胸元に付ける。これが無帯剣時の敬礼である。
「ミキ=アウレー。出頭致しました」
「うむ。さて、ミキ=アウレー君。キミがあの場に居合わせた経緯を聞かせてもらおうか」
「はい」
私は、ステラの後を追い掛け、第二城壁の隠し扉やその地下で見たモノ、余計な脚色をせずありのままを総てラスティンに話して聞かせた。
「なるほどな。君の行動は軽率であったと、言わざるを得んな。城壁の隠し扉を見つけた時点で報告するべきだった。だが、君はそれをせず、仲間の為とはいえ敵の懐深く飛び込んだ。分かるな?」
「……はい」
言われてみればそうだ。近くの詰め所に行って事情を話し、騎士団の手を借りれば良かった。
私は、自分どころかステラや囚われていた女性達の命をも危険に晒したのだ。
また……なの? また私は同じ過ちを繰り返して……。
森の中で地に伏し、血塗れのまま息絶えるルジェさんの姿が私の脳裏に鮮明に甦る。私がここへ来たのは、自分が強くなる為じゃなかったのか? 確かに剣術は上達し強くはなっただろう。だけど……心は何も変わっていなかった。
私は……憤りを感じていた。日々に流され、何も変わっていなかった自分に。唇を噛み締め、そして噛み切ってやりたいくらいだった。
「……その件は追って処分を言い渡す。いいな?」
「はい」
私はラスティンを真っ直ぐに見つめ返事を返す。ラスティンは私から何かを感じ取ったのだろう、ほんの一瞬眉毛がピクリと動いたのが見えた。
「さて、次だが……、君はエレパオと同サイズの人造生物と戦ったそうだな」
エレパオというのは、元の世界で云う所の象に似ている。それを二倍程大きくした生物。温厚な性格をしていて、大商人などが大きな幌付き車を引っ張る為に飼育している。馬車の大型版といった所である。
「その際、君は剣に魔力を纏わせる術を使った。という話があったが、本当か?」
「はい。その通りです」
ランクBの魔術くらい一流の達人ならば誰でも使えるのだから問題はないはず。
「そうか……。どこでそれを覚えたのかね?」
ど……どこで!? 魔術を習ったらリストに載っていたんだけど……。
「…………」
「そうか、答えられないか。その魔術を使える人間は、お前で二人目なのだがな」
二人目? え? ひょっとしてあの術は希少なの?! ランクBの魔術なのに!?
「そのもう一人に教わった。で、いいのか?」
ラスティンの私を見る目が、冷たく鋭く突き刺さる。放つ威圧が先程とは打って変わり、私の身体を包み込んで息苦しくも感じる。
「心して答えよ。魔女の眷属よ」
なっ! 魔女だって!?
魔女。遥か過去より人類と敵対してきた存在。古代魔法文明時代に生み出されたと云われるその存在は、肉体が滅んでも魂は転生して幾らでも甦る。
「物質に魔力を介し強化させる術を使えるのは魔女だけだ。お前が転生体という可能性も考えたがな、魔女が討伐されて十年。それはあり得ないという結論に至った。しかし、教えを乞うた弟子ならば可能だ」
「ちっ、違います! 私は魔女の眷属じゃありません!」
「では、お前は何者だ?」
ラスティンの気が膨れ上がった。下手な言い訳は出来そうにない。この殺気、私を殺すつもりだ。
突然、ガチャリと私の背後の扉が開かれ、ビスクドールの様な眉目秀麗な美少女が扉の外に立っていた。
「何事ですの?」
「王女殿下! 何故この様な場所に!?」
ガタリとラスティンは慌てて立ち上がり、恭しく礼をする。フィリアンもその隣で頭を垂れていた。
王女殿下? もしかしてこの人が、アルスネル王国第一王女リリアナ・アウラツム=アルスネル!?
白のドレスに身を包み、金色の髪を靡かせ背筋をピンッと伸ばして歩く姿に私は思わず見惚れていた。十四歳と、私よりも年下なはずの彼女は、私なんかより余程大人びて見える。
「ちょっと散歩をしていたのですが、唯ならぬ気配を感じたのです。ラスティン。そなたの気は、この様な場所で放つものではないはずですよ? 見なさい、この方も悍ましげではありませんか」
「それは、この者が魔女の眷属と思われる為で御座います」
「眷属? あなたは魔女の眷属なのですか?」
「いいえ。違います王女殿下」
私も同じく頭を垂れ、正直に答える。
「ほら。この者も違うと申しているではありませんか。ラスティン。疑わしきは罰せずですよ?」
「しかし、この者が何者なのか。それを正さねばなりません」
リリアナ王女は「でしたら」と両手の指を軽くポンと合わせる。
「良い考えがありますわ。この様な所ではなく私の茶室でお茶でも飲みながらお聞きしましょう。大の男が二人で問いただすよりは、余程よろしいでしょう?」
「仰せのままに」
「では参りましょう」
リリアナが踵を返すと、白いドレスがフワリと持ち上がる。
「退屈していた所ですし丁度良かったですわ」
王女がボソリと呟いた声を、私は聞き逃さなかった。多分、ラスティンもフィリアンにも聞こえていたのだろう。後ろからため息が聞こえていた。