一章 お姉様と徹甲弾と六角ボルト(その5)
詳シイ話は移動しながらしよう。
そう椛に言われ、千隼と飛鳥は鈴鹿女学院の駐車場へと連れてこられた。第一校舎の裏手にある駐車場には、セダンタイプの乗用車が一台。そのすぐ横にパンツスーツ姿の女性が立っていた。
近づいてきた三人に気づき、女性はメガネを直してから千隼へ微笑みかける。
「半日ぶりね、千隼ちゃん」
柔和な笑みに、メガネの下の優しげな瞳。少し頼りなくもあるが柔らかい物腰は、新任教師を思わせる。実際、鈴鹿女学院に彼女の外見はよく溶け込んでいた。
だが、千隼は知っている。
彼女が警官であり、中でも警視庁捜査一課に配属されている刑事である事を。
「貴女が水無瀬飛鳥さんね。初めまして、警視庁捜査一課の深山幸です」
飛鳥は広げられた警察手帳をまじまじと眺め「本当に警察なんだ……」と驚いていた。確かに椛の外見では、いくら警察手帳を見せられたとしても信じられるものではない。
幸は飛鳥の肩に掛けられているボストンバッグを見て頷く。
「荷物はまとめてきてくれたわね? それじゃ、とりあえず車に乗ってくれる?」
そう幸に促され千隼は後部座席へと乗り込む。それを見て、少し戸惑いながら飛鳥も千隼の後に続いた。幸は運転席へ、椛は助手席へと腰を下ろす。やがて発進した自動車は、一般道へ向かうスロープを下りだした。
「これから、わたし達は八王子の方にある官舎へ向かいます」
幸がバックミラー越しに、千隼と飛鳥へ笑いかけた。
「詳しい事情を話す前に、もう一度自己紹介をしておきましょうか」
そこで幸は言葉を区切り、先に学院の敷地から一般道へと自動車を滑らせる。落ち着いた所で、再び話し始めた。
「千隼さんはよく知ってると思いますけど、私達は警察です。――でも、まあ、見ての通りちょっと風変わりな部署なんだけど」
ね、椛ちゃん。と幸が助手席の椛へと声をかける。「そうな」とだけ返す椛。
「私達は警視庁刑事部捜査一課の《特例疾患犯罪対策室》に所属しています。《突発性欠落部位再生症候群》に関わる事件を扱ってるわ。んー、それとも《SCT》って言った方が判りやすいかしら」
「えす、しー、てぃー?」
「《鬼憑き》を捕まえる特殊部隊、って聞いた事ない?」
「ああ……」
幸に言われ、飛鳥は幼児期の記憶を探るような表情で頷いた。千隼もその気持ちはよく判る。昨晩《鬼憑き》に襲われた時も《SCT》などという単語は欠片も思い浮かばなかった。言われてから「そういえば、そんなのがあったな」とようやく思い出すような名だ。
しかし、設立時には大々的に発表された部隊だったように思う。
きっかけは五年前の《822事件》。
残暑厳しかった八月二十二日に、日本全国各地で同時多発的に発生した大量殺人及び破壊活動の総称である。犯人達は白昼堂々、次々と人を襲い、そして喰らった。彼女らは全員が半狂乱状態であり、中には破壊活動をする者まで現れる始末。都内で言えば国立競技場が餌食となり、建物の半分が文字通り吹っ飛ばされた。再建には五年もの月日が必要とした。
今なお影響を残す、死傷者数千人にも及んだ平成の大事件。
当初は組織的な犯行を疑われていたが、やがて犯人達には一切の繋がりがない事が判明。共通項は『女性である事』と『過去に肉体の一部を大きく損壊している事』。そして『失っていたはずの肉体が再生している事』のみ。
だが、事件はそこで終わらなかった。
それから程なくして『失った肉体が再生した』という事案が多発するようになったのだ。やがてそれは《突発性欠落部位再生(再生)症候群》という病として定められる。それは女性のみが発症し人を喰らいたがる病。その異様な症状を、世間が《鬼憑き》と呼ぶようになったのもその頃だ。
急増する食人事件。
大きな社会問題となった《鬼憑き》に対して政府は《特例疾患対策法》を施行。ほどなく警視庁が刑事部内に新設したのが《特例疾患犯罪対策室》である。
英名は《Special-Capture-Team》。直訳するなら『特別捕縛班』となる。
言うなれば《SCT》は『鬼憑き専門の捕縛部隊』である。
――と、千隼が参考にしたネットの百科事典には記されていた。
千隼も昨日まで詳細は知らなかったのだ。
というのも、《822事件》から一年ほど経った頃から徐々に《鬼憑き》という単語が聞かれなくなったからだ。当然、捕まえる相手がいないなら《SCT》も話題にのぼらない。《822事件》に関わりの薄かった人間など、《鬼憑き》を都市伝説だと思っていたりする。
実際には《鬼憑き》も《SCT》もこうして存在しているわけだが。
ふと、飛鳥が首を傾げた。
「でも、何でその《SCT》があたし達を? お姉とも知り合いみたいだし……」
「え? 千隼ちゃん、何も話してないの?」
幸は驚いたのかハンドルを揺らしてしまい、少しだけ車が蛇行する。助手席では椛が呆れたように「あー、やっぱりノう……」と呟いている。
「どういう事、お姉?」
飛鳥から刺さるような視線を向けられる。家に帰ってから話そうと思っていたが、仕方がない。千隼は昨晩の出来事を白状した。
《鬼憑き》に襲われた事、《SCT》に助けられた事、その後は朝まで事情聴取を受けていた事。椛は直接自分を助けてくれた人間であり、幸は事情聴取の際の担当刑事だった事。
そして、
「お姉、あたしをバカにしてるの?」
千隼の話を聞き終わった飛鳥の第一声はそれだった。
確かに突拍子もない話。「だが本当なんだ」と千隼が言うと意外にも飛鳥は「別にウソだとは思ってない」と否定。
「そうじゃなくて。どうしてあたしに話さなかったの?」
「あ、いや……あまり心配をかけたくなかっただけで、バカになんて、」
「ほら! ほら、ほら、ほら! やっぱりあたしを子供扱いしてる。あたしに話しても意味がないと思ってるから、そういう言葉が出てくるんだ」
取りつく島もない飛鳥に、千隼は戸惑う。
昔はこんな刺々しい妹ではなかった。私の言う事をよく聞いたし、物わかりも良かった。いつも『千隼お姉』と私の後をついてきて、今日のような夏の日にはよく徒競走して勝った方がコンビニのアイスを奢るなんて賭けをしていた。少なくとも千隼は、仲の良い姉妹だと思っていたのだ。どうして、こんなにも嫌われてしまったのだろうか。
「姉貴ヅラもいい加減にして。何様のつもりよ。あの時も――」
「まァまァ、飛鳥クン」
と、飛鳥の言葉を遮ったのは椛だった。
「責めるなら妾タチを責めてくれないカ? 我々が千隼クンを朝まで拘束していたわけだし、外で気軽に話すような事でもない」
「でも、それとこれとは――」
「妾タチが、もっと早く《鬼憑き》を捕らえていれば良かった話だ。これは我々の責任なのだヨ」
そう窘められ、憮然としながらも「……すみません、お騒がせしました」と飛鳥は矛を収める。しかし千隼への怒りはおさまらないらしく、窓の外へと視線を向けてしまった。
仕方なく、千隼が話の続きを促す。
「それで、その《鬼憑き》は捕まったんですか?」
「そうそう。本題はそこなの」
空気を切り替えようとした千隼の意図を察してくれたのか、幸が少し芝居がかった動きで、口早に話を進める。
「昨日うちに《舌の鬼憑き》は、逮捕したわ」
「《舌の鬼憑き》――は?」
千隼の脳内に疑問符が浮かぶ。逮捕も何も《舌の鬼憑き》は《SCT》が殺したではないか。千隼はアスファルトに転がる《舌の鬼憑き》の表情を覚えている。
しかし千隼の戸惑いを、幸は別の意味に捉えたらしい。「そ、」と短く肯定する。
「――《左脚の鬼憑き》は未だ逃亡中。しかも被害者まで出してね」
「……現場を誰かが目撃したんですか?」
「いえ、そうではないけれど――」
幸が言うには、今朝早くに切断された左脚が発見されたのだと言う。骨格から推定して若い女性のもの。《鬼憑き》は人を喰らう際、必ず遺体の一部を食い残す。その部位は《鬼憑き》が必ず持つ斑模様の部位に対応する事が判っており、今のところ例外は無い。つまり《左脚の鬼憑き》の食い残しだろうと《SCT》は判断したらしい。千隼は《舌の鬼憑き》も喰らった女性の舌を吐き出していたと思い出す。
無論、《左脚の鬼憑き》の犯行だという決定的証拠は見つかっていない。
だが、左脚の切断面の特徴や周囲に血痕が残されていない事、現場が住宅街のど真ん中でありながら、悲鳴を聞いた証言一つ聞かれなとなると《鬼憑き》でもなければ不可能だろうという話になったらしい。
「それに見つかった場所が問題でね」
幸は少し言い淀むが、意を決したように口を開いた。
「水無瀬さん達の家の近くなの」
「私たち……の?」
「そ。名前とかは出せないけれど、いつも早朝にランニングしてる女の人知らない?」
知っている。
彼女も千隼と同じく鈴鹿女学院の卒業生だった。千隼より何期も先輩だったが、学院のジャージを着てランニングしており、それがキッカケで知り合ったのだ。
飛鳥も思い出したのか「もしかして、うちの学校のジャージ着てる――?」と問う。
「多分、そう。高校の時のジャージを着て出かけたって話だから」
問いを肯定された飛鳥は言葉を失った。
たとえ知り合いではなくても、顔を知っている人間が殺されたという事実は大きな衝撃を与える。千隼も何も言えない。
幸の説明は続く。その女性はいつものようにランニングに出た直後に襲われたらしい。そして左脚が発見されたのは、それから約30分後。そんな短時間で左脚を切り落とす事が出来るのは《鬼憑き》くらいのものだろう、と。
それでね――と、眉をひそめて「あまり言いたくないんだけど」と前置きしてから幸は結論を口にする。
「状況から見て、彼女は千隼ちゃんを脅迫する為に殺された。――少なくともわたし達はそう見てる」
「脅迫?」
「逃げた《左脚の鬼憑き》が、わざわざ事件現場に近い水無瀬さん家の近くに現れるなんておかしいじゃない?」
「ええ、まあ……」
「しかも証拠になりかねない左脚を放置した。――それは『何か言えばお前もこうなるぞ』っていう脅しだと思うの」
話が見えてきた。
千隼がそれを口にする前に、幸が答えを告げる。
「わたしたちの考えはこう。――《左脚の鬼憑き》は水無瀬さんに顔を見られたと思い、口封じをしようと事件現場近くに戻ってきた。けれど千隼ちゃんは見当たらない。そこへ、たまたま千隼ちゃんと同じジャージを着た女性が現れた。焦っている《左脚の鬼憑き》は、その女性が千隼ちゃんと知り合いかもしれないと考える。そして、」
「捕まえて、私の話を聞き出してから……殺した」
千隼の言葉に、幸は「かもしれない」とだけ答えた。
「実際に彼女が千隼ちゃんの事を喋ったのかは分からないわ。けど、わざと見つかるように死体を残す理由はそう多くない。口封じが難しいなら、せめて脅迫しようって事でしょう。何か警察に話せば、千隼ちゃん――それか飛鳥ちゃんをこうしてやるぞ、って」
それは違う。
千隼は心の中で否定する。
《左脚の鬼憑き》は私を守ろうとしていた。《舌の鬼憑き》から私を庇ったのだ。顔を見られたから殺さねばならないというなら、そもそも庇ったりなどしなかっただろう。
しかし、千隼はそれを口にはしなかった。
「ま、そういうわけなのだヨ」
助手席から身体を捻り、椛が後部座席に座る千隼と飛鳥を覗きこむ。
「これから君タチ二人は、妾タチに護られて貰う。早晩《左脚の鬼憑き》も、人違いに気づくだろうしの」
「警察署で、ですか?」
「いやいヤ」
椛は飛鳥の問いに苦笑する。
「そんな場所デは、命が幾つあっても足りんヨ。都市伝説の言う通り《鬼憑き》は本物の『鬼』と言っても過言でハない。不老不死の怪物で、銃弾なんぞものともしない。通常の警察組織じゃどうにもならん」
「だから、わたし達が来たの」
幸はカーナビを操作し、目的地を表示。
「これから千隼ちゃん達には、わたし達が用意したマンションへ移って貰うわ。荷物は後でわたしと椛ちゃんが取ってきます。……そういえば千隼ちゃんのバイクは、」
「後輩に預かって貰います。整備屋に勤めてる子がいるので」
食い気味に千隼は答える。幸は少しの間、思考するようにバックミラー越しに千隼を見ていたが「これから行く場所は教えないようにね」と釘を刺して承諾。
「ちょっと待ってください」
慌てて口を開いたのは飛鳥だった。
後部座席から少し身を乗り出して、前に座る二人へと詰め寄る。
「あの、この地図を見ると、だいぶ学校から遠いようなんですけど――朝は送って貰えるという事ですか?」
「えっと……何のことかしら?」
「部活です。夏休みは毎日、朝から練習があるので」
幸と椛が視線を交わらせる。スッと椛が視線を逸らし「お前から説明しろ」と言わんばかりに、幸へ手をヒラヒラと振った。
幸は少しため息を吐き、眼鏡の位置を直してから口を開く。
「ごめんなさい飛鳥ちゃん。部活は暫く休んで貰うことになるわ」
「……そんな困ります! 秋の大会に向けて練習が、」
「飛鳥ちゃん」
赤信号に合わせて車を止めた幸が、体をひねって後部座席の飛鳥と視線を合わせる。
「それでも、あなた達の命には替えられないわ。千隼ちゃんと飛鳥ちゃんを護るにはこれが一番良いの」
「でも相手が《鬼憑き》ならどこにいても一緒じゃないですかっ!」
短距離走者の肺活量で放たれる怒声が、車内を満たした。
一瞬の静寂。
その後に口を開いたのは椛だった。
「それなら安心シテくれたまヘ」
椛は後部座席へ振り返るように千隼と飛鳥へ視線を向けて、コツコツと、額に刺さる二本の六角ボルトを叩いた。
「妾も《鬼憑き》ダ。そこらの鬼ニは遅れは取ラん」
空気が凍る。
――《鬼憑き》だって?
千隼は驚きながらも、どこかで納得していた。
鬼無里椛という少女が《鬼憑き》だと言うならこの奇異な外見も説明がつく。顔の半分を隠すほど長い前髪は《舌の鬼憑き》にも《左脚の鬼憑き》にもあった特徴だ。鬼のツノのように、額を割って生える二本の六角ボルトも、尋常の人間ではない証拠だろう。
ついでに言えば昨晩、千隼を抱えたまま《左脚の鬼憑き》の蹴りを避けてみせた驚異的身体能力も《鬼憑き》であるが故だとも考えられる。
千隼は椛と視線を交わす。
絹のような白い前髪。その奥には、金色の双眸があった。
「も、椛ちゃん!?」
氷結した空気を割って、悲鳴のような声をあげたのは幸だった。
「そんな事、一般人に言っていいことじゃ――」
「何を言ウ。いズレ判る事ではなイか。それに不安を取リ除いてヤッタ方が良いに決まっておロウ」
「よ、余計に不安です! 《鬼憑き》と一緒なんて――」
飛鳥が会話に割り込む。
信号が変わる。幸は自動車を発進させながら、飛鳥の言葉に答えた。
「それは安心して。椛ちゃんは人を襲ったりしない《鬼憑き》なの。それは《SCT》と警視庁が保障する。でなければ、椛ちゃんはここには居ないわ」
と、幸はため息混じりに説明。「ああ、後で始末書だわ……」という呟きを千隼の耳が拾う。
「マ、というわけダの。妾たちが護るからニハ何も不安はありゃあせん。それに《対策室》の捜査班は優秀ダ。じきに《左脚の鬼憑き》も捕まるデの。――千隼クンもそんな顔をするナ」
眉をひそめる千隼に、椛がそう笑いかける。
それに対して千隼は「ええ」とだけしか答えられなかった。
内心が、表情に出ていないかだけが心配だった。
これはマズイ。
恐ろしくマズイ事になった。
警察に護衛されるだけならまだしも、この二人は対鬼憑きの専門家である《SCT》の刑事。しかもその内の一人は《鬼憑き》だと言う。他にも《SCT》の隊員は大勢いるのだろうし、もしかしたら警察所属の《鬼憑き》がもっと他にも居るかもしれない。
そして彼らは皆、《左脚の鬼憑き》を逮捕する為に動いている。
そんな奴等と、私と飛鳥は共同生活をする事になるのだ。
これ以上の危機が他にあるだろうか。
千隼は隣で「大会まで日が無いのに」とぼやく飛鳥をみやる。
《SCT》が追う、《左脚の鬼憑き》。
それは妹の飛鳥のことなのだ。




