一章 姉様と徹甲弾と六角ボルト(その4)
指定された場所は鈴鹿女学院の中庭だった。
日本庭園風の造りをした中庭は、茶道部がよく野点を開いている場所だ。今日もその予定だったのか、茶室の東側に緋毛氈が敷かれ、朱色の野点傘が立てられている。
その野点傘の脇に立ち、千隼と飛鳥を呼び出した人物は待っていた。
――本当に、この小さい子供が?
千隼が最初に思ったことはそれだった。
確かに女教師からは《少女》だと聞かされていた。だが、それを差し引いても小柄過ぎる。厚底のぽっくり下駄を履いているが、それでも身長150センチの飛鳥にすら届かないのだ。精々が130センチ程度だろう。身に纏う、黒地に紅葉の柄をあしらった振り袖が地面に届きかねない。顔立ちから年齢を推し量ろうとしたが、被っている市女笠の垂れ衣に遮られて確かめる事ができなかった。
「来たネ」
千隼と飛鳥が近づくと、垂れ衣の下から掠れたような声が聞こえた。童女とも老婆ともつかない、若くて嗄れた声。
不思議な声だ、と千隼は思う。少女の歳が一桁の頃から煙草を吸わせ続けて喉を潰せば、あるいはこのような声になるかもしれない。
そして、この声には覚えがあった。
こんな声、そうそう聞けるものではない。
甦るのは昨晩の記憶。
二人の《鬼憑き》と、黒ずくめの特殊部隊。
そして千隼を《左脚の鬼憑き》から抱えて助け出した、少女。
「九時間と三十二分ぶりだネ、水無瀬千隼クン」
千隼の表情の変化を読み取ったのか、少女は自己紹介を省略する。
千隼の手を取って優しく包み込むと市女笠の下から見上げ、
「昨晩はアリガトウ。寝かせてやれなくてすまなかったネ」
「ああ、いや――」
「それにしても千隼クンは元気だネ。あんな激しく熱い夜を過ごしタというのに、それを微塵も感じさせない。素晴らしいコトだよ、これは」
「……激しく? 熱い?」
「あァ。妾は昨晩のことを一生忘れるコトが出来ないだろうヨ。可能ならもう一度、君を抱いて――」
と、何者かの咳払い。
千隼が隣を見ると、飛鳥が苛立たしげに眉をひそめ、千隼を横目で睨んでいた。
飛鳥は片手を腰にあて、口を開く。
「あのさ、どうでも良いんだけど。本当にどうでも良いんだけど。お姉が誰と何をしようとあたしには一切合切関係ないんだけどさ。――この人、誰?」
聞いた者の足元が凍りついていくような恐ろしい声。
何か誤解があるようだったが、弁解しようとした途端に殺される予感がする。それは日頃から飛鳥に罵倒されている千隼ですら、流石に恐怖を覚えるほどの声だった。
と、同時に千隼は少し気分が昂揚するのを感じる。
こういうのも悪くない。
「ああ、君は水無瀬……飛鳥クンだね? 初めまして」
市女笠の少女は、そこで初めて飛鳥の存在に気づいたように声をかけた。千隼の手を名残惜しそうに離し、飛鳥へと握手を求める。
が、飛鳥はその手を見るだけで握ることなく、市女笠の少女へ問う。
「申し訳ないんですけど、あたし、まだ部活があるんです。用件は早めに済ませて貰ってもいいですか?」
「……それは、済まなかったネ」
市女笠の少女は行く先を失った手を下ろし、代わりに懐に手を入れる。
取り出したのは、やや焦げ茶色に近い、黒い革の手帳。それを千隼と飛鳥に掲げて見せるように、パカリと上下に開いた。
そこには《警視庁》と書かれた記章がある。
「まず自己紹介。警視庁捜査一課の鬼無里椛ダ。以後、見知りおいテくれたまへ」
「警視庁?」
怪訝そうに聞き返したのは飛鳥だった。
「まあ……すぐに信じろとは言わないサ」
言って、鬼無里椛と名乗った少女は市女笠を脱ぐ。
途端、絹糸のような白髪がふわりと地面へと広がった。小さな体躯を覆わんばかりに長い髪。中庭に燦々と差し込む陽光が、キラキラと白髪を輝かせる。
垂れ衣に隠れていた素顔も露わになり、見覚えのある幼さの残る口元と、朱の入る頬が目に入った。顔の上半分は長い前髪に隠れてしまっており、目元までは見えない。
が、その程度ならば、少々個性的な人だと思うだけだっただろう。
「…………え、」
千隼の隣で飛鳥が息を飲んだ。
ソレに気づいたのだ。
最初は髪飾りか何かだと思っただろう。当然だ。一度『ソレ』を見ている千隼ですら信じられない。だが、よく見ればそれが前髪に着けられているのではなく、前髪の下へと、額の両端へ突き刺さっているのだと判る。
まるで、鬼のツノのように。
椛という少女の前髪を裂いて額に刺さっているのは、二本の六角ボルトだった。
「しかし、事態は一刻を争う。まずは話を聞いて欲シイ」
鈍く二本の六角ボルトを輝かせて、椛と名乗った少女は語る。
「妾は、君タチを守りに来た」




