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姉たる千隼と鬼憑きの姉妹  作者: 忍野佐輔
五章 そして彼女は行動を起こす
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五章 そして彼女は行動を起こす(その5)

 そうして(さち)は、教師を目指していた頃の思い出を語り終えた。

 子供の頃に観たドラマの影響で教師を目指したこと。教育実習生として教え子を得たこと。その教え子たちを《822事件》で失ったこと。いつしか車は静かな山道へと入っており、幸の言葉は車内によく染み渡った。

 それら全ての話を、飛鳥は黙って聞いていた。

 というより、口を挟めなかったという方が正しい。

 意外だったのだ。教師を目指していたことが、ではない。《822事件》で親しい者を失っていたということが、だ。普段の()(やま)(さち)という女性は、そういった暗い過去を一切感じさせない。いつも優しげに微笑み、冗談を言い、少し天然な所があるけど頼りがいのあるお姉さん。それが深山幸という女性の印象だった。

 だが考えてみれば《822事件》はあれだけの被害者が出たのだから、皆、何かしらの形で関わっているのだろう。あたしだけが特別ではないのだ。そう飛鳥は自戒する。

 もしかして、それを言いたいのだろうか。一方的にお姉を批難するあたしを、たしなめる為に。大変なのは貴女だけじゃないと。飛鳥はその言葉に備えて身構える。

 だが、

「それでまあ……それからわたし、警察官を目指すことにしたの」

 幸はまだ結論を言おうとはしなかった。

 それどころか、飛鳥に「どうしてだと思う?」などと質問を投げかけてくる。

 (とっ)()に飛鳥は「(かたき)をとる為――ですか?」と答えた。あたしならそうする、と考えての答えだ。なにしろ可愛がっていた教え子を殺されたのだ。何も感じないという事はないだろう。何かを感じたからこそ、教師になるという夢を捨てて刑事を目指したはずだ。

 つまり幸は、教え子を殺した《(おに)()き》を逮捕する為に――これから先《鬼憑き》に殺される人間を助ける為に刑事となり、《SCT》の一員になったのだろう。

 しかし、飛鳥の答えを聞いた幸は首を横に振った。

「違うわ。――生きるため、よ」

「生きるため?」

 予想外の答えに飛鳥は面食らう。

 幸は少し楽しげに「そ」と肯定する。

「だって、警察に入れば《鬼憑き》の情報が手に入るじゃない? まあ本庁の殺人課に入るのは大変だったけどさ。《鬼憑き》絡みの事件が増えて女性警察官の需要も高まってたから何とかなったの」

 幸の言葉の意味をはかる。

 生きるために警察に入ったというのはどういう事だろうか。教え子を守れなかった罪悪感に押し潰されて死んでしまわないように、という事か。

 何としてでも《鬼憑き》を殺さねば、生きていけないという事なのだろうか。

「その後《SCT》が創設されて、しかもすぐに異動になったのは助かったわ。多分、それまでに《鬼憑き》絡みの事件に関わったのが評価されたのかも。お陰で《鬼憑き》の情報は手に入り放題。一回だけだけど《鬼憑き》を逮捕する前に、わたしが喰うこともできたしね」

「くう、って」不思議な言い方をすると思った。「――逮捕せずに殺したんですか?」

「あー、うん。そおそお」

 バックミラーには幸の優しげな笑みが映っている。

 笑い話ではない。相手は《鬼憑き》とはいえ現職の警官が、私情で人を殺したのだ。正当防衛が成立したのだとしても、微笑んでいるなんておかしい。

 だが、幸はむしろ(こう)(こつ)とした表情で、思い出を語る。

「本当に幸せな一年間だった……。誰も食べなくていいんだもの。人間に戻れた気がした」

「――え、」

 ガタン、と車が揺れた。

 徐々に深くなる山道は、ついに舗装すらなくなったらしい。

「その一年のお陰で、《SCT》にも目をつけられずに済んだのも良かった。《鬼憑き》を食べれば約一年間は人を襲わなくていいって条件はまだ知られてなかったしね。だから四年間くらいは上手くいってたの」

「あの、幸さん……なんか、」

「けど去年、室長があの()()()(もみじ)って《鬼憑き》を連れてきてからおかしくなってきた。椛ちゃんが《(じゅん)(ぷう)()》なんてものを作ったせいで、わたしの人生設計はパー。それまで《鬼憑き》の逮捕はたまたま見つかった死体が食べ残しだって判ってから、『地取り』を始めてたのよ? だからほとんど運任せ。それが携帯電話の位置情報を統合して《鬼憑き》の可能性が高い人間をリストアップするなんて、ズルいわよ」

 おかしい、と思った。

 ふと、窓の外の風景が気になる。舗装はとうの昔になくなり、車は雑草をかき分けるように山道を進んでいる。官舎から《研究病院》まではそう遠くないはずだが、既に車に乗ってから三十分以上経っていた。そもそもこんな山奥に《研究病院》があるとは聞いていない。

 いやそうじゃない。もっとおかしい事がある。

 この話し方では、まるで――

「あの、幸さん、」

「一応《(じゅん)(ぷう)()》が導入される前から、人を喰う時には携帯は出来るだけ持たないようにしてたけど……毎回じゃない。忙しくて仕事帰りに喰うしかない時もあったし。そう遠くないうちに《SCT》はわたしに辿りつくでしょうね」

「幸さんっ!!」

「――ん? どうしたの飛鳥ちゃん」

 飛鳥の叫びに、幸は車を停める。そして後部座席にいる飛鳥へ振り返った。

 眼鏡の奥には優しげな瞳。口元には茶化すような微笑み。いつもの深山幸。

 だからこそ、恐ろしかった。

 意を決して、飛鳥は口を開く。

「……そういう話し方、やめてください」

「え? どんな話し方かしら」

「だって、まるで、幸さんが《鬼憑き》みたいな……」

「まるでじゃなくて、わたし《鬼憑き》よ?」

 あっけらかんとして、幸は言った。

 途端、飛鳥は耳を聾するほどの、ひぐらしの大合唱に気づいた。

 幸が車を停車させたことで、外の音がよく聞こえるようになったのだろう。そんな事はどうでもいいはずなのに、脳髄が現実逃避をしている。脳全体が痺れたような感覚。

「だから《SCT》に捕まる前に、わたしは逃げなくちゃいけないの。でも、単に逃げただけじゃすぐに足がつくじゃない? だから逃げる前に《鬼憑き》を食べようと思ってさ。――ほら、言ったでしょ? 《鬼憑き》を喰えば、一年くらい誰も襲わなくて済むの」

「まさか、幸さんが、《左脚の鬼憑き》――」

「惜しい。《左》までは合ってる」

 幸は苦笑して、その瞳を(こん)(じき)に輝かせた。

 額からは二対の白いツノ。ぶわり、と髪が座席を覆い尽くすほど長く伸びる。

 そして、ジャケットの左袖が、内側から膨れ上がる《何か》に引き千切られた。


「わたしは《(ひだり)(うで)(おに)()き》なの」


 言って、幸は黒と黄色の(まだら)()(よう)に覆われた左腕を掲げてみせた。

「だから飛鳥ちゃん。――大人しく食べられてね」



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