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姉たる千隼と鬼憑きの姉妹  作者: 忍野佐輔
四章 六角ボルトの鬼憑き
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四章 六角ボルトの鬼憑き(その5)

 そして水無瀬千隼はバイクを停めた。

 途端に耳を(ろう)する、昆虫たちの(ざわ)めき。

 まるで虫たちの声に浸っているようだった。周囲に人の気配はない。首都高四号線がすぐ(そば)を通っているとはいえ今は深夜。車が走り抜ける音も、眠気を誘うような間隔で聞こえてくるだけだった。眼前の414号線にはノラ猫すら通らない。

 そんな場所に、黒いライダースーツを着込んだ千隼は降り立った。

 いつの間にかはりついていた子グモを払い、ヘルメットのバイザー越しに腕時計を見る。針は既に三時を回ろうとしていた。

 そろそろ飛鳥の携帯電話が見つかった頃だろう。急がなくてはならない。

 千隼は愛車のトランクから競技用義足を取り出した。途端、ハラリとメモ紙が舞う。慌ててキャッチするとそこには『御代はまた身体で払ってもらうっスよ、センパイ』という走り書き。整備屋に勤める後輩の文字だった。彼女が事前の計画通り、千隼の《(はやぶさ)》を用意したのだ。

 そう、事前の計画通り。

 万が一、飛鳥が再び《鬼憑き》となった場合の計画だった。

 千隼の計画は二つの目的で成り立っている。

 一つは、飛鳥が《左脚の鬼憑き》に攫われたと《SCT》に誤解させること。

 もう一つは、《SCT》よりも先に飛鳥を見つけることだ。

 なにしろ《鬼憑き》となった飛鳥を部屋に閉じ込めておくことなど不可能だ。力業ではもちろん説得も無意味だろう。つまり飛鳥が《鬼憑き》となった段階で外へ飛び出すことは避けられない。

 だが、幸か不幸か《SCT》は《左脚の鬼憑き》が水無瀬姉妹をつけ狙っていると誤解している。なら話は簡単。《左脚の鬼憑き》に飛鳥が連れ去られたとしてしまえばいい。その後で、そ知らぬ顔で飛鳥を連れ戻そう。千隼はそう考えた。

 というよりは、この短い時間ではその程度のことしか計画できなかったのだ。

 故に千隼は、飛鳥の誘拐に信憑性を持たせる為、幸に『飛鳥を担ぐ《左脚の鬼憑き》』を目撃させることにした。そして《左脚の鬼憑き》に担がせるものは《SCT》の目から隠す事が可能で、瞬時に人型に膨らませることが出来るものが望ましい。

 その条件に当てはまるものが一つだけ。

 ――ダッチワイフだ。

 千隼はダッチワイフを瞬時に膨らませる為、幸が買ったビール用の炭酸ガスボンベを使った装置を作成。折り畳んだダッチワイフと装置を飛鳥の枕の中に仕込んだ。無論、手放しで上手くいくものではない。だから飛鳥と同じ部屋で寝られるように交渉したのだ。その際にもダッチワイフは役に立った。もうダッチワイフ製造工場には足を向けて寝られないな、と千隼は感慨深く思う。

 結果、両手足を拘束された上で猿轡を噛まされることになったが、これはこれで好都合だった。《左脚の鬼憑き》が飛鳥の部屋へ侵入した際に、千隼が他の者へ報せることができなかった理由になる。しかも千隼が縄抜けできる事、逆に一人で自分を縛り上げられる事――一人で『駿河問い』もできる――は飛鳥を含めて誰も知らない。あまりの都合の良さに千隼は思わず笑みを溢した。

 だが、問題はそこから先。

 千隼が《SCT》よりも先に飛鳥を見つけ出すこと。

 官舎を抜け出すことや、飛鳥の居場所を特定することには不安を覚えない。

 だが『《SCT》よりも先に』という条件は少々厳しい。仮にも相手は警察組織。何らかの妨害や撹乱が必要だろう。

 千隼がその方法を思いついたのは、ショッピングモールでの一件だった。

 飛鳥が無断で姿を消した時、何故か幸は飛鳥の携帯電話の電源が入っているかどうかを確認し、すぐに《SCT》へ連絡したのだ。

 それはつまり『携帯の電源さえ入っていれば居場所が特定できる』ということではないのか。千隼はそう考えた。

 そもそも奧山がぼやくほど人手不足の《SCT》が、どうやって《鬼憑き》の居場所を特定しているのか疑問だったのだ。《鬼憑き》であるかの判断も難しいだろうことは《研究病院》で奧山から聞かされた話からも判る。人が足りないのなら、何らかの機械的手段を用いるしかない。それが何なのか、幸の行動を見てようやく察することができた。

 つまり《SCT》は携帯電話の位置情報を利用しているのだろう、と。

 千隼がそれに気づけたのは、ひとえに飛鳥への愛ゆえのこと。

 飛鳥がどこにいるのか常に知る為の方法を模索していた頃。携帯電話は電源が入っている限り常に一定間隔で弱い電波を発し、基地局へその位置を報せているという事を知ったのだ。本来は利用者がどこにいても電話をできるようにする為のシステムだが、《SCT》は不正にその情報を入手して人手不足を補っているのだろう。

 だから千隼はそれを逆手に取ることにした。

 つまり電源を切った飛鳥の携帯を遠く離れた場所へ運び、そこで電源を入れる。その場所へ《SCT》が急行している隙に千隼は飛鳥を見つけだせばよい。携帯電話を運んだのも千隼を慕う同級生だった。

 時間のない中での準備。

 はっきり言って千隼から見ても、上手くいくかどうかは賭けだった。

 しかし、どうやら今のところは賭けには勝っているらしい。それは周囲に《SCT》の気配がないことからも言い切れる。

 パチリ、と千隼は競技用義足の固定具を留めた。

 競技用義足に履き替えたのは《舌の鬼憑き》から逃げ回る際に得た教訓だった。荒事になるとは思いたくないが、準備を怠るわけにはいかなかった。

 ――そう、ありとあらゆる準備を怠るべきではない。

 全ては飛鳥のため。ひいては自分自身の欲のため。

 二度と、家族を失わないため。

 だから千隼は準備をした。様々な応急手当の方法を学び、柔道と合気道を中心に格闘技を身につけ、自分自身をも道具と見なすことで泰然とした心構えを手に入れた。そうして学んだものの中には縄抜けや錠前破りといったものも含まれた。

 だが、それだけでは足りない。

 まだ足りない。

 あらゆる事態に対応できない。

 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと力が必要だ。

 ――なら、どうするべきか。

 千隼が選んだのは、他者を利用すること。

 無理矢理にでも恩を売りつけ、利用できる人間を作る。そう千隼は考えた。利用するのは鈴鹿女学院のお嬢様たち。彼女らのほとんどは裕福な家庭に育ち、そうでない者は本人が特技を持った特待生。彼女らの財布と技能を利用すれば、できる事は格段に増える。

 その為には、彼女らにとって信奉すべき対象に――つまり《お姉様》になれば良い。

 だから千隼は行動に移した。

 刃物を持った男が学院に侵入すれば、誰かが襲われるのを待ってから助けに入った。

 心を病んだ女生徒がいれば、屋上から飛び降りるまで待ってから助けた。

 親の借金のカタに売られそうになった女生徒がいれば、ヤクザの事務所に連れ去られてから助けた。

 ひたすら『誰かが危機に陥るのを待ってから助ける』ということを繰り返した。

 そうした偽善に心が痛まなかったと言えば嘘になる。だが千隼は、口が裂けても『心が痛む』と言うわけにはいかなかった。万が一、千隼の思惑がバレた際に千隼のみが一身に恨みを買うための準備だ。なにしろ『心が痛むが仕方なかった』と言えば、千隼の行動の責任を飛鳥が負うことになりかねない。

 故に、千隼は沈黙した。

 表情は徐々に硬直し、彫ったような仏頂面が残った。

 それが逆に良かったのかもしれない。千隼が多くを語らなければ、周囲は勝手に内面を想像する。つまり『あの(てつ)(めん)()の下には、熱く優しい心が燃えている』と。やがて千隼は、千隼が想像した以上に人気を集めた。口の固い、利用できる人間も二桁を超えた。

 死んだあと私は地獄に行くだろう、と千隼は思う。

 それでも、私はもう二度と家族を失いたくないのだ。

 千隼は《隼》のトランクに用意された携帯端末を取り出し、使い慣れたアプリケーションを起動する。途端に地図が開き、千隼自身を示すマーカーと《飛鳥》と表示されたマーカーが出現した。それは飛鳥が誘拐に遭った際に居場所を特定するために用意したもの。飛鳥の靴や下着の金具に仕込んだGPS発信器の電波を捉えるためのものだ。飛鳥が初めて《鬼憑き》になった時も、ショッピングモールで姿を消した時も、千隼はこれを使って飛鳥の居場所を特定したのだ。『匂いがする』と言ったのは、それが出来れば良いなという千隼の妄想。

 千隼は顔を上げ、マーカーが示す方向を見る。

 視線の先。月明かりに照らされた木々の壁。その向こうに、黒くそびえる巨大な建造物。

 そこには、今年再建されたばかりの国立競技場の姿があった。



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