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姉たる千隼と鬼憑きの姉妹  作者: 忍野佐輔
四章 六角ボルトの鬼憑き
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四章 六角ボルトの鬼憑き(その2)

 線香の束に火を点ける。

 風が運ぶ土の匂いに、線香の香りが混じった。

 腕時計の針は午前七時を指している。丘の上にある霊園には、まだ(あさ)(もや)のなごりがあった。周囲の雑木林から時折ウグイスの鳴き声が聞こえてくる以外には、自動車のエンジン音も電車の走行音すらも聞こえてこない。地図で見ればそこまで人里離れているわけではない。だが都会育ちの千隼からすれば、人工の音が存在しないこの場所はとんでもない山奥のように思える。

 千隼は片膝をついて、穏やかに煙をたち昇らせる線香を香炉に据えた。

 その横では、既に飛鳥がしゃがみ込んで両手を合わせている。

 千隼もそれに(なら)い、静かに両手を合わせた。

「久しぶり、母さん。――紅羽(くれは)

 千隼は《先祖代々之墓》と彫られた墓石に語りかける。

「今年は少し早めに来たんだ。命日には来れないかもしれなくてさ」

「――いつ、亡くなられたの?」

 背後から、(さち)の声が届く。千隼は「五年前です。八月二十二日」とだけ答えた。それだけで事情は察したのだろう。幸が息を呑むような気配を感じた。

「まさか……《(おに)()き》に?」

「恐らく」

 少なくとも、千隼と飛鳥はそう聞かされていた。

《822事件》当時は《鬼憑き》という超常の存在によって混乱を極めており、二人はそのゴタゴタの中で死亡認定されたに過ぎない。わかっているのは、母の菊夜(きくよ)と妹の紅羽(くれは)が入院していた病院に《鬼憑き》が現れ、医師も患者も区別なく食い散らかしたということだけ。二人がいた病室に、菊夜(きくよ)紅羽(くれは)のものと思われる大量の血痕が見つかったことから他の患者もろとも死亡したことにされたのだ。だからこの墓にも、二人の遺骨が埋葬されているわけではない。そんなものは元々存在しないからだ。単に祈りを捧げる場所として必要だから、千隼と飛鳥はここに来ている。

 千隼がそこまで話すと、幸は「そう」とだけ呟いた。

 下手な気遣いや感想は必要ないと考えたのだろう。千隼としてもそれはありがたい。幸の隣に立つ椛も同じ考えなのか、市女笠の下で沈黙を守っている。

 唐突に、千隼の隣でしゃがんでいた飛鳥が立ち上がった。

「暗い話は終わりにしよ。さ、早く。ご飯ご飯。あたしお腹減っちゃった」

「ああ」

 千隼も同意する。

 そう、今日はこんな話をしに来たのではないのだ。

 千隼と飛鳥は協力して持ってきたレジャーシートを墓の前に広げ始める。四隅に重しを置いて、座布団を用意。それを見て、幸もショルダーバッグから弁当箱をいくつか取り出した――が、その表情は戸惑っていた。

「ねえ、本当にいいの?」

「ええ」

 座布団に腰をおろしながら千隼は答える。

 千隼と飛鳥は毎年、二人の命日には墓の前で食事をする事にしていた。

 菊夜(きくよ)紅羽(くれは)が死んだ八月二十二日には、家族みんなで食事をする予定だったからというのが大きな理由だ。菊夜(きくよ)はともかく、入退院を繰り返していた紅羽(くれは)は、他の人と一緒に食事をとることすら難しかった。あの時も久しぶりの一家団欒を、紅羽(くれは)は何日も前から楽しみにしていたのだ。

 だが結局、一家団欒は永遠に訪れることはなかった。

 だからせめて、墓の前でだけでも一家団欒をしてあげたかった。

 もちろん意味のない感傷だ。千隼も飛鳥も信心深い方ではない。だが理屈では判っていても、それをせずにはいられないという事もある。ゆえに霊園側から「朝早くなら」と許可を貰い、千隼と飛鳥は年に一度の(いっ)()(だん)(らん)を続けている。今回は護衛の関係上、幸に事情を話して外出許可を得た上での墓参り。ショッピングモールへ出かけたのも、この準備が目的だった。

 と、玉砂利を踏みしめる音がした。

 (いち)()(がさ)が千隼たちに背を向けた音だった。

(わたし)はそこらヲ少し見てくル」

「あ、(もみじ)ちゃん。一応、お弁当持ってきたから――」

「いらヌ」

 そう言って、椛はぼっくり下駄をガラコロンと鳴らしながら去って行く。誰もそれを止めようとはしない。椛の事情を知っている千隼と幸は当然だが、飛鳥も「またか」という顔だけして椛を見送った。既に生活を共にして一週間以上経っている。飛鳥なりに椛が抱える事情を汲み取っているのかもしれない。

「あ、そういえばっ」

 気まずい雰囲気を変えようと思ったのか、幸が両手を打ち鳴らした。

 そのままことさら明るい声を出して、

「二人に朗報です。――護衛期間の終了日が決まりました」

「え、ホント? いつ、いつですか?」

 途端、飛鳥が身を乗り出す。苦笑する幸が「三日後の八月二十三日よ」と答えると、飛鳥は感極まったように瞳を閉じて拳を握りしめた。

「やったあ、ようやく合宿に戻れるっ!!」

「……まあ、予定通りなんだけどね。延長はしないって室長から(げん)()とったから安心していいわよ――って、ちょ、え!?」

「ありがとうございます幸さん! 愛してます!!」

 飛鳥に抱きつかれ、幸は戸惑いながら「ど、どういたしまして」と答える。それから千隼の方をうかがいながら、身振り手振りで『私は無実です』とアピールし始めた。どうやら千隼が怒るのではないかと心配らしい。だが千隼もそこまで心は狭くない。単に「私も抱きしめられたい」と決意を固めるだけだ。――固めるだけだ。

 それに、今の千隼は少し機嫌が良かった。

 なにしろ護衛生活があと三日で終わる。これほどホッとすることはない。

 もちろん、いまだ《鬼憑き》の治し方が判っていないという不安はある。だが、まずは当面の危機を脱することが重要だ。《SCT》の目から――ひいては室長の(おく)(やま)の手から離れることが出来れば、たとえ飛鳥が再び《鬼憑き》になったとしても誤魔化しようはいくらでもある。《鬼憑き》の治し方はゆっくり時間をかけて探れば良い。

 となると問題はひとつ。

 飛鳥があと三日の間に、《鬼憑き》になるかどうかだ。

 今日は八月二十日。――飛鳥が人を喰ってから十二日が過ぎようとしている。

 この十二日間、幸い飛鳥は《鬼憑き》に成ってはいない。最長で二週間に一度という《鬼憑き》の食人ペースから考えれば奇跡的だ。飛鳥の《鬼憑き》としての状態は普通ではないようだし、何らかの理由で食人のペースが遅いのかもしれない。それなら、あと三日くらいは何とかなるのではないか。そう千隼は淡い期待を抱く。

 無論、準備を怠るわけにはいかないが。

「それじゃ、そろそろご飯食べましょうか」

 ようやく飛鳥から解放された幸が、眼鏡の位置を直しながら言う。

 それから弁当箱を開いて、ふと思いついたように提案した。

「最終日にはまた、みんなで食事しましょ。約束ね」


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