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姉たる千隼と鬼憑きの姉妹  作者: 忍野佐輔
三章 諦めた者と諦めきれない者
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三章 諦めた者と諦めきれない者(その1)

 とにかく情報が足りない。

 結局、どれだけ考え抜いても、そういう結論になる。

 八王子にある《SCT》の官舎。

 千隼(ちはや)は、自身に割り当てられた一室でノートPCを開いていた。PCは幸から借りたもので、護衛期間中は好きに使って構わないと言われている。

 当然、インターネットにも接続している。

 千隼は重い額を左手で支えながら、検索エンジンへ『(おに)()き』と入力する。

 ワラにも(すが)る気持ちだ。

 しかし、予想していた通りめぼしい情報は無い。

 公的機関の広報を除けば、検索に引っかかるのは匿名掲示板での根も葉もない噂話ばかりだった。過去の報道記事も漁るが、《鬼憑き》そのものに関する情報はほとんど無い。《特例疾患対策法》の影響か。

 溺れる者がワラに縋って、何かが変わった試しなどない。

 それでも根気よく探せば《鬼憑き》の情報をまとめた個人ブログのようなものがあった。

 意外に『鬼憑きマニア』は多いらしく、残されたコメントにも熱がこもっている。流し読むと憶測の中にも正鵠を射た考察が混じっていた。目新しい情報は無いが、筋が通っているかどうかの区別くらいは出来る。それらを元にした推測ならば、多少は信用が置けるだろう。

 ワラをかき集められる。

 その意味では、(おく)(やま)との会話は非常に有益だったと言える。《鬼憑き》が何なのか理解していれば、情報の取捨選択が可能になるからだ。

 だが同時に、一歩間違えば全てが終わるところでもあった。

 いや、もしかしたらとっくに足は踏み外していて、今は落ちている最中なのかもしれない。このフワフワして落ち着かない気分は、落下による浮遊感だろうか。千隼はそう思う。

 あの時。

 第二取調室へやってきた(さち)が、奧山から千隼を引き離して連れ出してくれた。

 それがもう四日前だという事が信じられない。「室長、セクハラで逮捕しますよ」と言って現れた幸の姿が今でも目に焼きついている。まるで女神のようだった。少なくとも、あの時の千隼にはそう思えた

 無論、だからと言って幸は千隼を助けようとしたわけではない。

 あの時の幸は、単に状況を理解していなかっただけだ。後々、幸が「ごめんね、室長って古い人だからセクハラって概念が無いの」と謝っていた事からもそれは分かる。幸はセクハラから守ろうとはしたかもしれないが、奧山の追及を止めたわけではないのだ。

 だが奧山は、幸の登場で千隼を解放した。「ご、誤解だよ、さっちゃん」とひょうきんな態度で千隼を解放し、セクハラを疑う幸に弁解までしていた。それまでの経緯は何も無かったかのように。同じ部屋にいた刑事達もそれに追随した。

 その理由は何か。

 この四日間、その疑問が千隼の脳裏を埋め尽くしていた。

 幾つかの推論は立つが、どれも想像の域を出ない。もしその内のどれかが正しかったとしても、籠の鳥である千隼にはどうしようもない事だ。

 だが、少なくとも奧山は千隼を解放した。

 つまりそれは、今すぐ千隼と飛鳥(あすか)を拘束しようとは考えていないということ。

 大人しく『護衛』されている限りは千隼の行動を許容する、と言い替えてもいい。

 なら、行動しよう。そう千隼は決めた。

 飛鳥に残された時間は僅かなのだ。

 奧山から聞かされた『《鬼憑き》は二週間毎に人を喰わねばならない』という言葉を信じるならば、飛鳥はこれから約一週間のうちに誰かを襲おうとする。だが、それまでに《SCT》の護衛から解放される事は――残念ながらあり得ない。早急に、誤魔化す方法を考えなくてはならないだろう。

 それに加えて、『《()()》は自覚を持って扱うもの』というのも気になる。

 なにしろ、飛鳥自身に《鬼憑き》であるという自覚が見受けられないからだ。

 それだけならまだしも《(ひだり)(あし)()()》の擬態を解いている最中、飛鳥は意識が朦朧(もうろう)としていた。千隼はそれを『夢遊病』のようだと感じたが、果たしてその解釈は正しいのかどうか。

 とにかく飛鳥の状態が他の《鬼憑き》と異なるのは事実。

 なら、もしかしたら、

 万に一つの可能性かもしれないが、

 ――飛鳥の《鬼憑き》を治すことが出来るかもしれない。

 千隼が欲しているのは、その方法だった。

 とはいえ千隼に出来る事は限られている。せいぜいが、こうしてネット上から情報を拾うこと程度だ。しかも結果は(かんば)しくない。

 それでも千隼は諦めず、今度は《鬼憑きマニア》達のサイトを中心に巡回していく。

 彼らはかなり熱心に情報収集と考察を繰り返しているらしい。更にどこで聞いたのか、新聞やTVでは見る事すらない《鬼肢》の二文字が当然のように扱われているから驚きだ。

 千隼はコメントの中から、興味深い考察をピックアップしていく。

 選ぶ基準は一つ。今の飛鳥の状態に関係しそうなもの。自覚のない《鬼憑き》のこと。

 いくつかメモを取ってから、千隼はそれをジーンズのポケットへしまう。

 もちろん、鵜呑みにするわけにはいかない。裏を取る必要がある。

 最も手っ取り早いのは、(さち)(もみじ)に訊いてみることだ。だがそれは千隼や飛鳥へ疑いの目を向ける可能性も秘めている。無論、奧山のことがある。既に疑われているのかもしれないが、だとしても、それを不用意にそれを深める危険を冒して良いものか。

 しかし、他に信用のおける情報源があるわけではない。

 千隼は椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げる。

 悩むように眉間に(しわ)を寄せ、

「――――あぁぁ……蹴られたい」

 こんな時は飛鳥にかまって貰おう。

 そう結論した千隼はPCの閲覧履歴とキャッシュを消去。そして勢いよく椅子から立ち上がって自室を後にした。混乱した頭から余分な情報を掃き捨てるには、飛鳥に蹴り飛ばされるのが一番なのだ。

 飛鳥の部屋は隣。

 迷わず突撃。

 だが、開け放たれたドアの向こうに飛鳥の姿はなかった。

 ではリビングに居るのだろうか。そう考えて千隼は踵を返す。

 ――と、

 そこで、トイレから物音が聞こえた。

 誰かが入っているらしい。

 だが、鍵はかかっていないようだった。

「……ふむ」

 千隼は迷わず、トイレのドアを開けた。

 そこにいたのは、(きぬ)(いと)の髪と六角ボルトのツノを持つ少女――()()()(もみじ)だった。

 フタをおろした便座に座る椛は、ハムスターのように携帯食をカリカリと齧っていた。今日もわざわざ黒地に舞い散るイチョウの葉が描かれた振袖を着ている。毎朝、着るのは大変ではないのか。黒地にビスケットの粉まで舞い散っているが、問題ないのか。

 しかし、そんなことは千隼にとってはどうでも良い。

 仏頂面はそのままに大きく肩を落とし、

「何だ……飛鳥じゃないのか」

「悪かったノう」

 千隼の落胆ぶりに、椛が思わずといった態で謝罪する。だが、すぐに千隼の手元にあるものに気づいて、首を傾げた。

「で、そのケータイは何かノ」

「写真を撮ろうと思ってたんだ」

「――すまんガ意味がわかラン。あ、イヤ、説明するな。逮捕することにナル」

 口を開きかけた千隼を制し、椛は大きくため息をつく。「飛鳥クンも大変だな」と呟く声は、常よりも(しわが)れているように思えた。

 椛は千隼を追い払うようにシッシッと手を振り、

「用が済んだのなら閉めてくれ。食事中なんダ」

「こんな所でか?」

 眉をひそめた千隼に、椛はさも当然のように「そうだ」と答え、再びカリカリと携帯食を口の中へ押し込んでいく。千隼が通う大学にも、同じようにトイレで食事をする人間がいる。だが、椛は友達のいない事を恥じる学生ではないだろう。

 なら、

「それは?」

 千隼は椛が持つ携帯食を指差した。パッケージは市販のものと同じ。

 ――だが、原材料はもっとグロテスクな何かかもしれない。

 椛はそんな千隼の誤解を察し、

「心配するナ。普通のクッキーだよ。口の中がぱっさぱさになル」

「もしかして、それが朝ご飯なのか?」

「あァ。本当は点滴の方が楽だが、値が張るしのゥ……」

 そう言って今度は、ちゅーっと、ゼリータイプの携帯食を吸う。

 小さい口を更にすぼめている椛を見て、千隼は少しだけ安心した。

『椛は人を喰わない』と説明されてはいたが、その理由は()(にく)を喰らうからではないかと疑っていたのだ。そうやって《鬼肢》の要求を抑え込んでいるのではないかと。《研究病院》なら死体程度いくらでも手に入るだろうし、《SCT》が椛の為にそれを手配する事も可能性としてはあり得る。

 だが少なくとも椛は、普通の人間と同じ食事をするようだ。

「――いや、それなら一緒に食事すれば良かったじゃないか」

 朝食は二時間ほど前に、いつも通りダイニングで摂っている。その時、椛もリビングでTVを眺めていたはずで、わざわざ一緒に食事をしない理由が分からない。

「それは……アレじゃ。効率が悪いんダ。携帯食の方が消化に良いし、これだけ技術が発展しておるのにわざわざ別個ノ料理を作ッテ摂取する意味が分かラン。第一だネ――」

 椛はブツブツと言い訳じみた事を長々と述べ始める。千隼が黙って聞いていると、椛は唐突に顔を赤くして「分かったら放っておいてくレ」と告げてトイレのドアを閉めようとドアノブに手を伸ばす。

 その手を、千隼は掴んだ。

「お、オイ」

 戸惑う椛に構わず、千隼は手を掴んだまま引っぱり上げ、むりやり椛を立たせる。千隼の胸元にも届かない身長の椛は、宙吊りに近い形になり「オ、わ、」と床に爪先を触れさせようと四苦八苦していた。

「千隼クン、一体なにヲ」

「食事は栄養補給の為だけにするもんじゃない」

「ハ?」

 椛の体重は想像していた以上に軽い。千隼は椛をさらに持ち上げて両腕で抱えてしまう。いわゆる『お姫様抱っこ』。顔を赤くし「え? なに?」と慌てる椛を無視して、千隼はダイニングへと向かった。

「千隼クン、なんぞ? 何事ゾ?」

「鬼無里」

 言葉遣いがおかしく――いや、もとからおかしいが――なった椛に、千隼は宣言する。

「私が、まっとうな食事をさせてやる」



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