5.時を駆ける江戸っ子(下)
あれから1時間余りが経過したでしょうか。
各課代表の皆さんは各々の持てる力をフルに発揮し、禁術であるはずの逆行魔法の用意、地球Bの江戸末期の時間座標解析、異世界調査班でも指折りのエリートを1名選出。
なんとすぐにでも逆行魔法を発動できる手筈が整ったとのことです。
私と与助さんは、ホーセズ所長に連れられて既に使われなくなって久しい、逆行の間へと連れてこられました。
……なんで私まで?
ホーセズ所長はその間も終始無言で、ひどく難しい顔をしていました。
責任を全て取るといった手前、一番事の失敗を恐れているのはおそらく所長でしょう。
それでも、転生者である与助さんと、ヒラである私の前では弱いところを見せないよう振る舞ってくれているのだと思います。
さて、逆行の間にはすでに数名の課長部長が準備を終えてスタンバっているようでした。
白一面の空間は転生の間と全く同じでしたが、真ん中に大きく陣取る暗紫色の魔法陣がその禍々しさを一身に放っているのです。
はじめてこの部屋に入りましたが、転生の間や転移の間と違って神聖さは殆ど感じられず、謎の息苦しさと生温い空気に触れたような不気味さが我々に襲い掛かります。
本当にここ天界ですか。
部屋に入った我々の姿に気づいた上司たちは、我勝ちに経過報告を所長に伝えます。
「こちら転生課エッグノッグ、逆行魔法の準備は整っております。」
「管理課ジュレップ、逆行先地点の解析完了いたしました。すぐにでも飛べます」
「お疲れ様です。派遣課コリンズ。調査班の人員一名を選出し、連れてきました。既に本人からも逆行の同意を得ています」
「うむ。ご苦労であった」
彼らの報告を受け、多少は目の険がとれたホーセズ所長ではありましたが、それでもまだまだ険しい表情には違いありません。
これから行うことは、この場にいる者たちだけの機密。逆行という、すでに禁術指定された“黄泉還り”にも等しい行為。その目的は世界管理の枠を優に超えた過去改編。
……あれ?これヒラの私が知ってていい情報じゃないですよね?
ねぇ、まずくないですか?
コレ私消されませんか?
「さて。砂羽与助よ。先ほど説明したとおり過去、つまりはお前が殺害された日の昼まで送り返す。」
「当日の……昼とは。そりゃまた、随分と時間が少なくねェですかい?」
「すまんが、これ以上の時間的猶予を与えることはできぬ。女神アペリの予言通りであれば、我々に残された時間は残り約1日。お前の世界の江戸を疑似的に現代と繋げ、同軸進行させるのだ。時間的な余裕はほぼなくなるが、現代と繋げることで天界がようやく干渉できるようになるのだ。」
「よく分かんねェですが……要は戻せる時間は半日が限度。あっしが間に合わねぇと、江戸の大勢があっしのように殺されちまうってことですかい」
「そういうことだ」
「……わかりやした。なら、仕方ねぇでさァ」
与助さんは、やれやれと言いたげに肩を下ろし、へらへら笑っています。
彼にとっては一度殺された世界への逆行。
しかも江戸っ子大虐殺を食い止めるという無理難題を吹っ掛けられた超大役。
それでも彼が悪態をほとんどつかずにいられるのは、数分前、会議室を出る直前にホーセズ所長が語った一言でした。
『砂羽与助よ。お前は想い人を……おみつを、救いたくはないか?』
つまりはそういうことです。
ホーセズ所長は、過去改編を行えば与助さんの心がぽっきり折れた原因、おみつさんを死なせずに済むということを伝えたのです。
もちろん、彼の恋心を知ったうえで。
おおう、なんという悪魔でしょうか。
ですが、その言葉は与助さんにとってはまさしく地獄に仏ならぬ、天界に天神様だったのです。
さて、目に光を取り戻した与助さんは、暗紫色の不気味な魔法陣の中心に立たされています。
その周りでミッション内容を説明するホーセズ所長。
同行者のエリート調査班の方も一緒です。
傍から見ればなかなかシュールな光景ですね。
偏に、髷と着物姿の与助さんがそのシュールさの大多数を占めているワケですが。
私?私は部屋の隅っこで眺めているだけです。
今回の一件、私は巻き込まれただけですので、どうやら他の上司の皆様宜しく緘口令が敷かれるだけに留まるようです。
いやあ、一時は口封じさせられるのではないかとハラハラしましたが、さすがにそこはクリーンな企業でしたね。安心です。
とはいえ、このミッションが失敗に終われば私を含め世界観転送所に所属する全員が職を失うのですが。
そこはやる気を取り戻した与助さんに期待しましょう。
何やら最上級チートも貰えるようですし。
イケますイケます。
というわけでいろいろ肩の荷が下りた私は、二度と入ることはできないだろう逆行部屋を絶賛堪能中。人に話せはしないとはいえ、なかなかいい社会勉強になりそうです。
これも怪我の功名ですかね。ふひひ。
「さて、そろそろ転移に入る。……砂羽与助よ。半ば強制的に協力を求める形になったことを詫びさせてほしい。そして、お前の協力に、天界一同感謝致する」
「いや、こっちこそ。あっしにもう一度おみつを救う機会を与えてくれたんだ。感謝してもしきれねェでございやす」
そうこうしているうちに、どうやら逆行実験開始を迎えたようです。
与助さんと同行者のエリート調査班の方の周りを、転生とはまるで違う禍々しい紫色のオーラが包みます。
まるで二人は紫キャベツのよう。水に浸せば色素がにじみ出てきそうなくらいむらさきむらさきしていますね。
顔色悪いを通り越してゾンビですよあれじゃあ。
ひぇー、くわばらくわばら。
と、しばらくその紫オーラが二人を覆っていたのですが、2,30秒ほど経った後でしょうか。まるで魔力供給が基から断たれたかのように、バツンと大きい音を立てて、スッと消え去りました。
魔法陣の中の二人を残して。
……これは、逆行失敗ですね。
まあ、一回目から上手くいくなどという都合のいい話もないでしょう。
何せすでに失われた技術なのですから。皆さん原因を究明しようと忙しないですが、私にはまったくの無関係です。みなさんがんばってー。
……って、あれ?
なんでみなさんこっちに向かってくるんですか?
しかもそんな怖い顔して。
え?
あの、みなさん?
私は悪い女神じゃないですよ?
ちょっと、エッグノッグ課長とかものすごく口をへの字にしていますです。
……これ、アカンやつです。
「コーラル、ちょっとこっち来なさい」
「はい……」
直属の上司たるエッグノッグ課長が怖い件について。
エッグノッグ課長はホーセズ所長やコリンズ課長と比べると一回り若く、まだ中年に入るかどうかといった風貌です。短めに切りそろえた金髪をオールバックにし、眼鏡の下の切れ目がちの目はホーセズ所長と同じく済んだ青色。少々やつれ気味ですが、いかにもデキるサラリーマン然としているのです。もう少し若ければストライクゾーンでした。おしい。
言うなれば冷静であれば冷静であるほど怖いタイプの上司です。
つまり今、とってもヤバいわけです。
私が何をしたというんですか。
「コーラル、君は砂羽与助の転生を途中まで担当したと言っていたね?」
「は、はいです……」
「もしかしなくても、彼を異世界に転送しようとしなかったか?」
「し、しましたけど……。でも、途中でコリンズ課長から召集の連絡を受けて、慌てて中断しました!」
「中断?……転生課には中断申請なんて届けられていないのだが」
……え?
中断申請?
何それおいしいの?
「……コーラル。そういえば会議室に来た時、君は気絶した砂羽与助を抱えていたね。最初は彼が暴れたからかと思って気にはしなかったのだが。……一体どういう手順で転生を中断したんだ?」
エッグノッグ課長が優しく語りかけてきます。でも目は全く笑っていません。
あわわ……これ、もしかしなくてもやらかしちゃった系ってやつでしょうか?
「あの、ですね……。すでにチート解析が終わって転生状態に入っていましたので……。その、天界PCの強制シャットダウン宜しく、与助さんの意識を落とせば止まるんじゃないかと思ってですね……。あの、杖で思いっきり……」
しどろもどろになりながら、何とか答えます。
よくがんばった、私。
もう両眼から涙ボロボロ、顔から冷汗だらだら、体ガクブルです。
生きてるって何でしょう。
私が答えている間も、エッグノッグ課長は表情を一切変えず。ですが、確実に少しずつ顔が赤く上気していくのが分かります。
間違っても私に恋なんてしてないですよね、この状況。
つまり。
怒ってますよね?
これ、ものすごく怒ってますよね?
「……コーラル」
「ひっ!?……は、はい」
「……やってくれたな。今、君と砂羽与助の間には転生契約が結ばれ続けている状態だ。この契約が結ばれている間は互いに別世界に行くことはできない。しかも、これを解除するには最低でも4日はかかる」
さっき私が何をしたというんですかと嘆いていましたよね?
ごめんなさい。
私でした。
私やらかしてました。
エッグノッグ課長の目は全く笑っていません。
その言葉を口にした課長のそれは、事実上の死刑宣告でした。
「逆行魔法で送れるのは、我々の技術では2名までが精一杯だ。つまり今この瞬間、逆行魔法で江戸時代に行けるのは……コーラル、君だけだ」
もはや誰もが怖い顔です。
エッグノッグ課長の後ろから、冷静沈着ながら、若干顔を蒼くしたホーセズ所長が私の顔を見て一言。
「コーラル女神見習い。お前を今日付けで異世界転生課の任から外す。特例として異世界派遣課、調査班の一員に任命する。……よいな?」
「はい……分かりました……」
よいな?じゃないですよねソレ。
拒否権ないやつですよね、ソレ。
そこからは早かったです。
あれよあれよという間に、魔法陣の真ん中に立たされ、調査班に持たされる最低限の調査グッズを宛がわれ、そして心ばかりのレンタルチートを持たされました。
このレンタルチート、調査先の世界に行かないと中身が分からないそうです。
何ですかその中途半端なガチャ要素。
隣にいる与助さんも若干困惑気味です。
サムライにも負けるとも劣らずな体格と剣術を備えた屈強な調査班の代わりに、かわいくて綺麗なだけのマスコット系少女が着いてくるわけですから。
……すいません少しばかり自尊しすぎましたごめんなさいそんな憐みの目で見ないでください。
なんとも気まずい空気が流れる中、紫色のオーラに包まれました。
ああ、いよいよ私も江戸へと左遷されるわけですね。
時、越えちゃうんですね。
もしも無事に帰ってこられたら、その時は“時を超える女神”という名で一大抒情詩を一本したためるんです……私。
グッバイ青春。
グッバイエリートコース。
拝啓母上様。
この度わたくしコーラルは名誉ある異世界派遣課の調査班のお仕事を任されるようになりました。不出来な娘でごめんなさい。
ホント、ごめんなさい。
そんな思いも当然母に伝わるはずがなく。
私と与助さんは紫色のオーラに包まれて、ふわりと全てから切り離されるかのように、天界を飛び立つのでした。