4.時を駆ける江戸っ子(上)
―――天界・会議室 コーラル視点―――
はい、みなさんお疲れ様です。
みんなのアイドル、異世界転生課の見習い女神コーラルです。
私はいま最高幹部クラス専用の会議室で縮こまっています。ビクビクものです。めっちゃ足がくがくです。額や腋や足の指の間まで冷汗でだらだらベトベトです。
……なんでこんなことになったのでしょうか。
この日、私はいつものように異世界転生のお仕事をマニュアル通りこなしていました。
ここまではまったく問題ありませんね。だって成績優秀ですから、私。
さて、この日はいつもとは違う時代……つまりは江戸時代から来た謎の男が現れました。
この時点でマニュアルにはありません。涙目です。
そして、この男の対応をしたばかりに、いつもはまず入ることすらできない、天界でも幹部クラスの神様用の会議室に連れてこられ、今に至ります。
緊急招集と聞いて、課とか、部クラスの全体会でも開くかと思っていました。
ところがどっこい、この案件は極秘も極秘。上級神と一部の管理職、そして当事者である私と与助さんのみが知るところとなる、とんでもない大問題だったのです。
何ですか“江戸っ子大虐殺”って。
何ですか“異世界もつれ”って。
ふざけてるんですか。ドッキリ企画ですか。
スタッフさん。今なら怒らないから出てきてもいいんですよ?
……え?マジも大マジ?
……さて、どうすれば正解だったのか。
おそらく、なあなあで処理しようとせず、大人しく上司にお叱り覚悟で聞きに行くことが大事だったと思うのです。
あわよくば、その時点で担当は上司に移り、私は他の現代人のお世話をすることになったでしょう。
わからないところは先輩に聞く、そして、押し付ける!たったそれだけで良かったのです。
つくづく、報連相の大切さを身に染みて実感しました。
……ごめんなさい許してくださいおうちに帰してください。
……まあ、来てしまったものは仕方がありません。
話の内容的には私のような一見習い女神にどうこうできる範疇をとっくの昔に越えちゃっています。なにせ、複数の異世界規模のお話なのですから。
私にできることといえば、ただ適当に相槌を打ってこの場を凌ぐことです。それだけです。
私みたいな見習い風情、この場にいること自体がイレギュラーです。
早く与助さんの身柄を引き渡して、あとはエリート実行部隊の皆さんにお任せするのみです。私の出る幕はきっともう無い筈です。
……これ、フラグじゃないですよ?フラグじゃないですからね!?
内心、焦りと不安でいつもより当社比150%くらいハイになっちゃっていますが、表面上は冷静を装っています、びーくーるびーくーる。
……それにしても、この会議はまだ終わらないのでしょうか?
ホーセズ所長は、派遣課のコリンズ課長や私の直属の上司である転生課のエッグノッグ課長をはじめ、数名の管理職の方と一緒に絶賛討論中です。
流れてくる話を耳で拾う限りでは、どうやら事は予想以上に複雑なようです。
ことの発端は地球によく似た名もなき“泡沫世界”が、数百年前に突如生まれ、何かしらの要因で地球の歴史から分岐、枝分かれしたとのことです。
それ自体は別に珍しいことではありません。
いわゆる歴史上の大事件に起こる“可能性の分岐”は起こりうるのですから。
ただし、世界はその分岐を常に取捨選択し、Ifの分岐点である“泡沫世界”はその時点で消失するのです。
ところが、その中でもごくまれに“泡沫世界”が残存し、その基となった世界と僅かに異なった歴史を歩み始めることがあるそうです。
つまり、今回のパターンです。
実際に調べたところ、ごく弱い反応でしたが、地球とよく似た世界を確認できたとのこと。
例外中の例外すぎて発見できなかったとはいえ、ポカも大ポカです。
一方で、我々が送り出す異世界というのは、もう歴史の末端、つまりはビッグ・バンから違う道を歩みだしているために、地球ともつれあうことはありません。
さて、今回の泡沫世界……仮に地球Bとしましょうか。
幸か不幸か、消失を免れた地球Bは本来の地球Aとは違う歴史を歩み始めます。
おそらく、江戸講と江戸っ子大虐殺という歴史が地球Bの出来事なのでしょう。
この地球Bは天界でもその存在を認識できていませんでした。
つまり我々天界の手によって全く管理されていないのです。
雑草がボーボーの、分け入るのも大変な状態です。
本来、成仏できない魂や、未練の残った魂を我々の手で転生するわけですから、それが一切なされていない地球Bにはいわゆる成仏できない魂で一杯なのではないでしょうか。
なんとも末恐ろしいです。
流れをおさらいしましょう。つまりは、こういうことです。
①数百年前、何かしらの大きい歴史の分岐点で別のルートに進んだ地球Bが誕生。本来であればすぐ消失するはずだったその世界は幸か不幸か残存し、元々天界が管理していた地球Aとは別の歴史を歩み始める。
②その後地球Bで『江戸講』と『ロク』が生まれる。また、砂羽与助もここで生まれ育つ。
③約150年前、地球Bでは江戸開城の際に、『江戸講』『ロク』を恐れた新政府によって『江戸っ子大虐殺』が起こった。その時点では、天界と地球Bに繋がりは無かったため、多くの無念を抱えた魂が地球Bを彷徨うことになる。砂羽与助もこれにより殺害され、約150年間もさまよった。
④そして現在、一端は根元より大きく離れていた地球Aと地球Bが大きく近づく“何か”が発生。根を同じくする二つの世界は再び収束、混ざり合い、一つになろうとしている。
まるでSFですね。
なおも会議は続いています。
課長クラス部長クラスの方が、ああでもないこうでもないと言い合い、それをホーセズ所長が黙って聞いている状態。
収集つくんですかね。コレ?
「女神アペリが予言したのは『江戸っ子大虐殺』により江戸町民の魂が数十万規模で押し寄せてくるだろう、とのこと。今になってその江戸の魂が迷い込むということは、おそらく異世界もつれが発生したのは江戸時代末期と現代の2カ所であると考えられます」
「やはり、泡沫世界の残存がそもそもの原因だ。我々の手で消滅させるべきだ」
「いや、すでに分岐点より数百年が経過している。育ちすぎだ。今消失させると根元がつながっている地球にも影響が出てしまう」
「ではどうするつもりだ?このままもつれ合わせたら二世界間の歴史の矛盾が衝突し、今生きている多くの生命が“生まれてなかった”ことにすらなりえるぞ。そうなってしまえば江戸町民数十万の魂どころの話ではない。数千万の魂が天界に押し寄せるぞ」
数千万の魂の転生とかサビ残を何十年すればいいんでしょうかね……?
一端の女神見習いである私には口をはさむ余地などありません。する気も毛頭ございません。
ふと横を見ると、与助さんが何か考え込んでいるようです。
そういえば彼も当事者の一人。
江戸時代末期に分岐した、泡沫世界から天界へと迷い込んだ初めての転生者さんなのです。
世界を消滅させるだの、衝突するだの、先ほどから不穏な単語を聞けば思うところも少なからず出てくるでしょう。
言うなれば、生前過ごした故郷消滅の危機なのですから。
「与助さん、やはり故郷である江戸が気がかりですか?」
「ああ、いや。まったくもって気がかりでないと言えば嘘になるが……。そもそもあっしは死んじまったからなァ。今更どうすることもできねェ」
「いや、砂羽与助よ。今回の一件、お前の力を借りたい。お前にしか出来ぬ仕事があるのだ」
私たちの会話に入り込んできたのは、先ほどまで静寂を保っていたホーセズ所長その人でした。
相変わらずムスッとした顔のままですが、ほかの課長方と違い、何かしらの解決策をお持ちのようです。
ホーセズ所長の海より蒼い双眸は、惑うことなく与助さんをまっすぐ見つめているのでした。
「あっしにしか……出来ないこと?」
「そうだ。かつてお前の住んでいた江戸を知る者は、この中にはいない。本来であれば転生者を送り込み、江戸っ子大虐殺を食い止めるのが定石。だが、すでに百数十年を時を経た今となってはそれも叶わぬ事。故に、砂羽与助。お前を生前へと“逆行”させる」
「ぎゃ、逆行ッ!?ちょっと、ホーセズ所長!逆行はすでに天界でも禁術の類ですよ!?」
「……責任は私がとる。コーラル、貴様も女神の見習いであれば我々の本来の目的を見失うな」
「本来の……目的」
「左様。我々天界の目的は天上神より授けられし16の世界を管理、滅びの道へと進まぬよう先導し、転生者を送り出すこと。今回生まれし泡沫世界は本来であれば分岐した時点で発見、速やかに消滅させるべき世界であった。だが既に成長した泡沫世界はもはや一つの世界。消滅させれば根元を同じくする地球にも影響が及ぶであろう。そうであれば、我々ができることは一つ。授けられし16の世界が一つ“地球”にもつれを及ぼさぬよう、もう一つの地球の歴史を改ざんし、もつれが起きぬよう歴史的距離を離す他ない」
「……与助さんを逆行させて何を行うというのですか?」
「江戸っ子大虐殺を、未然に防ぐ。江戸講とロクがもう一つの歴史上から失われなければ、現在の地球とは歴史を大きく違えるはずだ」
んなアホな。
逆行と歴史改ざんの異世界御法度ダブルパンチを口にしたホーセズ所長の現に、私をはじめ、課長部長クラスの皆さんも開いた口が塞がりません。
成功率だって決して高くない危険な賭けな上に、天界でもさらに上の組織にバレた日には大問題です。
下手すれば異世界転生を司る世界観転生所お取り潰しもありえます。
さらばエリートコース。
グッバイエリートコース。
よよよと内心で嘆いている間にも、他の課長部長クラスの方々は早々に切り替え、ホーセズ所長の指示に従い逆行の準備、地球Bの座標検索、与助さんの補佐役となる人員の選出を始めています。
彼らもお取り潰しと数十万の転生者の魂がかかっているとなると必死です。
そんな中、ただただ何もできず私と与助さんは、取り残されたようにじっと待つばかりでした。
与助さんはともかく、私は帰っていいですよね?
……え、ダメ?
そんなあ。