3.天界でござる
天界・会議室:砂羽与助視点
「ん……ここは……?」
弥助が目を覚ますと、先刻までの白一面の空間ではなく、西洋風の屋敷を思わせる一室に座らされていた。おそらく石造りであろう、つるつるとした床に漆喰を思わせる白い顔料を塗りたくったような白黄色の壁、一体何で出来たか皆目見当もつかない漆黒の机に5~6人向き合っている。
――いずれも、伴天連顔だな。少なくとも、江戸では滅多に見ねえ顔つきばかりだ。
なるべく冷静を装い与助は周囲の者たちを見やる。誰しもが、手元の紙を見て眉間に皺を寄せていた。
と、椅子に座る者の一人、確かコーラルと名乗る、与助が唯一見覚えのある、黄金色で長い髪を持つ少女が此方に気づいたようだ。
「あっ、良かった。お目覚めになられたのですね」
彫りの深さこそ日本人のソレとは異なるものの、この場の他のものと比較していかにも伴天連、と言うほどの異国感ではない。
特質すべきは肌の白さとさらさらと透き通るかのような、み目麗しい黄金色の髪の毛である。未だあどけない顔立ちと、どこか儚げで、消え入りそうな繊細さを両立した彼女は、生まれるところが違えばきっと惚れていたであろう。と、与助は何となく思った。
そんな、まじまじと見やる視線に気づいたのか、彼女は与助の頭頂部を見て少々申し訳なさそうな表情を見せた。
「ごめんなさい。まだ少し痛みますか?」
思い出した。
先ほど、彼女が奇妙な板っ切れを耳に当て、ブツブツと独り言を喋っていたかと思うと、急に与助の頭を杖で思い切り叩いたのだ。
当たり所が悪かったのか、そのまま与助は昏倒。今に至る。
何が起きたかを漸く思い出し、与助はふむ、と頭をさする。
殴られた箇所をさすると、少したんこぶが出来ている。死後の世界だというのに、怪我はするのか。卦体な世界なこった。と、与助は内心で笑った。
「……なんで急にあっしを叩いたんで?それに、ここは一体?こおらる殿の言ってた異世界というワケでも無さそうだがねえ」
「貴方を今すぐ異世界に転生させることが出来なくなったんです。緊急処置ですが与助さんの意識を一旦落として、魔方陣を強制的に打ち消させて頂きました。」
「転生できなくなった?するってェと天国逝きですかい?」
「いえ、そういう事ではなく……」
「江戸にて“江戸っ子大虐殺”なる現象が発生し、我々の住む天界へ江戸時代のニンゲンが大量に流れてくるとの予言があったのだ」
言葉を詰まらせるコーラルに代わって、一番上座と思しき席にどっかりと座る、白髪の男が話しかけてきた。
それにしてもこの男、非常に身体つきが良い。
新政府の者どもと比べても、さらに二~三寸ばかり大きいと思われる。齢は六十ほどであろうが、腕周りに見せるその逞しい筋肉には、老いというものが感じられないのだ。
深く皺が刻み込まれた額は、他の者よりも一層深刻な表情を見せるかのように、眉間に寄せられていた。この男も又、手元の紙を見ながら苦々しく口元を結んでいる。
「アンタは?」
まじまじと声の主の姿を観察していたら、不意に視線を与助に向けてきた。おそらく、与助の訝しむような目線に気づいたのであろう。白髪の大男は与助をジッと睨むでもなく眺め続けながら、重々しく口を開いた。
「砂羽与助といったな。私はこの場の責任者である、世界間転送所の所長を務めるホーセズ・ネックだ。ホーセズと呼んでくれて構わない」
「あ、こりゃどうも。あっしは簪屋の砂羽与助でさ」
「ふむ……女神アペリの予言を聞いた当初は、何を馬鹿なと思っていたのだが。お前のその姿を見るに、本当に江戸時代からやって来たようだな」
先程の意趣返しというワケではないであろうが、今度はホーセズが与助の顔をまじまじと眺め返してくる。
――そう言えば聞いたことがある。伴天連の者からすれば、此方の髷は大層珍しい髪型であると。
おそらくは与助の髷を見て、江戸の者であると判断したのだろう。
流石にこうも好奇の目に晒されると些か居心地が悪い。とりあえず話を進めてしまうが吉であろう。
ジッと射竦められる様に見つめられながら、与助はホーセズの言葉に応えるべく口を開いた。
「へ、へぇ。確かにあっしは江戸の生まれですが……。それより、先ほどのお話について、詳しく聞きたいんですがね。何やら、江戸の町で大量の人死にが起きる……だとか」
「うむ。その件について、我々もお前にいくつか質問があるのだ」
「質問?」
しばし静寂。他の天界人もホーセズの発言が気になるのか、資料から目を上げ、与助と彼の間で視線をうろうろさせている。もちろん、コーラルも視線を彷徨わせているうちの一人だ。
ぴしゃりとした空気の中、ホーセズは顎に手を当てて訝しむように問うた。
「……お前は本当に江戸時代から来たのか?」
……どういう事であろうか。与助は訝しんだ。
与助は江戸は神田須田にて新政府の者に斬られた。この事については隣で狼狽えて居るコーラルも既に知っている事。故に、その上司であるホーセズに話が行き渡っていないとは思えないのだ。
故に与助は、如何に応えれば良いのかを決めあぐねていた。
「それは……どういうことですかい?」
「ホ、ホーセズ所長っ!それは先ほど私が確認しました通り、やはり新政府軍と名乗る者に斬られたとのことで――」
コーラルからの援護も、上司の一睨みによってあっけなく撃沈。「ひっ」と、小さく悲鳴を上げて縮こまる彼女の姿を見るに、やはりこのホーセズと名乗る者がこの場で圧倒的な権限を持っていることが分かる。
「そんなことは分かっておる。資料に書いてあるからな。……だが、おかしいのだ。砂羽与助、お前も知っての通り慶応4年の卯月と言えば戊辰戦争の真っ只中だ。合っているな?」
「へい。江戸城周囲を始めとして薩長の新政府軍がわらわら居やした」
「……私の知る限りでは、その時既に駿河にまで新政府軍が進軍していた。だが、江戸城はほぼ無血開城であり、結果として江戸が戦渦に巻き込まれることは無かった。新政府軍が江戸の町民数十万を虐殺する程、軍を江戸へと送ることなど無かったのだ。この時点で食い違っている。」
「そんなまさか。江戸城近辺は一触即発って雰囲気でしたぜ。治安も相当ひどかったでさあ」
江戸の無血開城など、実現できるわけがないと与助は思った。現に新政府の連中は好き放題に暴れまわっていた。与助やよし家の面々がその毒牙にかけられる以前からも、強盗や乱闘騒ぎ、あげく強姦が蔓延っていたのだ。その多くは新政府の手の者なのだろうが、中には便乗する幕府側の武士連中も居たとされている。
「やはり過去の事象が書き換えられているとしか思えぬ。……本来、江戸に居るはずのない新政府軍によって殺されたのだ。ここに居る砂羽与助は」
ホーセズの発言に周囲がざわつき始めた。いまいち状況を整理できていない与助だけが、どこ吹く風の呆け顔である。
この不透明な状況は、つまるところ与助の処遇から何までがどこに向かうか分からないの事を指していた。これはよくない、状況を把握しなければならない。与助はそう直感し、隣の席のコーラルに耳打ちする。
「あの、すいやせん、こおらる殿。歴史だとか、過去の事象だとか……あっしには先ほどからてんで話が見えて来ねェんですが。」
「あー……、そういえば与助さんには伝えそびれていましたねぇ。いや、実はですね――」
コーラルから受けた説明は、一介の江戸の商人でしかない与助にとって俄かには信じがたい事ばかりであった。
曰く、与助が死んでから140年以上の時が経っている事。
曰く、本来であれば過去に死んだ人間が時を超えて天界に迷い込んでくるなどあり得ない事。
曰く、砂羽与助……つまるところ自分が死んだ時の状況は、歴史の事象的に見て不可解な事。
曰く、女神の予言にて、近々数十万規模の江戸町民が虐殺され、天界へと送られてくるだろうとの事。
周囲の沈黙が重々しい。下手をすればいらぬ喧噪の元となるため、なるべくその空気に触れないように密々話を続けた。
「……突飛すぎて現実感がねェや」
「まあ、そう思うのは私達とて同じことなのですよ。過去の事象が書き換わった原因で、何で現代にそのしわ寄せが舞い込んでくるんですか……」
「あっしがその第一号というワケですかい。ここ数日の江戸にはどうも不穏な空気が流れていやしたからねェ。まさかその発端を担うことになろうたァな……」
「というか、与助さん。あなた何で殺されたんですか?見たところ只の町人のようですが」
「ああ、そりゃあっしが江戸講の末端だったからだろう」
「江戸……講?」
さも当然の如く答えた与助の言葉を噛み砕きながら、コーラルはまるで何も知らない幼子の様に盛大に首を傾げた。
「江戸講って何ですか?少なくとも私、そんなの聞いたことないのですが」
はて?と珍妙な顔をするコーラルをはじめ、与助達の会話を聞いていたらしき他の天界人もまた同様、互いに見合って“江戸講とは何か”の確認をとる。
だが、その誰もが江戸講を知らないようであった。
「ふむ。砂羽与助さんでしたね、江戸講とは何か、その正体について我々は存じておりません。お手数かと思われますが説明してはいただけないでしょうか?」
天界人のうちの一人、眼鏡をかけた初老の男が説明を促してきた。おそらく、先ほどコーラルが板っ切れでブツブツ話していた相手であろうと与助は推察した。その声色は、板からわずかに漏れるソレと同じであった。
名前までは分からぬが、この初老の男、頭頂部を剃っているのか、あるいは毛根が死滅しているのか。つまり与助と同様に髪が生えていない。故に与助の中で彼は、この面々の中では最も親近感を覚えた。
無下に断るわけにもいくまい、と思い、与助は己が知る限りの事を天界人に話した。
江戸講の事、江戸しぐさの事、ロクと言う特殊な能力の事。そして与助自身、死の淵においてロクに目覚めた事全てをだ。
誰もが信じられないといった顔で驚いていた。
嘘をついているのではないかと怪しまれもした。
だが、コーラルが先ほどの板っ切れのようなもので与助を覗き、「……彼は本当にロクと言う能力を有しています」と、か細く呟くと状況は一変した。
与助の話した内容を疑おうとする者はもはや居らず、誰もが狼狽するばかりであったのだ。
ホーセズ一人を除いては。
何かしらの推察が立っているのか、腕を組み考え込んでいるホーセズに対し、初老の男が話しかけた。
「どう思われます?ホーセズ所長」
周囲もそれに気づいたのであろう、視線がホーセズへと集中する。そんな中でも彼はじっと目を閉じたまま、なかなか言葉で答えることは無く、低く唸るばかりであった。
周囲の見守るような沈黙の中、漸く目を開いた彼は、厳しい表情のまま口を開いた。
「……可能性としてはほんの僅かだ。私とて戯言だろうとしか考えてはいなかったのだが」
「……何か、思い当たることでも?」
次いで別の名も知らぬ男が問いかける。が、ホーセズはなかなか続きを口に出そうとはしない。幾分か、悩んでるようにも思えるその表情からは、異様な居心地の悪さを感じ取れた。
やがて、諦めたかのように大きくため息をひとつ付き、ホーセズは再びポツリポツリと呟いた。
「多元世界である地球において、極稀に起こると聞いている。限りなく近い存在である、本来であれば泡沫の存在……。名もなき異世界が歴史のとある点より分岐、誕生することがある。多くの泡沫世界はすぐに消失するのだが、ほんの僅かな確率でそのまま残存するのだ。そして元となった世界と泡沫世界との“歴史的距離”が一定以上に近づいた時、その二つの世界のインベントリは絡み合う。片方の世界で起こった歴史が、さももう一方の世界でも起こったと認識し、世界を書き換えてしまうという」
ホーセズが語る突拍子もない話に、誰もが反応すらできなかった。
いや、反応することを許さぬ空気だったのだ。
本来であれば馬鹿げていると一蹴してしまうような話も、いざその“死に証人”が目の前にいるともなると、誰もピクリとも笑いはできなかった。
ホーセズは皆の反応を確認するかのように、一拍の間をおいてから一言付け加えた。
「――いわゆる“異世界もつれ”だ」