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ETC

作者: やましん

                      (1) 

 おとついから、彼はとても体が辛くて、接客をする気にも、デスクワークをする気にもならなかったので、仕事は休暇を取り、ずっと家で寝ていた。ほとんど何もしなかった。テレビも付けなかった。大好きな音楽をただ一日中鳴らしていた。やっぱり弘子は最高だ。

 今日は土曜日で、もともと休みの日だ。彼は、自分でもよくわからないが、急に思いついて、職場のそばにあるリサイクルショップに出かけてきた。先日そこに、中古のBCLラジオがあったのを思い出して、買いたくなったからだ。

 職場から自宅までは、片道100キロ近くある遠距離通勤だ。職場の所長からは、鉄道で通勤するように、強く勧められているのだが、あの満員電車に毎日乗って通うのは、たとえ給与を倍額もらってもお断りだと思った。彼は人混みが苦手だったのだ。

 だから彼は、おんぼろ中古車に鞭打って、半年通ってきていた。

 しかも一般道を通っていては、いつ到着するかさえ分からないから、通勤手当では明らかに赤字ではあったけれども、高速道路を利用していた。

 今日は、仕事抜きだ。なにか、普段にはない安堵感もあった。

職場と自宅とのちょうど半分くらいのところに、大きなサービスエリアがある。

 しばしば、彼はここで食事を取って休憩する習慣になっていた。

 もっとも、いつも帰りは夕食どきになるのだが、今日は昼ごはんだ。

 しかし、なぜか今日は、どことなく、雰囲気がいつもと変わっているような変な気はしていた。サービスエリアのテレビは、何やら訳のわからない事をしきりに言っていて、その前には、人だかりができていたのだ。

 しかし、世間に対する関心がほとんどなくなっていた彼は、それを無視して通り過ぎた。

 彼にしてみれば、今、ここでのんびり食事をするのには、どこかに心理的な抵抗感が確かにあった。多少後ろめたい様な、やや、世間には肩をすくめて歩きたいような気分がすることも事実ではあった。

 まあ、しかし確かに今日は公に休みの日だ。気にしても仕方がない。

 車を駐車場に止め、彼の習性として、ETCカードは抜き取った。


                     (2)

 財布の中身も考えて、彼は『ラーメン・ライス』を食べ、トイレに入り、ゆっくりと車に戻った。

 やはり、今日は体がかなりキツイ。この際少し休憩してゆこう。

 そう思った彼は、運転席を後ろに下げ、それから背もたれを最大限寝かせて、そこに倒れこんだ。

 少し狭いが、これはこれでなかなか良いものなのだ。

 彼は大好きなCDをかけた。

 モーツアルトのバイオリン・ソナタ、ホ短調 K304。松村弘子のバイオリン。妹の松村道子のピアノだ。この二人は、目下人気絶好調の天才双子演奏家だ。しかもただの天才音楽家ではない。二人は、南太平洋の楽園といわれる、タルレジャ王国の王女様なのだ。しかも、現在は日本で高校生をしている。

 美しい褐色の肌を持つ、とびきりの美少女だった。

 つまり、彼は彼女たちのファンの一人だった。いや、単なるファンではない。彼は、有力フャンクラブの事務局長様なのだった。

 彼は、もう60歳少し手前。すでに35年の経験を持つベテラン社員だけれど、このところは、すっかり落ちぶれていた。

 同期の連中は、全員幹部に昇進していたが、彼だけは置き去りになっていた。なので、職場の同僚からは、敬して触れられず、また彼も必要最低限以上には、ほとんど誰とも関わりたくなかった。

「もう、早く死んだほうがいいよな。やっぱり。でも、駄目かな。」

 目を閉じながら、何度かそう呟いてみた。

 それで、何かが変わるわけでもない。所詮は馬鹿な自慰行為に過ぎない。


 ふと、気がつくと、いつの間にか二時間近く眠っていた。

 CDも、二回転位はしているのだろう。今は、K.378のソナタが鳴っている。

「ああ、ちょっと寝すぎた。」

 そう言いながら、彼はシートを起こした。

 そうして、再び高速道路を走ったのだ。

 途中でもう一度パーキングエリアでトイレに行き、間もなく最後のインターに到着した。

 そうして、いつものように『ETC』専用出口のゲートに入った瞬間気がついた。

「しまった、カードを入れてなかった。」

 しかし、もう、遅かった。

 突然、激しい警報音が響き渡ると、前方に頑丈な遮断機が、ずさっと降りた。

 とっさに下がろうとすると、後方には、まるで檻のような扉が落ちてきた。

 そうして、大きな声が、どこかにあるスピーカーから轟いたのだ。

『カード、未挿入!コ-ド、0077556。緊急配置!』

 すると、あっという間に、彼の車の周りを、見たこともない、怪しい者たちが取り囲んだ。

 全身に、真っ黒な、ダイビング・スーツのようなものを張り付けた感じの怪人たち。

 その手には、これもまるでSF映画のような、訳のわからない大きな銃が握られ、しかもその照準は、あっと言う間に、ぴたりと彼の頭を狙った。

 そのまま、いったん時間が凍りついた。

 すべての音が止まった。

 その異様な静寂の中で、右側のレーンから、濃い紺のスーツ姿の、黒メガネ、黒ひげの男が現れた。これは人間だろうか。まるで悪魔のような雰囲気を発散させている。

 男は車の横に立ち、そうして運転席の窓を叩いた。

「開けたまえ。」

 その声は、なぜか異様にはっきりと聞こえた。

 彼は、とっさに窓を下げた。そうして、先に言った。

「済みません、カードを挿入し忘れたんです。」

 紺スーツの男は、少し間を置いて言った。深いバリトンの声だ。

「君は、なぜ、この様な無謀なことをしでかしたのかね?」

 彼は、一瞬返事に詰まった。怪人たちの銃は、相変わらずしっかりと彼の眉間を狙っていることは明らかだった。 

「あの、確かにカードを入れ忘れました。でも、入るときはちゃんと入れてましたし、お支払いも、勿論きちんとします。でも、無謀と言われるような事ではないかと。この人たちは、なんですか。」

 男は平然として言った。

「君は、自分が犯した罪の大きさを感じてはいないようだね。」

「罪?これは、罪、なのですか。」

 男は大きなため息をついた。

「残念だよ。君のような人間が、この偉大なる時間の始まりの直後に現れるとは。」

 そうして彼は尋ねてきた。

「君は、わが偉大なる女王陛下、皇帝陛下を、総督閣下を、どのように考えているのかね。」

「え?皇帝?、総督?ジョウオウ?それは、どこのですか。日本にはそういう方は居ないでしょう。」

 男は、首を少し右にゆがめて、マイクに語りかけるように話した。

「やはり、不感応者だ。しかも、不適応者の可能性も大きい。指示を・・・わかった。」

 男は首を元に戻してから、まるで子供に言い聞かせるように言った。

「いいかね、君は、いまや存在自体が犯罪に等しいのだよ。間もなくマスコミが来る。全世界に中継される事になる。なにしろ、君は世界で初めてのケースだ。非常に遺憾ではあるが、まだ体制が整備できていない。したがって、君に対する即決裁判は、ここで行うことにする。そこが被告席だ。しかし、十分良い席だ。今後はもっと冷たい場所になるだろう。君は幸福なのだ。非常に早い時期に、苦しみも少なく、正しい道を歩むこととなるだろうから。少し待ちたまえ。おお、すでに到着した。」

 インターチェンジの彼方から、見覚えのある公共放送のマークが入った自動車がやって来た。

 そうして、ばらばらと人が降りたち、あっと言う間に、中継の準備が整い、手にマイクを持った女性リポーターが一人で歩いてくるのが見えた。

 彼は車内テレビのスイッチを入れた。常識として音は消した。


(3)

  彼は、まだ本当の危機感には到達していなかった。これは明らかに冗談だ。『どっきりなんとか』の類に違いない。女性リポーターが登場してきたことが、その証拠ではないか、と。

 しかし、彼女のマイクは、まるで鋭い刃物のような感じで、彼に向けられた。

「あなたは、なぜこのような恐ろしい犯罪に手を染めたのですか。」

 彼女の胸には『不感応者・異常犯罪班 田岡』のI・Dネームカードがぶら下がっている。

「ミスはしたけれど、犯罪はしていません。」

 彼は慎重に答えた。

「ETCカードを差し忘れただけです。それも出口で。」

 女性リポーターは、さも恐ろしげに眼を瞬いた。

「あなたは、その事実を認めるのですね。」

 そうして彼女は自分のマイクに向かって話しかけた。

「この男は、自分の犯した罪の事実を、何事もなかったかのように、告白しました。」

 それから再び尋ねた。

「あなたは、女王様が総督閣下を通じて布告した『規範』を体得していないのですか。それとも、知っていて、無視したのですか?あなたは、いったい地球帝国皇帝陛下と総督閣下に忠誠を誓っているのですか?」

 何が何だか訳が分からないながら、彼は非常に追い詰められた感じになった。

「女王様って、いったい何ですか?皇帝陛下って、誰ですか。『タイトク』って言われても・・・。」

 言ってはならないことを、言ってしまっているのだとは思ったが、他に答えようがない。

 女性リポーターは言った。

「地球帝国の臣民ならば、このような愚かな犯罪は、行いようがないではありませんか。」

 彼の口はすらっと答えてしまった。

「ここは日本であって、地球帝国ではないでしょう。もう、やめましょう。こんなお芝居は。公共放送の役割を逸脱していませんか。」

 リポーターは決心したように告げた。

「明らかに、この男は『規範』を体得していないようです。まして、忠誠心のかけらも見られません。以上、現場からのリポートでした。」

 彼女は、大きな仕事を終えた、という感じでため息をついた。

 それから、小声で彼に言った。

「女王陛下のご加護がありますように。」

 そうして、小走りに離れて行った。


                    (4)

 あの、悪魔のような男が再び近づいてきた。

 真っ黒な人間たちは、まったく微動だにしない。

「君の証言は記録された。同じことは聞かないから安心したまえ。私は、君の告発者であり、また弁護士であり、裁判官でもある。さらに処罰の執行者にも命じられている。そこで尋ねるが、君は今ここで、火星の女王陛下、地球帝国皇帝陛下、総督閣下に忠誠を誓えるかね。一度きりのチャンスだ。よく考えて答えたまえ。」

 かれの心の中では、『忠誠を誓え。どうせ茶番だ。』という声が聞こえた。

 しかし、彼の正義感は、こうした冗談に付き合うことを拒否していた。

 そこには、彼なりに、いろいろ感じることがあったのだ。あれだけ頑張った自分が、なぜ職場で評価されなかったのか。いや、なぜ、評価されたくなかったのか。いま、自分が置かれている立場は何なのか。

 どれだけ自分が、馬鹿な道化師役に徹しているのかを。

「日本は民主主義国家でしょう。特定の人物に忠誠を誓う理由はありません。ぼくは自由です。」

 かれは、答えた。とてもすっきりした気分だった。

「そうか。わかった。では、弁護士としての私の要望を言おう。君は、不感応者だ。それは、君個人の責任を問うのには重すぎる事だ。したがって弁護士としては、新しい収容施設が完成するまで、君を拘禁する処置を要望したい。次に、告発者としての意見だ。きょう発足したばかりの、現在の地球帝国においての最重要課題は、不感応者の早期除去だ。ETCは、そのための踏み絵のひとつなのだ。したがって、現状を鑑みるに、君には、消去処分が最も適切である。

 さて、この場合、証拠は明確にある。議論の余地がない。そこで、証拠に関する検討は省略する。

 あとは、判決だけだが、・・・ん?」


 後方から爆音が轟いた。

 悪魔の男は、その方向を向いた。彼も、後ろを振り返った。

 後方から、大型二輪車が猛スピードで突っ込んでくる。料金ゲートなどに戸惑うそぶりもなく、まっすぐに、彼の左側のゲートに猛進した。遮断機がとっさに下りたが、無駄だった。二輪車はそれを真っ二つに破壊し、そのまま逃げ去ろうとした。しかし、その進路に大きなトレーラーが立ちふさがった。二輪車は行き場を失い、ぐるっと回転して激しく転倒した。乗っていた人間は跳ね飛ばされた。

 「どうやら、君よりあちらの方が先のようだね。待っていたまえ。」

 悪魔の男は、ゆっくりと、その現場に向かって歩いて行った。


                   (5)

 二輪車のライダーは、生きていた。かなりしっかりしたスーツやヘルメットを着用していたのだろう。

 ややフラフラしているが、立ち上がった。その周りを、いったいどこから現れたのか、黒ずくめの、銃を持った一群が取り囲んだ。それで、彼からそのライダーの姿がよく見えなくなった。しかし、瞬間、ヘルメットを脱いでいるところが見えた、その中からは、長い髪の毛が溢れ出ていた。

 悪魔のような男が、一群の中に消え、例の女性リポーター達が走り寄る。

 彼はテレビの音量を上げた。

「また、ETCの突破者が現れました。こんどは、女です。聞いてみます。」

 ほんの少し間が空いた。ライダーが抵抗しているらしいような音がした。

「失礼いたしました。ええ、あなたは何故このような無謀な事を行ったのですか。」

「無謀?どっちが無謀よ。何、これは。人権侵害です。離してください。触らないで。私は弁護士です。

 これは、行きすぎです。」

「あなたは、火星の女王陛下、地球帝国皇帝陛下、総督閣下に忠誠を誓う臣民ですか?」

「いいかげんにしなさい。途中でテレビを見ていましたが、もうむちゃくちゃです。私は認めません。中継の途中から、周りの人たちは、皆、おかしくなりました。『女王様万歳』、『皇帝陛下万歳』とか叫んでいました。あなた方もそうなのですね。みなさん目を覚ましなさい。世界が狂っています。これは侵略です。皆さんは正常ではありません。私と同じ立場の方、集まって対抗しましょう! 決してこの権力・・・やめなさい。何をするのですか。」

 「消去する。」

 という、あの、悪魔のような男の声が聞こえた。

 「消去が決まりました。ETCでの消去処分は、おそらくこれが初めてです。」女性リポーターが興奮気味に伝えた。


 一群の中から、彼女が引き出されるのを、彼は見た。

 彼女は、料金所のわきの建物の壁に立たされた。何かの拘束具で縛られたのだろう。動きが取れないようだった。

 黒ずくめの人間達が、横一列の形態を取った。

 悪魔のような男が手を挙げて、振り下ろした。

 特に何も見えなかったが、彼女は消滅した。


                   (6)

「いったい、何が起こったのですか。」

「君と同じように、あの女はしくじったのだ。ETCカードを抜いた後、差し忘れた。新しい秩序に同化できずにね。それだけのことなのだ。しかし、地球帝国の忠実な臣民は、そういうミスをしない。女王様と、総督閣下の偉大な能力によって、不用意なケアレス・ミスはほとんど起こらなくなった。人間がケアレス・ミスを起こす可能性は、これまでの百万分の一にまで減少する。人間は、ほとんど、完璧な行動ができるようになった。

 勿論、分からないことは分からないがね。それは仕方がない。もはや、信号を見落としたり、勘違いで書類を書き間違えたりはしない。もし、それが起これば、大部分は故意によるものなのだ。わかるかね。

 さて、では君に対する判決を伝える。気の毒ではあるが、先例が出来た。君は非常に穏健で、さきほどの女の様な、過激な行動は行わない人間だ。しかし、その用心深さと、権力に対する恒常的な反感は、むしろ、より危険だ。よって、消去処分とする。ただし、君の穏健さに敬意を表して、そのままでよい。

 消去は、見ていた通りすぐに終わる。では、さようなら。君に会えて私は幸福だった。」

 

 悪魔の『ような』男は、手を挙げて、躊躇なく振り下ろした。


 



  



 











 

 















 






  


 

 


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