3
――ただ何が起きたのかも分からなかった。
気付けば姉の身体が自分の上に覆いかぶさるように倒れており、
彼女の髪よりも紅く黒いものがその身体からは流れ続けていた。
樵は身動きすることすら出来なかった。
温もりを失っていく姉の身体だけが、ただそこにはあった。
「…、ねぇ、大丈夫?」
何処からか声が聞こえて、ようやく樵は瞼を上げた。
目の前には心配そうに覗き込む少女の姿があった。
「…ああ」
久しぶりに見た夢の余韻は重く心を沈ませていた。
夢の中で、彼はもう何度あの日を繰り返したか分からない。
「それでね。北の村に有名な長老さんがいるんだって」
詠の声で、樵の意識が再び引き戻される。
「長老?」
「そう。もう何百年も生きてるとかいうから、お姉さんのこと何か分かるかもしれないじゃない?」
町へやって来た翌日の夜、詠の提案で劇場の出口で舞姫が出て来るのを待つことにした。
そしてその結果、同じような目的で待ちかねる人々の間から彼女の姿を見ることには成功したのである。
「何か…って、何を期待してるんだ」
金のドレスを纏って歩くその女性は、やはり姉にしか見えなかった。
彼女が生きていたならまさにこのような人になったのだろう。
「分からないから、聞きに行くんだよ。舞姫はお姉さんとどう繋がりがあるのかってね」
詠は力説するが、樵は躊躇ったままだ。
もしもあの日、姉が何かの奇跡で死を免れていたとして。
そして記憶喪失にでもなって今は紅の舞姫として生まれ変わったのなら。
もしそうなら、それでもいいとも思った。
「ね、とにかく行ってみようよ」
詠はまるでピクニックにでも出掛けるかのように、明るく言った。
「答えを出すのはそれからでも遅くなんかないわ」
舞姫を見た日から、樵は何かを迷っているように見えた。
詠には何も話してくれないけれど、彼は姉の死に何かを背負っている。
そしてそれは今も彼を苦しめ続けているように思えた。
だから、出来ることならば。
彼をその苦しみから解放してあげたいと願う。
そうこうしながら進んでいくと、どうやら目的地らしい場所に着いた。
「すごい、村っていうより山だねぇ」
山の途中みたいな急な斜面にごつごつした階段が作られている。
ところどころに土ぼこりをかぶった屋根のようなものも見えた。
「長老の家は一番奥だって」
詠は村人とあっという間に打ちとけた様子で情報を得る。
樵は長く一人きりで生活してきたので、人と接するのは苦手だった。
姉がいた頃は彼女が、姉を亡くしてからは自然や小さな生き物たちが、
彼にとっての全てとも言えたからだ。
「おーい」
詠がいつの間に登ってしまったのか長老の家の前から樵を呼んだ。
彼が追いつくと、詠はさっそく長老宅へ声をかけた。
助けた当初こそは疲労のせいかぼんやりとした少女だったが、今はまるで別人だ。
くるくると表情を躍らせ次から次へと行動を起こしていく。
辺境の片田舎で一人気ままに暮らしていた樵には、ついていくのがやっとだ。
「舞姫? 彼女のことが知りたければ町の劇場へ行けばよいじゃろ」
長老とされる老人は、どこか拗ねたように切り捨てた。
どうやら彼を何でも屋か何かと勘違いして訪ねてくる人も多いらしい。
「ね、長老さま。ずっと前に亡くなった人が蘇るなんてことあるの?」
あるわけがない、樵は心の中で答える。
「何じゃ、それはあの舞姫がもう死んでいるということか」
思いがけず長老は関心を示した様子だった。
「…じゃが、そう考えれば気になるところもあるのう」
長老は最初の態度と打って変わって、熱心に語った。
曰く、舞姫の人気ぶりは常軌を逸しているということ。
曰く、その陰で熱狂的なファンが一人また一人と姿を消していること。
「姿を消すって…どういうことだ?」
「言葉の通りじゃよ。神隠しに遭ったかのように、いなくなる」
だが人々はそれを気にも留めないのだという。
確かに町では、そんな物騒な噂は聞いたことが無かった。
「…その人たち、どこにいったんだろう」
その人たちの行方を捜すことは、何かに繋がるのだろうか。
あの舞姫が彼の亡くした姉と何らかの関わりをもっていることに繋がるのか。
―もし少しでも、可能性があるのなら