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初夏の日差しがまぶしい、暖かな昼下がり。
詠は何とも言えないような不思議な気分だった。
ただ夢中で歩いて来たその道を、今彼女は戻っているのである。
しかも今度は助けてくれた少年と一緒の二人旅だ。
樵は落ち着いた足取りで、でも確実に町へと続く道を歩いていた。
彼なら本当はもっともっと速く歩けるはずなのに、さりげなく詠の歩調に合わせるように歩いてくれている。
肖像画の少女は死んだ姉の春妃だと樵は言った。
もう十年近く前に、彼女は事故で命を落としたのだという。
しかし、その生き写しの女性が今町で紅の舞姫と呼ばれている。
それが一体何を意味するのかはまだ分からない。
でも、何となく詠は樵を彼女に会わせるべきだと感じた。
「ねぇ」
声を掛けなければ永遠に無言のまま歩き続けそうな彼の背中がやっと振り向く。
「何か急に出て来ちゃったけど、本当に大丈夫だったの?」
今更聞いたところでどうしようもないのだが、つい尋ねてみる。
「あの家にはもう誰もいないからな」
淡々と、何処か寂しげな響きで樵は答えた。
「そっか、じゃあ一緒だね」
どういうことか尋ねるように、樵が視線を寄越す。
「あたしは小さい頃に町の見世物小屋へ売られたの。でも、あたし何にも出来なかったから、ついにそこからも捨てられちゃってさ」
からりと言って、詠は笑った。
笑っていれば、それは楽しい思い出みたいに聞こえるから、彼女は笑う。
そうしながら、ふと最初にこの道を歩いたときのことを思い出す。
死んでしまっても構わないと思って、ただ遠くへ行こうとした。
誰もいない場所へ行けば楽にもなれるかもしれないと思った。
なのに結局、死ぬことも出来ずに樵に助けられたのだが。
「…辛かったな」
樵は目を伏せて、呟くように言った。
詠は初めての反応にひどく驚いた。
「え? あたし、あたしは全然平気だよ。あたしが悪いんだしさ」
すっかり上手になったはずの笑顔が何だかうまくいかなかった。
どうしていいか分からずに困っていると、そっと髪に手が触れた。
「昔、姉さんが教えてくれたよ。辛いときや悲しいときは、無理に隠したりしなくていいんだって」
古い肖像画の、あの少女の顔がふと浮かぶ。
詠は彼女を知らないはずなのに、その顔がひどく懐かしいものに感じた。
それから樵はまた何事もなかったかのように歩き続けた。
そして時々、詠に野草や小さな動物たちのことを教えてくれた。
ようやく町へ着いた頃には、すっかり日は暮れてしまっていた。
最初はこの世の果てかと思うほど遠く長い道のりだったように感じたのに、
こんなにすぐ帰って来られるような場所だったのかと拍子抜けした。
きらきらした人々の住む場所と、そこから外れた人々の住む場所。
この町はそんな二つの顔を持っていた。
詠が暮らしていたのは、その後者である小さな見世物小屋だ。
「舞姫は町の中央劇場でいつも踊っているの。お金がなくちゃ劇場には入れてもらえないけど…とにかく、行ってみよ」
死んだ姉・春妃と瓜二つであり同じ名を持つ舞姫がもう近くにいる。
樵はそのことへの動揺を隠すことが出来ず躊躇する。
だが詠に引きずられるようにして、中央劇場の前へやって来た。
それは彼が今まで見た建物の中で一番大きく、また光り輝いていた。
「ここに…」
やはり彼には信じられなかった。
「人気は相変わらずみたいね。チケットはとっくに完売だって」
どこからか話を聞いてきたらしい詠がそう言った。
残っていたところでとても買えるような値段じゃないけど、とも付け加えた。
やがて開場時間になったのか、人々が吸い込まれるように劇場の中に消えた。
チケットを手に入れられなかった人々がまだたむろってはいたが、
広場のざわめきはとりあえず落ち着いてきたようにも感じられた。
「…どうする?」
ただ呆然と建物を見上げていた樵は、その声でようやく詠を見た。
「とりあえず、何処かで宿をとるか」
そう言って、ようやく樵は建物を背に歩き出す。
「ねぇ、それなら」
詠はその背中に向かって言った。
「町からは一度出ることになるんだけど…いい場所があるわ」
その提案に彼は頷き、二人は人ごみを避けて足早に町を出た。
そうして詠が案内したのは、森の中に佇む古い廃屋だった。
「ここなら宿代がかからなくて済むでしょ?」
詠は得意げな笑顔で言った。