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この世界を生きてゆく中では、きっと誰しもが抱え切れない痛みを負う。

ただそれをどうしてゆくかは人それぞれに違う。

だからこそそれぞれの生があって、死があるのだ。

その全てには正解など存在しない。つまり間違いも存在しない。

けれどどうして、人はいつも正解を求め、後悔に苛まれる。

そんな人を救うものは、果たしてこの世界に存在しているのだろうか?



 1


歩いて歩いて、もう何処まで来たのかも分からなくなっていた。

少しでも気を緩めれば容赦なく疲労や痛みは襲い掛かってきたし、

限界が存在するのならそんなものはとうに超えているとしか思えなかった。

それでも足を止めなかった理由は自分にも分からない。

それまで暮らしていた町を出て、小さな村を越えてさらに西へ。

家屋どころか人影さえ見えなくなって久しい。

こんなところで行き倒れでもしたら、間違いなく助からないだろう。

最後の精神力だけで足を動かしていた、そんなときだった。

人影が見えたような気がした。

必死で目を凝らして確認しようとするが、どうにも焦点が定まらない。

「…っ」

声を振り絞ろうにも、もう身体は言うことを聞いてくれなかった。

そのまま世界が傾いたかと思うと、彼女はその場に崩れ落ちた。



次に気が付いたとき、彼女はついに自分は死んだのだと思った。

「あの世って、意外に質素なんだ…」

ぼうっとした頭のままで辺りを見回して、呟いた。

「質素で悪かったな」

予想しない声が返って来た。驚くのも忘れて、声のしたほうを見ると。

そこには不機嫌そうな表情の少年が立っていた。

「それに言っておくけど、ここはあの世じゃない」

そう言いながら、少年は彼女の前に器を突き出す。

しかし彼女が差し出された器を不思議そうに眺めたまま受け取ろうとはしないので、

少年は苛々した口調で更に続けた。

「とりあえず食え。話はそれからだ」

そういい捨てると、少年は窓辺の椅子へどかりと座った。

「…どういうこと?」

しかし少年はただ窓の外を眺めたまま答える気配はない。

やがて彼女は諦めて、とりあえず差し出されたものを見下ろす。

温かな湯気をたてる粥は、心地よく食欲を誘った。

忘れていた空腹感が目を覚まし、言われたままにそれを口に含む。

そして食べ終えると、久しぶりのまともな食事にすっかり満足してしまった。

もう一度眠ってしまいたい気分にすらなっていると、

「ところで、お前は一体何なんだ」

思い出したように、少年が言った。何とも答えにくい質問だった。

「何って…、ここがまだあの世じゃないなら、生きた人間かな」

ぴしり、空気が変わる。

あぁ、やっぱりまずかったかな。でも何と答えても彼は怒るようにも感じた。

「馬鹿か、お前。…分かった、それじゃ名は何だ」

呆れたように、彼は尋ね直した。

「…詠。あなたは?」

今度は迷わずに答えて、詠は改めて窓辺の少年を見る。

銀髪を一つに高く結い上げ、動きやすそうな身軽な衣服を纏っている。年は同じくらいに見えた。

「俺は樵。それで、お前は何で行き倒れるようなことをしてたんだ」

詠は何と答えたらいいものか悩んだ。

事実は単純だ。詠はそれまで住んでいた町での仕事を失った。

同時に住む場所もなくして、何もかも失ってしまったのだ。

だが、何故こんな遠い村はずれまで来たのかは自分にもまだ説明がつかなかった。

全てをやり直したいという気持ちがあったのは確かだ。

でもそれだけならこんな場所より、都会へ向かったほうが正しい気もする。

「…わからない」

樵が眉根を寄せる。詠は困ったように視線を逸らした。

何が正しくて、何故自分がそうしたのかなんて分からない。


そんなことを思っていると、ふとそれが目に付いた。

「…あれ」

「?」

そこで詠が視線を留めたのは、古い肖像画だった。

樵もその視線の先を追って、そして何かを飲み込んだ。

「あなたも、あの人のファン?」

描かれていたのは少年と少女。まだ幼いが少年は恐らく目の前のこの人だ。

「…ファンだと?」

感情を押し殺した声音で樵は呟いた。

「驚いた、こんなところにまで噂って伝わるのね」

詠が素知らぬ風に言うと、樵は目を剥いた。

「どういうことだ」

かすかな動揺さえ滲ませるが、詠はそれに気付かないまま答える。

「どういうことって…この画の人、紅の舞姫でしょう?」

美しい真紅の髪をした、美貌の舞姫。

町の人々がその虜になるまで時間はかからなかった。

詠が実際に彼女を見たのは数えるほどだったが、町の人々の熱狂振りはもはや異常とも思えるような勢いだったのを覚えている。

「…でも、この画は結構昔よね。何か、印象違うかも」

肖像画の少女は、勝気そうに見えたが優しい笑みを浮かべていた。

詠の知る“舞姫”は、美しいけれど怖いほどの冷たさを放っていたからだった。

「…人違いだろ」

押し黙っていた樵は、自らを落ち着けるように言った。

「額の痣だって同じだし。あれ、あなたもおそろいなの?」

詠は肖像画の少女を指して言い、改めて気付いたように樵を見た。

その言葉で樵の表情は更にこわばった。

さすがに詠もその変化に気付き、狼狽した。

「…ど、どうしたの」

「名前は?」

「えっ? だから私は詠だって」

「お前じゃない。その…舞姫とやらだ」

「ああ、えっと…」

町では舞姫といえば彼女のことを指していたから、改めて名前を尋ねられるとすぐには思い出せなかった。

しばらく考えて、ようやく思い出す。

「ハルヒ…だったと思うけど」

それを聞いて、樵は青ざめたようにも見えた。

このときの詠にはそれが何故なのかは全く分からなかった。


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